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―― 本編 ――

【八】正直な気持ち

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 翌朝も、私は約束通り、フェンネル様と食事を共にする事になった。
 後宮の私の部屋のテーブルには、本日も色鮮やかな料理が並んでいる。

「おはよう」
「おはようございます」

 私は昨夜から考えている事があった。
 直接――フェンネル様のお考えを聞いてみたいと思っていたのだ。

「フェンネル様……あの」
「どうかした?」

 パインジュースの入るグラスを傾けながら、フェンネル様が私を見た。

「伺いたい事があるんです」
「なんでも聞いて欲しい。どうかしたの?」
「――後宮の事なんです」
「後宮?」
「他の側妃様をお迎えになるご予定なのだと聞いて……」

 勇気を振り絞って尋ねたのだが、思ったよりも私の声は小さくなってしまった。
 フェンネル様の表情を見るのも怖い。
 そう感じていた時、フェンネル様がテーブルにグラスを置いた。

 だけど、私は知りたい。

「そうなのですか?」
「誰になんと聞いたのかな?」

 フェンネル様の声音は、いつもと同じで穏やかだった。

「ソレル様に、お迎えする予定があるとだけ」
「へぇ。全く、彼も余計な事を。大賢者の名が聞いて呆れる」
「あ、あの! 別に私は、傷ついたりは――……あんまりしません」
「あんまり?」
「う……その」
「俺としてはショックを受けて欲しいし、嫌だと言って欲しいところだけど」
「そ、それは……それで、どうなんですか?」
「一応確認するけれど、マリーローズは、俺が他の側妃を迎えたら嫌ではないの?」
「……」

 私は思わず沈黙した。

「拗ねても良いかな?」
「え?」
「例えば逆の立場だったとして、俺はマリーローズが他に配偶者を迎えると言い出したら、許さない自信しかないけどな」
「フェンネル様……」
「――と、言うのは取り置いて。真面目な話、俺は後宮について考えている事がある」

 そう言うとフェンネル様が不意に真剣なまなざしに変わった。

「俺は、後宮制度を廃止しようと考えている」
「!」

 フェンネル様の言葉に、私は目を見開いた。
 ゆっくりと瞬きをしたフェンネル様は、それから再びグラスを手に取った。
 そして一口ジュースを飲み込んでから、まじまじと私へ視線を向けた。

「元々、俺は後宮制度が好きではなかったんだ」
「どうしてです?」
「後宮の維持費を考えると、それこそ孤児院に寄付をすべきだと思うからだよ」
「……確かに」

 納得して私は頷いた。
 以前クレソンに聞いた理由と同じだ。

「――と、これは建前なんだけどね。事実ではあるけれど」
「建前?」
「そう。俺は……愛の無い政略結婚をした母、現正妃様を身近で見ながら育ってきた。俺の実母である正妃様は、父である国王陛下の愛情が、他の寵姫に移る度に、深く傷ついていたんだよ。俺はそれを知っているけれど、愛のある家庭や、強い愛情関係にある両親像は知らない。後宮制度は、そういった歪みを生む。俺はそれが好きになれないんだ。王家の血筋を残すために必要だとは言うけれど、果たして本当にそうなのかな? 俺はそうは思わない。王族の数だって十分多い。養子を迎えるという選択肢だってある」

 つらつらと語ってから、フェンネル様が改めて私を見た。

「俺は、ね。たった一人だけを愛したい。夢見がちなのかもしれないけれど、愛の無い婚姻をして、誰かを傷つける事をよしとはしない。少し前までは、それで良いと思っていたはずなんだけどな。マリーローズ。君と出会ったら、考えが変わってしまったんだ。だから、責任を取ってもらえるかな?」
「!」
「俺は君だけを愛したい。そしてもう、その覚悟を固めているよ。だから、側妃を勧めたりしないでくれ。好きな相手に別の人間を推薦されるのは、中々に辛い」

 それを聞いて、私は瞠目した。驚きすぎて、声が出てこない。

「俺は今後、断言して他の妃を迎えるつもりはない。必要な人脈は、自分で築いていく。それは俺の仕事だ」
「フェンネル様……」
「もう打算的な考えなんてやめるよ。俺は実力で、王太子である事を、次期国王である事を、周囲の者にも民草にも認めさせる。俺にこの決意と自信をくれたのは、マリーローズ。君だ」
「私が?」
「うん。俺は君の事を第一に幸せにする。そこから、全ては始まると思っているよ」

