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14巻
14-3
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「まあ、ドラミナが甘えてくれるのも我儘を言ってくれるのも、そうしたい相手だからなのだと思えば、誇らしくさえある。ただ、ちょっと予想していなかった方向からのものだったので、少しばかり驚いているよ」
また甘やかして……と、誰かに言われてしまいそうな態度でドラミナを宥める。
「セリナさんだって、私と立場が逆だったら、お臍を曲げますでしょう?」
ドラミナは少し落ち着いた様子で、セリナに同意を求めて顔を寄せた。
「え、え~~っとぉ」
セリナとしては、ここは分別のある大人の意見を口にするのが賢い選択だったかもしれないが、それが出来る少女であったら、そもそも口ごもりはしない。
目を泳がせるこの態度が、自分がドラミナの立場だったら、同じように拗ねて私を困らせただろうと、雄弁に語っている。
「わ、私はぁ、ドランさんへ遠回しな甘え方をしなくても、もっと良い甘え方があるんじゃないかなあと思います」
「えー」
おやまあ、ドラミナがこんな声を出すのも珍しい。
もっとも、私達を困らせるというよりも、じゃれつくのが本当の目的なのだろうし、こうして取り留めのない会話をしていれば、いずれ気が済むかな?
その後、機嫌を直してくれたドラミナに――我儘を言った事に対して恥じらう姿は非常に可愛らしかった――改めて依頼に対する意見を求めて、限られた時間と情報の中でより有益であると判断出来る依頼を選んだ。
私が引き受けた依頼は神殿関係のものが多く、他にはガロアを中心に商業活動を行なっている商人からのものなどが対象となった。
やはり宗教の力は強い。しかもその頂点である神々は、私の知己ないし私の存在を知っている、というのが選んだ理由だ。
貴族からの依頼に関しては、今回は優先順位を低くさせてもらった。
私自身が騎爵位を授かったし、貴族との縁故については、オリヴィエを含めて学院内でも充分なものが出来ている。それに、下手に手を広げると余計なしがらみが増える可能性が大きいと判断した。
私はこれから始まる飛び級に必要な試験や授業の合間に、これらの依頼を片付けていくつもりだ。
†
溜まっていた依頼を順調に片付け、落ち着いた日々が戻ってきた頃。
ガロア近郊の草原に私、セリナ、ドラミナ、クリスティーナさん、レニーアの五人が集まっていた。
私達が見守る中、ドラミナとクリスティーナさんが、絶え間ない剣戟の音を周囲へと響かせている。
全勝で競魔祭優勝の実績を引っ提げて戻ってきた私達に、魔法学院の生徒達は称賛の声を絶やさず、どこへ行っても誰かしらに注目され、少なからず息苦しさを感じる有り様であった。
そんな中、授業の合間を縫って余人の目を離れた場所に繰り出し、人避けの結界まで張った上で、私達は息抜きがてら二人の模擬戦を見学している。
秋は深まり、木々を彩る葉は瑞々しい緑から朽ちゆく前の赤や黄色に染まっていた。
冬の到来を予感させる冷ややかな空気に包まれる中、共に赤い目をした二人の女剣士は、私達の存在すら意識から外して目の前の相手に集中している。
大きな一枚布を草の上に敷いて腰掛けた私達の周囲には、防御と隠蔽の結界を展開しているバリアゴーレム達が配置され、剣姫達の刃の煌めきを人目から隠している。
ドラミナは私の愛用している長剣と同じ形の神器ヴァルキュリオスを振るい、クリスティーナさんは相変わらず魔剣エルスパーダと古神竜殺しの剣ドラッドノートの二刀流という戦い方だ。
クリスティーナさんはまだドラッドノートの力を引き出す事に関しては難があったが、競魔祭での試合時のように、全く力を引き出さずに使用する分には問題がない。
力を引き出さないドラッドノートは、ひたすらに頑丈で切れ味の良い長剣にすぎない。
これならクリスティーナさんも余計な気を遣わずに、持てる技量を全開にして模擬戦に臨めるというものだ。
結界の外では太陽の光が降り注いでいるが、私は少しばかり時間軸に干渉して、結界内部の時間を夜に変えている。したがって、日中でもドラミナの心身に悪影響はない。
