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夜の子供達
二つの対峙
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ザグフの館へと潜入した侵入者達の内のあるグループは幾つかの部屋を抜け、遭遇した警備の者達を返り討ちにしながら、今、マサケを含む二名の敵と相対していた。
侵入者を迎撃する態勢へと移行した館の内部の内、青い炎を灯す蝋燭が掲げられた石造りの廊下でのことである。無造作に切りだした石を積み重ねた廊下で、つい先程までとはまるで様相を異にしている。
真っ黒い布の塊の中に少年の顔を浮かべているマサケの他に、袖なしの茶色いベストに長袖の白いシャツに袖を通し、赤いスカーフを首に巻き、頭にはくたびれたカウボーイハットを乗せている日焼けした三十がらみの男が居る。
マサケと同じく超常の異能や技を習得した凄腕だが、彼らの周囲には警備用のホムンクルスや鋼鉄製のゴーレム、豹や虎に似た魔法生物達の骸が転がっていた。
この廊下が、成人男性五人が目一杯両手を広げても余裕のある幅でなかったら、マサケ達は足の踏み場もないような状況で戦う事を強要されただろう。
対する侵入者六名はその全てが青い布を全身に巻き付けたミイラめいた姿をしており、左右の手には煌びやかな装飾の施された三日月刀を握っている。
「シィッ!」
マサケがしわがれた声を発すると同時に黒布から、彼自身の影へと何本もの短剣が投げ込まれる。石造りの床に柄までめり込む筈の短剣は、次の瞬間、勢いを殺さずに布ミイラ達の影から飛び出して、彼らの脚や腹へと下から突き刺さった。
影の中に潜むだけでなく、自分の影を介する事で他者の影へと繋げられるマサケの特異な能力ならではの必殺の投擲だ。
自分の影から襲い来る攻撃を避けられる達人が、世界にどれだけいるだろうか。影の異能抜きにしても、マサケの投擲術は命中すれば人体を四散させる砲弾めいた破壊力を持つ。
しかして短剣が深々と突き刺さった布ミイラ達は四散せず、五体を維持したままユラユラと揺れているだけだ。
効果が無いと悟り、マサケがかすかに眉を顰めるその左横で、カウボーイハット男の右手が腰のガンベルトに伸びる。ホルスターに納められていた六連発式の回転拳銃は閃光となって閃き、落雷の如き轟音を連発した。
いつの間にかカウボーイハット男の右手は回転拳銃を抜き放ち、その銃口からは紫煙がたなびいている。周囲には硝煙と火薬の臭いが立ち込め、そして何より六名の布ミイラの額にそれぞれ穴が開いているではないか。
ホルスターから回転拳銃を抜き放ち、六発の弾丸を六名の敵に撃ち込むまで、実に千分の一秒。常軌を逸した早撃ちの技だが、マサケも射撃手も敵を葬った喜びは欠片もない。
「流石は雷鳴のビエマ。尋常な相手ならこれで終わりだ」
マサケの言葉にカウボーイハット男――ビエマは、回転拳銃の輪胴から空薬莢を取り除いてガンベルトから新しい弾丸を込める作業を淀みなく行いながら答える。
「終わらんな。弾丸が向こう側へと抜けて行った。おれの銃弾もお前さんの短剣も、実体のある相手なら十分に殺せるが、こいつらのような得体のしれない相手となると決定打に欠ける」
「中身はないと考えてよさそうだな。悪霊が中に居るのかというとそうでもなし。布そのものに意思を付与しているのか?」
マサケの布の中からしゃらん、と金属の擦れる音が零れた。短剣による投擲術から戦い方を切り替えたのだろう。ビエマは銃弾を込め終えた輪胴を戻す。
布ミイラの不死身のからくりは不明だが、今は打てる手を一つずつ確かめて行くしかない。いずれにせよ地の利は二人にある。他の凄腕達や警備の兵達が駆け付ければ、こちらの手札も増えるのだから。
「簡単にくたばるなよ。おれの手間が増える」
黒布の中で目当ての武器を選び終えたマサケがこう声をかければ、ビエマは心底嫌そうな顔を浮かべる。攻撃の通じぬ敵を前にずいぶんな余裕だ。
「へ、もう少しあったけえ言葉を言えねえのか、てめえは」
「遠回しに死ぬなと励ましていると受け取れんのか、若造」
「人間、素直なのが一番なんだぜ、若造りのじいさんよ」
二人の会話はここで切り上げられた。風になびくように揺れていた布ミイラ達が動きを一転させ、二人を目掛けて高速で駆け出したからだ。
「操り主がこの中にいれば話は簡単なのだがなっ」
再び自分の影から布ミイラの影を通じ、放たれる何本もの短剣。操り主の怠慢か、それとも無駄だという自信からか、先程の光景を再演するように布ミイラ達に今度は赤い短剣が突き刺さる。
それは刀身に発火の魔法を封じ込めた魔法の武具だった。通常の武具と違って一本あたりの費用が高く、魔法は一度使用すると再度充填する必要がある為、手間がかかる事からマサケとしては乱用を控えたい品である。
狙い通り脇腹や太ももに突き刺さった短剣から紅蓮の炎が生じ、瞬く間に火ダルマとなる布ミイラ達を、マサケはじっと眺めていたが、ふとビエマが何もしていない事に気付くとじろりと胡乱な瞳で睨む。
「怖い目で睨むなって。おれもあんたと同じ炎か爆裂の魔法を込めた銃弾をぶち込もうと思っていてよ。あんたの短剣で効果があるのなら、おれもそれに倣う。駄目なら別の手を考えようって、合理的な考えに則ったまでよ」
「自分は楽をして美味しいところだけを持っていきたいだけだろうが。……ち、火ではだめらしいぞ」
人型の燃え盛る炎は足を止めずに、マサケとビエマを目指して走り続けている。確かに布は燃えている筈なのだが、燃えるのとほとんど同時に元通りに再生しているのだ。まるでバンパイアのような不死身ぶりを見せる布ミイラに、マサケは大きな舌打ちをした。
「それならこいつでどうだい?」
ビエマの腕が霞む程の速さで動き、二つ名に相応しい連続する銃撃の音が楽曲の如く奏でられる。
広大な廊下の中で木霊する銃声は六つ。脳天を狙った通常の弾丸はそのまま貫通してしまったが、今度は着弾と同時に炎と衝撃を撒き散らす爆裂魔法を込めた炸裂弾だ。
今度の狙いは布ミイラ達の心臓。一体につき一発ずつ撃ち込まれた炸裂弾は、全て正常に機能して布ミイラ達の上半身を内側から細々とした破片へと粉砕してのける。
千切れた布に炎が絡みつき、廊下のあちこちにバラバラと舞い落ちる様をマサケとビエマは油断せずに観察する。この間にビエマは銃弾を装填していない。場合によっては込める弾丸を選び直さなければならないからだ。
「ビエマ、撃ち込んだのは全て炸裂弾だな?」
「ああ。風やら雷やら、別々の属性の弾丸を撃ち込んだ方が良かったな」
二人が呆れを交えながらこう会話したのは、燃えながら千切れた筈の布の破片が見えない手で集められ、見えない糸で縫合されるように見る間に元の形を取り戻してゆくのを見せつけられたからに他ならない。
燃やしても駄目、バラバラに吹き飛ばしても駄目、となるとビエマの口にした通り有効な属性か攻撃手段を見出す為に、一つ一つ確かめるしかあるまい。
だがそれを易々と許す程、この侵入者達は優しい相手ではない。今度は自分達がお前達をバラバラにする番だと言わんばかりに、布ミイラ達は再生完了直後から猛然と駆け出す。
廊下に転がる骸を舞うように避け、見る間にマサケ達と距離を詰めた布ミイラ達は、両手の三日月刀で蝋燭の光を斬り散らしながら振るう。