 その言葉が嬉しくて、気づくと私の瞳は潤んでいた。
 だから俯いて誤魔化す。
 私は唇の両端を必死で持ち上げ、静かに頷いた。

「もう十二分に幸せです」
「もっともっと幸せにすると誓う」

 本当に、こんなにも幸せで良いのだろうか?
 私にそれが許されるのだろうか?
 煩く騒ぐ鼓動を必死で制しながら、私はフェンネル様の言葉を噛み締める。

 どんどん私の胸が温かくなっていく。
 ああ……私が好きになった人は。
 本当に優しい。

「さぁ、食事を楽しもう。全然食べていないじゃないか」
「は、はい!」
「このスープ、俺のお気に入りなんだ」
「すごく美味しいです」
「好きになってくれたら嬉しいな」
「なりました。フェンネル様のお好きなもの、もっと沢山教えて下さいね?」
「勿論だよ」

 そんなやりとりをしながら、朝食の時間が流れていった。

 朝食を終えると、フェンネル様が私を見据えた。

「マリーローズ。実はね、俺からも話したい事があるんだ」
「なんですか?」
「二人きりの場で話したい。だから今日の午後、時間を作ってもらえないかな?」
「いつでも構いません」

 今日は結婚式の準備もない。
 私が同意すると、フェンネル様が嬉しそうな色を瞳に浮かべた。

「それじゃあ、少し二人で遠出しない?」
「遠出ですか?」
「とは言っても、王宮の敷地内だけどね。旧宮殿の向こうに、小さな湖があるんだ。そこならば、安全な場所だから、近衛騎士にも離れた場所で待機を命じられる。二人きりで、伝えたいんだ」
「分かりました」

 一体どんなお話だろう?
 思案しつつも、私は頷いた。

「では、昼頃迎えに来るよ。午前中は、面会の予定があるから、今日も公務をしてくる」
「応援してます」
「有難う。それじゃあ、また後で」

 フェンネル様は微笑すると、部屋から出ていった。
 それを見送ってから、私はクレソンが淹れてくれた紅茶を飲む。
 良い香りがする。

「どんなお話かな?」

 思わず呟くと、クレソンがこちらを見た。

「楽しみになさっていたら良いのでは?」
「だけど緊張する」
「んー、俺の予想だと、悪いお話じゃないと思うけどな」
「え?」
「だって、フェンネル様のお顔、明るかったですもん」

 それは私も感じた。
 クレソンの言葉の通り、私は信じて、明るい気持ちでいた方が良いのかもしれない。
 時々ネガティブになってしまうのは、私の悪い癖だ。

「それにしても、昼頃、ですか」
「そう仰っていたね」
「だとすると――……ピクニックなんていかがですか?」
「え?」
「フェンネル殿下にはお伝えしておきますし、聞いている範囲だと会談も昼食前には終わるはずだから――お二人で食べては?」
「ピクニック……」
「たまには外で食べるのも良いと思いますよ」
「そうね」

 純粋に楽しそうだなと感じた。

「よし、連絡をお願いしてきます」

 クレソンはそう言うと、部屋の外に控えていた侍従に指示を出していた。

「湖は、俺も一度だけ見た事があるんですが、ピクニックに丁度良い四阿があるんですよ」
「そうなの?」
「はい。そうだなぁ、サンドイッチでも手配しましょうか」
「素敵!」

 こうしてサンドイッチに決まると、クレソンが厨房に手配してくれた。
 昼食を楽しみにしながら、私は紅茶を飲んだ。

 そうしていると、時間はあっという間に過ぎていった。
 サンドイッチが入ったバスケットが届いた時、私は心を躍らせながら、窓の外を見た。
 本日も、良く晴れている。

「フェンネル様と、二人でピクニックかぁ」

 昨日の迷いが嘘のように晴れている。
 フェンネル様は、私に幸せを与えてくれる。
 私は最早、フェンネル様の事が大好きでたまらない。
 そう感じながら、両手でバスケットを持った。