ちなみに、普段これをしないのは、健気にも私と同じ自然のままの時間を歩んでいたいというドラミナからの希望による。
バンパイアとしての能力を全開に出来るドラミナは、陽光避けと魅了を防ぐ為に被っているヴェール付きの帽子を外し、楽しげにクリスティーナさんと刃を交え続けている。
一方のクリスティーナさんは、競魔祭以前よりさらに密度と熱を増した生徒達からの視線への鬱憤を晴らすように、神経を研ぎ澄まして竜巻の如き連撃を繰り出していた。
亜人種最強の一角たるバンパイアの最高位にして最強の存在であるドラミナ。
人間の上位種であり最高の生命である『人』に近い超人種。さらに古神竜殺しの因子を持つクリスティーナさん。
身体能力一つをとっても一踏みで軽く音の壁を越え、時には稲妻や光にすら反応してのける上に、神通力によって物理・魔法の両法則を無視出来る二人の戦いは、人型の生物としては非常識の極みに近い。
私の精気を吸い続けてすっかりラミアの枠を超えたセリナだが、その動体視力でも戦いを追いきれず、気配や魔力感知の技能を用いてなんとか両者の手合わせの内容と、喜々として弾んでいる感情を把握していた。
思わず息が詰まる攻防が続く中、羊毛を赤く染めたケープの下に白いリネンの長袖のブラウスという秋の装いのセリナは、溜め込んでいた息をそろそろと吐き出す。
あまり大きな音を立てては、目の前の一種の芸術の如き模擬戦の邪魔をしてしまうと本気で思っているとみた。
「お二人とも、本当に楽しそうですね。特に、ドラミナさんは思いきり体を動かせて、うきうきしてらっしゃいますよ」
私は首を縦に動かして、セリナに同意を示した。
魔法学院での生活は基本的には穏やかなものだから、ドラミナがその身に習得した武技の数々を披露する機会は少ない。
温厚な気質の彼女はその事に物足りなさを感じてはいないようだが、やはり持てる技術を思う存分揮う機会に恵まれれば、喜びを覚えるらしい。
「命のやり取りというわけではないからね。気が楽なところもあるだろうし、子猫のじゃれあいなどとは口が裂けても言えんが、虎のじゃれあいくらいの微笑ましさはあると思うよ」
「虎さん同士だと普通はあまり微笑ましくないですけれど、ドラミナさんとクリスティーナさんのお二人とも、虎さんよりもお強いですからね~」
セリナはくすりと笑みを零す。
あの二人を前にすれば、餓えた虎や山のような体躯を誇る魔獣も可愛いものだ。
私とセリナがそれなりに妥当と思える評価を下す一方で、レニーアも果てしなく上からの目線で、ドラミナとクリスティーナさんに彼女なりの高評価を与えていた。
「まあ、あれくらいであれば、お父様からのご寵愛を賜る事を許してやってもよいでしょう。懸想する分には資格など問いませんが、やはりお父様のご寵愛を受けるとなれば相応の女でなくてはなりませんからね」
私は全くそう思わないのだが、レニーアはこの世の女性という女性は私を崇敬し、情けをもらう事に執心すべきだと心の底から信じ込んでいる。
妄信や狂信のさらにその先にまで足を踏み込んでしまっているような考え方だが、これを矯正するのは私の人間としての寿命を全て用いても困難そうであると、半ば確信している。
ドラミナもクリスティーナさんも、私などには勿体ないくらいに素晴らしく素敵な女性なのだが、それを口にするとレニーアがさらに熱弁を振るうのは目に見えているので、ここは黙っておくのが吉であろう。
レニーア自身はどうなのかと思うのだが、相も変わらず自分の恋愛になると不思議そうに小首を傾げるか、黙り込んでしまう。
ご両親には私が恋人候補と見られたが、果たしてこの世界に彼女の伴侶たり得る男性が居るのか、怪しいとしか言えない。
「レニーアさんの評価は相変わらずとっても辛口ですね。ドラミナさんもクリスティーナさんも、美しさだけでなく心の方も世の中の女性の上の上の上ですよ」
セリナは苦笑交じりに自分の考えを口にする。対するレニーアは軽くふん、と鼻を鳴らして窘めるように応えた。
