江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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 ・貞吉三年(1546年) 六月  安芸国高田郡 六角本陣  六角定頼


「陣立てを急げ! 銀山城もそう長くは保たん! 一刻も早く態勢を整えろ!」

 方々を叱咤して回るが、やはり混乱が激しい。
 山中を夜通し駆けて来たんだから無理もないが……。

 くそっ!

 まさか大友が船で援軍を送るとは想定外だった。
 村上水軍を握った以上、瀬戸内海の制海権はこちらにあると油断していた。完全に俺のミスだ。

 唯一の救いは陶攻めの為に軍を返す準備をしてあったことだ。そうでなければ、今もまだ高杉城でモタついていた可能性が高い。
 おかげで備後山中で孤立するという最悪の状況だけは避けられた。

 しかし、安芸に引き返してもこちらの態勢が整う前に詰め寄られれば結局苦戦は免れない。

 ”伝令~!”

 遠くから使番が駆けて来る。
 ……高杉城からか。恐らく尼子も動き始めたな。

「伝令!」
「申せ!」
「ハッ! 滝川様より大本所様(六角定頼)へ、瀬戸山城に籠っていた尼子の軍勢が備後へ向けて動き始めたとの伝令にございます!
 数日の内には高杉城へ達する見込みである、と!」

 予想通りか。大友から尼子へ上陸を報せる使者が行ったな。
 こうなるとこっちもゆっくりしていられん。高杉城に残して来た兵数は三千。大友と陶を速やかに撃退しなければ、今度は尼子と大友・陶に挟み撃ちにされてしまう。
 猶予は多くて一か月。それまでに勝てなければ、西国遠征は大失敗に終わる。

 ……久々に焦るわ。
 大友の動きをもっとよく探っておくべきだった。

「慌てるな! 各隊の点呼を取って人数を確認しろ!」
「大本所様!」
「どうした!」
「北軍一番組、赤尾隊三千。進軍準備整いましてございます!」

 早い! さすがは赤尾清綱だ。

「よし! 取り急ぎ佐東銀山城に向かえ! ただし、戦を仕掛けるのはまだ待て。仕掛けるのは後続の到着を待ってからだ。大友にこちらの旗と軍勢を見せればそれでいい。太田川の手前で待機せよと伝えろ」
「ハッ!」

 伝令が駆けてゆく。
 こんなに慌ただしい戦はいつ以来だ?

 ええい、余計なことは考えるな。ともかく今は少しでも早く態勢を整え、戸次鑑連と……立花道雪と決戦できる状態にしなければ。

 ……しっかし、まともに決戦でもキツいよなぁ。
 相手は陶隆房と立花道雪の連合軍だ。どちらも軍の破壊力は一級品と観た方がいい。唯一の救いは、相手が急造の連合軍であるってことだ。完璧に連携が取れているわけでは無いだろう。
 恐らく陶軍と大友軍はそれぞれ別個に動くはずだ。片方を抑えつつ、片方を全力で叩く。

「伝令!」
「どうした!」
「南軍が瀬戸内を押し渡り、呉浦に上陸! 急ぎ銀山城の後詰に向かうとのこと」
「何!?」

 伊予を攻めているはずの蒲生が何故こちらに……?
 いや、今はそんなことはいい。ともかくも助かった。銀山城はまだ何とか耐えているはずだ。蒲生が一日時間を稼いでくれれば、それだけこちらの態勢を整えることができる。

 しかも呉浦ということは、期せずして大友・陶を挟み撃ちにすることもできる。銀山城と合わせれば三方包囲だ。
 蒲生の一手で一気に形勢が逆転する。まさに奇跡の一手だ。



 ・貞吉三年(1546年)  六月  安芸国高田郡  六角陣  毛利元就


 しくじったか!?
 まさか大友が六角と事を構えてまで尼子に援軍を出すとは思わなんだ。五郎殿(陶隆房)が嫌に大人しかったのも、大友の援軍を待っていたからなのだな。

 儂の見込み違いであった。
 こうなれば、是非もない。今からでも尼子に詫びを入れ、毛利は六角と袂を分かつと言うべきか。

 ……儂は腹を切ることになるだろうな。
 果たして、それで毛利家が生き残れるか?
 問題はそこだ。

「父上! 何故です! 何故我らは郡山城に引き返すのですか!」
「ええい、うるさい! 考え事をしている時に耳元で喚くな!」

 次郎(吉川元春)が目の前まで来て不満を鳴らす。
 ちぃとばっかし六角に気に入られたからと言って、すっかり六角の一員のような顔をしおってからに。お主は毛利の子であることを忘れたか!

