さようなら竜生、こんにちは人生

永島ひろあき

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13巻

13-3

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 女官達が時折向けてくる至高の芸術品を見るような視線は無視し、クリスティーナは思考をこの場には居ない使い魔のニクスへと切り替える。
 クリスティーナはこの場に不死鳥の幼鳥であるニクスを連れて来ようとしたのだが、当のニクスはこれを拒んで、今も王都の空を悠々ゆうゆうと飛んでいる。

(あいつめ、死ぬまでに一回は焼き鳥にして食べてやる)

 クリスティーナの胸の中には、家族同然に思っている相手からの仕打ちに対する暗い情念の炎が燃えていたが、他人ひとの事は言えない。彼女とて、不死鳥であるニクスを連れていけば、その珍しさから話題の矛先がニクスに向かうだろうという打算があったのだから。
 そんな胸の内を見透かしたから、ニクスは王城へ同道しなかったのである。
 長い時間を共に過ごした家族だけあって、互いの考えが手に取るように分かり、その対応に遠慮がない。
 クリスティーナがニクスへのうらぶしを心中で漏らしている間にも、女官達は足を止めずに廊下ろうかを進み、幾度いくどか角を曲がってから昇降機を使って王城の中程まで昇る。
 テラスというよりも広大な空中庭園とでも呼ぶべき場所が、フラウが主催するお茶会の会場であった。
 女官は首を直角に曲げて見上げなければならないくらいに高いとびらの前で足を止め、クリスティーナだけに進むように促す。
 そこでようやく、彼女もニクスの事からお茶会へと意識が戻った。
 完全武装した衛兵が開いてくれた扉を抜け、緑の芝生しばふの絨毯と豊かな色彩の花々に彩られた庭園の中に敷かれた赤煉瓦あかれんがの道を進んでいく。
 青や赤、むらさきこんといった花びらが舞い、花々の香りが複雑に絡み合った微風そよかぜと共にクリスティーナの頬を撫でていく。
 はとの血色をした宝石を思わせるクリスティーナのひとみに、ほどなくして招待主の姿が映り込む。
 赤い屋根と白い柱の組み合わせの東屋あずまやの下で、温室で大事に育てられた花のようにフラウが椅子いすに腰掛けている。
 平服に二振りの小剣を帯びた専任騎士ラディアの姿が傍らにある他には侍女達しかいないのが気にはなったが、雲の上の相手であるフラウの実物を前にするに至り、クリスティーナは心の中から〝嫌々〟や〝渋々しぶしぶ〟といった単語を全力で排除はいじょした。
 屋敷を出る前に父から注意された通り、不敬となる言動はひかえなければならない――そのくらいの事はクリスティーナだって考える。
 クリスティーナに気付いた侍女達が一斉に優雅な礼をして、どこかウキウキとしている様子のフラウへ声を掛けた。
 すると王女はぱっと顔を上げて、クリスティーナを見る。
 期待と憧憬どうけいの輝きに満ち溢れたその顔を目にして、クリスティーナは軽く腰が引けた。魔法学院ですっかり慣れたたぐいのものだが、王女に向けられるとなると、心臓に悪い。

「王女殿下、クリスティーナ・マキシウス・アルマディアにございます。本日はこのような場にお招きいただき、光栄の至り」

 あまり身を入れて学んでこなかった作法の授業の内容を全力で思い出し、クリスティーナは、表面上は完璧としか言えない所作しょさで――内心ではかなりびくつきながら――招待された事へのお礼の言葉を口にする。
 りんと引き締まった表情ときびきびとした仕草で挨拶あいさつを口にするクリスティーナに、フラウばかりかラディアやお付きの侍女達までもが、ほうっと恍惚こうこつの溜息を零す。

「はあ……あ、いえ、クリスティーナ、私の方こそ足を運んでもらってとても嬉しいです。競魔祭が終わったばかりで、まだ疲れが残っていてもおかしくはありませんのに、無理をさせてしまいました」
「いえ、そのような事はございません。それに王女殿下からのお招きとあれば、万難ばんなんはいして参上つかまつるのが臣下しんかの務め」