「それを言ったら、お父様はこの世の頂点よ。頂点に立つ御方の伴侶たらんとする女が最上でなくてなんとする。それだけの気概を持たずにお父様の伴侶を名乗るのなら、たとえお父様がそれでよしとされようとも、私は認めぬし、許さぬ」
「へえ、ドランさんの意思に沿わない選択をする事もあるなんて、レニーアさんにしては珍しいですねえ」
「お父様のご意思に反するなど恐れを知らぬ愚かな行いであるが、直接婚姻を妨害しないにしても、我が心の内では認められぬ」
「う~ん、明確には反対しないけれど、内心ではあっかんべえ……というわけですか。これはまた面倒な」
「娘として父親に相応しき伴侶を望むのは当然よ。カラヴィス様の如き偉大さを求めぬだけでも、私は妥協しすぎているくらいだと思うがな」
「ドランさんの魂は古神竜ですから、魂を基準に考えたら最高位の神様でもないと釣り合わないかもしれませんけど……」
その割にはカラヴィスさんをお母様とは呼びませんよね――と、咽喉まで出かかったのを、セリナがぐっと呑み込んだのが、私には手に取るように分かった。
レニーアが自らの創造主であるカラヴィスに対して、私に対するのと遜色のない崇敬の念を抱いているのは確かなのだが、これまでのカラヴィスの残念な言動から、素直にお母様と呼べずにいるのは、相変わらずであった。
私としてはまあ、カラヴィスだからな、としか言いようがない。
ちょうどその時、ドラミナとクリスティーナさんによる剣舞が決着を迎えた。
ドラミナの一閃がエルスパーダとドラッドノートを弾き返し、がら空きになったクリスティーナさんのお腹に、切っ先を翻したヴァルキュリオスが突きつけられて、本日五度目の模擬戦はドラミナの勝利となった。
天賦の才はほぼ同等だが、武技を磨いた年月と踏んだ場数の差がこの結果を導いたと言える。
ドラミナはヴァルキュリオスを自らの肉体へ、クリスティーナさんは二振りの愛剣を鞘に戻し、その場で先程の模擬戦の攻防についてお互いの所見を語りはじめる。
自らの美貌の影響を考えずに全力で戦える対象として、あの二人はお互いに極めて貴重な相手であり、模擬戦やその後の復習では熱が籠もるのが常であった。
真剣な顔で語っているかと思えば、相好を崩して笑い合うなど、今日も実りの多い模擬戦となったようで何よりである。
私達の事など忘れてしまっているのかと思うくらいに熱の入っていたドラミナ達だったが、ある程度語り合ったところで話を切り上げてこちらにやって来た。
「ドラン、セリナさん、レニーアさん、お待たせしました。クリスティーナさんが相手ですと、いつも少々熱くなってしまいます」
そう言ってかすかに恥じ入りながら笑うドラミナは、全力で体を動かした後の爽快さに満ち溢れて、実に晴れ晴れとしていた。
それはクリスティーナさんも同様で、ドラミナの言葉にいちいち頷いて同意を示している。同じ悩みを持つ者同士、馬が合うという事か。
全力で体を動かした為、二人は少し汗を掻いていたが、私の作った浴場には向かわず、体の汚れを取り払う理魔法の一つ、【清浄化】を唱えて体を清めた。
まだ陽は高いし、もう少しこの草原でのんびりと過ごして、生徒達からの視線をしばし忘れる予定なのだ。
「ドランやレニーアからすれば大した事はないのかもしれないが、ドラミナさんとの手合わせはいつも勉強になるな、うん。それに、全力で体を動かすのは気持ちの良いものだ」
私達の横に腰を下ろしたクリスティーナさんは、ベルトからエルスパーダとドラッドノートを外し、セリナから革の水筒を受け取って咽喉を潤した。
そのまま並んで座って特に何を話すでもなく秋の風に吹かれていると、ドラミナが慈しみを込めた瞳でクリスティーナさんを見つめて問い掛けた。
「ところでクリスティーナさん、体を動かされて少しは気晴らしになりましたか?」
実のところ、私達も試合を見はじめてから、クリスティーナさんの心が浮ついているというか、普段と比べると落ち着きのないところがあると、感じていたのである。
特に直接剣を交えたドラミナは、クリスティーナさんの心に訪れている動揺、あるいは変化を敏感に感じ取り、こうして問い掛けたのだろう。
指摘を受けたクリスティーナさんの様子から察するに、そう差し迫った問題ではなさそうだが……さて、彼女が抱えている事情とは何か?
