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金継ぎの青 下:ブルー編
夢の終わり
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「…………う、うぅ……」
眩しい視界。遮ろうとするが腕が持ち上がらない……ランタンの灯りだと思った白い光は、魔術師の掲げた杖の水晶によるものだった。
氷雨町の小さな診療所のベッドに横たえられた青年———青井喜一が目を覚ましたのは、まだ夜も明けきらぬ未明の時刻であった。ベッドの周りには大勢が集まっており、それぞれが杖に結び付けられた長い長い紐を握ってこちらを見ていた。簡素な病人用ベッドを囲うように集まった十六人の顔は一様に暗く落ち込んでいたが、闇の中に灯りを探すような表情で喜一を覗き込む。
「杖、頭を掲げて。もっと高く。肺の真上にかかるように……」
「せ、先生……!目が……」
喜一は頭を揺らして声のほうを見る。隣町に出て行った兄がそこにいた。目を丸くして体を持ち上げようとするが、力が入らずひどく咽せてしまう。
「喜一!わかるか」
「もう大丈夫だからね……!」
喉がからい。町を厭うて出て行った兄弟姉妹たちに喜一は目を丸くして驚き、そして人がきの向こうにもう一台の寝台を見つける。仰向けに横たわった小柄なその人の顔は、真白い布で隠されていた。喜一の周りに人が集まったせいか、部屋の対岸に位置するその寝台の周囲はしんと静かだ。
気の強い姉が視線の先に気づいて顛末を告げる。
「……火をつけられたのよ。あんたは二階で休んでいて……母さんは間に合わなかった」
「そ……んな」
「護衛の……ジークさんが、助け出してくれなかったら。あ、あんたまで……」
彼女が喜一の手を握り、深々と息をついたのを皮切りにして、周りを囲んでいた兄弟がよろよろと起こした喜一の上半身を抱きしめる。
「ごめん……ごめん、俺、守れなかった……!」
「馬鹿!あ、謝るのは……俺たちのほうだろ……!!お前一人に押し付けたせいだ……!」
診療所の戸口から、音を立てぬよう一人の男がそっと出ていく。邪魔をせぬよう戸口で控えていたオーガ族の護衛が声をかける。
「奥様。よろしいので」
「いいんです。もう行かないと……弟を助けてくれて、ありがとう」
幻視魔法をかけられた彼の腹は薄い。ブルーとして知られた顔ではなく———凡庸な、特徴のつかない男に見えるけれど、この人は間違いなくオーガ族頭領の番いである。ジークが恭しく礼をすると、彼は再びコートを羽織り真っ直ぐ町の大通りを目指して歩き出した。親の死に目に立ち会えなかった悲哀は感じられない。しっかりとした足取りは青井家に無関係のジークから見ていささか冷淡に思えるほどだ。
戸外で待機していた別の護衛がその後に続く。
「お、奥様!お待ちください、今迎えの者が参りますので!その方向は———!!」
「ここに来る途中瘴気の名残りが見つかりました。それも町のあちこちに。見覚えのある魔胞もあった」
足を止めずにブルーが淡々と告げる。
「リリスさんが一人で戦ってくれているんでしょう?母を刺した町人を唆した者がまだそこにいるんです。身元引受人のバルドには許可を貰っています、こちらでの行動は自由にしていいと。俺には為すべきことがある」
腰に差した得物は一振りの剣であった。なるほどこの男はその足で養母の仇討ちに向かうつもりらしい。ブルーならやりおおせるだろう……身重だろうと何だろうと、オーガ族の頭領に座す巨魁と八年やり合った彼なら魔女を膾にすることなど造作もない。
ジークは表情を変えずに内心ため息をつく。
(落ち着いたもんだ。まあ……あの狂犬ブルーだからな。親の死に目で動じたりはせんか)
