魔王の求める白い冬

猫宮乾

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―― 第四章 ――

【060】壁

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 暫く見ない間に、人間の土地は大分変化していた。
 以前は地球の欧州の中世レベルだったと思う。中世の事を僕はあんまり知らないけれど。

 電気や蒸気機関がある様子は無かったが、代わりに《リボルト》という魔法鉱物から動力を得て、電球のようなものや、サイドライトのようなものが、各部屋についていた。《ソドム》ではまだ、燭台か、それこそ各個人が魔術で灯りを採っているから、品だけ見たらこちらの方が優れているかも知れない。

 隣に座った勇者が、机の上に剣を置いた。
 魔王が隣のベッドにいるというのに、随分と無防備だと思う。
 思いながら、僕はオニキスの剣を見据えた。

 伝説の剣だと聞いているが、柄の部分にそれこそ《リボルト》が嵌め込まれているように見えたのだ。

「どうかしたか?」

 オニキスに問われたので、僕は率直に聞いてみる事にした。

「その剣、魔法鉱物で制御しているの?」
「恐らくは、そうだと思う。ただ、純粋な結晶が中に埋め込まれているらしいんだ。それが強い力を持つから、堪えられる人間じゃないと抜けないと聞いた」

 なるほどなと僕は納得した。
 それから、フランに借りている杖を、その剣の隣に置く。
 そしてローブを脱いでから、寝台に横になった。

「灯りを消してもいいか?」
「うん」

 僕が頷くと、静かにオニキスが部屋を暗くした。だから窓から覗く月明かりだけになった。

 布団を掛けて、僕は勇者と反対側――壁の方を向いた。

 別段それに意味は無かったのだけれど、ただ何となく、一人ではない夜が久しぶりすぎて、少しだけ緊張していたのかも知れない。魔王城では勿論、人間街の宿屋でだって一人部屋だったし、野宿はまた別だ。

「――アルト」

 その時、オニキスに名前を呼ばれた。
 答えるべきか、寝たふりをするべきか、僕は少しだけ迷った。

「何?」

 結局答えながら、布団を握りしめる。

「俺は、まだ上手く片付ける事が出来ていないんだ。本当は」

 オニキスの声は、呟くようなものだった。
 それはそうだろうと思う。

 僕だって、数え切れないほど、やりきれない事がこれまでにあった。時間が解決してくれるなんて、嘘だ。何一つ、僕だって片付けられないでいる。だけど。

「笑うしかないんだよ。笑っているしかないんだ」

 静かに告げた。多分それは、自分自身に言い聞かせる言葉でもあって。だって、だってだ。他に僕に出来る事なんて、何も、もう無いんだ。

「どうしてお前は、笑っていられるんだ?」
「生きているからかな」
「……どういう意味か、聴いても良いか?」
「それが、生きている者の運命というか、唯一出来る事って言うのかな。僕はそんな風に思うんだ」

 さすがに、僕が笑って生きてくれればそれでいいなんて思って、みんなが死んでいったとは思わないけれど。ただそれでも、みんなの分も、せめて笑って、この世界で、終わりを迎えるまで僕は生き続けるのだと思う。

「アルトは強いんだな」
「そう見える?」

 壁を見据えたまま、僕は笑った。僕ほど弱い者を、僕は知らない。

「見えない。悲しそうに見える」
「じゃあ悲しいんだよ、きっと」
「俺も悲しい」
「ふぅん」
「ただ、傷の舐め合いをしたい訳じゃないんだ。俺が悲しみを覚えたこの世界を、お前がどんな風に見るのか、それが知りたい。今は、ただ」
「どうして?」
「俺が見た中で、お前が一番綺麗だから。外見だけじゃない、声だけじゃない、お前の心みたいなものに、俺は惹かれた」
「会ってまだ少ししか経ってないのに、可笑しいね」
「直感だ」
「またそれ?」

 思わず僕は、笑ってしまった。クスクスと忍び笑いをしてしまった。そして願った。本当に僕が綺麗だったら良いのになと。僕は多分本当は、誰よりも醜く成り下がってしまっているから。いつからなんだろう、僕の中で、汚いままで、浄化できないままで、昇華できないままで、時計が止まってしまったのは。

「アルト」
「ん?」
「俺は――無理に笑う必要はないと思う」

 それはきっと、いつか僕が通ってきた道だった。そして通り過ぎてしまった道だ。


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