 ――昼食時の少し前、フェンネル様が迎えに来てくれた。

「許可も降りたし、二人で行こう。少し歩く事になるけど」
「平気です。ご一緒させて下さい」

 こうして私達は、王宮の敷地内の湖へと向かう事になった。
 サンドイッチの入ったバスケットはフェンネル様が持ってくれた。

 外の空気は清々しい。

 見慣れぬ道を、二人で雑談しながら歩く。
 このひと時が無性に幸せだ。

「クレソンも気がきくな。俺も二人で食べたいと思っていたんだ。クレソンは良くしてくれている?」
「はい。本当にいつも良く仕えてくれて」
「良かったよ」
「あ。あのお花綺麗ですね」
「この辺りは自生している草花も綺麗なんだよ。手入れされた庭園の花々も美麗だとは思うけど、俺も、野に咲く雑草も好きなんだ」

 そんなやり取りをしながら歩いて十五分ほど。

 次第に木々が深くなり、合間の坂道を抜けていくと、視界が開けた。

「見えてきたね」
「あれが湖……」
 軟禁されていたから、実を言えば、私は水辺に出向いた経験がない。
 幼少時も危険だからという理由で、近づいた事が無かった。

 思わず目を丸くしていると、私の片手をフェンネル様が握った。

「さぁ、もうちょっと。まずは四阿まで行こうか」
「はい!」

 こうして私達は坂道を登りきった。
 四阿は、湖を一望出来る場所にあった。
 そのテーブルの上に、フェンネル様がバスケットを置く。

 私はそれを認識しつつも、目の前に広がる光景に釘付けになった。

 湖の向こうには、どこか蒼く見える山がある。
 その山と空が、湖に映りこんでいる。

「鏡みたい」
「そうだね」

 絶景、というのは、こういう景色のために用意された言葉なのかもしれない。
 感嘆の息をはいた私は、思わず笑顔を浮かべた。

 隣に立っているフェンネル様が、私の腰に手を添えている。

「俺はこの景色が好きなんだ」
「私も、今、好きになりました」
「嬉しいな。喜んでもらえた?」
「はい。フェンネル様の好きな景色を知る事が出来たのも、この景色を見られたのも、本当に嬉しくて」
「座ろうか。湖は逃げないよ。ゆっくりと眺めよう」

 楽しげな声でフェンネル様が言った。
 頷いて私は、四阿のベンチに座る。
 フェンネル様も隣に腰を下ろした。

 そして手際良く、バスケットの中身を広げていく。

 私はそれを手伝いつつも、何度も何度も湖を見てしまった。
 風景が映っている水面が、時折揺れている。

「こんなに沢山の水を見たのは初めてです」
「なら、海を見たらもっと驚くんじゃないかな」
「そうかもしれません」
「今度一緒に、海も見に行こうね」
「はい!」
「君との約束が増えるのは嬉しい。一つずつ、叶えたいし、もっと増やそう」
「マリーローズは、もっと我が儘を言っても良いんだよ?」
「私は十分我が儘です」
「どこが?」
「だって、ずっとフェンネル様と一緒にいたいって願っているんです」

 思わず私は、本心を口走った。

 フェンネル様が、私の両手を握ったのは、その時の事だった。
 驚いて顔を向けると、真剣な瞳と目が合った。

「俺も同じ気持ちだよ」
「フェンネル様……」
「いいや、違うかも知れない。俺の方が、ずっと強く、マリーローズと一緒にいたいと思っていると感じる」
「え?」
「俺はもう、君を手放せる気がしない」
「フェンネル様……」
「これでもね、俺は必死に考えたんだよ。マリーローズが、どこなら喜んでくれるか。そんな時に、思い浮かんだ場所の一つがここなんだ。俺はこの風景を、君と一緒にどうしても見たかったんだよ」

 柔和なフェンネル様の声音を聞いて、私は両頬を持ち上げた。
 純粋に嬉しい。
 だから湖へと再び視線を向ける。

「連れてきて頂いて、本当に嬉しいんです。フェンネル様が好きだと思う景色を一緒に見られる事が。それが私の幸福です。私の喜びです」

 フェンネル様のおそばにいられるのならば、どこだって幸せな場所に変わる気がする。
 両手から感じるフェンネル様の指先の温もりが、私の心を穏やかにしてくれる。

「俺も、君がそばにいてくれるならば、どんな景色も好きになれそうだよ」
「同じ気持ちで嬉しいです」
「そうだね。マリーローズと一緒にいると、野に生える草花一つとっても、共に見られる幸福を感じてしまうんだよ」
「私も。私もです」
「ずっと俺のそばにいてくれる? 空が水面に映るように、水面が空を受け止めるように。ずっと俺と君は、そばにいられるかな。いいや、空と湖ではダメだな。俺はこうして、君に触れていたいから」

 フェンネル様の手に力がこもった。

「俺の腕の中に、いて欲しいんだ、マリーローズ。そして、話がある。大切な話があるんだ」
「お話ですか?」
「どうしても君に聞いて欲しい事があるんだ。ずっと伝えたかった事が」

 フェンネル様の声音が、真剣なものへと変わった。
 その気迫に、私は大きく目を瞬かせる。

 一体どんなお話なんだろう?

