ダメ執事の沈黙

猫宮乾

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 次に目を覚ますと、俺は小屋にいて、そのボロボロな室内には不似合いなジェフリー様と、その正面に座っているマリアが見えた。ハッとして、どこからが夢だったのだろうかと瞬きをした俺に向かい、マリアが満面の笑みを浮かべた。

「お兄ちゃん、目が覚めて良かった。貧血で倒れたと聞いてびっくりしたの!」
「貧血……」
「まぁ、貧民街の私達には、仕方のない事だけどもね。それより、ジェフリー様のように素敵な方に助けて頂くなんて! 本当に運が良かったのね、お兄ちゃん」
「……」

 俺は窺うようにジェフリー様を見た。こちらは柔和な笑みを浮かべている。最後に目にしたと思ったような獰猛さは何処にもない。人の良さそうな貴族にしか見えない。

「その上、お仕事まで頂ける事になるなんて、本当に私達は幸運ね」
「え?」

 妹の声に、俺は素直に首を傾げた。

 マリアは病弱だから、今は家にいる。俺は外で働いているふりをしながら、盗みをしている。それが実情だ。

「ナイトメア伯爵家のメイドにしてくださるそうなの。それも、体調が良い時だけ働けばいいって仰って頂いて! これで私もお兄ちゃんの役に、少しはたてるはず!」
「マリア……」

 俺は気にしなくて良いと言おうとしたし、ジェフリー様が下心無しにそんな都合の良い提案をするとは思わなかった。

「エドガーの目もさめた事だし、早速行こうか」

 しかし俺の前で、立ち上がったジェフリー様が話を進めた。妹も嬉しそうに入口へと向かう。先に外へと出た妹を引き留めなければと考えて、俺もまた立ち上がった。そして手を伸ばして一歩前へと出た時、ジェフリー様が俺の耳元に唇を寄せて囁いた。

「妹さんの病気が治る薬も用意できるよ」
「!」
「君の働き次第だけどね、エドガー」
「な」
「実際、マリアにも、メイドの仕事はお願いするつもりだよ。寝てばかりいるよりは、少し動いた方が、体にも良いだろうからね。安心して良い、ナイトメア伯爵家の侍女長に、よく頼んでおくからね。だからエドガー。君は、君の仕事をするだけでいい」

 愕然としながら、俺はジェフリー様を見た。すると唇の両端を持ち上げて、綺麗に笑っているジェフリー様が視界に入った。

 ――本当に、マリアは治るのだろうか?
 ――それが、事実ならば?
 と、一瞬の間俺は思案したが、ギュッと拳を握り、小さく頷いた。

「俺は何をすれば? 俺の仕事というのは? マリアには、本当に、メイドとして以外の――夜のような仕事はお命じにならないと、誓って下さいますか?」

 俺自身は構わない、もう、ここまで来たら、仕方がない。
 たとえばそれが、男娼の真似事でも構わないと俺は思う。
 だがマリアはまだ幼い。それに、体に障らないはずがない。

「ああ、誓おう。マリアの体を僕が味わう事は無い。他の誰かが、彼女に無理矢理手を出そうとしたら、主人としてきちんとその相手を罰する約束もしよう。それよりも、エドガーの仕事について。主に二つ」
「なんですか?」
「一つは、僕に食事を提供してほしい」
「……料理なんてしたことが無くて」
「シェフはいるんだよね。さて、そこで二つ目となる。ナイトメア伯爵家の者として、君にも働いてもらいたいと考えていて、そういえば丁度執事が空席だと思い出してね。家令に今は任せっきりだから、エドガーが僕の執事となってくれるならば最高だと考えているんだ」
「執事……?」
「うん、そう。執事学校への入学手続きも任せてくれていいよ。それに、学費も、今後の生活費も、衣食住も、すべてを僕が保証する。だから君は、執事として働きながら、僕に食事をお願いね。どうかな?」
「分かりました、俺に出来る事なら」

 必死に敬語を思い出しながら、俺はそう告げた。シェフがいるのに食事というのが良く分からなかったが、執事としてテーブルに並べるなどの行いをするのだろうかと、漠然と考えていた。この時の俺にとって、執事のイメージとは、孤児院に貴族が連れてやってくる、お茶を出す係という認識でしかなかった。

 その後馬車に乗せられた俺とマリアは、ナイトメア伯爵家へと向かった。

 道中でマリアとジェフリー様はとても楽しそうに話しをしていたが、俺は不安もあったから、おそらく硬い表情をしていたと思う。



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