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―― 第三章 ――

【064】いくつあってもいいもの

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 本日は雪が落ち着いている。久しぶりに雲の合間から陽光が覗く中を、時生は深珠区総合病院を目指して歩いていた。そこには新鹿鳴館事件であやかしと化した者達が、検査や体に残存している妖気の治療のために入院している。浄化の技法で腐食などは完治しているが、それでも一度傷ついた体には、妖力的な後遺症が僅かに残っているのだという。だがそれらもじきに癒えるだろうと時生は聞いていた。

 回転扉を開けて進み、階段を上り、目的の病室へと向かう。
 個室の扉の前に立ち、時生は深呼吸した。小窓からは、上半身を起こし、窓の方を見ている裕介の横顔が見える。騒動の後、意識を取り戻した裕介に会いに来るのは、これが初めてだ。見舞いの品は、ここまでの道中で栗饅頭を買ってきた。

 ノックをすると、不思議そうに裕介が扉の方を向いた。

『誰だ? 巡回には早いな』
「……時生です」
『っ、は、入れ』

 狼狽えたような声が響いてきたので、唾液を嚥下してから時生は扉を開けた。
 病室が思ったよりも暖かかったから、風を入れようと、開けたままにしておく。
 すると青い入院着姿の裕介が、眉を顰めてから、ぶっきらぼうに言う。

「座ることを許してやる。なんの用だ?」

 その声に、時生は苦笑した。そしてそばの棚に栗饅頭の箱を置く。

「助けてくれて、嬉しかったです。ありがとうございました」

 単刀直入に時生は切り出した。裕介が不機嫌そうに、時生を見る。

「別に助けたわけじゃない。高圓寺家の当主として当然のことをしたまでだ。なんで俺がお前なんかを助けるんだ」
「でも、助かりました。裕介様のおかげです。裕介様が僕を助けてくれたから、僕は牛鬼と戦えた」
「……」

 明るい声が自然と出てきた時生は、微笑しながらそう述べたのだが、裕介は沈黙するばかりだ。だが心なしか、その耳が朱く染まった。

「こ、高圓寺家の当主として、だ、だから俺は……同じ血を引く弟のことだって当然守る。それこそが、当主たる者の責任だ。一族を守るのは、俺の仕事なんだからな」

 それを聞いて、時生は笑みを深めた。

「……兄さん」
「っ……裕介お兄様と呼べと……まぁ、特別にそう呼ぶ事を許してやらないこともない」

 裕介がそう言った時、扉の方から、笑う気配がした。
 時生が視線を向けると、そこには雛乃と直斗が立っていた。

「素直じゃないのね、本当に」

 雛乃の声に、裕介が眉間に皺を寄せて、唇を尖らせる。

「煩いな。俺は当然のことを言っているだけだ」
「あら、そうなの。けれど、見直したわ。貴方にも、家族を守る技量があったのね。それは心強いことね。私、貴方のことをやっぱり婚約者として考えてあげないこともないわよ? 漢気おとこぎだけは、評価してあげてよ」

 雛乃が口角を持ち上げると、裕介が彼女を睨めつける。

「黙れ。俺の方こそお前なんてお断……いや、その……」

 だが、言いかけると赤面し、瞳を揺らしてから俯いた。そして時生をチラリと見ると苦笑した。

「……ああ、お前が言っていた通りだな。俺にも居場所や家族は出来るのかもしれない。お前もその一員に加わる事を許してやる。既に時生の居場所があるのだとしても、居場所はいくつあっても構わないだろう?」

 その声に目を丸くしてから、時生ははにかむように笑った。

「うん。また見舞いに来るよ、兄さん」

 時生はそう述べてから、雛乃と直斗を見た。

「兄を宜しくお願いします」
「時生さんに頼まれたのなら仕方がありませんね」

 頷き雛乃が入ってくる。直斗は、糸のような目を細めて笑うと時生を見た。

「僕は、ここに時生が来ると夢に視たから、会いに来たんだよ。今、帰るんでしょう? 僕も行くよ。時生は、そこの二人を、二人きりにしてあげたいんでしょう?」

 直斗の声に、裕介が狼狽えたような顔をし、雛乃は苦笑した。その通りの心境だった時生は、曖昧に笑ってから頷いた。

 こうして時生は、裕介達に別れを告げてから、直斗と共に外に出た。
 二人で回転扉をくぐると、日射しがより温かく変わっていた。

「そういえば、直斗は先見の才で沢山の未来の夢を視ていたと言っていたけど、今回の騒動の結果もその中にあったの?」

 歩きながら時生が何気なく問いかけると、悠然と笑って直斗が頷いた。

「あったよ。僕が視た中で、最善の結果だった。だから僕は、救世主の君の顔をいち早く見たくて、あの日公園で待っていたんだよ。裕介はなにかと意地が悪いから、時生は助けるのを迷うんじゃないかと僕は思っていたけれど、そうはならなかった。強いんだね」

 いつか灰野にも『強い』と言われた事を思い出してから、時生は首を振った。

「ううん。僕はみんながいるから、強くなれるだけだよ。強いのは、絆じゃないかな」
「そう。僕は、そんな時生の考え方がとても好きだよ」

 直斗はそう言って笑うと、目の前の馬車を見た。

「送るよ。黎千の馬車、あんまり人を乗せないから貴重だよ」
「ありがとう」

 こうして時生は、直斗に送ってもらい、礼瀬家へと帰還した。
 確かに居場所はいくつあってもいい。そして時生にとって、礼瀬家は大切な居場所であり、家族の住まう家だった。




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