「なんですか?」
「今、上手い言葉を探しているんだけど」
「?」
「見つからなくて困ってる。素直に気持ちを告げたら、それで良いのか。でもそれだけじゃ、俺の激情は伝わらないようにも思ってる」
「フェンネル様……?」
「それでも、どうしても今日、二人きりのこの場所で。俺は君に伝えたいし、告げると決意しているんだ」

 どこか焦燥感に駆られているかのようなフェンネル様の声音。
 一体どんなお話なんだろう?

「例えそれがどのような内容でも、私はフェンネル様のお言葉なら、受け止めます」
「マリーローズ」
「なんでも話して下さいね? 私で良ければ。私は、フェンネル様のお力になりたいです」
「君は、そばにいてくれるだけで、俺に活力をくれるよ。マリーローズは、十分すぎるほど、俺の力になってくれてる」

 フェンネル様は、私の手を握る指先に力を込めた。
 そしてじっと私を見た。

「マリーローズ、聞いて欲しい」
「はい」
「俺は――」

 私はフェンネル様の言葉に、耳を澄ませた。

「マリーローズを愛している」
「!」
「好きだ、マリーローズ。心から君が好きなんだ」
「フェンネル様……」

 突然の告白に、私は目を見開いた。
 想像もしていなかった言葉に、胸が高鳴る。

「気がついたら惹かれていて、もう気持ちが抑えきれない。マリーローズが大切なんだ。兎に角大切で、ずっとそばにいたい」
「フェンネル様、私も、私もフェンネル様が好きです!」

 私は必死に自分の気持ちを伝えた。

「本当?」
「はい! 本当です」
「俺はもう、政略結婚という関係では我慢出来ない。だから偽りの愛はいらない」
「偽りなんかじゃ無いんです。私、気付いたらフェンネル様の事ばっかり考えていて……お慕いしております」
「――嬉しくて舞い上がってる。俺の事が好き?」
「好きです」
「俺もマリーローズが好きだ。だから改めて言いたい。政略結婚ではなく――俺と結婚してもらえませんか?」
「! は、はい!」
「有難う。俺の生涯をかけて、君を愛し、幸せにすると誓うよ。俺のたった一人の妃になって欲しい。俺は生涯、たった一人、そう、たった一人君だけを愛するよ」

「フェンネル様……私、嬉しくて言葉が出てきません」
「私で良いんですか?」
「君がいいんだよ。マリーローズが良いんだ」

 フェンネル様が微笑した。

「最初は、控えめなところ、憂いがある顔が気になっていたんだ。けれど話せば話すほど、君の真っ直ぐな心根と、優しさ、そして芯が通った部分にも惹かれてしまったよ。俺の隣に生涯立っていて欲しいんだ。結婚してくれるんだね?」
「私にそのように優れた部分があるのかは、私自身には分かりません。だけど、私はフェンネル様の隣にいたいです。私に出来るのならば、フェンネル様をお支えしたいです。フェンネル様を愛しています」
「有難う。これからの生涯を、共に歩もう。だけどシンプルになってしまったな。あれこれプロポーズの言葉は考えていたんだけどね……」

 フェンネル様はそう述べると微苦笑した。

「『結婚して下さい』――結局はこれが、素直な気持ちだったからさ」
「フェンネル様……」
「好きだよ、マリーローズ」
「フェンネル様が好きすぎて、大変なんです」

 だからフェンネル様の言葉が本当に嬉しい。
  胸がどんどん温かくなってきた。

「俺の方こそ大変だよ。幸せすぎて、夢を見ているのかと思うほどだ」
「愛おしすぎて、激情に囚われそうなんです」
「俺は常に激情に囚われているけれどね」
「え?」
「マリーローズの事ばかり考えているんだ」



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