「ちい、流石にやられてばかりいちゃくれねえか」
新たな銃弾を叩き込むにもどんな弾を? と判断のつかぬビエマは、三日月刀の巻き起こす風に頬を撫でられながら、右に左にと布ミイラに負けず劣らずの柔らかな動きで避け続けるしかない。
ビエマがそう余裕のない表情で三体の布ミイラの繰り出す殺人剣舞に捕われる中、マサケは影に潜み、影を渡る特異な技を持つ上に敏捷な身のこなしを武器としている分、布ミイラ達に息つく間もなく襲われても焦燥の色はない。
「おらぁ!」
ビエマは薄皮一枚を切り裂かれながらも銃弾の装填を終え、連続した雷鳴の如き銃声と共に三発の銃弾を叩き込む。
一体の布ミイラは下腹部に命中した銃弾を中心に発生した風の刃によって切り刻まれ、二体目の布ミイラは左胸の内側から四方へと伸びた杭の如き氷に上半身を貫かれる。
だが、どちらも炎に包まれた時と同様に再生してゆくではないか。
「風、効果なし、氷結も駄目かい。しかし、雷は効いたか!」
唯一、状況の変化を見出せる可能性は、雷の弾丸を撃ち込まれた布ミイラが全身から煙を上げながら痙攣し、廊下に倒れ伏している姿だった。
足止め代わりに残る三発の弾丸を再生した二体に撃ち込み、輪胴を回して空薬莢を空中に放り出し、ガンベルトに詰めてある銃弾を新たに詰め直す。これらの作業を全てコンマ一秒以下で終えた。
「おい、マサケ、雷でいけ、雷で!」
「ううむ、布に火が通じず雷が通じる道理は何だ?」
「んなこたぁ、倒した後で検証しろい。今はとりあえず倒さにゃ話が進まんぜ」
ビエマに雷撃の魔法が込められた銃弾を撃ち込まれた布ミイラは、まだ廊下の上で痙攣を繰り返している。再び立ち上がってくる可能性はあるが、戦闘不能状態に持ち込めるだけマシだろう。
弱点さえ分かれば戦いようはある。マサケがまた黒布の内側でゴソゴソとなにやら物の出し入れを繰り返している。あの黒布の中がどうなっているのかは、ビエマを含む同僚達でも知っている者はいない。
全て雷の魔力を付与した銃弾六発で揃えたビエマが、廊下の上で痙攣する布ミイラに照準を合わせる。動かぬ布ミイラに弾丸を叩き込むなど、目を瞑っていても出来る。
仮に雷の力を持ってしても倒せなくても、後続の応援部隊と連携して取り押さえ、封印してしまえばいい。
「倒せないなら拘束して封じ込めるのが、不死身相手の……っ!?」
ビエマに油断があったわけではない。慢心も、まあ、なかったろう。にも関わらず、最初に雷の銃弾を受けた布ミイラが痙攣から回復し、白煙をたなびかせながら斬りかかってくるのを許してしまったのは、強いて言えば間が悪かったと言う他ない。
間に合うか? とビエマは己に問い、間に合う、と答えた。ただし、振り下ろされた三日月刀は回避できまい。右の頸部と左の肩口から胸にかけてを斬られるだろう、とも。
ビエマの指が銃爪を引ききる直前、斬りかかってきた布ミイラが『背後から』撃ち抜かれ、ビエマの体は自分へと向かってくる銃弾へと照準を合わせていた。
一度だけ鳴り響く銃声とビエマと布ミイラの中間地点で一瞬だけ咲いた火花は、ビエマが自分を目掛けて迫る銃弾を、同じく銃弾で持って撃ち落としたという超絶の離れ業を成し遂げた証左だ。
想定外の事態は更に続いた。ビエマの目の前で布ミイラの頭頂から股間にかけて、一筋の閃光が走り、人型の布を左右に切り分ける。その向こう側から現れたモノを見て、ビエマは思わず我を忘れて息を飲んだ。
「おれを狙ったんじゃなく、流れ弾だったようだからな。今ので勘弁しておく」
真っ赤な長剣を振り下ろした姿勢の夜月が、そこにはいた。
しかも冷笑を浮かべている彼の言葉を信じるのならば、先程の弾丸はビエマが口にした“向こう側へと抜けて行った”銃弾を、夜月がその長剣で弾き返したものだったという事になる。
長剣で銃弾を弾き返す夜月も、それをまた新たな銃弾で撃ち落とすビエマも、常軌を逸した使い手と言うしかない。
「しかし、迷宮化している上に空間を伸縮したり、曲げたりと面倒な造りになっているな。
さっきの銃弾もいきなりおれの目の前に現れやがったぜ。お陰でここに辿りつく目印になったから、怪我の功名かもしれんが。それと、斬ってみて分かったが、布を相手にするのはやめな。本命はこっちさ」
二つに断たれた布ミイラの切断面が自ら絡み合い、再生しようとしている中、夜月は長剣の切っ先を布ミイラの握る三日月刀の根元に突き込み、呆気なく折ってみせた。
するとそれまでの不死身ぶりはどこへやら、再生中の布はその機能を停止して廊下の上でピクリともしなくなったではないか。
その様子を見て、雷の魔力を込めた短剣で切り結んでいたマサケは、合点がいった様子でこう口にした。
「なるほどな。雷が効いたのは、三日月刀も感電していたからか。そもそも狙うべき敵を間違えていたとは、いやはや、顔から火が出そうだ」
マサケがこう語る間にも夜月の長剣は空間を切り裂くのではと思える鋭さと冴えを見せ、ビエマが足止めをしていた残り二体の布ミイラの三日月刀合計四振りを真っ二つに切り裂き、呆気なく無力化している。
四体目に取りかかろうと夜月が視線を巡らせると、その背後でビエマの右手が稲妻の如き閃きを見せて、怒涛の四連射で二振りの三日月刀の腹に二発ずつ弾丸を撃ち込み、こちらもまた粉砕してのける。
「助言をありがとうよ、噂の新人君。後で酒でも奢るぜ」
銃口から立ち昇る煙に息を吹きかけ、陽気にウィンクするビエマに夜月は肩をすくめて答えとした。
「手品は種が割れればどうということもない、と相場が決まっている」
天井に蝙蝠のように逆さに着地したマサケの影を通じて、布ミイラの影から勢いよく鎖が飛び出して、一体の布ミイラを何重にも取り巻いて拘束し、そのまま天井のマサケへと引き寄せられる。
布ミイラの中身がなく軽量である事を考慮しても、抵抗を許さないのはマサケが意外な豪力の主だからだろう。
「キィエエア!」
甲高い叫びと共にマサケの右手が、引き寄せた布ミイラの三日月刀に振るわれる。彼の右手には鳥の嘴を思わせるウォーピックが握られていた。鈍い銀色のピックが三日月刀の腹を貫き、手早く二本目も同じ処理を施す。
鎖の中で脱力し、ただの布へと戻った物を放り投げてマサケは最後の一体へ視線を寄せる。五体の仲間が倒された動揺や不安等は発しておらず、どうやら六体目の中に術者が居る、というわけでもないようだ。
三方を夜月達に囲まれた布ミイラは、次の行動に移るまで一瞬の停滞が生まれたが、ビエマが銃弾を撃ち込み、夜月が三日月刀を斬り砕くのには十分すぎる隙であった。
足元に崩れ落ちた布の山と砕けた三日月刀を睨み、マサケは苦々しく口を開く。
「自律型か。あちこちにばら撒いた陽動……。本命の狙いはご当主以外にあるまいな」
「普通の警備兵にはちょいと荷が重いな。追手だとして昼間から仕掛けてくるとなれば、バンパイアではあるまい。力と技を与えられた他の人類種か、それとも……」
夜月は自分にちらりと視線を寄越してきたビエマに、意地の悪そうな笑みを浮かべて答えた。
「おれみたいなダンピールかい? ま、昼も動ける分、バンパイアハントにはダンピールが最適ってのは、どこも同じ話らしいからな。子爵は昼間も鎧を介して行動できるらしいが、あまり続けて行うのは健康によろしくないんだろう?
