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【二】SIDE:十朱
しおりを挟む「――はい。ええ……来月には。はい。はい。どうぞ宜しくお願い致します。それでは、失礼致します。いえ、それは……っ、その……すみませんが、仕込みがありますので」
俺はここでも『仕込み』という言葉を使って、電話を切った。
相手は銀行の融資の担当者だ。
……実際、操が話していた通りで、あまり客数が伸びない普段の平日には、それほど仕込みは必要ないし、そもそも客が一組でも来るかも分からないのが、この月芝亭の実情だ。
その後、店舗の裏手にある蕎麦打ち場へと向かい、それでも俺は仕込みをする。
溜息を押し殺しながら、蕎麦粉と向き合う。
月芝亭は、生粉打ちで蕎麦を作っている。十割蕎麦専門の店だ。即ち、小麦粉を用いず、蕎麦粉のみで打って提供しているという事である。宮生町をはじめとしたこの地方の古くからの伝統の製法だ。
例えば隣接する平楽屋といったチェーン店、いいやそれ以外の店でも、蕎麦は二八や三七を好む客も多いが、月芝亭は昔から十割蕎麦にこだわっている。特に俺の父がこだわっていた。
そんな父が腰を痛めたのは、今年の二月の事である。以降は主に俺が打っているが、味の変化に気づかれる事は無い。寧ろ、俺が店に戻ってから、少しだけ味を変えたのだが、客の評価が上がった。年末の年越し時にのみ予約を受け付けるのだが、『今年はいつも以上に美味しかった』という評価を貰い、普段は頑固な父ですら、照れくさそうに喜んでくれたものである。同じく喜んでくれた母であるが、こちらは先週から入院中だ。
「……」
操の言葉に、他意が無い事は分かっている。
何せ、地元の人々には、父の腰についても、母の病についても、伝えていないからだ。不幸を聞いたら、味が不味くなる――それが、月芝亭の昔からの教えで、祖父母の逝去時も葬儀で喪に服すまで、周囲には打ち明けなかった。
今回もそれは同じであるから、操の言葉はただの世間話だ。
だが繁忙期では無いとはいえ、一人で店を切り盛りしている俺は、つい操に口をすべらせてしまいそうになったから、慌てて逃げてきた次第である。そうしたら、電話が来て、更に憂鬱な気分になってしまった。
母の病は、先進医療の恩恵を受ける必要がある為、手術費用も入院費用も嵩んでいる。そこで銀行から月芝亭の名義で融資を受けたのだが、返済のめどが立たない。最悪、この店舗を手放す必要もあるのかもしれない。だが父はそれをかたくなに拒むし、俺としても、この店を続けていきたい。
「ダメだな、雑念ばかりだな、俺は」
蕎麦を打つ手を止め、嘆息してから俺は天井を見上げた。
他にも、悩みは尽きない。
――そもそもの話、俺はどうしても跡を継ぎたいだとか、蕎麦は好きだが、それが無ければ生きてはいけないといった信念の持ち主というわけではない。
端緒がいつだったのかは分からないが、俺の性的な指向は、小学生の時には既に同性に向いていた。俺は男であるが、同性が好きだ。男として、男に……抱かれたい。同級生の女子に告白されるようになってから気づいた違和感はどんどん膨らんでいき、二次性徴を終えた中二の夏には、その欲望が俺の中で明確になった。ネコというのだと思う。
俺がそう自覚した契機は、中二の林間学校で、キャンプに出掛けた夜、同じテントで眠る操を見た時だった。それまで、誰に告白されてもなんとも思わなかったのに、キャンプファイヤー後、夜遅くまで話し込んでいたら、操に対して胸の鼓動が酷くなってしまい、好きだと直感した。
保育所からそこまで同じ進路だった俺と操は、くじ引きでその班が決定するまでの間は、幼馴染といえる間柄ではあったものの、そう話をする方でも無かった。だが、俺はずっと操を気にしていた。だから無意識に距離を取っていたのかもしれない。だというのに急接近してしまったその林間学校が悪かった。
明るく誰に対しても優しいがちょっと意地の悪い操は、クラスでも人気者だった。
嫌味を放っても、許されるタイプの人柄で、憎めない所があった。
そんな操が戯れに抱き着いてきて、体勢を崩した俺は、押し倒される形となり、そして真正面に整った操の顔を捉えた瞬間、瞬時に赤面しそうになって焦った。これが、俺の初恋だ。
だが、男が男を好きだというのは、変だろうというのが、俺の認識だった。
だから自分の将来設計を、以後思い悩んだ。女性と結婚して子供をもうけるというような、そういった幸せは、多分己には来ないし、偏見に晒される可能性もある。臆病な俺は、何より操に気持ちが露見して避けられたらと思うと怖くなった事も手伝い、遠方の、そして同時に手に職をつけなければと考えた結果、栄養関連の高専への進学を決意し、この土地と操から離れる事に決めた。その後も己の性癖はひた隠しにし、卒業後は大学三年に編入し、そうして卒業後、調理師免許を取得してこの土地へと帰ってきた。
あとは、ひっそりと蕎麦店の跡を継ぎ、誰にも露見しないようにしながら生きて行けば良い。そんな打算もあったというのに、運命とは残酷で、よりにもよって隣に操の実家が経営する三茶グループがチェーン店をオープンさせた。
操の事は忘れようと決意していたはずなのに、再会したら、すぐに俺の胸は疼いた。嘗てとは異なり、髪を明るい色に染めていた操であるが、中身はほとんど変わらない。俺が好きな操のままだった。
以後、ポツリポツリとではあるが、ほぼ毎日話すようになった。
俺が暖簾をしまう時間と、操の退勤時間が重なるから――当初はそうだったのだが、最近の俺は、操に一目会いたくて、時間を合わせて暖簾をしまっているのだったりもする。こんな気持ちが露見したならば、きっと操は俺を気持ちが悪いと思うはずだ。
「墓場まで持って行かないとな」
呟いてから、俺は肩を落とした後、本格的に仕込みを開始する事に決めた。
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