十割です。

猫宮乾

文字の大きさ
2 / 6

【二】SIDE:十朱

しおりを挟む




「――はい。ええ……来月には。はい。はい。どうぞ宜しくお願い致します。それでは、失礼致します。いえ、それは……っ、その……すみませんが、仕込みがありますので」

 俺はここでも『仕込み』という言葉を使って、電話を切った。
 相手は銀行の融資の担当者だ。

 ……実際、操が話していた通りで、あまり客数が伸びない普段の平日には、それほど仕込みは必要ないし、そもそも客が一組でも来るかも分からないのが、この月芝亭の実情だ。

 その後、店舗の裏手にある蕎麦打ち場へと向かい、それでも俺は仕込みをする。
 溜息を押し殺しながら、蕎麦粉と向き合う。

 月芝亭は、生粉打きこうちで蕎麦を作っている。十割蕎麦専門の店だ。即ち、小麦粉を用いず、蕎麦粉のみで打って提供しているという事である。宮生町をはじめとしたこの地方の古くからの伝統の製法だ。

 例えば隣接する平楽屋といったチェーン店、いいやそれ以外の店でも、蕎麦は二八や三七を好む客も多いが、月芝亭は昔から十割蕎麦にこだわっている。特に俺の父がこだわっていた。

 そんな父が腰を痛めたのは、今年の二月の事である。以降は主に俺が打っているが、味の変化に気づかれる事は無い。寧ろ、俺が店に戻ってから、少しだけ味を変えたのだが、客の評価が上がった。年末の年越し時にのみ予約を受け付けるのだが、『今年はいつも以上に美味しかった』という評価を貰い、普段は頑固な父ですら、照れくさそうに喜んでくれたものである。同じく喜んでくれた母であるが、こちらは先週から入院中だ。

「……」

 操の言葉に、他意が無い事は分かっている。
 何せ、地元の人々には、父の腰についても、母の病についても、伝えていないからだ。不幸を聞いたら、味が不味くなる――それが、月芝亭の昔からの教えで、祖父母の逝去時も葬儀で喪に服すまで、周囲には打ち明けなかった。

 今回もそれは同じであるから、操の言葉はただの世間話だ。

 だが繁忙期では無いとはいえ、一人で店を切り盛りしている俺は、つい操に口をすべらせてしまいそうになったから、慌てて逃げてきた次第である。そうしたら、電話が来て、更に憂鬱な気分になってしまった。

 母の病は、先進医療の恩恵を受ける必要がある為、手術費用も入院費用も嵩んでいる。そこで銀行から月芝亭の名義で融資を受けたのだが、返済のめどが立たない。最悪、この店舗を手放す必要もあるのかもしれない。だが父はそれをかたくなに拒むし、俺としても、この店を続けていきたい。

「ダメだな、雑念ばかりだな、俺は」

 蕎麦を打つ手を止め、嘆息してから俺は天井を見上げた。
 他にも、悩みは尽きない。

 ――そもそもの話、俺はどうしても跡を継ぎたいだとか、蕎麦は好きだが、それが無ければ生きてはいけないといった信念の持ち主というわけではない。

 端緒がいつだったのかは分からないが、俺の性的な指向は、小学生の時には既に同性に向いていた。俺は男であるが、同性が好きだ。男として、男に……抱かれたい。同級生の女子に告白されるようになってから気づいた違和感はどんどん膨らんでいき、二次性徴を終えた中二の夏には、その欲望が俺の中で明確になった。ネコというのだと思う。

 俺がそう自覚した契機は、中二の林間学校で、キャンプに出掛けた夜、同じテントで眠る操を見た時だった。それまで、誰に告白されてもなんとも思わなかったのに、キャンプファイヤー後、夜遅くまで話し込んでいたら、操に対して胸の鼓動が酷くなってしまい、好きだと直感した。

 保育所からそこまで同じ進路だった俺と操は、くじ引きでその班が決定するまでの間は、幼馴染といえる間柄ではあったものの、そう話をする方でも無かった。だが、俺はずっと操を気にしていた。だから無意識に距離を取っていたのかもしれない。だというのに急接近してしまったその林間学校が悪かった。

 明るく誰に対しても優しいがちょっと意地の悪い操は、クラスでも人気者だった。
 嫌味を放っても、許されるタイプの人柄で、憎めない所があった。

 そんな操が戯れに抱き着いてきて、体勢を崩した俺は、押し倒される形となり、そして真正面に整った操の顔を捉えた瞬間、瞬時に赤面しそうになって焦った。これが、俺の初恋だ。