クリスティーナさんは心の内を分かりやすく表に出してしまう自分を恥じるように、小さく頭を掻いた。それでも、内心を見透かされた事への不愉快さは、欠片も見当たらなかった。
「ドラミナさんのご指摘通り、ちょっと心が浮つく事がありました。恥ずかしながら、それを抑えきれなかったようです。ドラミナさんは――というよりも、皆は全てお見通しらしい」
ドラミナは素直に悩みを打ち明ける妹を見るような眼差しで、優しく続きを促す。
「その様子ですと、喜ばしい事とお見受けしますが、この場で口にしても差し障りのない内容でしょうか? それとも、時期が来るまでは内密にするべきものでしょうか?」
「学院長を経由して私に来た話です。皆になら話しても問題はないでしょう」
学院長経由という言葉で、私とセリナには概ね察しがついた。
私に騎爵位授与の話が来たように、数日遅れてクリスティーナさんにも正式に、これまでの功労に対する報奨が伝えられたのだろう。
一体、彼女にはどのような報奨が下されたのか、私は大いに興味があった。
クリスティーナさんは背筋を正し、私達を見つめながら口を開く。
「実はこの度、私はベルン村を含む北部を領地として授かり、ベルン男爵位を拝命する事となった」
「ほう」
「ええ!?」
「あら」
「ふん」
私達それぞれの反応の第一声が重なる。
ふうむ、建国以来の大貴族――アルマディア家の令嬢たるクリスティーナさんにどんな報奨が、と思っていたが……まさか我が実家のご領主様とは、いやはや。
ご先祖の事といい、つくづく縁深いものだな。
「驚いたのはセリナだけか。ドラミナさんとドランは予想していたような反応だな。レニーアは、まあ、いつも通りの無関心ぶりだったけれどね」
「私はこれでも驚いたさ。王家の直轄領でなくなるから税率が上がるのかとか、クリスティーナさんが領主なら安心だなとか、色々考えてしまった」
「では、ドラミナさんは? やはり経験からそうなると考えていらっしゃったのですか?」
「クリスティーナさんのお爺様が元は開拓計画の責任者であった事、クリスティーナさんが侯爵家という家や身分それ自体には興味が薄い事、そしてそれをお父上が察しておられるかもしれない可能性など、色々と考えれば選択肢は絞られるものです。それに王子殿下と王女殿下はクリスティーナさんとドランの実力を目撃しています。お二人が下手にどこかの貴族に娶られるか仕えるよりも、より王家に近い立場に置いておきたいと考えるでしょう。ドランは故郷に関わるのを強く望んでいますから、クリスティーナさんが領主になればドランを繋ぎとめられる可能性は高い。ベルン村は総督府の置かれているガロアの近くですし、その条件にある程度は合致します」
ふむ、スペリオン殿下達は全てを目撃したわけではないが、それでも、クリスティーナさんを含む私達で、ガジュラが復活させた邪竜を滅ぼしたと認識しているだろうからな。
最低でも、私達を竜殺しが可能な戦力と考えられておるわな。
「後は、勢力を増している北部の魔物達の大軍勢を相手に出来る、信頼の置ける者を用意しておきたいという考えもあるかもしれませんね。クリスティーナさんとドランは、夏の戦いにおいて最前線で戦った実績があり、ベルン村の人々からの信頼も厚いです。王国の東西がきな臭い時期に、北から敵対勢力が大挙して押し寄せて来た場合に対する策の一つであるという見方も出来ます」
「ふむ、私の親や祖父母の世代は今もクリスティーナさんのお爺さんに対して、強い信頼と敬意を抱いている。その孫娘で、しかも既に何度か村を訪れて命懸けの戦いにも轡を並べたクリスティーナさんなら、村人からの反発などはないし、よほどの無茶をしない限りはまず信頼され続けるだろうな」
私は昨今の王国近隣の情勢を踏まえて推察を続ける。