昼間は寝る。どんな体質の持ち主にしろ、バンパイアである以上はそれが大原則だからな。それに反してはどんどん負債が心身に積もる事になる。さて、この場の敵は片付いたんだ。おれは本命の侵入者を追うぜ」
そういうや夜月がマサケとビエマの守っていた方角へとスタスタ歩き出すものだから、ビエマは咄嗟に制止の声をかけた。
「おいおい、だからといって居場所が分かるのかい。同僚には魔法使いや占い師もいる。そいつらか警備の連中が侵入者の居場所を突き止めるまで、ここでじっとしていたらどうだ。あんたも言っただろう。
この館の中は空間の繋がりがぐちゃぐちゃになっている。下手をしたら魔獣の厩舎の中か、落とし穴の途中に出るかもしれんぞ」
新入りへの本気の忠告が半分、もう半分は信用しきれない新入りを目の届く範囲に拘束しておきたい、というのが残り半分だろう。その心情を表すようにビエマの右手の回転拳銃は夜月の背中へ向けられている。
「ご親切にありがとうよ。だが道ならざっと分かるさ」
夜月はビエマの回転拳銃に気付いているだろうに振り返りもせず、左手側の壁に近づいてそっと手を触れる。
白い指先が壁に触れるとそこから波紋のようなものが壁から床、天井へと広がったと見えるや、壁は消え去って地下へと続く階段が出現する。
「目隠しまでしているとは、手が込んでいるな。ただおれの目を誤魔化せるほどじゃない。
これで迷子の心配はいらないだろう? それじゃ先輩方、おれは先に行くぜ。おれに続くか増援と合流してから動くのかは、好きにするといい」
マサケとビエマが止める間もなく夜月は階段を駆け下り、あっというまにその姿が見えなくなる。残された二人は好き勝手に動き回る新入りを見送るばかりで、動きだす素振りを見せない。
「おい、ビエマ。背中に一発撃ち込むつもりだったんじゃないのか?」
「そのつもりさ。だが、あいつの剣はおれの抜き撃ちよりも速い。おまけに銃弾よりもだ。
あの間合いで撃ち込んだとしてもあっさり避けられて、おれの首が落ちるだけだ。お前が連れて来たと聞いたが、とんでもない使い手を招き入れたもんだ。ダンピールにしてもちと強すぎだろ」
「敵対されるよりはましと懐柔の手を選んだのだ。ご当主の交渉で奴もこちら側につくのを許容している。本心は分からんがな」
「隙を見てザグフ様の心臓に杭を打ち込む気かもしれん、というわけだな。おれ達がそう疑っているのも承知しているな、あれは。行かせるしかなかったが、行かせてよかったものかどうか。おれの銃とお前の影でさて仕留められたか?」
「さてな。だが、おれ達も侵入者を追えば奴とまたかち合うだろう。奴は直に追いかけて行ったが、おれ達は館の監視魔法の記録を頼りに追うとしよう。奴も手錬だが侵入者の方も昼間からここまで侵入するとは、過去に類を見ない手錬だ。気を引き締めろよ」
「じいさんにそこまで言われんでも油断出来る相手じゃねえよ」
だよな、とマサケは溜息を零すしかなかった。
*
「ほぉう、随分な暴れぶりだな」
階段を降り切った夜月が居たのは、大きな広間だった。三方へと繋がる廊下を黒い鉄の扉が塞いでいる。
そして床にも天井にも壁にも、無数の傷跡が刻まれており、床に先程の布ミイラ達の残骸が何体分も転がっており、正面の鉄扉にはあの紫色の鎧――ザグフが立っている。
ザグフの前には血で染めたように赤いコートと鍔の広い帽子を被った女が両手に黄金の剣を持ち、向かい合っていた。こちらが侵入者の本命なのだろう。
周囲に刻まれた傷は両者の戦いの余波なのだ。女性にしては長身の侵入者は、背中越しにも夜月の出現を感じ取ったようで、かすかに身じろぎをする。
夜月の刃でも断てぬ鎧を操るザグフだけでも強敵だろうに、夜月に背を取られては必死の運命に陥ったと言う他ない。
「迷宮を突破してここにたどり着いたか。やはり並ではない」
「雇用主に褒められたら悪い気はしないね。で、そちらの侵入者殿は名乗り位したのかい?」
「汚れ仕事をこなす下賤者は、そのような殊勝な真似をせんよ。私が姿を見せるや有無を言わさず斬りかかってきおったわ。まったく、礼儀というものを知らん。これでは骸を丁重に扱おうという気も失せる」
夜月の姿を見て下賤な殺し屋の始末は任せる、とザグフは考えたらしく、明らかに闘志を失くした様子でくるりと背を向け、鉄扉に手を掛けてその向こうへ去ろうとする。
「まずは一つ仕事をこなしてみせよ。そ奴はジークライナスの姫君が私のようなものを討つ為に放った追手だ。私を討つ目的を持つ以上は、それなりにやるぞ」
ギイィと軋む音を立てて鉄扉が閉まる中、侵入者はザグフを追うべく駆け出すが、雇用主に仕事を命じられた夜月もまた動きだしている。敵とあれば背中から斬りかかるのを躊躇う青年ではない。
石造りの床に足跡が出来る程の踏み込みで爆発的な跳躍力を生みだし、こちらに背を向ける侵入者の背に赤い長剣が形を持った死となって振り下ろされる。
侵入者は赤い旋風と化して回転し、振り下ろされる長剣を両手の黄金剣を交差させて受け止めた。夜月は愛剣を受け止められた瞬間、まるで力を全て吸い取られるような奇妙な感覚に、わずかに眉を顰めた。
「子爵狩り用の特注品か?」
にいっと笑う夜月に答えず、侵入者は思い切り交差させた黄金剣を押し出し、夜月の身体を大きく弾き飛ばす。着地する夜月へと向けられる侵入者の瞳は、一瞬だけ揺らぎ、すぐに闘志の炎と淡々と仕事をこなす冷徹さの同居したものに戻る。
首に掛る長さの黄金の髪に切れ長の黄金の瞳、すっと流れるような線を描く鼻梁と艶めく唇を持った美女だが、全身に纏う気配は触れれば斬れる刃の如しだ。
夜月とそう変わらぬ背丈の侵入者は、夜月の感覚を信じるならばバンパイアではない。だが、同時にバンパイアだとも感じている。同じダンピールだというのでもない。まったく奇妙な話だ。
「今日、雇われたばかりの新人だが仕事は出来るつもりなんでね。相手をしてもらうぜ、侵入者さん」
侵入者の返答は夜月の左頸部に放たれた右手の黄金剣だ。赤い長剣は余裕を持ってこれを迎え撃ったが、あろうことか夜月の体は長剣ごと吹き飛ばされて、大広間の壁へと叩きつけられて、大広間全体が揺れる程の衝撃が走る。
夜月が肺の中の空気を全て吐き出し、顔をしかめながら着地する。常人なら全身の骨が砕けているところだが、彼の場合は空気を吐き出すだけで済んだ。
そこへ迫る侵入者の影。両手の黄金剣は天井のシャンデリアの光を受けて眩いまでに輝いている。
赤と黄金の閃光が両者の間で何重にも折り重なり、光の交錯が絶え間なく続く。夜月の長剣は侵入者の左手の黄金剣に受け止められ、夜月への攻撃には右手の黄金剣が迸る。
先程、一撃を吹き飛ばしたように右手の黄金剣の威力は凄まじく、避けきれずに受ける度、夜月の全身を砕かんばかりの衝撃が襲い掛かってくる。
「ははん、種は割れたぞ、侵入者さんよ。左手の剣は衝撃を吸収し、吸収した衝撃を右手の剣に乗せた攻撃を繰り出す。それがあんたの戦い方か。面白い武器だが、そいつじゃ子爵の鎧とは相性が良くないぜ」
夜月は頭上に横に倒した長剣で、左右の黄金剣の斬り下ろしを受け止めた姿勢から、侵入者のガラ空きの胴体へと右の前足蹴りを叩き込む。
黒いブーツの爪先が深々と突き刺さるが、赤いコートの下に着込んでいたベストに掛けられた防護魔法が威力を大幅に殺し、侵入者の体を十メートル吹き飛ばす程度に留まる。
「諦めな。子爵の鎧はあんたとあんたを送り出した連中が考える以上に強力だ。おれが邪魔をしなくても勝てなかったろうよ」
嘲りや侮りから出てきた言葉ではない。ザグフと侵入者双方と剣を交えた夜月だからこそ、両者の相性と実力の差を理解できる。その上で冷徹に判断した結果を口にしているだけなのだ。
赤い長剣の切っ先をだらんと下げたまま、夜月は一歩、一歩、ゆるりと侵入者へと迫る。
侵入者は使命の完遂と遂行の不可能を天秤に掛け、夜月の言い分が正しい事を認めたようだった。