 我ながらよくもまあ、ペラペラと出てくるものだ――と、クリスティーナは心底自分にあきれていた。
 幼少期の経験から、彼女が王国に捧げる忠誠はそう厚いものではなかった。
〝臣下の務め〟と聞いたフラウが少しばかり残念そうな顔を見せた事が、クリスティーナに〝おや?〟と思わせたが、彼女はそれを追及しない。
 下手へたに口を開けば、幼少期のほとんどを母と二人で過ごした〝貴族もどき〟にすぎないクリスティーナから襤褸ぼろが出るのは確実であった。

「臣下の務めですか。貴女の忠誠に、王家の一員としてお礼を申し上げます」
「私などには勿体もったいないお言葉」

 深々と一礼しながらも、〝すみません、本当はあまり忠誠心を持っていません〟と、心の中で謝罪するクリスティーナであった。
 正直を超えた馬鹿ばか正直な気質のクリスティーナも、流石にそれを口には出さなかった。
 目の前の少女からは教養と気品を感じるし、心根の優しさも見て取れる。あまり落胆らくたんさせたり悲しませたりはしたくないと思ったのだ。
 街に出て偽名を名乗っている兄とはまた違った人誑しの才能が、この妹にも備わっているらしい。

「堅苦しい挨拶はここまでにいたしましょう。今日は親睦しんぼくを深める為のお茶会なのですから。さ、クリスティーナ、そちらへお掛けになって」

 フラウの向かいの椅子が侍女の手によって引かれ、クリスティーナはそこへ腰を下ろす。
 椅子を引いたのとは別の侍女が、よどみない動作で琥珀こはく色の紅茶を用意し、ブランデーを一滴垂らしてから差し出す。
 反射的にお礼を言いそうになるのを、クリスティーナはこらえなければならなかった。
 高貴な身分の者は、この程度の事で礼の言葉など口にしないものである。
 自覚こそ薄いが、今のクリスティーナはまさしく、その高貴な身分の者なのだ。
 お茶をれてもらっても、それにお礼一つ言えない社会とは、まったくおかしなものだ……というのがクリスティーナの本音ほんねだ。
 それが侍女達の仕事であり、この社会における常識とは理解しているが、彼女にとっては気分の良いものではなかった。

「恐れながら殿下、他の招待客の姿が見えませんが、私は時間を間違えましたでしょうか? それとも、何か事情がおありなのでしょうか?」

 クリスティーナが改めて気になっていた事を尋ねると、フラウは茶目ちゃめっ気を覗かせて微笑んだ。

「ごめんなさい、貴女と二人でお話をしたくって、貴女にだけ早めに来ていただきました。他に招いた方の姿がないのは、私の我儘わがままなのです」

 どうやら時間を間違えたわけではなかったらしい。
 クリスティーナはほっと安堵あんどしながら、父がフラウを聡明そうめいだが年相応な面もあると評していたのを思い出した。
 クリスティーナ以外誰も呼んでいないというわけではないからまだいいが、暫くはフラウと二人で話す必要がある。
 その間は、襤褸が出るかもしれない緊張と戦わなければならない羽目はめおちいってしまったわけだ。
 この場にはクリスティーナとフラウ以外にもラディアや侍女達が居るが、彼女達はあくまで護衛と使用人であって、お茶会の出席者というわけではないから、数には入っていない。

「ああ、そのような理由ですか」

 クリスティーナはそう言うしかなかった。
 フラウにここまで興味を持たれていたのは予想外で、果たして乗り切れるだろうかと、クリスティーナは不安を覚えた。

「しかし、私のような者では王女殿下に楽しんでいただける話などは、とても出来そうにありません。その点に関しましては何卒なにとぞ容赦ようしゃのほどを」
「そんな事をおっしゃらないで、クリスティーナ。私もラディアも競魔祭での貴女の活躍にすっかり魅了されてしまったのです。お兄様やその専任騎士のシャルドはもちろん、騎士団の皆も貴女の腕前には称賛しょうさんの言葉しかありませんでした。銀の髪をひるがえし、鮮烈せんれつな赤い双眸そうぼうに鋭い光を宿して剣を振るう貴女の美しく、凛とした姿。息を吸うのも忘れて見惚みとれてしまったのは、生まれて初めての経験でしたよ」

