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「だけどやっぱり間宮は分かってないと思うんだよね」ポツリ、呟きながら務は、レンジへトレーを差し入れた。未だふくらんでいないカップケーキ。くるくると回り始めた白い土台と、暖色の明かり。それらを眺めながら、後で振る砂糖を一瞥する。
腰を下ろしてほおづえを突きながら、レンジをただ静かに見つめた。
アトランティスが沈没してから、数十年が経過した。
初めは慌ただしかった周囲も、今となっては、文明化計画第三世代の話題に姦しくなることはあっても、最早誰も次世代計画のことなど持ち出しはしない。
父成る天の間宮の施設は相変わらずで、二千年ぶりの帰宅だと感じさせない様相だったが、過ごす内に、やはり前とは違うなと務は思っていた。
ここへ再び来たばかりの頃から、存命者と落命者の確認作業に、カルミネイト以下MIOのメンバーも忙しいことは聴いている。ヘラクレスの柱の内側でも外側でも、多くの人命が失われた。けれど死者の命を弔うためではなく、大地に、天の感知しないマキナエルライトの恩恵を受けた人間が残っているのではないかという一抹の不安や、この騒動に乗じて、父成る天を落とそうとしている勢力がテロを企てているのではないかという不安ばかりが目立っている。
元々神代プロジェクトに参画していて、アトランティスを沈めた遇津と近しかった務など、もう何度も事情を聴取された。誰も遇津の死を労ってくれなかったというわけではない。けれど、彼女が悪の代名詞とされる現在を、どこか違和を持ったまま、務は受け入れていた。自分だって、彼女を疎ましく思ったこともあるはずなのに。
だが、そんな稚拙な正義感は、あの懐かしい記憶が連なる陸地と共に、沈めてきたのだと、務は一人うなずき、間宮が置いていった茶封筒を一瞥した。
改竄のきく電子データよりも、木から長い時間を掛けて作る紙の方が、書類として重視されている。いつか学生だった時の自分は、何も考えずにノートを消費していたのだと、どこか懐かしい気持ちで考える。
「うん、間宮は分かってないよ」
自分は全てを沈めてきたのだからと、捨てたのだと、そう決意し、務は再度呟いた。毎日繰り返さなければ揺らぎそうになる決意など、決意とは呼ばないのかもしれなかったが、それでも良かった。
今日も事情聴取にやってくるMIOの人間に手渡す資料を一式用意してくれたらしい間宮は、何も心配する必要はない、全部やってやったからと笑って口にし、仕事へ出かけた。この家へ再び住まわせてもらうようになった時の住民登録だって、その後の更新だって、他の指定免許の更新だって、務のものを全て間宮はやってくれる。務が何かを決めなければならない時、間宮は全てを、事後承諾でやってくれる。やってやっている、と彼は思っているのかもしれない。欲しいのは、事前承諾だというのに。実際、やってくれることはありがたかった。一人で出来るのかと問われたら、出来ないこともあるのかもしれない。確かに事務手続きは億劫だった。けれど、億劫なだけで、出来ないわけでも、何も考えていないわけでもないというのに。はなから出来ないと決めつけ、一方的に勝手に決めて、そして、してあげている、と、そんな姿勢でいつも笑う。
こんな事を考えるのは贅沢なのかもしれない。頼っている面が大きい現実だって、確かに眼前には横たわっている。けれど、やはり思うのだ。対等ではない、と。庇護下に置かれなければ何も出来ない子供だと、利己的な親に罵られた気分になる。親愛で括れば許される、自己満足の道具になる気など、務には起きない。最初はあれほど大きく見えた間宮が、今では自分と代わらないと思うようになってもう大分たつというのに、間宮の中の自分は高校生の頃のままにしか思えない。確かに会わず離れていた期間は長かった。だが、守られている現実は、見下されているようにしか感じられないのだ。
「焔紀のことは信じてないけど、それでもやっぱり、一緒にいて楽だったと思うのは、僕の事なんて考えてくれていなかったからなんだ」