守りの為の左手の黄金剣を残し、右手の黄金剣を腰の鞘に戻してコートの内側から手の平に収まる大きさの硝子玉を取り出す。硝子玉の中に揺らめく黄金の光と虹色の渦を見て、夜月の顔に面倒くさそうな色が浮かぶ。
「ちっ、脱出の用意も万端か」
夜月が一歩目を刻むよりも、侵入者の右手の中の硝子玉が握り潰される方がわずかに早い。
同時に硝子玉に閉じ込められていた“太陽の光”が周囲へと放射され、バンパイアの血を引く夜月の肉体は突如浴びせられた陽光に悲鳴を上げ、これには流石の夜月も歯を食い縛って耐えるしかない。
硝子玉の中の黄金の光は陽光、そして虹色の渦は特定の場所へと繋げられた空間の歪みだ。この渦に飛び込めば迷宮化した館の中からでも、一瞬で脱出できるのだ。
肉と魂の上げる悲鳴と襲い来る苦痛を無視して駆けた夜月が、右手の長剣を虹色の渦へ飲み込まれつつある侵入者へと叩きつける。優れた達人は斬撃で空間すら断つが、夜月ならば何をかいわんや。
虹色の渦が消え去った時、侵入者の姿もまたなく、長剣を振り下ろした体勢で床に降りた夜月はゆっくりと立ち上がる。
「手応えはあった。が、仕留めきれなかったか。これはどやされるかね?」
こなせと命じられた仕事を完遂できなかったのだ。嫌みの一つくらいは言われても仕方ない。夜月は長剣をどこかへと仕舞いこむと左右の鉄扉へと目を向けて、左の扉を選んで足を向ける。
あの布ミイラと黄金剣使い以外に侵入者が居る可能性はあるが、とりあえずは残してきたユハの様子を見に行こうと考えたようだ。
迷宮化した館内部の構造は夜月にとって謎のままだが、彼はダンピールの超感覚を頼りに天地左右の狂い乱れる廊下を進み、時に部屋の扉を開き、階段の上り下りを繰り返しながら進む。
程なくして見覚えのある廊下に出た。左を向けばユハにクリキンを任せた階段がある。気配がいくつかあり、他の警備兵と合流してクリキンの治療でもしているのだろう。
「加えて敵の気配もあり、か」
治療行為では決して出ないだろう激しく動き回る音と金属同士がぶつかり合う音を、夜月の耳は拾っていた。急ぎ駆け出そうと夜月が前傾姿勢になった時、やあ! というユハの気合の入った声と共に、階段から黒い甲冑が吹っ飛んできて、壁にめり込む
おや? と夜月が足を止めた直後、階段からユハがゆっくりとした動作で降りて来て、腰に巻いているリボンの端を右手に握り、一息に引き抜く。
まるで鞭のように空中で一振りされたリボンは、壁にめり込んだ甲冑を左の肩口から右腰までを一閃し、真っ二つにしてのけたではないか。
「ほう、やるもんじゃないか」
パチパチパチと拍手をしながら手並みを褒める夜月に、ユハはようやく気付いて、手の中のリボンを腰に巻きなおしながら、恥ずかしげに微笑んだ。
「はしたない所をお見せいたしました」
「いやいや、面白い物を見せて貰ったぜ。おれの世話役と監視役を務める以上、いざっていう時に不意を突いて、おれを始末できる程度の力は与えられていてもおかしくはない」
夜月の指摘を受けて、ユハはそのまま泣き出しそうなくらいに表情を曇らせたが、意を決したように見えない目で夜月を確かに見つめて、偽りのない自分の心を打ち明ける。
「そんな、いえ、それもまた私の役目の一つであるのは間違いありません。でも、ずっとお世話だけが出来ればよいと思っています」
父もなく母もなく、ザグフの命令によって作り出されたホムンクルスの少女には、他に何もない。だからこそ一途、愚かしい程に自分の存在意義にすがるしかない。
それを分かっていても夜月の顔に憐憫の色は浮かばない。ただ、ユハがそういう存在だというのを改めて認識しただけの事だ。
「それが一番平和だわな。それで、クリキンの奴は助かったか?」
「はい。あの後、回復魔法の使える方達が来てくださったので、今は医務室に運ばれています。私は遺体を回収しに来た方達と一緒にこの場に残っていたのですが、先程の甲冑さん達が襲ってきたので、迎え撃っていました」
「そうかい。お疲れさん。大層な働きぶりじゃねえか」
夜月が小さな子供を褒めるようにユハの頭をヴェール越しに撫でてやれば、実際の年齢が一日未満のユハは照れながらも嬉しそうに微笑む。
「それだけの力を与えていただきましたから」
「使い方が美味いから褒めているのさ。しかし、こっちではリビングメイル、あっちではリビングシミター。疑似生命を与えた器物が好きな連中だ。人手不足を補うには良いんだろうが」
「バンパイアの国では民も戦える者も少なくっております。追手も決して人材が足りているわけではないのでしょう」
「種族単位の傷が癒えない内に、でかい内乱を二回もやらかしているからな。バンパイアを滅ぼす好機と他の種族に考えられたりしたら、種族存亡の事態にまで追い込まれた可能性だってあったろう」
「申し訳ありません。私には分かりかねます」
しゅんと落ち込むユハの頭から手を離して、夜月は気にするなと声をかけた。彼とて考えがあって口にしたわけではない。話の流れでなんとなく、という程度の事だ。
「気にしなくていい。正直、おれ自身も種としてのバンパイアの絶滅と繁栄には興味がないんでね。さて、侵入者はあれで打ち止めか? そうなると被害状況を確認して、夜の散歩に連れてゆく面子の選定を始めているころか」
「あ、連絡用の蝙蝠です」
蝙蝠の羽音か超音波を聴きとったらしいユハが左手の方を見ると、果ての見通せない廊下の向こうから、綺麗な毛並みの蝙蝠が飛んできた。中々愛らしい顔をしていて、その足には一葉の手紙が掴まれている。
蝙蝠はユハの差し出した左手に止まると、彼女に向って足の手紙を差し出す。手紙を受け取ったユアは、左手で手紙を開き、右手で文書を撫でる。インクの凹凸と感触の違いから、彼女は文字を読む事が出来る。
「侵入者は全て館から撃退できたそうです。ただ、追手を取り逃がした事から追撃を行うようにとのお達しです」
「まあ、まっとうな命令だな。ふむ、それならおれは命令通りに動くとするか。ユハ、君はどうする? 館の中で待っているか?」
夜月はユハの答えを理解していたが、一応、自分の世話役に確認を取る。ユハは当然のように自分の胸に右手を当てながら、なぜか誇らしげに答えた。
「もちろん、御一緒いたします。影のようにどこまでお伴するのが私の役目です」
「そういうだろうとは思っていたが、まあ、外の世界を見るのも情操教育には必要か」
「情操教育……。私は淑女としてまた侍女として必要な知識と情緒を与えられております。情操教育が必要な程、子供ではないですよ」
「おれの主観じゃそうでもないって話だよ。今すぐ行けって話なんだろう? 迷宮化が解除されたらすぐに出るぜ。ところでおれはまだ出入りには目隠しが必要なのかい?」
夜月の問いかけに、ユハはまた手紙に指を滑らせて、回答となる指示がないかを入念に確認する。
「えっと……はい、まだ目隠しをするようにとの事です。追手の討伐をもって許可を与えるものとする、との事です」
「与えられた仕事の完遂からか。それなら早速行くとしようぜ。仕事はさっさと片付けるに限る」
「はい、お伴しますね!」
「元気のいい返事だ」
夜月は、子供ではないと言い張るユハが外の世界への興味を隠しきれていない様子に、年の離れた妹を見守る兄のような笑みを浮かべるのだった。
*
ジュウオの村ではカズノの隔離されている小屋へと向かった夜月が、村の自警団の一人と剣呑な雰囲気で対峙していた。
辺鄙な村とはいえバンパイアの生息圏の近くとあれば、各家庭に人数分の剣や槍位はあってもおかしくないが、目の前のカズノと同年代と思しい紫色の髪の女性は、辺鄙な村には似つかわしくない武骨な長剣と短剣を腰に携え、手足を守る革製の防具は何かしらの魔獣を素材としている。
左耳に揺れている青い石を嵌めこんだピアスは、頭部を衝撃から守る魔法の品だ。腰裏には二の腕の長さの槍が何本も括られている。
村で一番の腕利き、というにはあまりにも実戦馴れした雰囲気を発している。
