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【中編 了】第九章 一緒に成長すること

父を知る者とLegendプロダクション。

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「ようこそおいでなさいました! ハッピークリスマスです」
 サンタクロース姿で水樹を歓迎したのは羽生だ。おまけに髭付き。
「は、ハッピークリスマス……です?」
 街が赤白緑のクリスマスカラーに染められ、電飾が煌びやかに映える季節。水樹は名刺を頼りにLegendプロダクションへ訪ねていた。
 Legendプロダクションの事務所は五階建てビルの三階にある。足を踏み入れば、大らかな赤白おじさんの格好をした羽生がいたというわけだ。首が詰まったサンタ服に白いもじゃもじゃ髭。確認は無理だが今日も羽生は首輪を着けているのだろう。
「足元が悪い中でのお立ち寄り、連絡もありがとうございます」
 雪降る寒さで冷えた体がホットミルクココアと、暖房器具のおかげで内からポカポカになる。塩気のある煎餅や艶やかなチョコレートをお茶請けとして出されると、美味しさのあまりココアを飲み終わる前に食べ終えてしまいそうだった。
(太るどころか、はしたないな……)
「突然の連絡にも対応していただきすみません」
「いつでもいいんですよ、こっちは。興味を持ってくださったことが嬉しいですから」
 羽生の一回目の誘いから約二ヶ月は経つが、未だ段ボール箱買い積み重なったタワーがある。その隣にはちょこんと小さなクリスマスツリーが飾られていた。なんとも言えないアンバランスさが味わい深い。
「そろそろ社長がお戻りになりますので、会いますか?」
「……しゃ、社長!?」
 ココアを飲み込み、災難は防いだ。「今、帰ったぞー」と飛んできた声の主に羽生は駆け寄る。
「お帰りなさいませ、神崎かんざき社長。こちら、先日お話した」
「遊佐……水樹くんね。どうも」
 名字と名前に妙な間があったが、言うが早いか水樹はすぐさま立ち上がり頭を下げた。
「お邪魔しています」
 一瞬しか姿を見れなくても、藤色のワンピースが上品な雰囲気を立たせ、顎の辺りで綺麗に揃えられたショートヘアがまさに「出来る女性」を思わせた。
「どうされましたか、神崎社長?」
「ああ……そうね。そこまで畏まらないでいいから座って。緊張もほどほどが肝心よ」
 「あたしはホットレモンをいただこうかしら」と注文を聞いた羽生を捌けた。座ることを促された水樹は着席したが、二人きりになるとまた緊張が再開する。
(なんだかじろじろ見られているような)
 神崎は穴の開くほど水樹をじっと見つめ、威厳とはまた違うオーラを滲ませた。近寄り難いが社のトップになる人物は自然とオーラを身に纏うかもしれない、と見当をつけ、ココアを一口飲む。なめらかな舌触りにココアの深い味わいだ。
「ふむ。あのヘタレ親父より態度が堂々としているじゃない」
 マグカップの中で吹いたのは許してほしい。
「とう……父をご存知なんですか?」
「あったり前よ。遊佐とはデビュー時期も事務所も一緒だったからね」
 つまり、神崎は優樹が所属していたFlyプロダクション出身ということになる。業界最大手の事務所。入所希望者も後を絶たず、狭き門を突破するのはほんのひと握りらしい。
「『なぜあんな大きなところを退所?』って顔しているわね」
「す、すみません……」
「方針が合わなかっただけよ。喧嘩別れじゃないから余計な心配はいらないわ。それはそうと……まあ、予想以上とは」
 神崎は眉間に皺を作り、摘んだ顎ごと身を乗り出す。
「……股下何センチ?」
「は、はい?」
「股下、何センチ?」
 一言ひとことの重みと凄みに耐え切れず、水樹は笑顔を取り繕いながら答えた。
「きゅ、九十はあるかと」
