あやかしも未来も視えませんが。

猫宮乾

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―― 第三章 ――

【056】クリスマス・イブ

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 こうしてクリスマス・イブが訪れた。
 静子が選んでくれた時生の和装は、上質な生地で織られている。礼瀬家の正装である黒地の偲や澪と並ぶと、とても映える。時生の着物は、一つ紋の無地の品だった。

「似合っているな」

 偲が冗談めかして笑いながら、澪を抱き上げる。

「いってらっしゃいませ」

 本日もかろやかな声音の静子に見送られ、三人は礼瀬家の馬車に乗りこんだ。この馬車は、普段は当主としては隠居し、軍の仕事に邁進している偲の父の礼瀬中将の家に控えているものなのだという。

 向かった新鹿鳴館は、移築されたというだけあって、その細部までが洋風であり、エントランスホールに足を踏み入れた時生は、最初に天井を見上げて、シャでリアを目にした時、場違いな場所に来てしまった心地になって、思わず偲の影に隠れてしまった。

「部屋は、俺から鬼月家に話を通して、高圓寺家にあてがわれた場所ではなく、時生は俺と澪の部屋と同じにしてもらっている。だから、心配はいらない」

 小さく振り返り、偲が微笑したのは、正面を裕介が横切っていった時のことだった。あちらには、時生達に気づいた様子はなく、右手の大広間へと入っていく。本日の会場だ。

 その後三人は受付係の給仕の者に招待状を見せてから、正面の階段をのぼり、客室へと向かった。広い造りで、寝台がある部屋が二つあり、そこに通じる居室がある。チェストの上や飴色のテーブルの上には、銀色の燭台が飾られていた。

 偲はチェストの上に持参していた黒いケースを置くと、蓋を開いた。
 澪の手を握りながら時生がそちらを見ると、中からいつも携えている軍刀を偲が取り出した。

「ああ、これはな――軍刀として使っているが、実を言えば礼瀬家の守護刀で、四将の中の秘刀の一つなんだ。相樂隊長や黎千家にも同様の品がある。高圓寺家にも、探せばあるはずだ」
「そうなんですね」
「ただ、これを会場に持参すれば、鬼月家を疑っている証左とされてもおかしくはないから、ここに置いていくことになる。尤もこの新鹿鳴館は、各所に青波家が結界石をちりばめて、異国からの要人を迎えても問題がないようにしてあるから、あやかしは出ないとは思うのだが、つい、無いと不安で持参してしまうんだ」

 苦笑した偲の方へと澪が歩いていき、その服をひっぱる。

「いつかはおれが貰うんだ! そしてお父様のこともお祖父様のことも、お母様のことも礼瀬のみんなのことも、当然時生も俺が守る!」

 明るい澪の声に、偲が優しい目をして微笑した。

「心強いな」

 そしてポンポンと澪の頭を叩くように撫でる。すると澪が両頬を持ち上げた。

「さて、少し早いが、鬼月家のご当主への挨拶もある。大広間に降りよう」
「は、はい!」

 時生は壁に掛けられている時計の秒針が、丁度十六時を少し過ぎたところだと、何気なく見ながら頷いた。

 そのまま偲は澪を抱き上げて、二つある鍵の片方を時生に渡す。
 三人で外へと出て、銀の甲冑が等間隔に並んでいる石の廊下を歩き、大きな階段から一階へと降りた。壁に掛けられていた油絵が、時生は見慣れないせいなのか、少しばかり怖く感じた。

「では、俺は挨拶をしてくる」
「はい」
「恐らく高圓寺は、代表して裕介卿がするのだろうから、時生は気にすることはない」
「……はい」

 時生が小さく頷く。すると微笑し頷き返してから、偲が歩きはじめた。
 その背中を見守っていた時だった。

「よぉ」

 丁度声がかかった。見れば、そこには青波が立っていた。
 時生はほっとして、肩から力を抜く。見知った顔があると落ち着く。

「青波さん……」
「ああ、偲は挨拶まわりか。礼瀬といったら名門中の名門だから、あいつはあまり興味が無いらしいが、こういう時ばかりは、しないわけにもいかないだろうしな。澪くんの紹介もしてまわるだろうし。次のご当主様だからな」

 偲の方へと視線を向けてから、時生に視線を戻して青波が、両頬を持ち上げる。

「今日は美味い料理や飲み物が沢山出るって噂なんだよ。いやぁ、異国の豪華な料理なんてめったに食べられないから楽しみだな。あのツンってしてる黎千ですら楽しみにしてたぞ」

 そう述べると、青波が南の壁際を見た。すると黎千と灰野が立っていた。
 二人は、時生達に気づいたようで、こちらへとすぐに歩みよってきた。そのすぐそばには、先日時生に会いに来た、直斗の姿がある。銀色の髪を揺らし、糸のような目を細めて笑いながら、直斗もまた歩みよってくる。