夜月の顔を見ても、数秒ふらついただけで済んだが、それは彼女の精神力もあるがそれ以上に淡く緑色に輝いた右眼の力だろう。義眼、それも魔眼や視線を介しての暗示に対する防御に特化した魔道具に違いない。
昔、村を出て傭兵なり冒険者として腕を磨き、引退か何かをきっかけに村に戻ってきた、という有り触れた例だろうか。
胸部を守る鉄のプレートを縫い込んだ皮鎧の前で腕を組み、女は敵を見る目で夜月を睨む。
「悪いけど、カズノには会わせられないよ。そこらの日陰に居る分には見逃すから、そっちに移りな」
本来ならキツイ語調となるところだが、芯の抜けているようなふにゃふにゃとした語調となっているのは、夜月の美貌の衝撃がまだ精神に残っているからだろう。
夜月は立ちはだかる女性の頭のてっぺんからつま先を一度だけ見回してから、よかろう、と短く答えた。
「よかろう。それは構わんが、幼馴染か?」
「そそ、そうさ。あたしが十三の時に村を飛び出るまで、何をするのにも一緒になって行動していた仲さ。バンパイアに血を吸わせちまったけれど、今度こそカズノを守るんだ。バンパイアだか人間だかはっきりしない奴には、出来るだけ傍にいて欲しくないんだよ」
「他所者に加えてダンピールでは信用できまい」
そう言うと、夜月はあっさりと女に背を向けて来た道を戻りだす。この素直すぎる反応には、女の方は予想を外されて思わずぽかんと口を開く。
彼女の経験上、こういう時、相手は激昂するなり力を誇示しようとしてくるものなのだが、ここまで聞分けが良いとかえって気味が悪い。
「ちょ、ちょっと、ああ、いえ、うー、あたしはダマキだ。あんたは?」
「夜月」
足は止めず、それだけを答えて夜月はこの場を去った。ダマキはあまりにあっさりとした夜月の反応に、足をその場で縫い止められたように動けず、姿が見えなくなるまでその場で立ち続ける他なかった。
侵入者を迎撃する態勢へと移行した館の内部の内、青い炎を灯す蝋燭が掲げられた石造りの廊下でのことである。無造作に切りだした石を積み重ねた廊下で、つい先程までとはまるで様相を異にしている。
真っ黒い布の塊の中に少年の顔を浮かべているマサケの他に、袖なしの茶色いベストに長袖の白いシャツに袖を通し、赤いスカーフを首に巻き、頭にはくたびれたカウボーイハットを乗せている日焼けした三十がらみの男が居る。
マサケと同じく超常の異能や技を習得した凄腕だが、彼らの周囲には警備用のホムンクルスや鋼鉄製のゴーレム、豹や虎に似た魔法生物達の骸が転がっていた。
この廊下が、成人男性五人が目一杯両手を広げても余裕のある幅でなかったら、マサケ達は足の踏み場もないような状況で戦う事を強要されただろう。
対する侵入者六名はその全てが青い布を全身に巻き付けたミイラめいた姿をしており、左右の手には煌びやかな装飾の施された三日月刀を握っている。
「シィッ!」
マサケがしわがれた声を発すると同時に黒布から、彼自身の影へと何本もの短剣が投げ込まれる。石造りの床に柄までめり込む筈の短剣は、次の瞬間、勢いを殺さずに布ミイラ達の影から飛び出して、彼らの脚や腹へと下から突き刺さった。
影の中に潜むだけでなく、自分の影を介する事で他者の影へと繋げられるマサケの特異な能力ならではの必殺の投擲だ。
自分の影から襲い来る攻撃を避けられる達人が、世界にどれだけいるだろうか。影の異能抜きにしても、マサケの投擲術は命中すれば人体を四散させる砲弾めいた破壊力を持つ。
しかして短剣が深々と突き刺さった布ミイラ達は四散せず、五体を維持したままユラユラと揺れているだけだ。
効果が無いと悟り、マサケがかすかに眉を顰めるその左横で、カウボーイハット男の右手が腰のガンベルトに伸びる。ホルスターに納められていた六連発式の回転拳銃は閃光となって閃き、落雷の如き轟音を連発した。
いつの間にかカウボーイハット男の右手は回転拳銃を抜き放ち、その銃口からは紫煙がたなびいている。周囲には硝煙と火薬の臭いが立ち込め、そして何より六名の布ミイラの額にそれぞれ穴が開いているではないか。
ホルスターから回転拳銃を抜き放ち、六発の弾丸を六名の敵に撃ち込むまで、実に千分の一秒。常軌を逸した早撃ちの技だが、マサケも射撃手も敵を葬った喜びは欠片もない。
「流石は雷鳴のビエマ。尋常な相手ならこれで終わりだ」
マサケの言葉にカウボーイハット男――ビエマは、回転拳銃の輪胴から空薬莢を取り除いてガンベルトから新しい弾丸を込める作業を淀みなく行いながら答える。
「終わらんな。弾丸が向こう側へと抜けて行った。おれの銃弾もお前さんの短剣も、実体のある相手なら十分に殺せるが、こいつらのような得体のしれない相手となると決定打に欠ける」
「中身はないと考えてよさそうだな。悪霊が中に居るのかというとそうでもなし。布そのものに意思を付与しているのか?」
マサケの布の中からしゃらん、と金属の擦れる音が零れた。短剣による投擲術から戦い方を切り替えたのだろう。ビエマは銃弾を込め終えた輪胴を戻す。
布ミイラの不死身のからくりは不明だが、今は打てる手を一つずつ確かめて行くしかない。いずれにせよ地の利は二人にある。他の凄腕達や警備の兵達が駆け付ければ、こちらの手札も増えるのだから。
「簡単にくたばるなよ。おれの手間が増える」
黒布の中で目当ての武器を選び終えたマサケがこう声をかければ、ビエマは心底嫌そうな顔を浮かべる。攻撃の通じぬ敵を前にずいぶんな余裕だ。
「へ、もう少しあったけえ言葉を言えねえのか、てめえは」
「遠回しに死ぬなと励ましていると受け取れんのか、若造」
「人間、素直なのが一番なんだぜ、若造りのじいさんよ」
二人の会話はここで切り上げられた。風になびくように揺れていた布ミイラ達が動きを一転させ、二人を目掛けて高速で駆け出したからだ。
「操り主がこの中にいれば話は簡単なのだがなっ」
再び自分の影から布ミイラの影を通じ、放たれる何本もの短剣。操り主の怠慢か、それとも無駄だという自信からか、先程の光景を再演するように布ミイラ達に今度は赤い短剣が突き刺さる。
それは刀身に発火の魔法を封じ込めた魔法の武具だった。通常の武具と違って一本あたりの費用が高く、魔法は一度使用すると再度充填する必要がある為、手間がかかる事からマサケとしては乱用を控えたい品である。
狙い通り脇腹や太ももに突き刺さった短剣から紅蓮の炎が生じ、瞬く間に火ダルマとなる布ミイラ達を、マサケはじっと眺めていたが、ふとビエマが何もしていない事に気付くとじろりと胡乱な瞳で睨む。
「怖い目で睨むなって。おれもあんたと同じ炎か爆裂の魔法を込めた銃弾をぶち込もうと思っていてよ。あんたの短剣で効果があるのなら、おれもそれに倣う。駄目なら別の手を考えようって、合理的な考えに則ったまでよ」
「自分は楽をして美味しいところだけを持っていきたいだけだろうが。……ち、火ではだめらしいぞ」
人型の燃え盛る炎は足を止めずに、マサケとビエマを目指して走り続けている。確かに布は燃えている筈なのだが、燃えるのとほとんど同時に元通りに再生しているのだ。まるでバンパイアのような不死身ぶりを見せる布ミイラに、マサケは大きな舌打ちをした。
「それならこいつでどうだい?」
ビエマの腕が霞む程の速さで動き、二つ名に相応しい連続する銃撃の音が楽曲の如く奏でられる。
広大な廊下の中で木霊する銃声は六つ。脳天を狙った通常の弾丸はそのまま貫通してしまったが、今度は着弾と同時に炎と衝撃を撒き散らす爆裂魔法を込めた炸裂弾だ。
今度の狙いは布ミイラ達の心臓。一体につき一発ずつ撃ち込まれた炸裂弾は、全て正常に機能して布ミイラ達の上半身を内側から細々とした破片へと粉砕してのける。
千切れた布に炎が絡みつき、廊下のあちこちにバラバラと舞い落ちる様をマサケとビエマは油断せずに観察する。この間にビエマは銃弾を装填していない。場合によっては込める弾丸を選び直さなければならないからだ。
「ビエマ、撃ち込んだのは全て炸裂弾だな?」
「ああ。風やら雷やら、別々の属性の弾丸を撃ち込んだ方が良かったな」