「身長は百九十そこそこか。現役時代のあいつより高いんじゃない?」
 どかっと座り直した神崎の身長に触れるのなら羽生よりずっと低い。葉子さえ百六十はあるが……神崎はもっと。
「お待たせしました! ホットレモンティーの蜂蜜入り、スティックシュガー二本と社長が好きなドーナツを……」
「ああ!! 周りが身長高い奴らばっかで腹立つっ!!」
 吼えるように叫ばれ、水樹は神崎の抑えられた本性に顔がひくついた。
「特に遊佐! あいつ、『プリンセス&プリンス』のイベントであたしの後ろに隠れやがって。隠れるわけねーだろ、百四十センチ台を馬鹿にしてんのか!?」
「その節は父さんが誠にすみません!」
 母が語ったいくつかは信じ難かったが、中でも「まさか」と肩を竦めた伝説はどうやら真実だったようだ。しかも目撃者じゃなく被害者。血を濃く継いだ息子だからこそ股まで頭を下げた。
「あとマイクの位置直せ! 紳士なら配慮を見せろ!」
「す、すみません!!」
 居合わせた修羅場にも羽生は落ち着いた態度だった。ここを設立する前から二人三脚で歩んだ関係性なのかとうっかり感心していたら、「おれは見下げないと認識しない小さな女性もすっぽり腕にハマるから可愛いと思います!」と無垢な笑みで地雷を踏み抜く。
「そんな可愛いシチュはもう腹いっぱいなんだよ! 大きい人達にはわからないでしょうね!」
「わかりません。想像力が乏しいおれには、子人の気持ちすら理解できないですから」
 羽生の返しに神崎は舌打ちした。
「今日も絶好調ですね。大変見苦しいところをすみません」
「い、いいえ!」 
 まだ不貞腐れ気味の社長を差し置き、マネージャーの羽生はにっこりスマイルだ。無邪気に明るい人と勝手にイメージ付けていたが。
(掴みどころも腹の内もわからない人だな。敏腕助手って……そもそもなんだろ)
「Legendプロダクションの神崎社長こと神崎 結愛ゆあは、遊佐 勇樹さんとコンビを組むことが多かったようです。クールでハスキーな女性がヒロイン、遊佐 勇樹さんが演じる甘めの王子様。珍しかった組み合わせが当時話題を呼んだとか!」
「説明ありがと、羽生君。きっかけになったのが『プリンセス&プリンス』ね。あい……遊佐君の二つ名『変幻自在の王子様』の原型である『王子様』が広まったのもこの作品だわ」
「へえ~そうなんですね。おれは初耳なので勉強になります」
「全ての声優情報を網羅する方が圧倒的に少ないわよ。だけど、社長周りのことはもうちょっと調べたらどうなの?」
「善処はしますが、ここにご本人がいるので自分の目と耳をフル活用して直に学びたいですね」
 ぱっと見、親子か師弟に映る二人は歳も離れているはずだ。しかし遠慮も包み隠しもせず会話する様子は、むしろ気持ちが良い。
「遊佐君……だとごっちゃになるか。水樹君はお父さんのこと好き?」
「あの。おれの聞き間違いでなければ……遊佐 水樹君って遊佐 勇樹さんのお子さんなんです?」 
 羽生が神崎と交互に見るので、水樹はこくこくと頷いた。
「えっ、ええ!? あの、魔法少女ルルの父親で災厄を招いたあの悪党役!?」
「逆に今までのやり取りから汲み取れなかったことに若干引く私だが、そうだよ。抜け切れない王子様属性はあるものの、ショタからご老人、挙句の果てには龍とか人外まで演じたすごい奴の愛息子だ」
(父さん……本当にすごい人なんだ……)
 同じ時間を過ごした仲でも、母とは別角度からの視点に水樹は正直唸りそうになる。同業者だからこそ見れた一面なんだろう。
(そんな人の……)
「愛息子……、ですか」
「そうそう。自分名義の最初の曲は『息子の名前にする!』と豪語して、『二番目の歌詞はこれから産まれてくる息子に捧げる歌詞にさせてください!』と監督や作曲家に直談判。非常に親バカだったよ」
 呆れ笑う神崎を前に水樹は息が詰まった。