……どこかから帰郷の情報が漏れたから、魔女族の刺客がこの町に差し向けられた。
ブルーの安全を考慮して肉体は魔界に置いたまま「夢渡り」が行われた。渡航先にあたる青井雪乃には万全の護衛体勢が整えられていたが、同じく警護対象である氷雨町人による暴挙をオーガの護衛集団は止めることができなかった。面子は丸潰れだ。そこに加え、当てつけのように魔女が群れを成して町を襲い始めた。……誰が下手人をそうさせたかが判明し、町は今ちょっとした抗争状態にある。
ブルーは周りの制止を振り切ってバルドを脅しかけ、魔界から転移魔法で二つの世界の端境までひとっ飛び。馬車とキメラ輸送を乗り継いで数刻足らずで故郷へ戻ってきたという。今更誰も止めることは出来まい。
———言葉の通じない、気の狂った悪魔の犬。
かつてそう揶揄された男が大通りに向かって歩き出した、その時である。
「———兄貴っ!!」
火薬が弾けるように……赤くリリスの魔胞が狂い咲く道へ、踏み出そうとした脚が止まる。遠くに散る血の如き赤を背に、青年が振り返って声の主を探す。己の義弟を、視線の先に見つけたときの信じられないという表情。
「兄貴……あにき、行かないでっ!!帰ってきて……!!」
「…………っ」
診療所の戸口から、ほとんど転がるようにして青井喜一が飛び出してきた。追いかけて出てきた兄弟姉妹が慌てて追いかけ、こちらに気づいて足を止める。一酸化炭素中毒で死にかけていたはずの青年は、荒い呼吸でそれでも叫ぶ。
「母さんが……!!かあさんが、げ、ゲホ……ッ」
「喜一!」
くず折れる青年の元へブルーが駆ける。喜一は転げ、膝からつんのめって顔から地面に衝突した。呻きながらもその手を伸ばす。鼻血と鼻水、涙で整った顔は見れたものではない。
「お、お前!なんで……!!」
「そばに……!か、帰ってきて……行かないで、母さんのそばにいてやって……!!」
駆け寄る兄の手に縋り、ぐしゃぐしゃに泣きながら弟が懇願する。それは不思議な光景であった。既に二十歳を越えて育った弟と十八のまま時を止められた青年では、その関係は逆位置に見える。何よりジークはその変容に驚いていた。一歩後ろで見守る彼の肩は震えている。
激しく咳き込む弟の背をさすり、ブルーは途方に暮れたように顔を持ち上げた。
「……ふ、……ぅ、あ、あれ……っ」
「ごめん、ごめんっ……!!石投げて、酷いこと言ってごめん……!!怒らないで、いなくならないで……っ!!何でもするから帰ってきてよぉ……!!」
「……ッく……ぅう……っ!」
対象の動揺を映すかのように幻視魔法が弱まり、整った鼻筋に一見冷徹そうな顔つきが姿を現した。目元を幾度も擦り、拭きれなくなった涙にまた頭が傾いで揺れる。ぼたぼたと涙液が垂れ、当惑したブルーの瞳が星空の光を受けて薄闇に光る。硬く結んだ口が口惜しそうに解けて嗚咽を漏らした。そのためにブルーは弟への返事ができなかったが、喜一を支えるために繋いだ手だけは頑として離そうとしなかった。
ジークは静かに歩み寄り、泣き声を堪える肩に手をかける。
「……喜一殿をベッドに戻さねば」
「ぐ……」
見上げる顔は首まで真っ赤に染まっている。虚勢は完全に瓦解していた。困惑して、しゃくり上げながら頷くブルーはただの子供に等しく見える。ジークは極めて丁寧に喜一を抱き上げ、その手が掴んで離さない彼に促した。
「リリス殿は必ずやり遂げます。貴方は、こちらについていてください。……あなた方は泣き方までそっくりだ。頑固なところも、似ておられる」
この辺境へ開拓士として派遣され、ほど一年交流を続けた青井家の兄弟を診療所まで送り届けると、彼は雇い主まで伝令を出した。不測の事態だったとはいえ……衛士の務めを果たせなかった自分には、この時間を守る責任があるだろう。
「ボスには叱られるだろうがなぁ」
