イケニエヒーロー青井くん

トマトふぁ之助

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金継ぎの青 下:ブルー編

渡航前夜

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 小さな漁村の入り口では、やる気なさそうに手旗を掲げて役場の人間が待ち構えていた。年は若いが瞳の下はクマで縁取られ、濃い疲労が滲み出ている。今にも倒れこみそうなほど疲れ果てた彼の白シャツだけは、かろうじて職種らしくかっちりと襟元まで締められていた。
 「旅行者のリリス様御一行ですね。この度は氷雨町へようこそ」
 「あら、私が代表?」
 「……俺さ、……俺はこいつにかかりきりだからな。任せたぞ」
 それも込みでの仕事なのだろう。リリスは艶っぽい笑みを浮かべて役人を振り返った。夢魔の笑みを正面から受けて若者の顔が仄赤く火照る。
 「私たちこの町に来るのは初めてなの。案内してくださる?」
 両手で男の手を包みこみ、可憐な声が囁かれる。距離感が既に可笑しい。見つめる瞳が魔力を灯して、蠱惑的に獲物を絡めとる。役場の彼は頬を面白いように朱色に染め、後退りしながら慌てて返事をする。
 「ぇ、あっ……は、はい!す、すぐにでも……!長旅お疲れでしょうから、まずは休憩できる場所までお連れします!」
 リリスの後ろで青井を抱えた大男が、うんざりした顔でことの成り行きを見守る。この女はこれだから始末が悪い。リリスに一生を狂わされた者は老若男女の垣根なく、種族すら跨いで魔界のそこかしこに分布している。
 すっかり獲物を狩りとる気になっている美女の首根っこを掴み、大男は後ろに引いた。
 「おい。いい加減にしとけ」
 「小腹が空いたんだもの、いいじゃない」
 「会った奴端から食い散らかす気か。こんな田舎町すぐに潰れるぞ?あとで若い衆揃えてやるから、我慢しろ」
 「エッほんと?んん~、でもねえ……飽きちゃったからいいわ。貴方の部下、みぃんな筋肉達磨なんだもの……。最近ちょっと食傷気味よ」
 小声でのやりとりを不思議そうに伺っていた役人が単語をのみ聞き取って、見当違いの提案をした。
 「……お連れ様、食事処でしたらこの先にいい店があります。座敷ですので、その、奥様もお休みできるかと」
 眼鏡の奥で気遣わしげな瞳が腕に抱えた妻を見ている。大男は役人の青年に愛想のない返事をした。
 「そうか。さっさと連れて行け」
 「全く無愛想ねえ!ごめんなさいね……えっと」
 「ああ、失礼しました……申し遅れまして」
 青井喜一と、男は名乗った。
 大男の腕の中で、身じろぎひとつしない妊夫が寝息をたてている。

 『———私の……をお使いください』
 台風の夜であった。かねてより大鬼に打診を受けていた彼女は、二つ返事で了承してくれた。
 『あの子の一部は大事に預かっております。同行者は……リリス様。わかりました、いつでも構いません。もとより老耄の体です故、長く眠ったとしてもみな納得してくれましょう』
 水盆の向こうで彼女を呼ぶ声がした。扉の開く音が続く。
 『少しお待ちを。大丈夫よ喜一。独り言ですとも……ええ、ええ……お前も、早く休みなさい』
 足音が遠のいていく。水面の波に合わせて老女の憂いた顔が揺らいだ。
 『精が出るねえ』
 『少し、働き過ぎです。喜一には———人よりも苦労をかけてしまっている』
 事情があった。どうしようもならない、救いようのない出来事があった。あの晩からずっと、彼はもがくように働き続けている。
 『何か休ませる機会ができれば良いのですが……え?はい……案内人。……———に招いて……そんなことが……できるのですか』
 呼びつけた夢魔が隣で喧しく要らない提案をする。耳元でかしましく騒がれるのが好ましくない依頼主は顔が険しい。……案の定、予定より早めの新婚旅行に邪魔な虫がついてくることになってしまった。
 『……そうしてくれますか。多少旅程に影響は出ましょうが、それで構わないならお願いします』
 渡りの先となってくれる彼女の声は安堵していた。老婆の傍で燭台の炎が揺れる。消し忘れるなよと忠告をして、鬼は水盆の淵に整列した水文字をなぞり潰した。盆に張られた水は表面を揺らし、また物言わぬ水面へと戻された。新婚旅行前夜、とある夜更けの出来事である。
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