「何故もへったくれもない。我らは郡山城を堅守し、六角軍の後方を援護する。最初からそう申していたであろう」
「……っ! しかし! 此度の戦は父上が始められたものでございましょう!」
「無論、その通りだ。だが、儂の相手はあくまでも尼子だ。尼子と戦をするのならばと儂も前線まで手勢を率いても来た。だが、大友とまで事を構える気は無い。
 我らはあくまでも安芸の国衆であり、安芸の領地を守り抜くことこそが本懐。六角は敗れても兵を引き上げれば済むが、その時残された我らはどうなる?
 兎も角も郡山城を堅守し、場合によっては尼子に詫びを入れる。そう言ったことも考えねばなるまい」

「それでは、いささか情けのうございませんか?」

次郎の後ろから太郎(毛利隆元)が進み出て来る。太郎も兵を引き上げることには反対なのか?

「太郎。情けないとはどういう意味だ?」
「言葉通りにございます。六角はまだ敗れると決まったわけでは無い。急ぎ軍を返し、大友を返り討ちにせんと走っております。六角をそれだけ走らせたのには、我ら毛利にも責任の一端がございましょう」

 太郎が周囲に視線を巡らせる。
 陣幕の外では、大声で兵が点呼の声を上げている。確かに六角軍にはまだ諦めの空気はない。

「だが、いかに六角軍が精強とは言え、これだけ走った後に戦では相当に疲れが出てしまうだろう。対して大友・陶は休息も充分。疲労の差は自ずから明らかだ」
「その通りです。この戦の帰趨は未だ計りかねます。だからこそ、我ら毛利も力を尽くすべきではありませんか?」
「……どういうことだ?」
「郡山城を堅守し、尼子に詫びを入れる……。そうなると、全ての責任を取って父上は腹を切ることに相成りましょう」
「最悪の場合には、な。それでも、安芸に毛利が残るのならば……」
「安芸に毛利が残ったとして、その扱いは悲惨な物となるは必定」
「う……」

「そもそも、父上が尼子と袂を分かったのは何故です? 修理大夫(尼子詮久)と義兄弟の契りまで交わしながら、尼子を敵と見定めたのは何故にございましょうや?」
「それは……許せなんだのだ。弟を唆し、毛利を乗っ取ろうと策謀しながら、儂が弟を討つやぬけぬけと義兄弟などと抜かすのが許せなんだ。どの口がそう抜かすのかと腸の煮えくり返る思いであった。
 だが、あの時は儂も家中を纏めるだけの力が無く、尼子の足を舐めることしか出来なんだ」
「その思いを某にもさせようと仰せですか?」
「なに?」
「父を死なせ、尼子の前に這いつくばり、その足を舐めてまでも毛利が安芸に残る意味とは何でしょう?
 もはや尼子に逆らうことは許されず、場合によっては某は尼子の子を養子に迎えることにもなりましょう。
 そこまでしても、我らは安芸に残らねばなりませぬか? 六角は一度敗れたからと言って西国から手を引くのでしょうか?」

 むぅ……。確かに、儂は毛利を残すことだけしか考えていなかった。
 だが、太郎の言う通りあの日々は儂にとって屈辱の日々でしかなかった。毛利を奪われずに済んだのは、ひとえに大内の助け舟があったからこそだ。
 それに、たとえ敗れたりといえども六角は再び軍を起こすだけの力はあるはず。ひとたび尼子の傘下に降れば、毛利は六角から裏切り者と見られる恐れも大きい。
 それよりは六角に徹頭徹尾尽くし、例え負けても六角の再征によって再び本領を回復するのも一つの道かもしれぬ……。

