ゼーレの御遣い

猫宮乾

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―― 本編 ――

4:御遣いの不在

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 御遣いは、唯一神であるゼーレの元へと年に一度集うとされている。

 その年に一度の機会を除いては、いくら御遣いであろうとも、ゼーレの側に寄る事すら許されない。当然それは御遣いにとって歓喜すべき時である。そして人間界において、教皇達を守護しているラファエルにとっても、それは例外ではない。

 時間の流れが、新ローマ島とは異なるらしい天界へ、ラファエルが帰還したのは一昨日の事である。

 そんな最中、今日は校外学習が行われる事になっている。
 学科を問わず、第一学年の生徒を残し、上級生達は皆学外へと出てしまった。

 最近体調が悪そうなルカは、朝一番で、それでもエルの所を訪れて、今日の課題を積み上げていった。校外学習のため、学園内の教員の数が少ないので、普段はやらないような仕事を頼まれているのだと本人は言っていた(エルはそれを信じなかったけれど)。

「じゃあね。ちゃんと自習してる事」
「はいはい分かってますよ」

 ワルターとの自習が功を奏し、現在エルは、魔術書を読んで自習をすると言うスタイルに何の違和感も覚えなかった。寧ろその方が勉強が捗る気さえする。

 手を振りながら、最近見慣れてきた巨大な杖を持ち、ルカが歩いていく。
 それを見送りながら、背後の時計塔に続く入り口前の階段で、エルは魔術書を広げた。
 この時計台は、聖職者課程と魔術師課程それぞれの学舎の中間に位置している。

 だから校庭の様子がよく見えるのだ。
 見渡してみると、やはり生徒の数が目に見えて少ない。一年生しかいないのだから当然か。
 だなんて考えていると、正面の緑色の網で出来た柵が、鈍い音を立てて開いた。



「エル」

 入ってきたのは、コールだった。

「あれ、どうかしたのか?」
「ラフもいないし、先生方みんな忙しそうで自習だから、抜け出して来ちゃった」
「聖職者課程も自習なのか?」
「うん、そう」

 じゃあ本当にルカ先生も忙しいのかも知れないなぁだなんて、エルは考えた。先ほどはどうせサボりだろうなんて、ちょっと失礼な事を考えてしまっていたので、胸がちくりと痛んだ。

 二人で並んで階段に座りながら、顔を見合わせる。
 二人っきりでこうやって話すのは、かなり久しぶりの事だった。

 それこそ幼年学校時代は、それが常だったから、なんだかおかしな感じだ。

「魔術師課程はどう?」

 その言葉に、最近漸く渡された、練習用の杖を一瞥してから、エルは苦笑した。
 魔術師の杖は、魔力によって大きさや形態が変わるとは聞いている。
 ルカの実力を唯一はかる事が出来る代物は、あの巨大な杖だ。それだけだ。

「まぁまぁかな。慣れてはきた。そっちは?」
「座学ばっかりで、叡霊獣の召喚も、狂霊獣の還し方も、理論でしか勉強してないよ」
「それでも羨ましいよ。俺も召喚したかったなぁ」

 そうして言葉を交わしていると、不意に空が曇ってきた。
 快晴だった空に、暗雲が立ちこめ始める。

「なんだ? 雨が降るのか?」

 空を見上げながら、エルが眉を顰めた。
 なんだか嫌な予感がした。
 その雲が、雨ではなく、何か異質な物を運んでくるような、そんな感覚だ。

「エル、あれ」

 コールがその時、息を飲むようにしながら、正面を凝視した。
 学園内の空を覆っていた見えない壁が、まるで硝子に罅が入るかのように、僅かに崩れていった。それは次第に大きくなり、いつしかパリンと音を立てて〝結界〟がはじけ飛んだ。

「コール!!」

 立ち上がったエルは、反射的にコールの手を引き、時計塔の中へと入った。

 扉を閉める直前、校庭にあふれかえっていく、赤とも紫ともつかない大きなミミズの群れを見たような気がした。
 しかし外を確認している余裕などない気がして、エルはコールの腕を引き、時計塔内の螺旋階段を駆け上り始めた。彼のその直感は当たっていて、すぐに時計台の扉は破られ、階下から赤黒い泥や巨大なミミズ、害虫たちが押し寄せてきた。

「なんなんだよ、あれ」

 思わず呟きながら、エルが走る。

「多分低級な狂霊獣だと思うけど……どうしてこんな」
「結界を破って入ってきたって事は、街の結界も破られてるって事か?」
「そうかもしれない。教皇宮の結界は、御遣いが張ってるから別だと思うけど……学校の結界が破られたとすれば、聖騎士団の結界だって……」
「それじゃ大混乱だな。すぐに助けは来ないって事か」
「だけどどうして急に……っ」