二人が呆れを交えながらこう会話したのは、燃えながら千切れた筈の布の破片が見えない手で集められ、見えない糸で縫合されるように見る間に元の形を取り戻してゆくのを見せつけられたからに他ならない。
燃やしても駄目、バラバラに吹き飛ばしても駄目、となるとビエマの口にした通り有効な属性か攻撃手段を見出す為に、一つ一つ確かめるしかあるまい。
だがそれを易々と許す程、この侵入者達は優しい相手ではない。今度は自分達がお前達をバラバラにする番だと言わんばかりに、布ミイラ達は再生完了直後から猛然と駆け出す。
廊下に転がる骸を舞うように避け、見る間にマサケ達と距離を詰めた布ミイラ達は、両手の三日月刀で蝋燭の光を斬り散らしながら振るう。
「ちい、流石にやられてばかりいちゃくれねえか」
新たな銃弾を叩き込むにもどんな弾を? と判断のつかぬビエマは、三日月刀の巻き起こす風に頬を撫でられながら、右に左にと布ミイラに負けず劣らずの柔らかな動きで避け続けるしかない。
ビエマがそう余裕のない表情で三体の布ミイラの繰り出す殺人剣舞に捕われる中、マサケは影に潜み、影を渡る特異な技を持つ上に敏捷な身のこなしを武器としている分、布ミイラ達に息つく間もなく襲われても焦燥の色はない。
「おらぁ!」
ビエマは薄皮一枚を切り裂かれながらも銃弾の装填を終え、連続した雷鳴の如き銃声と共に三発の銃弾を叩き込む。
一体の布ミイラは下腹部に命中した銃弾を中心に発生した風の刃によって切り刻まれ、二体目の布ミイラは左胸の内側から四方へと伸びた杭の如き氷に上半身を貫かれる。
だが、どちらも炎に包まれた時と同様に再生してゆくではないか。
「風、効果なし、氷結も駄目かい。しかし、雷は効いたか!」
唯一、状況の変化を見出せる可能性は、雷の弾丸を撃ち込まれた布ミイラが全身から煙を上げながら痙攣し、廊下に倒れ伏している姿だった。
足止め代わりに残る三発の弾丸を再生した二体に撃ち込み、輪胴を回して空薬莢を空中に放り出し、ガンベルトに詰めてある銃弾を新たに詰め直す。これらの作業を全てコンマ一秒以下で終えた。
「おい、マサケ、雷でいけ、雷で!」
「ううむ、布に火が通じず雷が通じる道理は何だ?」
「んなこたぁ、倒した後で検証しろい。今はとりあえず倒さにゃ話が進まんぜ」
ビエマに雷撃の魔法が込められた銃弾を撃ち込まれた布ミイラは、まだ廊下の上で痙攣を繰り返している。再び立ち上がってくる可能性はあるが、戦闘不能状態に持ち込めるだけマシだろう。
弱点さえ分かれば戦いようはある。マサケがまた黒布の内側でゴソゴソとなにやら物の出し入れを繰り返している。あの黒布の中がどうなっているのかは、ビエマを含む同僚達でも知っている者はいない。
全て雷の魔力を付与した銃弾六発で揃えたビエマが、廊下の上で痙攣する布ミイラに照準を合わせる。動かぬ布ミイラに弾丸を叩き込むなど、目を瞑っていても出来る。
仮に雷の力を持ってしても倒せなくても、後続の応援部隊と連携して取り押さえ、封印してしまえばいい。
「倒せないなら拘束して封じ込めるのが、不死身相手の……っ!?」
ビエマに油断があったわけではない。慢心も、まあ、なかったろう。にも関わらず、最初に雷の銃弾を受けた布ミイラが痙攣から回復し、白煙をたなびかせながら斬りかかってくるのを許してしまったのは、強いて言えば間が悪かったと言う他ない。
間に合うか? とビエマは己に問い、間に合う、と答えた。ただし、振り下ろされた三日月刀は回避できまい。右の頸部と左の肩口から胸にかけてを斬られるだろう、とも。
ビエマの指が銃爪を引ききる直前、斬りかかってきた布ミイラが『背後から』撃ち抜かれ、ビエマの体は自分へと向かってくる銃弾へと照準を合わせていた。
一度だけ鳴り響く銃声とビエマと布ミイラの中間地点で一瞬だけ咲いた火花は、ビエマが自分を目掛けて迫る銃弾を、同じく銃弾で持って撃ち落としたという超絶の離れ業を成し遂げた証左だ。
想定外の事態は更に続いた。ビエマの目の前で布ミイラの頭頂から股間にかけて、一筋の閃光が走り、人型の布を左右に切り分ける。その向こう側から現れたモノを見て、ビエマは思わず我を忘れて息を飲んだ。
「おれを狙ったんじゃなく、流れ弾だったようだからな。今ので勘弁しておく」
真っ赤な長剣を振り下ろした姿勢の夜月が、そこにはいた。
しかも冷笑を浮かべている彼の言葉を信じるのならば、先程の弾丸はビエマが口にした“向こう側へと抜けて行った”銃弾を、夜月がその長剣で弾き返したものだったという事になる。
長剣で銃弾を弾き返す夜月も、それをまた新たな銃弾で撃ち落とすビエマも、常軌を逸した使い手と言うしかない。
「しかし、迷宮化している上に空間を伸縮したり、曲げたりと面倒な造りになっているな。
さっきの銃弾もいきなりおれの目の前に現れやがったぜ。お陰でここに辿りつく目印になったから、怪我の功名かもしれんが。それと、斬ってみて分かったが、布を相手にするのはやめな。本命はこっちさ」
二つに断たれた布ミイラの切断面が自ら絡み合い、再生しようとしている中、夜月は長剣の切っ先を布ミイラの握る三日月刀の根元に突き込み、呆気なく折ってみせた。
するとそれまでの不死身ぶりはどこへやら、再生中の布はその機能を停止して廊下の上でピクリともしなくなったではないか。
その様子を見て、雷の魔力を込めた短剣で切り結んでいたマサケは、合点がいった様子でこう口にした。
「なるほどな。雷が効いたのは、三日月刀も感電していたからか。そもそも狙うべき敵を間違えていたとは、いやはや、顔から火が出そうだ」
マサケがこう語る間にも夜月の長剣は空間を切り裂くのではと思える鋭さと冴えを見せ、ビエマが足止めをしていた残り二体の布ミイラの三日月刀合計四振りを真っ二つに切り裂き、呆気なく無力化している。
四体目に取りかかろうと夜月が視線を巡らせると、その背後でビエマの右手が稲妻の如き閃きを見せて、怒涛の四連射で二振りの三日月刀の腹に二発ずつ弾丸を撃ち込み、こちらもまた粉砕してのける。
「助言をありがとうよ、噂の新人君。後で酒でも奢るぜ」
銃口から立ち昇る煙に息を吹きかけ、陽気にウィンクするビエマに夜月は肩をすくめて答えとした。
「手品は種が割れればどうということもない、と相場が決まっている」
天井に蝙蝠のように逆さに着地したマサケの影を通じて、布ミイラの影から勢いよく鎖が飛び出して、一体の布ミイラを何重にも取り巻いて拘束し、そのまま天井のマサケへと引き寄せられる。
布ミイラの中身がなく軽量である事を考慮しても、抵抗を許さないのはマサケが意外な豪力の主だからだろう。
「キィエエア!」
甲高い叫びと共にマサケの右手が、引き寄せた布ミイラの三日月刀に振るわれる。彼の右手には鳥の嘴を思わせるウォーピックが握られていた。鈍い銀色のピックが三日月刀の腹を貫き、手早く二本目も同じ処理を施す。
鎖の中で脱力し、ただの布へと戻った物を放り投げてマサケは最後の一体へ視線を寄せる。五体の仲間が倒された動揺や不安等は発しておらず、どうやら六体目の中に術者が居る、というわけでもないようだ。
三方を夜月達に囲まれた布ミイラは、次の行動に移るまで一瞬の停滞が生まれたが、ビエマが銃弾を撃ち込み、夜月が三日月刀を斬り砕くのには十分すぎる隙であった。
足元に崩れ落ちた布の山と砕けた三日月刀を睨み、マサケは苦々しく口を開く。
「自律型か。あちこちにばら撒いた陽動……。本命の狙いはご当主以外にあるまいな」
「普通の警備兵にはちょいと荷が重いな。追手だとして昼間から仕掛けてくるとなれば、バンパイアではあるまい。力と技を与えられた他の人類種か、それとも……」
夜月は自分にちらりと視線を寄越してきたビエマに、意地の悪そうな笑みを浮かべて答えた。
「おれみたいなダンピールかい? ま、昼も動ける分、バンパイアハントにはダンピールが最適ってのは、どこも同じ話らしいからな。子爵は昼間も鎧を介して行動できるらしいが、あまり続けて行うのは健康によろしくないんだろう?