「構わんさ。ほんの少しだ……滞在が延びる分は、俺たちでしっかり守らんとな」
町の向こう側には肉の花が炸裂する光が明滅する。夢魔の頭領に限って撃ち漏らしは考えにくいが、万一に備えてオーガ二人は斧を構え、診療所の出入り口へ戻った。
眩しい視界。遮ろうとするが腕が持ち上がらない……ランタンの灯りだと思った白い光は、魔術師の掲げた杖の水晶によるものだった。
氷雨町の小さな診療所のベッドに横たえられた青年———青井喜一が目を覚ましたのは、まだ夜も明けきらぬ未明の時刻であった。ベッドの周りには大勢が集まっており、それぞれが杖に結び付けられた長い長い紐を握ってこちらを見ていた。簡素な病人用ベッドを囲うように集まった十六人の顔は一様に暗く落ち込んでいたが、闇の中に灯りを探すような表情で喜一を覗き込む。
「杖、頭を掲げて。もっと高く。肺の真上にかかるように……」
「せ、先生……!目が……」
喜一は頭を揺らして声のほうを見る。隣町に出て行った兄がそこにいた。目を丸くして体を持ち上げようとするが、力が入らずひどく咽せてしまう。
「喜一!わかるか」
「もう大丈夫だからね……!」
喉がからい。町を厭うて出て行った兄弟姉妹たちに喜一は目を丸くして驚き、そして人がきの向こうにもう一台の寝台を見つける。仰向けに横たわった小柄なその人の顔は、真白い布で隠されていた。喜一の周りに人が集まったせいか、部屋の対岸に位置するその寝台の周囲はしんと静かだ。
気の強い姉が視線の先に気づいて顛末を告げる。
「……火をつけられたのよ。あんたは二階で休んでいて……母さんは間に合わなかった」
「そ……んな」
「護衛の……ジークさんが、助け出してくれなかったら。あ、あんたまで……」
彼女が喜一の手を握り、深々と息をついたのを皮切りにして、周りを囲んでいた兄弟がよろよろと起こした喜一の上半身を抱きしめる。
「ごめん……ごめん、俺、守れなかった……!」
「馬鹿!あ、謝るのは……俺たちのほうだろ……!!お前一人に押し付けたせいだ……!」
診療所の戸口から、音を立てぬよう一人の男がそっと出ていく。邪魔をせぬよう戸口で控えていたオーガ族の護衛が声をかける。
「奥様。よろしいので」
「いいんです。もう行かないと……弟を助けてくれて、ありがとう」
幻視魔法をかけられた彼の腹は薄い。ブルーとして知られた顔ではなく———凡庸な、特徴のつかない男に見えるけれど、この人は間違いなくオーガ族頭領の番いである。ジークが恭しく礼をすると、彼は再びコートを羽織り真っ直ぐ町の大通りを目指して歩き出した。親の死に目に立ち会えなかった悲哀は感じられない。しっかりとした足取りは青井家に無関係のジークから見ていささか冷淡に思えるほどだ。
戸外で待機していた別の護衛がその後に続く。
「お、奥様!お待ちください、今迎えの者が参りますので!その方向は———!!」
「ここに来る途中瘴気の名残りが見つかりました。それも町のあちこちに。見覚えのある魔胞もあった」
足を止めずにブルーが淡々と告げる。
「リリスさんが一人で戦ってくれているんでしょう?母を刺した町人を唆した者がまだそこにいるんです。身元引受人のバルドには許可を貰っています、こちらでの行動は自由にしていいと。俺には為すべきことがある」
腰に差した得物は一振りの剣であった。なるほどこの男はその足で養母の仇討ちに向かうつもりらしい。ブルーならやりおおせるだろう……身重だろうと何だろうと、オーガ族の頭領に座す巨魁と八年やり合った彼なら魔女を膾にすることなど造作もない。
ジークは表情を変えずに内心ため息をつく。
(落ち着いたもんだ。まあ……あの狂犬ブルーだからな。親の死に目で動じたりはせんか)
……どこかから帰郷の情報が漏れたから、魔女族の刺客がこの町に差し向けられた。