 最上階目指して走りながら、二人はそんな事を言い合う。

「――狙いは、僕かも知れない。今なら、ラフがいないから」
「え?」
「僕が教皇になれば、狂霊獣にとってはそれだけ、無理矢理天魔界へと追い返される機会が増える」
「ラファエル様を呼び戻せないのか?」
「多分難しいと思う。結界があるからこそ、聖職者の”祈り”が上手く天界や叡霊獣に届くんだ。それが無くなっている今、こちらから連絡を取れるのは、教皇宮にいる神官達だけだと思うけど――こういう事態になったら、まずは教皇の保護が最優先だから」
「教皇宮以外が駄目って事は、騎士団の聖職者も学校の先生方も――……」
「御遣いの加護は受けられないと思う。だけど、叡霊獣は天魔界にいるし、契約者とは直接的な――ゼーレの繋がりがあるから喚び出せるはずだよ」

 そんなやりとりをしながら、二人は下から襲いかかってくる狂霊獣たちから逃げ切って、最上階の時計部屋へと入った。


「「!」」


 そして目を見開いた。

 そこには、今まで下から追いかけてきたような存在とは、全く別物に見えるナニカ――上級の狂霊獣が一匹、部屋の中央にいた。

 形も大きさも肌の色もゾウによく似ていたが、長い鼻の代わりに、人間によく似た顔がそこにはあった。瞼は人とは違い、横に閉まるらしい。

 対峙しているだけで、圧倒的な恐怖感と絶望感に襲われた。
 息苦しくなって、コールが座り込む。
 元々白い肌に、汗が浮かんでいた。

 狂霊獣の撒き散らす障気は、御遣いの加護がない状態でコールが浴びるには、強すぎた。
 それでも意識を保っていられるだけでも、潜在能力の高さ故だ。

 一方のエルは、練習用の杖を握り、一歩前へと出た。
 持つ手も、足も震えている。

 けれどコールを守る事は、次期教皇を守る事に繋がるからなんかじゃなくて、友達だからこそ、何とかやりきらなければならないという思いがあったのだ。座学だけだったというコールよりは、少しは初歩的とはいえ実用的な魔術を学んできた自分の方が、時間を稼ぐ事が出来る。きっとコールは今頃探されているはずだから、誰かが見つけてくれるまでの間だけでももてばいいと、そう念じていた。


 ポン。


 その時不意にエルは、誰かに頭を撫でるように叩かれた。
 驚いて振り返ると、そこには、フードを外したルカが立っていた。

 これまでに唯一目にしたことのある紫色の瞳は、だがこれまでには目にした事がないほど鋭くなり、正面にいる上級狂霊獣を見据えている。しかしその姿を目にしただけで、エルは急速に体の力が抜けていくような気がした。

「よく頑張ったね」
「ルカ先生……」
「遅くなってゴメン。学校の結界を張り直していたんだ――エル、まだ立っていられる?」
「はい!」

 そういえばルカは、教務室に死神ですら入れないような結界を張っていたと、先輩が言っていたではないか。学校の結界が直ったのならば、きっと救いは来る。

 エルの表情に、小さく一度頷いてから、ルカはコールの隣に立った。
 そこで一度大きく、毎日持っている巨大な杖を地に着いた。
 すると円を描くようにして、コールの周囲に、水面の波紋のような光が広がっていく。

「エル。この杖を支えていて」

 ルカの言葉に走り寄り、円の中に入った瞬間、フッとエルは体が軽くなった事に気がついた。それから恐る恐る、ルカの杖に触れてみる。

「っ」

 体中の全魔力が吸い尽くされる感覚。
 先ほどまでとは違った意味で、ガクガクと体が震えた。

「持っていられる?」
「……持ちます!」
「うん」

 いつもの陽気さの欠片も見せない真剣な表情で、ルカは一度頷いた。
 それから二人を円形の結界に残して、ルカは一歩外へと出た。
 その時狂霊獣が咆哮した。

 強い風がルカのローブを乱し、その下に着ている聖騎士団の装束を露わにする。
 それには構わず、ルカは右手の手袋の上からはめていた、銀色の指輪を外した。

 右手で彼がそれを握ると、そこには普段持っている杖の三倍以上の長さを誇る水晶製の杖が現れた。長い長い杖の先端には幾何学模様があって、いくつもの魔法石が散りばめられている。エルは、木製の杖を握りしめたまま、ポカンとそれを眺めていた。

「!」

 更に驚いた事に、続いてルカは、左の手首にいつもしている金色の腕輪を外した。
 今度は左手でそれを手に取る。

 すると長い金色の十字架がそこに現れた。聖騎士団の中でも最高位とされる第一騎士団の団員や、長老達しか確か持っていないとされるような、見ているだけで荘厳な気分になる十字架だった。中心部には、赤い聖石がはまっている。