自分のことなど考えてもらう必要はないのだという申し訳なさも、して欲しいなんて思っていないのだという苛立ちも、それらがもたらす葛藤も、何も必要としなかったから。
務がそう呟いた時、玄関の呼び鈴が鳴った。
最近、独り言が多い。それは、間宮が帰るまでを待つ間、一人でいる時間が長いからなのかもしれない。
立ち上がり、客人を出迎える。昔と変わらないMIOの制服を着ているのは、若い女で、その初めて見る顔に、務は首を傾げた。大抵何時も、眼鏡を掛けた神農という男がやってくるからで、けれど彼と背丈の変わらない、長身の彼女の顔をまじまじと見る。
長いまとめた髪を帽子の下にしまっているようだった。
光沢在るつややかなその黒髪同様、光を宿した意志の強そうな大きな瞳が、黒く長い上下の瞼の合間から務を捉える。ヒールと帽子の分もあるが、それらを含めれば、務と同じくらいの身長だった。
顔の両側をながれる残り毛を目で追い、彼女の胸元の記章を捉えた時、同時にその豊満な胸元に瞬いた。多分自分が知る中で、最も肉感的な体をしているのではないかと、務は慌てて視線をそらしながら考える。
「――の和紗だ。聴いているのか? 早く通してもらえないか?」
「え? ああ、はいどうぞ」
和紗、と言うらしい女から視線を背けたまま、務は中へと踵を返した。
LDへと戻ると、丁度カップケーキができあがっていたから、白茶と共に、ケーキを差し出す。
「気遣いは無用だ」
その作り物めいた口調に、いつかの姉の様子を思い出し、MIOに所属する女性は皆こうなのだろうかと考える。
「いえ、神農さんが、この前帰る時に食べたいって言ってたんですよ。無駄になっちゃうから。そういえば今日はどうなさったんですか? 担当は決まってるって聴いてますけど」
「彼奴は中華計画のウイルス騒動で、下へ降りた。何だ、私では不満か?」
「若干」反射的にそう答えてから、務は慌てて作り笑いを浮かべて視線をそらした。正直、眼光が鋭く威圧感が漂う和紗と会話するのは気が重い。「あ、いや、その……」
しかし、率直に告げてしまった気まずさに、慌てて首を振る。
「正直だな、神野務。顔に嫌と書いてある」
「あれですよあれ、貴女のようにお綺麗な女性と二人きりだなんて緊張するなぁっていう、アレですよ」
とっさに言いつくろうが、思わず視線が胸元へ降りた所を、和紗に見咎められる。
「アトランティスでは焔紀と仲が良かったと聴いているが、同類か」
彼女の険しい眼差しに一時狼狽えたが、和紗のその声に、驚いて務は目を見開いた。
「え? 焔紀のこと知ってるんですか? しかも、僕と彼が仲が良い?」
「知っている。本人にそう聞いた。何だ、違うのか?」
「いや、その……」なんと返答したものか分からず、務は曖昧に笑ったまま、漸く和紗の正面へと腰を下ろす余裕を持った。
「でも間宮と仲が良いのは違いないな。彼奴は元気か?」
「元気ですけど。あ、でも、今朝はちょっと風邪気味みたいでした」
「医者の不養生など滑稽きわまりないな」
「ここの所忙しいみたいで。ほら、神農さんと一緒で、中華のワクチンの事らしいんですけど、ゆっくり休めないみたいだから」
「放っておけ。自業自得だ。尤も彼奴は忙しくないと倒れてしまう型の人間だからな、どちらにしろこの最中体調を壊したのであれば、休養を身体が欲しているんだろう」
「よくご存じなんですね、間宮のこと」
確かに彼女の言うような兆しのある彼の顔を思い出しながら、務は薄く笑って封筒を和紗へ手渡した。
「付き合っていたからな」
「え」しかし、それとなく続いた彼女の声に、驚いて務は顔を上げた。彼から封筒を受け取り、和紗は中身を確認しはじめる。「じゃあ、この前の日和ちゃんを殺――」
「それは私の後の……いや、浮気相手の女の話だ。私は私情で人を殺めたことなど無い」
「えええ? 間宮が浮気ですか」
「そうでなくともあの世話焼きのお節介には辟易していた。それで何度も駄目になったんだ。でも、アレは確かに決定打だったな。私を虚仮にするとは。まぁ良い。それにしても、君にも同情するぞ、神野務。この書類を用意したのも彼奴だろう? 君が頼んだのか? いや頼まれたら間宮はやらないだろう。一方的な親切だ。よくそんな飼い犬じみた扱いで息が詰まらないな」