 お世辞など欠片も含まれていないフラウの純粋な感動を交えた称賛に、クリスティーナは体のあちこちがむずがゆくなるような気がした。
 遠巻きにひそひそ言われるのはともかく、こうして面と向かって賛辞さんじを並べ立てられるのには、慣れていない。
 見た目の派手さと分かりやすさで言ったら、フェニアやネルネシア、そして競魔祭でも派手に力をふるったレニーアの方がはるかに上なのだが、フラウはクリスティーナにすっかりご執心しゅうしんらしい。

「身に余る光栄です、殿下。私には他に取りがありませんから、必要に迫られてというのもありますが……剣の腕だけはみがいていましたので、お見苦しくなかったのでしたら幸いです」
「ふふ、謙遜けんそんも過ぎれば美徳ではありませんよ。貴女のあの姿を見れば、どのような方でも心を動かされるでしょう。それほどまでに素晴らしい活躍でした。まるでおとぎ話の中の英雄のように」

 クリスティーナの祖先や現在の交友関係を考えると、フラウが口にした〝おとぎ話の英雄〟という言葉はあながち間違いとは言えない。しかし、それを素直すなおに告白出来るわけがないので、クリスティーナは曖昧あいまいに微笑むだけだった。
 ドランも毎度毎度こんな感じで自分の素性を誤魔化して、気まずい思いを味わっていたのだろうか? クリスティーナは少なからず彼に同情した。
 とはいえ、他に何か適当な話題があるかというと、クリスティーナには思い当たらなかった。幼少期の放浪生活など、とてもではないがこの温室育ちの王女に話せないし、父に拾われてからの暮らしについてもあまり愉快なものではない。
 こうなると、フラウからの質問に逐一ちくいち答えるようにでもしないと、とてもではないが間がもたないのだが……フラウはクリスティーナが予想しなかった方向の質問をぶつけてきた。

「ところで、クリスティーナは今年の春にエンテの森で随分とご活躍されたとか。他にも、恐ろしい海魔達に戦いを挑んで、数多く討ち取ったとも耳にしました。私は小心者ですから争い事は好きではないのですが、我がアークレスト王国に襲い掛かった危難と、それに立ち向かった貴女のお話を、是非とも聞かせてほしいのです」

 クリスティーナは思わず口に含んでいた紅茶を噴き出しそうになるのをなんとか堪え、更にせそうになるのを気合で押し留めた。
 エンテの森で魔界の軍勢を退しりぞけた件は、学院長のオリヴィエを通して王国に報告されているし、夏季休暇で遭遇した海魔達との戦いとて王宮に伝えられていて当然だ。
 だがそれをこの場でフラウ王女の口から追及されるとは、クリスティーナにしても予想外である。
 フラウの申し出にはいくらかの好奇心は感じられるものの、下手をすれば王国を壊滅に追いやったかもしれない魔性ましょうの者共との戦いについて、知らなければならないという使命感がふくまれている。
 王たる一族に生まれた者としての使命感を滲ませるフラウに、いなの答えを返すのはクリスティーナには難しかった。

「……ごほん、その件につきましては、決して私一人の力で立ち向かったわけではありません。多くの方々の尽力じんりょくがあったからこそ、王国は平穏へいおん只中ただなかにある事を念頭にお置きください」