「今の王国は最悪の場合、東西と北で同時に戦が起きかねない微妙な時期だ。流石に三面戦争など真っ平ご免だろう。まあ、東と西は内輪揉めに近いから、話の持って行き方次第では王国が領土を広げる好機だけれどもね。となると、さほど利益を見込めない北の脅威に関しては、領土拡大は考えず、防波堤の役割を果たせれば充分。それなら、五千のゴブリンを退けたベルン村の戦力と、その後ろに控えるガロアで対処出来る体制を構築してしまえば、王国は東西のゴタゴタに注力出来る。東と西に関してはどちらか一方にアークウィッチ殿を派遣し、もう片方に通常の兵力を投入すれば、最悪でも今の国土を維持出来るだろうしね」
「私もそう考えていますよ。北からの脅威はあくまで可能性の段階ではありますが、途方もない実力を持つクリスティーナさんとドランの扱いに関しては、殿下はさぞ頭を悩ませたでしょうね」
アークウィッチが私とドラミナ、そしてレニーアに敗れた件を殿下に告げていたら、もっと面倒な事になっていただろう。
単独で大国の戦力にも匹敵するアークウィッチに勝る強者が三名もいるとあっては、それを喜ぶよりも、その扱いに困惑し、むしろ造反された時の恐怖に支配されるかもしれない。
騎爵位を授かった為、私には出兵義務が生じているし、それに従うのもやむなしとも思うが……正直に言って、人間同士の国家間戦争に積極的に関わるのは、私としてはご免被りたいところだ。
クリスティーナさんは全くその通りだと言わんばかりに何度も頷く。
「ドラミナさんの言ったような事が、王国の偉い方々の間で話されたのではないかな? おそらく、我が父も立場上一枚噛まざるを得なかったとは思う。私としては大変名誉に思うし、重圧を感じると共に喜びと使命感を覚えている」
「ふむ、クリスティーナさんがベルン男爵となるとして、領主になるのはいつなのだね? 今すぐの話なのだろうか?」
「私が魔法学院を卒業したら正式に拝命する予定だ。もちろん、村長達には先に通達する事になるな。ベルン村と隣のクラウゼ村との間を結ぶ街道の真ん中辺りにある石碑から北が、私の領地になる。それからベルン村以北の開拓については裁量に任されるらしい。開拓すればしただけ領土が広がるというわけだな。ここだけを聞けば旨みがたっぷりとある話だよ」
北部に広がる暗黒の荒野は、魔物が跋扈する不毛の領域と認識されている。しかし、人間に転生してすぐ私が気脈を操作した影響で、今はちょっと開墾すれば簡単に栽培が出来る状態だから、以前の開拓時とは事情が大分異なる。
人手が集まり、その統率と事前準備などが上手くいけば、滞りなく開拓は進むだろう。
その代わり、暗黒の荒野に棲む魔物達との非友好的な接触は不可避だが。
「新しい男爵家が出来るわけか。ましてやそれがクリスティーナさんとなると、魔法学院の生徒や退学した貴族の次男坊以下の元生徒達が是非家臣にと殺到するのではないかな?」
私の指摘に、クリスティーナさんは苦笑して応える。
「魔物の襲撃が頻発するかもしれない、村一つだけの領地の家臣にかい?」
「クリスティーナさん目当てでね」
「それでは信頼するのも信用するのも難しい話だ」
今の魔法学院での周囲からの扱いが、領主になった後も続くと想像したクリスティーナさんの顔は、これ以上ないほど苦いものとなった。
ドラミナはその苦悩にしみじみと同意を示す。経験者は語る、というやつか。
「極めて一方的かつ視野狭窄に陥りがちで、こちらの意思を曲解しやすいという欠点を除けば、忠誠心に満ち溢れた家臣を得られる機会ではあるのですけれどね……」
ふむ、ドラミナは人間を含む他種族を食料として見られないという、バンパイアとしては致命的な欠点を持つ異端児扱いされていたと聞いたが、それでもそのような狂信的な家臣がいくらか……いや、あの様子では相当数いたのか。
その扱いには随分と苦労させられたみたいだが、場合によってはクリスティーナさんも同じ道を歩みかねないわけか。
苦労ばかりが前面に押し出されているドラミナの表情を見て、クリスティーナさんは〝うへえ〟と言い出しそうなほど、あからさまに眉をひそめた。
「ドラミナさんでさえ難儀したのなら、私はとてもそういった者達を上手く扱える気がしません。今の魔法学院の状況だけでも持て余しているのに」