昼間は寝る。どんな体質の持ち主にしろ、バンパイアである以上はそれが大原則だからな。それに反してはどんどん負債が心身に積もる事になる。さて、この場の敵は片付いたんだ。おれは本命の侵入者を追うぜ」
そういうや夜月がマサケとビエマの守っていた方角へとスタスタ歩き出すものだから、ビエマは咄嗟に制止の声をかけた。
「おいおい、だからといって居場所が分かるのかい。同僚には魔法使いや占い師もいる。そいつらか警備の連中が侵入者の居場所を突き止めるまで、ここでじっとしていたらどうだ。あんたも言っただろう。
この館の中は空間の繋がりがぐちゃぐちゃになっている。下手をしたら魔獣の厩舎の中か、落とし穴の途中に出るかもしれんぞ」
新入りへの本気の忠告が半分、もう半分は信用しきれない新入りを目の届く範囲に拘束しておきたい、というのが残り半分だろう。その心情を表すようにビエマの右手の回転拳銃は夜月の背中へ向けられている。
「ご親切にありがとうよ。だが道ならざっと分かるさ」
夜月はビエマの回転拳銃に気付いているだろうに振り返りもせず、左手側の壁に近づいてそっと手を触れる。
白い指先が壁に触れるとそこから波紋のようなものが壁から床、天井へと広がったと見えるや、壁は消え去って地下へと続く階段が出現する。
「目隠しまでしているとは、手が込んでいるな。ただおれの目を誤魔化せるほどじゃない。
これで迷子の心配はいらないだろう? それじゃ先輩方、おれは先に行くぜ。おれに続くか増援と合流してから動くのかは、好きにするといい」
マサケとビエマが止める間もなく夜月は階段を駆け下り、あっというまにその姿が見えなくなる。残された二人は好き勝手に動き回る新入りを見送るばかりで、動きだす素振りを見せない。
「おい、ビエマ。背中に一発撃ち込むつもりだったんじゃないのか?」
「そのつもりさ。だが、あいつの剣はおれの抜き撃ちよりも速い。おまけに銃弾よりもだ。
あの間合いで撃ち込んだとしてもあっさり避けられて、おれの首が落ちるだけだ。お前が連れて来たと聞いたが、とんでもない使い手を招き入れたもんだ。ダンピールにしてもちと強すぎだろ」
「敵対されるよりはましと懐柔の手を選んだのだ。ご当主の交渉で奴もこちら側につくのを許容している。本心は分からんがな」
「隙を見てザグフ様の心臓に杭を打ち込む気かもしれん、というわけだな。おれ達がそう疑っているのも承知しているな、あれは。行かせるしかなかったが、行かせてよかったものかどうか。おれの銃とお前の影でさて仕留められたか?」
「さてな。だが、おれ達も侵入者を追えば奴とまたかち合うだろう。奴は直に追いかけて行ったが、おれ達は館の監視魔法の記録を頼りに追うとしよう。奴も手錬だが侵入者の方も昼間からここまで侵入するとは、過去に類を見ない手錬だ。気を引き締めろよ」
「じいさんにそこまで言われんでも油断出来る相手じゃねえよ」
だよな、とマサケは溜息を零すしかなかった。
*
「ほぉう、随分な暴れぶりだな」
階段を降り切った夜月が居たのは、大きな広間だった。三方へと繋がる廊下を黒い鉄の扉が塞いでいる。
そして床にも天井にも壁にも、無数の傷跡が刻まれており、床に先程の布ミイラ達の残骸が何体分も転がっており、正面の鉄扉にはあの紫色の鎧――ザグフが立っている。
ザグフの前には血で染めたように赤いコートと鍔の広い帽子を被った女が両手に黄金の剣を持ち、向かい合っていた。こちらが侵入者の本命なのだろう。
周囲に刻まれた傷は両者の戦いの余波なのだ。女性にしては長身の侵入者は、背中越しにも夜月の出現を感じ取ったようで、かすかに身じろぎをする。
夜月の刃でも断てぬ鎧を操るザグフだけでも強敵だろうに、夜月に背を取られては必死の運命に陥ったと言う他ない。
「迷宮を突破してここにたどり着いたか。やはり並ではない」
「雇用主に褒められたら悪い気はしないね。で、そちらの侵入者殿は名乗り位したのかい?」
「汚れ仕事をこなす下賤者は、そのような殊勝な真似をせんよ。私が姿を見せるや有無を言わさず斬りかかってきおったわ。まったく、礼儀というものを知らん。これでは骸を丁重に扱おうという気も失せる」
夜月の姿を見て下賤な殺し屋の始末は任せる、とザグフは考えたらしく、明らかに闘志を失くした様子でくるりと背を向け、鉄扉に手を掛けてその向こうへ去ろうとする。
「まずは一つ仕事をこなしてみせよ。そ奴はジークライナスの姫君が私のようなものを討つ為に放った追手だ。私を討つ目的を持つ以上は、それなりにやるぞ」
ギイィと軋む音を立てて鉄扉が閉まる中、侵入者はザグフを追うべく駆け出すが、雇用主に仕事を命じられた夜月もまた動きだしている。敵とあれば背中から斬りかかるのを躊躇う青年ではない。
石造りの床に足跡が出来る程の踏み込みで爆発的な跳躍力を生みだし、こちらに背を向ける侵入者の背に赤い長剣が形を持った死となって振り下ろされる。
侵入者は赤い旋風と化して回転し、振り下ろされる長剣を両手の黄金剣を交差させて受け止めた。夜月は愛剣を受け止められた瞬間、まるで力を全て吸い取られるような奇妙な感覚に、わずかに眉を顰めた。
「子爵狩り用の特注品か?」
にいっと笑う夜月に答えず、侵入者は思い切り交差させた黄金剣を押し出し、夜月の身体を大きく弾き飛ばす。着地する夜月へと向けられる侵入者の瞳は、一瞬だけ揺らぎ、すぐに闘志の炎と淡々と仕事をこなす冷徹さの同居したものに戻る。
首に掛る長さの黄金の髪に切れ長の黄金の瞳、すっと流れるような線を描く鼻梁と艶めく唇を持った美女だが、全身に纏う気配は触れれば斬れる刃の如しだ。
夜月とそう変わらぬ背丈の侵入者は、夜月の感覚を信じるならばバンパイアではない。だが、同時にバンパイアだとも感じている。同じダンピールだというのでもない。まったく奇妙な話だ。
「今日、雇われたばかりの新人だが仕事は出来るつもりなんでね。相手をしてもらうぜ、侵入者さん」
侵入者の返答は夜月の左頸部に放たれた右手の黄金剣だ。赤い長剣は余裕を持ってこれを迎え撃ったが、あろうことか夜月の体は長剣ごと吹き飛ばされて、大広間の壁へと叩きつけられて、大広間全体が揺れる程の衝撃が走る。
夜月が肺の中の空気を全て吐き出し、顔をしかめながら着地する。常人なら全身の骨が砕けているところだが、彼の場合は空気を吐き出すだけで済んだ。
そこへ迫る侵入者の影。両手の黄金剣は天井のシャンデリアの光を受けて眩いまでに輝いている。
赤と黄金の閃光が両者の間で何重にも折り重なり、光の交錯が絶え間なく続く。夜月の長剣は侵入者の左手の黄金剣に受け止められ、夜月への攻撃には右手の黄金剣が迸る。
先程、一撃を吹き飛ばしたように右手の黄金剣の威力は凄まじく、避けきれずに受ける度、夜月の全身を砕かんばかりの衝撃が襲い掛かってくる。
「ははん、種は割れたぞ、侵入者さんよ。左手の剣は衝撃を吸収し、吸収した衝撃を右手の剣に乗せた攻撃を繰り出す。それがあんたの戦い方か。面白い武器だが、そいつじゃ子爵の鎧とは相性が良くないぜ」
夜月は頭上に横に倒した長剣で、左右の黄金剣の斬り下ろしを受け止めた姿勢から、侵入者のガラ空きの胴体へと右の前足蹴りを叩き込む。
黒いブーツの爪先が深々と突き刺さるが、赤いコートの下に着込んでいたベストに掛けられた防護魔法が威力を大幅に殺し、侵入者の体を十メートル吹き飛ばす程度に留まる。
「諦めな。子爵の鎧はあんたとあんたを送り出した連中が考える以上に強力だ。おれが邪魔をしなくても勝てなかったろうよ」
嘲りや侮りから出てきた言葉ではない。ザグフと侵入者双方と剣を交えた夜月だからこそ、両者の相性と実力の差を理解できる。その上で冷徹に判断した結果を口にしているだけなのだ。
赤い長剣の切っ先をだらんと下げたまま、夜月は一歩、一歩、ゆるりと侵入者へと迫る。
侵入者は使命の完遂と遂行の不可能を天秤に掛け、夜月の言い分が正しい事を認めたようだった。
守りの為の左手の黄金剣を残し、右手の黄金剣を腰の鞘に戻してコートの内側から手の平に収まる大きさの硝子玉を取り出す。硝子玉の中に揺らめく黄金の光と虹色の渦を見て、夜月の顔に面倒くさそうな色が浮かぶ。
「ちっ、脱出の用意も万端か」
夜月が一歩目を刻むよりも、侵入者の右手の中の硝子玉が握り潰される方がわずかに早い。
同時に硝子玉に閉じ込められていた“太陽の光”が周囲へと放射され、バンパイアの血を引く夜月の肉体は突如浴びせられた陽光に悲鳴を上げ、これには流石の夜月も歯を食い縛って耐えるしかない。
硝子玉の中の黄金の光は陽光、そして虹色の渦は特定の場所へと繋げられた空間の歪みだ。この渦に飛び込めば迷宮化した館の中からでも、一瞬で脱出できるのだ。
肉と魂の上げる悲鳴と襲い来る苦痛を無視して駆けた夜月が、右手の長剣を虹色の渦へ飲み込まれつつある侵入者へと叩きつける。優れた達人は斬撃で空間すら断つが、夜月ならば何をかいわんや。