 クリスティーナは、自分が知る限りの事を――ドラン自身が伝えられるのを望まないだろうから、彼の活躍についてはある程度ぼかしつつ――語りはじめた。
 ただし、魔導結社オーバージーンとその総帥そうすいである大魔導バストレル、彼が持っていたドラゴンスレイヤーに関しては、ドランとクリスティーナの因果いんが関係の深いところに関わるので、特に触れなかったが。
 クリスティーナ自身があまり話し上手じょうずではない為、余計な修飾のない言葉で淡々たんたんと語られた魔界の軍勢と深海の魔性共との戦いの様子は、ある種の凄味すごみを感じさせるものだった。
 その話に、フラウだけでなく専任騎士のラディアも好奇心を隠しきれずに耳を傾ける。
 エンテの森とゴルネブでの戦いは王国側の戦力が壊滅かいめつしたとしても、エンテ・ユグドラシルや龍宮城の戦力によって撃退されただろう――というクリスティーナの言葉は、結果的にフラウ達に両勢力との関係を強く意識させた。

「決して軽い気持ちでお伺いしたつもりはありませんでしたけれど、クリスティーナとお友達の皆さんは、私などには想像も出来ない戦いを生き抜いたのですね」

 クリスティーナが魔兵や海魔達の醜悪しゅうあく容貌ようぼうや、彼らの邪悪な雰囲気までも包み隠さず言葉にしたせいで、フラウの顔色はわずかに青くなっている。
 王女の身の安全を第一に考えるラディアがクリスティーナの話を止めなかったのは、この話を聞く事が結果としてフラウの為になると判断したからだったが……いささか効きすぎたようだ。

「いえ、私一人ではどうしようもなかったでしょう。ただ、この広い世界のどこかでは、今も王国や世界の命運を左右するような戦いが起きているのかもしれません。これまで世界が破滅を迎えずに済んできたのは、この世界に生きる生命達の懸命けんめいな戦いと、神々のご加護あればこそなのでしょう」

 実感のもったクリスティーナの言葉を聞き、フラウは今一度姿勢を正した。

「決して私達だけの力で今の世界が成り立っているわけではない、と?」
「私達もまた、この世界を構成する一部だという事を忘れるべきではないと思っております」
「かつて天人達は、世界とそこに生きる自分達以外の全ての者を自らの所有物であると公言してはばからず、その傲慢ごうまんさ故に滅びたと聞きます。今の私達には天人達のような力はありませんが、それでもおごりを抱けば同じ道を歩む事でしょう。クリスティーナ、やはり貴女とお話をして良かったと、心から思います」
「そのように仰っていただけるのならば、つたな弁舌べんぜつを振るった甲斐かいがありました」

 まさか王女殿下に招かれたお茶会でこんな説教じみた話をする羽目になるとは、何が起きるか分からないものだなあ……と、クリスティーナはしみじみ思いながら、侍女が淹れてくれた二杯目の紅茶に手を伸ばした。

「実に美味おいしい紅茶です。茶葉も茶器も素晴らしいですが、淹れる方のお手前も一流だからでしょう」

 クリスティーナの心からの賛辞に、控えていた侍女が頬を熟した林檎りんごの色にしながら頭を下げる。ここにもクリスティーナの信奉者がまた一人。
 最高級品の茶葉、最高級品の道具、最高の腕前が揃っているのだから、これで美味しくなかったら罰当ばちあたりというものだ。
 この一杯でいくらになるのか、という思考は頭の片隅に追いやり、クリスティーナは空のカップをソーサーの上に戻す。
 王都の只中とは思えない静寂せいじゃくと、かんばしい花々の香りを含む爽やかな風。美味しい紅茶にお菓子。次第に王女との会話にも慣れてきたクリスティーナには、なかなか心地ここちい空間であった。

「……しかし、勿体ない」

 なごやかな空気の中、不意にクリスティーナの顔に憂鬱ゆううつかげが差した。

「あら、何がですか、クリスティーナ?」
「このような場にせっかくご招待いただきましたのに、どうも私は今年に入ってから荒事あらごとに遭遇する機会が増えておりまして……。〝今日もか〟と、つい思ってしまったのです」