ブルーの安全を考慮して肉体は魔界に置いたまま「夢渡り」が行われた。渡航先にあたる青井雪乃には万全の護衛体勢が整えられていたが、同じく警護対象である氷雨町人による暴挙をオーガの護衛集団は止めることができなかった。面子は丸潰れだ。そこに加え、当てつけのように魔女が群れを成して町を襲い始めた。……誰が下手人をそうさせたかが判明し、町は今ちょっとした抗争状態にある。
ブルーは周りの制止を振り切ってバルドを脅しかけ、魔界から転移魔法で二つの世界の端境までひとっ飛び。馬車とキメラ輸送を乗り継いで数刻足らずで故郷へ戻ってきたという。今更誰も止めることは出来まい。
———言葉の通じない、気の狂った悪魔の犬。
かつてそう揶揄された男が大通りに向かって歩き出した、その時である。
「———兄貴っ!!」
火薬が弾けるように……赤くリリスの魔胞が狂い咲く道へ、踏み出そうとした脚が止まる。遠くに散る血の如き赤を背に、青年が振り返って声の主を探す。己の義弟を、視線の先に見つけたときの信じられないという表情。
「兄貴……あにき、行かないでっ!!帰ってきて……!!」
「…………っ」
診療所の戸口から、ほとんど転がるようにして青井喜一が飛び出してきた。追いかけて出てきた兄弟姉妹が慌てて追いかけ、こちらに気づいて足を止める。一酸化炭素中毒で死にかけていたはずの青年は、荒い呼吸でそれでも叫ぶ。
「母さんが……!!かあさんが、げ、ゲホ……ッ」
「喜一!」
くず折れる青年の元へブルーが駆ける。喜一は転げ、膝からつんのめって顔から地面に衝突した。呻きながらもその手を伸ばす。鼻血と鼻水、涙で整った顔は見れたものではない。
「お、お前!なんで……!!」
「そばに……!か、帰ってきて……行かないで、母さんのそばにいてやって……!!」
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激しく咳き込む弟の背をさすり、ブルーは途方に暮れたように顔を持ち上げた。
「……ふ、……ぅ、あ、あれ……っ」
「ごめん、ごめんっ……!!石投げて、酷いこと言ってごめん……!!怒らないで、いなくならないで……っ!!何でもするから帰ってきてよぉ……!!」
「……ッく……ぅう……っ!」
対象の動揺を映すかのように幻視魔法が弱まり、整った鼻筋に一見冷徹そうな顔つきが姿を現した。目元を幾度も擦り、拭きれなくなった涙にまた頭が傾いで揺れる。ぼたぼたと涙液が垂れ、当惑したブルーの瞳が星空の光を受けて薄闇に光る。硬く結んだ口が口惜しそうに解けて嗚咽を漏らした。そのためにブルーは弟への返事ができなかったが、喜一を支えるために繋いだ手だけは頑として離そうとしなかった。
ジークは静かに歩み寄り、泣き声を堪える肩に手をかける。
「……喜一殿をベッドに戻さねば」
「ぐ……」
見上げる顔は首まで真っ赤に染まっている。虚勢は完全に瓦解していた。困惑して、しゃくり上げながら頷くブルーはただの子供に等しく見える。ジークは極めて丁寧に喜一を抱き上げ、その手が掴んで離さない彼に促した。
「リリス殿は必ずやり遂げます。貴方は、こちらについていてください。……あなた方は泣き方までそっくりだ。頑固なところも、似ておられる」
この辺境へ開拓士として派遣され、ほど一年交流を続けた青井家の兄弟を診療所まで送り届けると、彼は雇い主まで伝令を出した。不測の事態だったとはいえ……衛士の務めを果たせなかった自分には、この時間を守る責任があるだろう。
「ボスには叱られるだろうがなぁ」
「構わんさ。ほんの少しだ……滞在が延びる分は、俺たちでしっかり守らんとな」
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