「嗚呼……それ、ちょっと分かるな。間宮の犬になった覚えなんて無いけど、間宮は僕の飼い主のつもりでいるかもしれない」
「あいつには対等なんて言う概念はないからな。自分の所有物か、それ以外か、それしかない。彼奴から、君の話は良く聴いていたんだ。その時は、漸く彼奴にも、他人という者が存在すると分かったのかと思ったんだが、結局繰り返しているんだな。それでも焔紀の時とは違うようだが」
「焔紀の時って」
「随分と古い話だ。まだあの二人が、少なくとも焔紀が、間宮をあそこまで嫌う前のな」
「だけど焔紀ってああいう性格だから、それで間宮も」
「確かに焔紀はやりすぎる。それでも人としての理解を超えるのは、今でもエンリルか間宮に絡んだ事柄だけだろう」
和紗の言葉に小さく頷きながら、務は首を傾げた。
「僕には、二人の間に何があったのかは知りませんけど、特に興味も。勿論、無いと言えば嘘になりますけど。それより、聴取は良いんですか?」
「構わない。本当のことを言えば、担当が決まっているから、何も私が今日来る必要はなかったんだ」
「え、じゃあなんで」
「君の顔が見てみたかったんだ」
職務中にそれでよいのだろうかと、笑った和紗を見守る。すると彼女は静かに立ち上がり、封筒を手に一礼した。
「邪魔したな。間宮には、ホットワインでも用意してやると良い」
出て行った彼女を見送りながら、そういえば何度か間宮が自分で、ホットワインを作っていた姿を思い出した。決まって体調が優れない時だとは感じていたのだけれど、なるほど、それまでは彼女に作ってもらっていたのか。
自分の知らない間宮のことを思ったけれど、結局そちらでも同じ顔をしていたのかと思えばおかしくなって、静かに務は笑った。
その日の夜、微熱を出して帰宅した間宮に、務が赤の揺れるカップを差し出すと、彼はそれを傾けて、いつになく深く、眠ってしまったようだった。だから午後の一時の話は、しないでおく。眠い時は眠れば良い。いつか、誰かにそういわれたかったことがあったような気がしながら、その日務も深く眠った。
腰を下ろしてほおづえを突きながら、レンジをただ静かに見つめた。
アトランティスが沈没してから、数十年が経過した。
初めは慌ただしかった周囲も、今となっては、文明化計画第三世代の話題に姦しくなることはあっても、最早誰も次世代計画のことなど持ち出しはしない。
父成る天の間宮の施設は相変わらずで、二千年ぶりの帰宅だと感じさせない様相だったが、過ごす内に、やはり前とは違うなと務は思っていた。
ここへ再び来たばかりの頃から、存命者と落命者の確認作業に、カルミネイト以下MIOのメンバーも忙しいことは聴いている。ヘラクレスの柱の内側でも外側でも、多くの人命が失われた。けれど死者の命を弔うためではなく、大地に、天の感知しないマキナエルライトの恩恵を受けた人間が残っているのではないかという一抹の不安や、この騒動に乗じて、父成る天を落とそうとしている勢力がテロを企てているのではないかという不安ばかりが目立っている。
元々神代プロジェクトに参画していて、アトランティスを沈めた遇津と近しかった務など、もう何度も事情を聴取された。誰も遇津の死を労ってくれなかったというわけではない。けれど、彼女が悪の代名詞とされる現在を、どこか違和を持ったまま、務は受け入れていた。自分だって、彼女を疎ましく思ったこともあるはずなのに。
だが、そんな稚拙な正義感は、あの懐かしい記憶が連なる陸地と共に、沈めてきたのだと、務は一人うなずき、間宮が置いていった茶封筒を一瞥した。
改竄のきく電子データよりも、木から長い時間を掛けて作る紙の方が、書類として重視されている。いつか学生だった時の自分は、何も考えずにノートを消費していたのだと、どこか懐かしい気持ちで考える。
「うん、間宮は分かってないよ」
自分は全てを沈めてきたのだからと、捨てたのだと、そう決意し、務は再度呟いた。毎日繰り返さなければ揺らぎそうになる決意など、決意とは呼ばないのかもしれなかったが、それでも良かった。