 一体何を言っているのか、フラウと侍女達はまるで理解が追いついていなかったが、クリスティーナが席から立ち上がる段になると、ラディアも不穏な気配を感じ取り、腰の小剣に手を伸ばした。
 クリスティーナはテーブルの上に置かれていた水晶の花瓶から一輪の赤い薔薇を取って、振り向きざま虚空こくうに向けてそれを投げる。
 突然の不可解な行動だったが、それには確かに理由があった。
 水面に石を投じたような波紋はもんが空中に生じ、そこからずるりと出てきた人影の胸を、赤薔薇が貫いていた。

「王城のみならず、王都には空間転移を阻害する結界が張られているが……それを破って侵入してくるとは、並の使い手ではないな。ラディア様、ここは私がお引き受けいたします。王女殿下と侍女の方々を」

 言うが早いか、クリスティーナはカップとソーサーを両手に持ち、新たに姿を見せた人影へと投げつけていた。
 クリスティーナの思念、闘気、魔力が込められたカップは、人影達が纏っていた防御障壁を呆気あっけなく貫通し、顔面に直撃する。
 人影達の顔面を砕き、砕けた歯や血を周囲にばらいた一方で、カップにはひび一つ入っていないのは、クリスティーナの貧乏性びんぼうしょう発露はつろであったろう。
 一方で、小剣を抜き放ったラディアと、スカートやポケットの内側から護身用のナイフなどを取り出した侍女二名は、フラウを囲って城内へと避難させようとしていた。
 ドランの学友であるファティマの所の使用人達もそうだったが、この侍女達も戦闘訓練を受けた特別な者達であった。

「クリスティーナ!」
「ご心配なく、大した事ではありませんので」

 悲痛な声でさけぶフラウを振り返り、クリスティーナはにっこりと優しく笑う。
 薔薇やカップの洗礼を受けた侵入者達は、クリスティーナの思念によって精神をズタズタにされた上に、肉体機能に異常が生じた為、芝生の上で地獄じごくの苦痛にのた打ち回っている。
 おそらく、数ヵ月は魔法を行使する事も出来まい。
 改めて倒れている侵入者達の姿を観察すると、全員胸元に色とりどりの複雑な模様が刺繍された紺色のゆったりした衣服に身を包んでいる。
 その刺繍が形作る紋章に見覚えがあったクリスティーナは、すぐにこの侵入者達の正体に当たりをつけた。

「確か、奈落ならくの夜明け――アビスドーンだったか? 邪竜崇拝すうはいの邪教集団だったはずだが、人類から生じたうみ共が何をたくらんでこんな真似を」

 どうせろくでもない事に違いない、そう心中で吐き捨てたクリスティーナは、空間転移の前兆を感じ取り、城内へ向けて走るフラウ達の下へと向かう。
 今度はフラウ達の四方を囲うようにして、邪教徒共が姿を見せたのである。同じ衣服ではあったが、人間以外にもエルフ、蛸人たこびと、竜人と種族は様々だ。
 状況の不利を見てとったラディアが素早く自身を犠牲ぎせいにする選択肢を選び、フラウと侍女を先に行かせる。

「殿下、お急ぎください。ここは私が!」
「ラディア、いけません!」
「お早く」

 ラディアは素早く狙いを定め、両手で印を結んでいたエルフへと斬りかかる。
 両者の距離が縮んだかのようなラディアの踏み込みであったが、エルフの足元から影がするりと立ち上がると、ラディアの二度の斬撃を受け止めた。
 自身の影を使い魔化し、護衛とする【シャドウサーバント】の魔法だ。
 ラディアは舌打ちする暇を惜しんでやいばを引き、エルフの影と立ち回りを演じはじめる。
 そこにクリスティーナが飛び込んだ。
 彼女が投じた二つのフォークが、人間と竜人の咽喉を横から貫通し、傷痕から血が噴水のように噴き出す。
 その二人が地面に倒れ込むよりも早く、クリスティーナの飛びりが蛸人の胸部を直撃する。
 柔軟かつ強靭きょうじんな全身を闘気が蹂躙じゅうりんし尽くして、蛸人はその場で崩れ落ちた。
 結界を突破して転移してくる以上、一流の使い手であるはずの邪教徒達の防御障壁をものともしない、クリスティーナの異常なまでの攻撃能力があればこその瞬殺劇であった。
 彼女は一瞬たりとも動きを止める事なく、シャドウサーバントの背後にかばわれているエルフへと襲い掛かる。
 並大抵どころか一級の魔法の防具でさえほとんど意味を成さないクリスティーナの攻撃は、襲われる側にとって恐怖そのものであったろう。