 聖職者用の十字架と、魔術の杖。
 それを左手で持ち、まるで更に巨大な十字架を形作るかのように、ルカは器用に握った。
 そして空いた右手で、騎士団装束の腰の部分につるしてあった細く短い白い杖を取る。

「我、古の契約に従い、叡智在る聖なる獣を此処へ喚ぶ」

 ルカがつらつらと、淡々と、そんな聖文を述べていく。
 聖職者が、叡霊獣を呼び出すときの定型句だ。

「ハデス、クロノス」

 まるでオーケストラの指揮でもするかのように、ルカが白い杖を振る。
 瞬間その場に、巨大な叡霊獣が二体現れた。
 その神聖な空気に、エルもコールも目を見開く。

「……オリュンポス十二柱」

 巨大な力を持つと、契約が大変困難であると、座学で習った神に等しき叡霊獣の名に、コールが唾液を嚥下する。そもそも、どんなに力の弱い叡霊獣であっても、二体召喚できる聖職者なんて、滅多にいないはずなのに。

「クロノス、帰還させて」

 白い杖を器用に動かしながら、淡々とルカが命じる。
 それからルカは、巨大な十字架の先端を狂霊獣へと突きつけた。

 片手に残された杖は、光を放ち始める。

「ゼーレのご加護が在らん事を」

 ルカがそう言った瞬間、クロノスが圧倒的な質量を持つ光となって、狂霊獣へと襲いかかった。それを確認するように床へと十字架を突き立ててから、ルカが踵を返し、水晶製の杖を、宙を斬るように振る。

 すると塔全体を覆っていた禍々しい空気や威圧感が、瞬間的に無くなった。

 恐る恐るエルが振り返ると、いつの間にか、最上階の入り口側まで迫っていた、下級の狂霊獣たちが、消えていくところだった。

 後ろに迫っていた事に、そして結界が無ければとうに襲われていただろう事に、必死だったエルも、前方の光景に目を釘付けにされていたコールも一切気がつかなかった。

「ハデス、二人の護衛を」

 白い杖を降りながらそう告げると、ルカが二人の元へと歩み寄ってきた。

「もう杖を離して大丈夫」

 まだ震える手でしっかりと、木製の杖を握りしめているエルの指先に、ルカが触れた。
 何度も何度も頷きながら、エルが杖を手放す。

 それを紐でつり、背後に、何でもない荷物のようにルカがかけた。
 それから巨大な杖の方は指輪へと戻し、十字架を拾ってから、ルカが白い杖を一瞥する。

「先生……」
「ん?」

 エルの言葉に顔を上げたときには、ルカは既にいつもの朗らかな表情へと戻っていた。

「神聖術も使えるんですか……」
「言ってなかったっけ? 僕は元々聖職者だったんだよ」
「じゃあどうして魔術師に……?」

 今度はコールが聞いた。あれほどの叡霊獣を使えるのであれば、騎士としても教員としても、あるいは神官にすらなれるほど、優秀な聖職者だったはずだからだ。


「団長」

 その時、呻くような声がして、瞬間移動で、一人の騎士が姿を現した。
 こちらも、長い魔術用の杖と、金色の十字架、そして白く細い杖を持っている。

「団長は、君だろ。どうかしたの?」

 ルカが再び冷たい表情へと戻り、顔を向ける。
 その言葉に、エルとコールもそちらを見て、目を瞠った。

 そこに蹲るようにして現れ、吐血しているのは、聖騎士団――それも第一騎士団の団長であるワイズ・エリオールだったからだ。この街に住む人間であれば、誰だって彼の事は知っている。

「騎士団の結界を張り直すので精一杯だった。街の結界がまだ直せない。一人じゃ無理だ」
「叡霊獣を使える聖騎士は何人残ってる?」
「八人いる」
「四人神学校に回してもらえる?」
「分かった……っ、あ」

 ボタボタと血を吐きながら、ワイズが目を伏せ、杖を握りしめている。
 瞼越しの闇の中、魔術でなにか指示を出している様子だった。

「エル、暫くハデスを置いていくから、此処で聖騎士がくるのを待って」
「あ、はい……ルカ先生は?」
「街の結界を張り直してくるよ」

 ルカがそう言った時、ワイズが目を開けた。

「手配した。行こう」
「うん」

 頷いたルカの姿は、すぐにかき消えた。
 ワイズと共に、瞬間移動した様子だった。
 それを呆然と見送っていた二人は、それから互いに顔を見合わせた。

「――ルカ先生って何者なの?」
「俺が知りたい」

 二人の元へと、四人の聖騎士がやってきたのは、それから暫くしての事だった。



 街の結界が張り直されたとの知らせが入ったのは、その三十分後の事だった。



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