今日も事情聴取にやってくるMIOの人間に手渡す資料を一式用意してくれたらしい間宮は、何も心配する必要はない、全部やってやったからと笑って口にし、仕事へ出かけた。この家へ再び住まわせてもらうようになった時の住民登録だって、その後の更新だって、他の指定免許の更新だって、務のものを全て間宮はやってくれる。務が何かを決めなければならない時、間宮は全てを、事後承諾でやってくれる。やってやっている、と彼は思っているのかもしれない。欲しいのは、事前承諾だというのに。実際、やってくれることはありがたかった。一人で出来るのかと問われたら、出来ないこともあるのかもしれない。確かに事務手続きは億劫だった。けれど、億劫なだけで、出来ないわけでも、何も考えていないわけでもないというのに。はなから出来ないと決めつけ、一方的に勝手に決めて、そして、してあげている、と、そんな姿勢でいつも笑う。
こんな事を考えるのは贅沢なのかもしれない。頼っている面が大きい現実だって、確かに眼前には横たわっている。けれど、やはり思うのだ。対等ではない、と。庇護下に置かれなければ何も出来ない子供だと、利己的な親に罵られた気分になる。親愛で括れば許される、自己満足の道具になる気など、務には起きない。最初はあれほど大きく見えた間宮が、今では自分と代わらないと思うようになってもう大分たつというのに、間宮の中の自分は高校生の頃のままにしか思えない。確かに会わず離れていた期間は長かった。だが、守られている現実は、見下されているようにしか感じられないのだ。
「焔紀のことは信じてないけど、それでもやっぱり、一緒にいて楽だったと思うのは、僕の事なんて考えてくれていなかったからなんだ」
自分のことなど考えてもらう必要はないのだという申し訳なさも、して欲しいなんて思っていないのだという苛立ちも、それらがもたらす葛藤も、何も必要としなかったから。
務がそう呟いた時、玄関の呼び鈴が鳴った。
最近、独り言が多い。それは、間宮が帰るまでを待つ間、一人でいる時間が長いからなのかもしれない。
立ち上がり、客人を出迎える。昔と変わらないMIOの制服を着ているのは、若い女で、その初めて見る顔に、務は首を傾げた。大抵何時も、眼鏡を掛けた神農という男がやってくるからで、けれど彼と背丈の変わらない、長身の彼女の顔をまじまじと見る。
長いまとめた髪を帽子の下にしまっているようだった。
光沢在るつややかなその黒髪同様、光を宿した意志の強そうな大きな瞳が、黒く長い上下の瞼の合間から務を捉える。ヒールと帽子の分もあるが、それらを含めれば、務と同じくらいの身長だった。
顔の両側をながれる残り毛を目で追い、彼女の胸元の記章を捉えた時、同時にその豊満な胸元に瞬いた。多分自分が知る中で、最も肉感的な体をしているのではないかと、務は慌てて視線をそらしながら考える。
「――の和紗だ。聴いているのか? 早く通してもらえないか?」
「え? ああ、はいどうぞ」
和紗、と言うらしい女から視線を背けたまま、務は中へと踵を返した。
LDへと戻ると、丁度カップケーキができあがっていたから、白茶と共に、ケーキを差し出す。
「気遣いは無用だ」
その作り物めいた口調に、いつかの姉の様子を思い出し、MIOに所属する女性は皆こうなのだろうかと考える。
「いえ、神農さんが、この前帰る時に食べたいって言ってたんですよ。無駄になっちゃうから。そういえば今日はどうなさったんですか? 担当は決まってるって聴いてますけど」
「彼奴は中華計画のウイルス騒動で、下へ降りた。何だ、私では不満か?」
「若干」反射的にそう答えてから、務は慌てて作り笑いを浮かべて視線をそらした。正直、眼光が鋭く威圧感が漂う和紗と会話するのは気が重い。「あ、いや、その……」
しかし、率直に告げてしまった気まずさに、慌てて首を振る。
「正直だな、神野務。顔に嫌と書いてある」
「あれですよあれ、貴女のようにお綺麗な女性と二人きりだなんて緊張するなぁっていう、アレですよ」
とっさに言いつくろうが、思わず視線が胸元へ降りた所を、和紗に見咎められる。