「青波、それに時生くん。ごきげんよう」

 黎千の声に、時生は頭を下げる。

「こんにちは、時生くん」

 すると直斗も楽しそうな声を出した。それを聞くと、黎千が首を傾げる。

「あら、直斗。親しそうに言葉をかけるなんて、珍しいのね。貴方、筋金入りの人見知りなのに」
「ちょっとね」
「そう。貴方の取り柄は、先見の才だから、気になる一言ね。時生くんのなにかを視たのかしら?」
「別に」

 黎千姉弟のそんなやりとりを見ていた時生の隣では、青波が苦笑している。
 すると黎千が、灰野を見た。

「灰野、念のため、時生くんをしっかりと見ていてね」
「……はい」

 頷いた灰野の姿を見てから、時生はふと気づいた。黎千と灰野は、本日どちらも洋装なのだが、黎千の濃紺のシンプルなドレスの首元の、宝石を用いている首飾りと同じ物を、灰野も首から提げている。その視線に気づいた様子で、黎千が笑う。

「ああ、これね?」
「あ……」

 じろじろと見てしまったと我に返り、時生は気まずさを感じる。

「安心していいわ。別に私と灰野は、恋仲でもなんでもないから。念のため、あやかし対策部隊からも警備を出しているだけ。今日はあやかし関連の家柄の者が集うから、その分例年狙われやすいのよ。ただ表だってそうすると鬼月家に失礼になるから、招待状が無い灰野のことは私の同伴者というかたちで連れてきたのよ」

 つらつらと語った黎千の隣で、くすくすと直斗が笑う。

「お姉様みたいな年増じゃ、いくらなんでも灰野さんが可哀想だよ」
「直斗。そこになおりなさい」

 黎千の瞳が険しくなった。青波は露骨に噴き出している。
 会場を見渡せば、相樂隊長とこちらも先日会いに来たその姪の雛乃の姿があった。本日も彼女は頭部にリボンを二つつけている。

「それより、青波。結界は万全なのでしょうね?」
「当然だろ。帝都一の結界師の家系だぞ? 俺の家は」
「自称でないことを祈るわよ」

 黎千は溜息をつくと、それから偲と鬼月家の当主が話している方を見た。

「私も挨拶をしてくるわ。それじゃあね」
「あ、俺も念のためいく。灰野、お前はこの辺に紛れて、不審者がいないか監視を頼む。時生くんと直斗くんは、まぁ、客として楽しめよ」

 青波はそう言うと、歩き出した黎千を追いかけた。
 灰野は無言で頷いてから、壁際へと歩いて行く。
 残された時生は直斗を見た。すると直斗が糸のような目を細めて笑う。

「今日は、何事も無い事を祈ろうね」
「……うん。その、先見の才って……」
「僕は今日の夢を五回くらい視てるんだ。だけど、その全ての結末が違ったから、どれが本当になるのか気になってさ」
「え?」
「未来は流動的だからね。時生くんは何を成すのかな?」
「僕が成すこと? 直斗さんは、なにを視たんですか?」
「直斗でいいって言ったでしょ? さぁね。どうせ、明日になれば、今夜何が起こるのが正しかったのかは分かるんだ。命があればね」

 そう言った直斗の瞳に、一瞬だけ翳りがさしたのを時生は目にした。
 それから直斗が、不意に会場内の階段を見たので、時生は何気なく視線をおいかける。そして息を呑んだ。そこには仮面をつけた人物が立っていた。黒い上質なスーツ姿の青年なのだが、丁度手を持ち上げたところで、その指を見て、時生はハッとした。そこには青波がいつかおそろいで買ったと、縁日で入手したんだと笑っていた、結櫻が嵌めていた指輪が鎮座していたからだ。髪色を見る。色素の薄い茶色、覗く肌の色も白い。体格だって同様に見える。

 ――間違いない。

 あそこに結櫻が立っていると気づいた時生は、身を固くする。その正面には茶色い紋付き姿の大柄の青年が立っている。丁度結櫻に振り返っているから、そちらの顔は見えなかった。

 結櫻がいることを、直斗は夢に視ていたのだろうかと、最初に考えた。そして、結櫻は時生の前では裏切りを行った。その相手、即ち敵が祝賀の場にいるのは危険が伴うと、時生は考える。けれど同時に、いつか偲が『信じてほしい』と話ていた事を想起した。

「時生くん?」

 すると直斗の不思議そうな声が響いてきた。

「どうかした?」

 それを耳にし、視線を戻した時生は、どうやら直斗はこれに関しては知らなかったようだと、直観的に判断する。

「ううん。なんでもない」
「そ? 難しい顔をしてたけど。時生くんって、結構顔に出るんだね」
「――時生でいいです」
「ん?」
「ぼ、僕も、直斗って呼ばせてもらうから!」

 話を変えるべく時生はそう言ったのだが、虚を突かれた顔をした後、直斗は嬉しそうに笑った。

「うん。また一つ明るい未来に近づいた。改めて宜しくね、時生」



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