「この件に関しては、龍吉殿にもご意見を伺った方が良いでしょう。あの方は私よりもさらに長く玉座につき、極めて円満に政をなさっていますから、的確な助言をくださると思います」
「それは名案です。しかし、ベルン男爵という立場に就く以上は、龍宮国の国主である龍吉さんと、公に面会するのは問題になりそうですね。リュー・キッツさんとして振る舞われている時にお会い出来ればよいのですが……。とはいえ、今から誰かに頼る事ばかりを考えていても仕方がないかもしれません」
龍吉は伊達に長く国主の座に就いていたわけではなく、徹底した仕事の効率化で自由な時間の作り方というものを心得ている。
頼めばすぐにでも来てくれるだろうし、助言を仰ぐ事それ自体は決して難しくはないのだが、クリスティーナさんの言う通り、そう安易に頼っていい立場の相手ではない。
とはいえ、いざという時の龍吉に加え、ドラミナという国王経験者がすぐ傍に居るのだから、クリスティーナさんは新領主としてはかなり好条件と言えよう。
また甘やかして……と、誰かに言われてしまいそうな態度でドラミナを宥める。
「セリナさんだって、私と立場が逆だったら、お臍を曲げますでしょう?」
ドラミナは少し落ち着いた様子で、セリナに同意を求めて顔を寄せた。
「え、え~~っとぉ」
セリナとしては、ここは分別のある大人の意見を口にするのが賢い選択だったかもしれないが、それが出来る少女であったら、そもそも口ごもりはしない。
目を泳がせるこの態度が、自分がドラミナの立場だったら、同じように拗ねて私を困らせただろうと、雄弁に語っている。
「わ、私はぁ、ドランさんへ遠回しな甘え方をしなくても、もっと良い甘え方があるんじゃないかなあと思います」
「えー」
おやまあ、ドラミナがこんな声を出すのも珍しい。
もっとも、私達を困らせるというよりも、じゃれつくのが本当の目的なのだろうし、こうして取り留めのない会話をしていれば、いずれ気が済むかな?
その後、機嫌を直してくれたドラミナに――我儘を言った事に対して恥じらう姿は非常に可愛らしかった――改めて依頼に対する意見を求めて、限られた時間と情報の中でより有益であると判断出来る依頼を選んだ。
私が引き受けた依頼は神殿関係のものが多く、他にはガロアを中心に商業活動を行なっている商人からのものなどが対象となった。
やはり宗教の力は強い。しかもその頂点である神々は、私の知己ないし私の存在を知っている、というのが選んだ理由だ。
貴族からの依頼に関しては、今回は優先順位を低くさせてもらった。
私自身が騎爵位を授かったし、貴族との縁故については、オリヴィエを含めて学院内でも充分なものが出来ている。それに、下手に手を広げると余計なしがらみが増える可能性が大きいと判断した。
私はこれから始まる飛び級に必要な試験や授業の合間に、これらの依頼を片付けていくつもりだ。
†
溜まっていた依頼を順調に片付け、落ち着いた日々が戻ってきた頃。
ガロア近郊の草原に私、セリナ、ドラミナ、クリスティーナさん、レニーアの五人が集まっていた。
私達が見守る中、ドラミナとクリスティーナさんが、絶え間ない剣戟の音を周囲へと響かせている。
全勝で競魔祭優勝の実績を引っ提げて戻ってきた私達に、魔法学院の生徒達は称賛の声を絶やさず、どこへ行っても誰かしらに注目され、少なからず息苦しさを感じる有り様であった。
そんな中、授業の合間を縫って余人の目を離れた場所に繰り出し、人避けの結界まで張った上で、私達は息抜きがてら二人の模擬戦を見学している。
秋は深まり、木々を彩る葉は瑞々しい緑から朽ちゆく前の赤や黄色に染まっていた。
冬の到来を予感させる冷ややかな空気に包まれる中、共に赤い目をした二人の女剣士は、私達の存在すら意識から外して目の前の相手に集中している。
大きな一枚布を草の上に敷いて腰掛けた私達の周囲には、防御と隠蔽の結界を展開しているバリアゴーレム達が配置され、剣姫達の刃の煌めきを人目から隠している。
ドラミナは私の愛用している長剣と同じ形の神器ヴァルキュリオスを振るい、クリスティーナさんは相変わらず魔剣エルスパーダと古神竜殺しの剣ドラッドノートの二刀流という戦い方だ。