「アトランティスでは焔紀と仲が良かったと聴いているが、同類か」
彼女の険しい眼差しに一時狼狽えたが、和紗のその声に、驚いて務は目を見開いた。
「え? 焔紀のこと知ってるんですか? しかも、僕と彼が仲が良い?」
「知っている。本人にそう聞いた。何だ、違うのか?」
「いや、その……」なんと返答したものか分からず、務は曖昧に笑ったまま、漸く和紗の正面へと腰を下ろす余裕を持った。
「でも間宮と仲が良いのは違いないな。彼奴は元気か?」
「元気ですけど。あ、でも、今朝はちょっと風邪気味みたいでした」
「医者の不養生など滑稽きわまりないな」
「ここの所忙しいみたいで。ほら、神農さんと一緒で、中華のワクチンの事らしいんですけど、ゆっくり休めないみたいだから」
「放っておけ。自業自得だ。尤も彼奴は忙しくないと倒れてしまう型の人間だからな、どちらにしろこの最中体調を壊したのであれば、休養を身体が欲しているんだろう」
「よくご存じなんですね、間宮のこと」
確かに彼女の言うような兆しのある彼の顔を思い出しながら、務は薄く笑って封筒を和紗へ手渡した。
「付き合っていたからな」
「え」しかし、それとなく続いた彼女の声に、驚いて務は顔を上げた。彼から封筒を受け取り、和紗は中身を確認しはじめる。「じゃあ、この前の日和ちゃんを殺――」
「それは私の後の……いや、浮気相手の女の話だ。私は私情で人を殺めたことなど無い」
「えええ? 間宮が浮気ですか」
「そうでなくともあの世話焼きのお節介には辟易していた。それで何度も駄目になったんだ。でも、アレは確かに決定打だったな。私を虚仮にするとは。まぁ良い。それにしても、君にも同情するぞ、神野務。この書類を用意したのも彼奴だろう? 君が頼んだのか? いや頼まれたら間宮はやらないだろう。一方的な親切だ。よくそんな飼い犬じみた扱いで息が詰まらないな」
「嗚呼……それ、ちょっと分かるな。間宮の犬になった覚えなんて無いけど、間宮は僕の飼い主のつもりでいるかもしれない」
「あいつには対等なんて言う概念はないからな。自分の所有物か、それ以外か、それしかない。彼奴から、君の話は良く聴いていたんだ。その時は、漸く彼奴にも、他人という者が存在すると分かったのかと思ったんだが、結局繰り返しているんだな。それでも焔紀の時とは違うようだが」
「焔紀の時って」
「随分と古い話だ。まだあの二人が、少なくとも焔紀が、間宮をあそこまで嫌う前のな」
「だけど焔紀ってああいう性格だから、それで間宮も」
「確かに焔紀はやりすぎる。それでも人としての理解を超えるのは、今でもエンリルか間宮に絡んだ事柄だけだろう」
和紗の言葉に小さく頷きながら、務は首を傾げた。
「僕には、二人の間に何があったのかは知りませんけど、特に興味も。勿論、無いと言えば嘘になりますけど。それより、聴取は良いんですか?」
「構わない。本当のことを言えば、担当が決まっているから、何も私が今日来る必要はなかったんだ」
「え、じゃあなんで」
「君の顔が見てみたかったんだ」
職務中にそれでよいのだろうかと、笑った和紗を見守る。すると彼女は静かに立ち上がり、封筒を手に一礼した。
「邪魔したな。間宮には、ホットワインでも用意してやると良い」
出て行った彼女を見送りながら、そういえば何度か間宮が自分で、ホットワインを作っていた姿を思い出した。決まって体調が優れない時だとは感じていたのだけれど、なるほど、それまでは彼女に作ってもらっていたのか。
自分の知らない間宮のことを思ったけれど、結局そちらでも同じ顔をしていたのかと思えばおかしくなって、静かに務は笑った。
その日の夜、微熱を出して帰宅した間宮に、務が赤の揺れるカップを差し出すと、彼はそれを傾けて、いつになく深く、眠ってしまったようだった。だから午後の一時の話は、しないでおく。眠い時は眠れば良い。いつか、誰かにそういわれたかったことがあったような気がしながら、その日務も深く眠った。
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