虹色の渦が消え去った時、侵入者の姿もまたなく、長剣を振り下ろした体勢で床に降りた夜月はゆっくりと立ち上がる。
「手応えはあった。が、仕留めきれなかったか。これはどやされるかね?」
こなせと命じられた仕事を完遂できなかったのだ。嫌みの一つくらいは言われても仕方ない。夜月は長剣をどこかへと仕舞いこむと左右の鉄扉へと目を向けて、左の扉を選んで足を向ける。
あの布ミイラと黄金剣使い以外に侵入者が居る可能性はあるが、とりあえずは残してきたユハの様子を見に行こうと考えたようだ。
迷宮化した館内部の構造は夜月にとって謎のままだが、彼はダンピールの超感覚を頼りに天地左右の狂い乱れる廊下を進み、時に部屋の扉を開き、階段の上り下りを繰り返しながら進む。
程なくして見覚えのある廊下に出た。左を向けばユハにクリキンを任せた階段がある。気配がいくつかあり、他の警備兵と合流してクリキンの治療でもしているのだろう。
「加えて敵の気配もあり、か」
治療行為では決して出ないだろう激しく動き回る音と金属同士がぶつかり合う音を、夜月の耳は拾っていた。急ぎ駆け出そうと夜月が前傾姿勢になった時、やあ! というユハの気合の入った声と共に、階段から黒い甲冑が吹っ飛んできて、壁にめり込む
おや? と夜月が足を止めた直後、階段からユハがゆっくりとした動作で降りて来て、腰に巻いているリボンの端を右手に握り、一息に引き抜く。
まるで鞭のように空中で一振りされたリボンは、壁にめり込んだ甲冑を左の肩口から右腰までを一閃し、真っ二つにしてのけたではないか。
「ほう、やるもんじゃないか」
パチパチパチと拍手をしながら手並みを褒める夜月に、ユハはようやく気付いて、手の中のリボンを腰に巻きなおしながら、恥ずかしげに微笑んだ。
「はしたない所をお見せいたしました」
「いやいや、面白い物を見せて貰ったぜ。おれの世話役と監視役を務める以上、いざっていう時に不意を突いて、おれを始末できる程度の力は与えられていてもおかしくはない」
夜月の指摘を受けて、ユハはそのまま泣き出しそうなくらいに表情を曇らせたが、意を決したように見えない目で夜月を確かに見つめて、偽りのない自分の心を打ち明ける。
「そんな、いえ、それもまた私の役目の一つであるのは間違いありません。でも、ずっとお世話だけが出来ればよいと思っています」
父もなく母もなく、ザグフの命令によって作り出されたホムンクルスの少女には、他に何もない。だからこそ一途、愚かしい程に自分の存在意義にすがるしかない。
それを分かっていても夜月の顔に憐憫の色は浮かばない。ただ、ユハがそういう存在だというのを改めて認識しただけの事だ。
「それが一番平和だわな。それで、クリキンの奴は助かったか?」
「はい。あの後、回復魔法の使える方達が来てくださったので、今は医務室に運ばれています。私は遺体を回収しに来た方達と一緒にこの場に残っていたのですが、先程の甲冑さん達が襲ってきたので、迎え撃っていました」
「そうかい。お疲れさん。大層な働きぶりじゃねえか」
夜月が小さな子供を褒めるようにユハの頭をヴェール越しに撫でてやれば、実際の年齢が一日未満のユハは照れながらも嬉しそうに微笑む。
「それだけの力を与えていただきましたから」
「使い方が美味いから褒めているのさ。しかし、こっちではリビングメイル、あっちではリビングシミター。疑似生命を与えた器物が好きな連中だ。人手不足を補うには良いんだろうが」
「バンパイアの国では民も戦える者も少なくっております。追手も決して人材が足りているわけではないのでしょう」
「種族単位の傷が癒えない内に、でかい内乱を二回もやらかしているからな。バンパイアを滅ぼす好機と他の種族に考えられたりしたら、種族存亡の事態にまで追い込まれた可能性だってあったろう」
「申し訳ありません。私には分かりかねます」
しゅんと落ち込むユハの頭から手を離して、夜月は気にするなと声をかけた。彼とて考えがあって口にしたわけではない。話の流れでなんとなく、という程度の事だ。
「気にしなくていい。正直、おれ自身も種としてのバンパイアの絶滅と繁栄には興味がないんでね。さて、侵入者はあれで打ち止めか? そうなると被害状況を確認して、夜の散歩に連れてゆく面子の選定を始めているころか」
「あ、連絡用の蝙蝠です」
蝙蝠の羽音か超音波を聴きとったらしいユハが左手の方を見ると、果ての見通せない廊下の向こうから、綺麗な毛並みの蝙蝠が飛んできた。中々愛らしい顔をしていて、その足には一葉の手紙が掴まれている。
蝙蝠はユハの差し出した左手に止まると、彼女に向って足の手紙を差し出す。手紙を受け取ったユアは、左手で手紙を開き、右手で文書を撫でる。インクの凹凸と感触の違いから、彼女は文字を読む事が出来る。
「侵入者は全て館から撃退できたそうです。ただ、追手を取り逃がした事から追撃を行うようにとのお達しです」
「まあ、まっとうな命令だな。ふむ、それならおれは命令通りに動くとするか。ユハ、君はどうする? 館の中で待っているか?」
夜月はユハの答えを理解していたが、一応、自分の世話役に確認を取る。ユハは当然のように自分の胸に右手を当てながら、なぜか誇らしげに答えた。
「もちろん、御一緒いたします。影のようにどこまでお伴するのが私の役目です」
「そういうだろうとは思っていたが、まあ、外の世界を見るのも情操教育には必要か」
「情操教育……。私は淑女としてまた侍女として必要な知識と情緒を与えられております。情操教育が必要な程、子供ではないですよ」
「おれの主観じゃそうでもないって話だよ。今すぐ行けって話なんだろう? 迷宮化が解除されたらすぐに出るぜ。ところでおれはまだ出入りには目隠しが必要なのかい?」
夜月の問いかけに、ユハはまた手紙に指を滑らせて、回答となる指示がないかを入念に確認する。
「えっと……はい、まだ目隠しをするようにとの事です。追手の討伐をもって許可を与えるものとする、との事です」
「与えられた仕事の完遂からか。それなら早速行くとしようぜ。仕事はさっさと片付けるに限る」
「はい、お伴しますね!」
「元気のいい返事だ」
夜月は、子供ではないと言い張るユハが外の世界への興味を隠しきれていない様子に、年の離れた妹を見守る兄のような笑みを浮かべるのだった。
*
ジュウオの村ではカズノの隔離されている小屋へと向かった夜月が、村の自警団の一人と剣呑な雰囲気で対峙していた。
辺鄙な村とはいえバンパイアの生息圏の近くとあれば、各家庭に人数分の剣や槍位はあってもおかしくないが、目の前のカズノと同年代と思しい紫色の髪の女性は、辺鄙な村には似つかわしくない武骨な長剣と短剣を腰に携え、手足を守る革製の防具は何かしらの魔獣を素材としている。
左耳に揺れている青い石を嵌めこんだピアスは、頭部を衝撃から守る魔法の品だ。腰裏には二の腕の長さの槍が何本も括られている。
村で一番の腕利き、というにはあまりにも実戦馴れした雰囲気を発している。
夜月の顔を見ても、数秒ふらついただけで済んだが、それは彼女の精神力もあるがそれ以上に淡く緑色に輝いた右眼の力だろう。義眼、それも魔眼や視線を介しての暗示に対する防御に特化した魔道具に違いない。
昔、村を出て傭兵なり冒険者として腕を磨き、引退か何かをきっかけに村に戻ってきた、という有り触れた例だろうか。
胸部を守る鉄のプレートを縫い込んだ皮鎧の前で腕を組み、女は敵を見る目で夜月を睨む。
「悪いけど、カズノには会わせられないよ。そこらの日陰に居る分には見逃すから、そっちに移りな」
本来ならキツイ語調となるところだが、芯の抜けているようなふにゃふにゃとした語調となっているのは、夜月の美貌の衝撃がまだ精神に残っているからだろう。
夜月は立ちはだかる女性の頭のてっぺんからつま先を一度だけ見回してから、よかろう、と短く答えた。
「よかろう。それは構わんが、幼馴染か?」
「そそ、そうさ。あたしが十三の時に村を飛び出るまで、何をするのにも一緒になって行動していた仲さ。バンパイアに血を吸わせちまったけれど、今度こそカズノを守るんだ。バンパイアだか人間だかはっきりしない奴には、出来るだけ傍にいて欲しくないんだよ」
「他所者に加えてダンピールでは信用できまい」
そう言うと、夜月はあっさりと女に背を向けて来た道を戻りだす。この素直すぎる反応には、女の方は予想を外されて思わずぽかんと口を開く。
彼女の経験上、こういう時、相手は激昂するなり力を誇示しようとしてくるものなのだが、ここまで聞分けが良いとかえって気味が悪い。
「ちょ、ちょっと、ああ、いえ、うー、あたしはダマキだ。あんたは?」
「夜月」
足は止めず、それだけを答えて夜月はこの場を去った。ダマキはあまりにあっさりとした夜月の反応に、足をその場で縫い止められたように動けず、姿が見えなくなるまでその場で立ち続ける他なかった。
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