クリスティーナさんはまだドラッドノートの力を引き出す事に関しては難があったが、競魔祭での試合時のように、全く力を引き出さずに使用する分には問題がない。
力を引き出さないドラッドノートは、ひたすらに頑丈で切れ味の良い長剣にすぎない。
これならクリスティーナさんも余計な気を遣わずに、持てる技量を全開にして模擬戦に臨めるというものだ。
結界の外では太陽の光が降り注いでいるが、私は少しばかり時間軸に干渉して、結界内部の時間を夜に変えている。したがって、日中でもドラミナの心身に悪影響はない。
ちなみに、普段これをしないのは、健気にも私と同じ自然のままの時間を歩んでいたいというドラミナからの希望による。
バンパイアとしての能力を全開に出来るドラミナは、陽光避けと魅了を防ぐ為に被っているヴェール付きの帽子を外し、楽しげにクリスティーナさんと刃を交え続けている。
一方のクリスティーナさんは、競魔祭以前よりさらに密度と熱を増した生徒達からの視線への鬱憤を晴らすように、神経を研ぎ澄まして竜巻の如き連撃を繰り出していた。
亜人種最強の一角たるバンパイアの最高位にして最強の存在であるドラミナ。
人間の上位種であり最高の生命である『人』に近い超人種。さらに古神竜殺しの因子を持つクリスティーナさん。
身体能力一つをとっても一踏みで軽く音の壁を越え、時には稲妻や光にすら反応してのける上に、神通力によって物理・魔法の両法則を無視出来る二人の戦いは、人型の生物としては非常識の極みに近い。
私の精気を吸い続けてすっかりラミアの枠を超えたセリナだが、その動体視力でも戦いを追いきれず、気配や魔力感知の技能を用いてなんとか両者の手合わせの内容と、喜々として弾んでいる感情を把握していた。
思わず息が詰まる攻防が続く中、羊毛を赤く染めたケープの下に白いリネンの長袖のブラウスという秋の装いのセリナは、溜め込んでいた息をそろそろと吐き出す。
あまり大きな音を立てては、目の前の一種の芸術の如き模擬戦の邪魔をしてしまうと本気で思っているとみた。
「お二人とも、本当に楽しそうですね。特に、ドラミナさんは思いきり体を動かせて、うきうきしてらっしゃいますよ」
私は首を縦に動かして、セリナに同意を示した。
魔法学院での生活は基本的には穏やかなものだから、ドラミナがその身に習得した武技の数々を披露する機会は少ない。
温厚な気質の彼女はその事に物足りなさを感じてはいないようだが、やはり持てる技術を思う存分揮う機会に恵まれれば、喜びを覚えるらしい。
「命のやり取りというわけではないからね。気が楽なところもあるだろうし、子猫のじゃれあいなどとは口が裂けても言えんが、虎のじゃれあいくらいの微笑ましさはあると思うよ」
「虎さん同士だと普通はあまり微笑ましくないですけれど、ドラミナさんとクリスティーナさんのお二人とも、虎さんよりもお強いですからね~」
セリナはくすりと笑みを零す。
あの二人を前にすれば、餓えた虎や山のような体躯を誇る魔獣も可愛いものだ。
私とセリナがそれなりに妥当と思える評価を下す一方で、レニーアも果てしなく上からの目線で、ドラミナとクリスティーナさんに彼女なりの高評価を与えていた。
「まあ、あれくらいであれば、お父様からのご寵愛を賜る事を許してやってもよいでしょう。懸想する分には資格など問いませんが、やはりお父様のご寵愛を受けるとなれば相応の女でなくてはなりませんからね」
私は全くそう思わないのだが、レニーアはこの世の女性という女性は私を崇敬し、情けをもらう事に執心すべきだと心の底から信じ込んでいる。
妄信や狂信のさらにその先にまで足を踏み込んでしまっているような考え方だが、これを矯正するのは私の人間としての寿命を全て用いても困難そうであると、半ば確信している。
ドラミナもクリスティーナさんも、私などには勿体ないくらいに素晴らしく素敵な女性なのだが、それを口にするとレニーアがさらに熱弁を振るうのは目に見えているので、ここは黙っておくのが吉であろう。