 だが、男が男を好きだというのは、変だろうというのが、俺の認識だった。

 だから自分の将来設計を、以後思い悩んだ。女性と結婚して子供をもうけるというような、そういった幸せは、多分己には来ないし、偏見に晒される可能性もある。臆病な俺は、何より操に気持ちが露見して避けられたらと思うと怖くなった事も手伝い、遠方の、そして同時に手に職をつけなければと考えた結果、栄養関連の高専への進学を決意し、この土地と操から離れる事に決めた。その後も己の性癖はひた隠しにし、卒業後は大学三年に編入し、そうして卒業後、調理師免許を取得してこの土地へと帰ってきた。

 あとは、ひっそりと蕎麦店の跡を継ぎ、誰にも露見しないようにしながら生きて行けば良い。そんな打算もあったというのに、運命とは残酷で、よりにもよって隣に操の実家が経営する三茶グループがチェーン店をオープンさせた。

 操の事は忘れようと決意していたはずなのに、再会したら、すぐに俺の胸は疼いた。嘗てとは異なり、髪を明るい色に染めていた操であるが、中身はほとんど変わらない。俺が好きな操のままだった。

 以後、ポツリポツリとではあるが、ほぼ毎日話すようになった。

 俺が暖簾をしまう時間と、操の退勤時間が重なるから――当初はそうだったのだが、最近の俺は、操に一目会いたくて、時間を合わせて暖簾をしまっているのだったりもする。こんな気持ちが露見したならば、きっと操は俺を気持ちが悪いと思うはずだ。

「墓場まで持って行かないとな」

 呟いてから、俺は肩を落とした後、本格的に仕込みを開始する事に決めた。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~

水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。 アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。 氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。 「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」 辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。 これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!

幼馴染みの二人

朏猫(ミカヅキネコ)
BL
三人兄弟の末っ子・三春は、小さい頃から幼馴染みでもある二番目の兄の親友に恋をしていた。ある日、片思いのその人が美容師として地元に戻って来たと兄から聞かされた三春。しかもその人に髪を切ってもらうことになって……。幼馴染みたちの日常と恋の物語。※他サイトにも掲載 [兄の親友×末っ子 / BL]

大工のおっさん、王様の側室になる

くろねこや
BL
庶民のオレが王様の側室に?! そんなのアリかよ?! オレ男だけど?! 王妃様に殺されちまう! ※『横書き』方向に設定してお読みください。 ※異母兄を『義兄』と表記してしまっておりました。『兄』に修正しました。(1/18・22:50)

勇者様への片思いを拗らせていた僕は勇者様から溺愛される

八朔バニラ
BL
蓮とリアムは共に孤児院育ちの幼馴染。 蓮とリアムは切磋琢磨しながら成長し、リアムは村の勇者として祭り上げられた。 リアムは勇者として村に入ってくる魔物退治をしていたが、だんだんと疲れが見えてきた。 ある日、蓮は何者かに誘拐されてしまい…… スパダリ勇者×ツンデレ陰陽師(忘却の術熟練者)

【完結】一生に一度だけでいいから、好きなひとに抱かれてみたい。

村松砂音(抹茶砂糖)
BL
第13回BL大賞で奨励賞をいただきました! ありがとうございました!! いつも不機嫌そうな美形の騎士×特異体質の不憫な騎士見習い <あらすじ> 魔力欠乏体質者との性行為は、死ぬほど気持ちがいい。そんな噂が流れている「魔力欠乏体質」であるリュカは、父の命令で第二王子を誘惑するために見習い騎士として騎士団に入る。 見習い騎士には、側仕えとして先輩騎士と宿舎で同室となり、身の回りの世話をするという規則があり、リュカは隊長を務めるアレックスの側仕えとなった。 いつも不機嫌そうな態度とちぐはぐなアレックスのやさしさに触れていくにつれて、アレックスに惹かれていくリュカ。 ある日、リュカの前に第二王子のウィルフリッドが現れ、衝撃の事実を告げてきて……。 親のいいなりで生きてきた不憫な青年が、恋をして、しあわせをもらう物語。 ※性描写が多めの作品になっていますのでご注意ください。 └性描写が含まれる話のサブタイトルには※をつけています。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」さまで作成しました。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

ビジネス婚は甘い、甘い、甘い!

ユーリ
BL
幼馴染のモデル兼俳優にビジネス婚を申し込まれた湊は承諾するけれど、結婚生活は思ったより甘くて…しかもなぜか同僚にも迫られて!? 「お前はいい加減俺に興味を持て」イケメン芸能人×ただの一般人「だって興味ないもん」ーー自分の旦那に全く興味のない湊に嫁としての自覚は芽生えるか??

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

処理中です...