「ごぁっ」

 クリスティーナは五指を揃えた手刀を若いエルフの咽喉に突き刺し、血を吐かせる。
 見たところ三十歳前後に見える緑の髪と瞳を持ったエルフは、白目をきながら自分の吐き出した血溜まりへ前のめりに倒れ込む。
 新しい敵の影はないが、クリスティーナは警戒を緩めぬままラディアに声を掛けた。
 術者であるエルフが昏倒こんとうした為、シャドウサーバントは既に消えている。

「ラディア様、ご無事ですか?」
「え、ええ、私は大丈夫よ」

 丸腰でありながらまたたく間に侵入者達を無力化してのけたクリスティーナが、自身の想像をはるかに超えた怪物であると思い知らされて、ラディアは愕然がくぜんとしていた。
 競魔祭の試合で見た時にとてつもない使い手だと戦慄せんりつしたが、今の戦いぶりを見ても、競魔祭ではまだまだ本気など出していなかったのだと分かる。
 だが専任騎士であるラディアは、クリスティーナの隠していた実力に恐怖を覚えるよりも前に、やるべき事があった。
 守るべき主人の安否あんぴの確認だ。

「殿下は」

 フラウと侍女達の姿はあった。あと少しで衛兵達が守る扉に辿たどり着き、城内へと逃げ込める所まで走っている。
 城内ならばより強力に転移阻害の結界が効果を発揮はっきするはずだ。
 しかし、宮廷魔法使い達に結界の強化を通達するまでは、安心するわけにはいかない。
 ラディアに言われるまでもなく、クリスティーナもその事は承知しており、二人は揃ってフラウと合流すべく駆け出す。
 しかしそこで、クリスティーナが片付けた侵入者達の体から空間に作用する魔力と術式が放出されはじめた。

「使い走りが役目を果たせなかった時の保険か!」

 クリスティーナは眉間に皺を刻み、侵入者達の精神と肉体に仕込まれていた罠に気付けなかった自分をののしる。
 侵入者達の体から起動した転移術式は周囲一帯を効果範囲にしている。
 抵抗に注力すればクリスティーナだけは転移をまぬがれるが、それではフラウ達が連れ去られるのを防げない。
 円形の毒々しい黒に輝く魔法陣が空中庭園一杯に広がり、扉まで後わずかという所まで来ていたフラウと二人の侍女、そして彼女達の下へ全力で駆けていたクリスティーナとラディアをも呑み込む。
 そうして異変に気付いた衛兵達が見ている目の前から、五人の女性達は姿を消して、王都からはるか遠方の地へと転移させられたのだった。


 まばたき一つにも満たない時間経過の後、クリスティーナ達の周囲を包み込む光が晴れた。
 太陽の光が惜しみなく降りそそぐ空中庭園から、ぎ目一つない灰色の建材に四方を囲まれた空間へと転移させられたらしい。
 彼女達は、周囲の床よりも一段高く、複雑な魔法文字と神秘象徴が刻まれた台座の上に立っていた。
 広間の空気は乾いているものの、ねっとりと骨までみ入って来るような不快な雰囲気に満ちている。
 精霊達の存在は感じられるが、彼らも居心地は実に悪そうだ。
 クリスティーナはすぐ傍に居たラディアと、うずくまっているフラウ、王女に寄りっている二人の侍女の姿を確認し、ひとまず安堵した。
 バラバラの場所に転移させられる可能性もあったのだが、こうして目の届く範囲にフラウ達がいれば守りやすいし、どこかに捕らわれたフラウ達を救出する手間も掛からない。


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