「次郎。お主は吉川を率いて六角と共に行け。儂はここで後続の兵の到着を待ち、お主を追いかける」
「し、しかし兄上。父上は……」
「父上は必ず儂が説き伏せる。今の毛利の当主はこの儂だ。儂の下知に逆らうか」
「い、いいえ。で、では!」
「安芸は我らの庭だ。道案内など務めて差し上げるが良い」
「ハッ!」

 あの太郎が儂の下知に逆らって自ら采配を振るうとは……。
 頼りないと思っていたが、どうやら儂の目は節穴だったのかもしれんな。



 ・貞吉三年(1546年)  六月  安芸国佐東郡  大友陣  戸次鑑連


「ほう」

 思わず感嘆の声が出る。完全に虚を突いたはずだが、中々どうして対応が素早い。流石は天下に名高い六角軍と言ったところか。
 しかも、儂らの正面に陣取っているのは対い鶴の紋。噂に名高い『今藤太』だな。

 後方に視線を移すと銀山城の攻防が目に入る。
 こちらもなかなかに堅い。二方向から攻め上っているが、隘路を利して一度に多勢で攻めかかれないように配置してある。
 その分、前線で戦う兵は地獄を見ているはずだが……。

 安易に見捨てられはしないとの信頼あってこそであろうな。数日耐えれば後詰が来ると信じていなければ、とても戦い抜けるような戦ではない。
 銀山城の守将は建部甚右衛門とか申したか。聞かぬ名だが、悪くない戦ぶりだ。

「尾張守殿(陶隆房)に伝令を送れ。我らは西より現れた六角の新手に対応する。尾張守殿は引き続き銀山城の攻略にかかられたし、と」
「ハッ!」
「大野衆を前面に出せ。相手は蒲生だ。こちらも出し惜しみはせずに行くぞ」
「応!」



 ・貞吉三年(1546年)  六月  安芸国佐東郡 松笠山  蒲生定秀


 旗が動き始めた。あれは大友の杏葉紋だな。数はざっと五千以上は居る。加えて、山の反対側には陶の花菱紋も見える。
 合わせれば一万を優に超える軍勢か。
 こちらの後方を脅かそうという数ではないな。間違いなく大本所様の本軍を叩く為の軍勢だ

「太田川を境にこちらの軍を展開しろ。先鋒は小倉左近の二番組」
「ハッ! しかし、我らも海を渡ったのは先発の四千のみ。後続の到着までにはあと二日はかかりますが」
「だからと言って敵に『待ってくれ』と言うわけにもいかんだろう。大本所様の本軍がこちらに取って返すまでにはあと三日。それまで銀山城を援護し、敵の足を止めるのが我ら南軍の役目と心得よ」
「つまりは、潰れ役でございますな」

 左近(小倉実綱)め、ニヤリと笑って言ってのけるとは頼もしい。こちらもつい頬が緩んでしまう。
 ……思えば、箕浦河原以来か。こうして大本所様の盾となる戦は久方ぶりだ。

「そう言えば、左近は箕浦河原の折はどうしていた?」
「某は大原次郎様(大原高保)と共に醒ヶ井方面から進軍しておりました。正面で朝倉の猛攻を支える蒲生勢、己が奇襲を受けてなお援護の矢を絶やさなかった平井勢の活躍を聞き、若輩の身ながら心震えた物でござる」
「そうか。此度は、お主が最も苦しい役目となろう。……死ぬなよ」
「無論。この戦に勝ち、共に美味い酒を頂きとうござるな」

 ……そうだな。
 不意を突かれたこの戦、もはや不利な形勢は避けられぬ。
 厳しい戦になる。が、必ず生きて勝利の美酒を飲もう。

 目を閉じてすうっと息を吸う。気合は入った。
 ここからはひたすらに力を尽くして戦うのみ。

「槍隊を前面に出し、弓隊は援護を絶やすな。白兵戦は可能な限り避け、備えを固くして守り抜け」
「ハッ!」

 大本所様の本軍がこちらに取って返すまでにはあと三日……。
 何としてもこの三日間を凌ぎ、敵の足を止める。

「ゆくぞ!」
「応!」


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