「ごめんなさいい!! おれ、なんも知らずに『可能性がありますね、ドヤァ』っていました! いやでも、親子だからといい、水樹さんには水樹さんの良さがあるんですよ。なんかこう……耳から惚れさせる声と言いますか、巡り会えた喜びを毎回感じるって言いますか」
「語彙力皆無か。そして羽生君のせいで話が大いにズレたよ」
「俺は……!」
 談笑する二人も振り向く声量だった。水樹は膝に置く手をキツく握り締め、視線も膝に向ける。
「父のことが……よくわかりません。記憶がないというのも、最近まで声優だと気づかなくても生きてこられたのも理由にあります。でもそれとは別に……」
 カチ、カチ、カチ。秒針の音に急かされそうになるが、怖気づいていつも通りだった。
「嫌いではないですが、父のような丈夫な樹に俺はなれません。独りで生きなきゃならないのに、遺したヒントが多い割にはどれも漠然と意味不明な内容でした。どんな想いを持ち、どんな俺に育つよう願ったのか。正解を知れるまで大好きとは言えない気がします……」
 「親不孝者かもしれませんが」と付け足す。背も伸び勇樹デビュー時の年齢に近づいたが、水樹の中で父親は現時点で最大のハードルだ。一人の人間が生きる、という意味では。
「……今日寄り道したのはそんなお父さんが歩んだ背中を眺めるため? 偶然的にも同期のあたしと会うことになったけど」
 水樹はすぐに答えられなかった。実を言えば、もう一つの理由がかなりでかい。自分の弱さからも、現実からも逃げたしょうもない理由が。
「羽生君によれば、水樹君はまだ三年生なんだよね。そりゃあ高校生活最後の年だ。迷ったり、苦しい想いもするだろう」
「……十九なん、です」
「十九でも高校三年生なら誰しも悩む時期さ。冬って籠りやすくなるから考えも塞ぎがちになるしね。だから皆、暖かいものを求める。冷えた心がパキンと割れないために」
 神崎はレモンティーを味わい、ドーナツを半分に取り分ける。水樹の方に大きいのを渡した。ストロベリーのチョコレートがかかったかなり甘い菓子。
「ね、遊佐 水樹君。思い出話に付き合わせちゃったお詫びとして、君のことをじっくり聞かせてよ」
「おれからも。その様子だとあまり眠れていないんじゃありませんか?」
 指で目元をなぞれば、深く彫られたクマの跡がある。彫刻アートでもこんなに彫らない。
「陽が沈むにはまだまだ時間があるよ。制服も懐かしいなー。羽生君のところはどうだった?」
「中学から高校まで学ランでした。だからおね……従姉妹が羨ましいと言ったらありゃしない。ま、女性なので勝手が違いますがね」
 サンタクロースの髭を取る羽生の首から、うっすら覗く首輪。虚しさに襲われて泣きそうになる。
 ほぼ初対面の相手に話していい内容なのだろうか。文化祭のあの日から今日まで、母に問い詰められることはなかった。息子が学校でなにかしらあったろうと勘づいている気もするが。
 スマホは怖くて電源を入れられない。ずっと充電されるのを待っている。暗闇の中で腹を空かせているのに、水樹はずっと放置していた。
「無理にでも吐き出したらスッキリすることもあるよ」
「心が軽くなったらぐっすり寝れちゃうかもしれません。そして……サンタの目撃は今年も叶わず……っ!」
 ほど良く場を温めてくれ、水樹の涙腺はもうそこまで緩んでいた。例年に比べたらまだ一度も雪が降らない。今年もホワイトクリスマスは望めないとのことだった。
「Legendプロダクションの方針はね『皆で成長する』ことなの。相談料として、はい、入所。……と強制はしないから安心して。それに羽生君は感性タイプで頼りないかもだけど、意外とつく所はつくし、鋭いから君への評価もお世辞じゃないことはフォローするわ」
 優しさと心強い信頼に触れ、朝からずっと抑え込んでいた涙のダムが決壊した。スラックスに雨粒が滲み、背が前へ屈む。
「逃げてきちゃいました……」
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