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――第一章:籠の中の鳥――
【十二】
しおりを挟む「お前がゼルスの惚れ込んでいるΩか」
ガラスの向こうから、淡々とした声が響いてきた。僕は聞き慣れたゼルスの声音とは異なる調べに、狼狽えながら硬直した。視線を向ければ、立っていた人物は、やはりゼルスでは無かった。ゼルスに似た暗い金髪をしているが、目の色は青い。
「キルトと言うのだろう?」
「……」
「答えろ」
「は、はい……」
ゼルス以外に話しかけられたのは、初めての事である。ゼルス以外に、僕に話しかける人間が現れるとは、僕は考えてみた事も無かった。
「ゼルスから話は聞いている。それで興味が惹かれて、特別に立ち入り許可を得たんだ。ゼルスは午後まで仕事だ。そう怯えず、俺とも会話をしてくれ」
動揺している僕に向かい、口角を持ち上げて、ニヤリと来訪者は笑った。
「俺はルカス。ゼルスの兄だ」
「え?」
言われてみれば、顔立ちもどことなく似ている気がした。ただ、雰囲気が全く違う。ゼルスは優しい顔をしている事が多いのだけれど、明らかにルカスは意地悪そうな表情だ。
「確かに端正な容姿をしているな。それは認めよう」
「……」
「俺が褒めているんだぞ? なんとか言え」
その言葉に、僕はゼルス相手でなければ、上手く言葉が出てこない事に気がついた。困惑しながら眉根を下げた僕は、膝の上で指を組む。ゼルスが相手ならば、沢山の話題が思い浮かんでくるようになったのに、見知らぬ人が相手だと、僕はゼルスに会った当初のように、会話に困ってしまうようだった。
「待て。どうして泣きそうな顔をするんだ? 俺は酷い事を言ったつもりはないが?」
「泣きそうじゃないです」
「いいや。目が潤んでいるじゃないか……褒められて泣くΩなど初めて見た。普通は皆、俺に褒められると喜ぶぞ? 買ってくれと言い出す始末だ」
僕は首を振る。案内人が、この青年に説明してくれるのを待った。しかしゼルスと会う時同様、現在も案内人の姿は無い。ならば自分で告げるべきか。
「僕は欠陥品なんだ。だから誰にも買われないよ」
「欠陥? どこに欠陥があるんだ? 体でも悪いのか?」
「発情期が来ないんだよ」
小さな声で僕が続けると、ルカスが片眉を顰めた。
「確かにそれは、一般的な買い手はつかないだろうな。それがゼルスにとって幸いだったわけだが」
「?」
言われた意味が分からず、僕は首を傾げた。すると腕を組んだルカスが、大きく息を吐いた。呆れている様子だ。
「科学的に判明している事として、魔力が強すぎるΩは最初の発情期が遅れやすいという研究結果がある。しかしながらこれは、ごく一部の人間しか知り得ない知識だ。お前は相当強い魔力を持っているという証左だ。そして魔力が強すぎるΩは、同等の魔力量があるαが相手でなければ、子を設けられない事も分かっている。同等の意味は分かるか?」
全く分からなかった。僕は目を丸くして、首を横に振る。
「運命の番とは、同じ魔力量を持つ相手を指し示す言葉だ。魔力量が一致すると、特殊な香りがする。しかし一致する相手を見つけ出す事は非常に困難だ。よって現在の法制度においては、αとΩであれば、婚姻が成立する事になっている。それを塔の教育では、唯一と言うのだろう? 俺の伴侶も、当初は俺を唯一だと言っていた。俺は運命の番だと確信していたが、教育され刷り込まれた概念は、中々変えるのが大変だ」
溜息をついたルカスは、それから改めて僕を見た。
「近い内に、お前にも買い手がつくだろう。科学知識を正確に有する運命の番がきっとお前を買い取る」
「え?」
「だから欠陥品などと自己卑下をする必要は無い」
ルカスはそれから苦笑を零し、踵を返した。歩き去るルカスを見ながら、僕は理解出来た事だけを脳裏で反芻した。
――買われる?
そうなったら、もうゼルスに会う事は出来ないだろう。そう考えた途端悲しさが溢れて、気づくと僕は、頬を涙で濡らしていた。
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