レニーア自身はどうなのかと思うのだが、相も変わらず自分の恋愛になると不思議そうに小首を傾げるか、黙り込んでしまう。
ご両親には私が恋人候補と見られたが、果たしてこの世界に彼女の伴侶たり得る男性が居るのか、怪しいとしか言えない。
「レニーアさんの評価は相変わらずとっても辛口ですね。ドラミナさんもクリスティーナさんも、美しさだけでなく心の方も世の中の女性の上の上の上ですよ」
セリナは苦笑交じりに自分の考えを口にする。対するレニーアは軽くふん、と鼻を鳴らして窘めるように応えた。
「それを言ったら、お父様はこの世の頂点よ。頂点に立つ御方の伴侶たらんとする女が最上でなくてなんとする。それだけの気概を持たずにお父様の伴侶を名乗るのなら、たとえお父様がそれでよしとされようとも、私は認めぬし、許さぬ」
「へえ、ドランさんの意思に沿わない選択をする事もあるなんて、レニーアさんにしては珍しいですねえ」
「お父様のご意思に反するなど恐れを知らぬ愚かな行いであるが、直接婚姻を妨害しないにしても、我が心の内では認められぬ」
「う~ん、明確には反対しないけれど、内心ではあっかんべえ……というわけですか。これはまた面倒な」
「娘として父親に相応しき伴侶を望むのは当然よ。カラヴィス様の如き偉大さを求めぬだけでも、私は妥協しすぎているくらいだと思うがな」
「ドランさんの魂は古神竜ですから、魂を基準に考えたら最高位の神様でもないと釣り合わないかもしれませんけど……」
その割にはカラヴィスさんをお母様とは呼びませんよね――と、咽喉まで出かかったのを、セリナがぐっと呑み込んだのが、私には手に取るように分かった。
レニーアが自らの創造主であるカラヴィスに対して、私に対するのと遜色のない崇敬の念を抱いているのは確かなのだが、これまでのカラヴィスの残念な言動から、素直にお母様と呼べずにいるのは、相変わらずであった。
私としてはまあ、カラヴィスだからな、としか言いようがない。
ちょうどその時、ドラミナとクリスティーナさんによる剣舞が決着を迎えた。
ドラミナの一閃がエルスパーダとドラッドノートを弾き返し、がら空きになったクリスティーナさんのお腹に、切っ先を翻したヴァルキュリオスが突きつけられて、本日五度目の模擬戦はドラミナの勝利となった。
天賦の才はほぼ同等だが、武技を磨いた年月と踏んだ場数の差がこの結果を導いたと言える。
ドラミナはヴァルキュリオスを自らの肉体へ、クリスティーナさんは二振りの愛剣を鞘に戻し、その場で先程の模擬戦の攻防についてお互いの所見を語りはじめる。
自らの美貌の影響を考えずに全力で戦える対象として、あの二人はお互いに極めて貴重な相手であり、模擬戦やその後の復習では熱が籠もるのが常であった。
真剣な顔で語っているかと思えば、相好を崩して笑い合うなど、今日も実りの多い模擬戦となったようで何よりである。
私達の事など忘れてしまっているのかと思うくらいに熱の入っていたドラミナ達だったが、ある程度語り合ったところで話を切り上げてこちらにやって来た。
「ドラン、セリナさん、レニーアさん、お待たせしました。クリスティーナさんが相手ですと、いつも少々熱くなってしまいます」
そう言ってかすかに恥じ入りながら笑うドラミナは、全力で体を動かした後の爽快さに満ち溢れて、実に晴れ晴れとしていた。
それはクリスティーナさんも同様で、ドラミナの言葉にいちいち頷いて同意を示している。同じ悩みを持つ者同士、馬が合うという事か。
全力で体を動かした為、二人は少し汗を掻いていたが、私の作った浴場には向かわず、体の汚れを取り払う理魔法の一つ、【清浄化】を唱えて体を清めた。
まだ陽は高いし、もう少しこの草原でのんびりと過ごして、生徒達からの視線をしばし忘れる予定なのだ。
「ドランやレニーアからすれば大した事はないのかもしれないが、ドラミナさんとの手合わせはいつも勉強になるな、うん。それに、全力で体を動かすのは気持ちの良いものだ」
私達の横に腰を下ろしたクリスティーナさんは、ベルトからエルスパーダとドラッドノートを外し、セリナから革の水筒を受け取って咽喉を潤した。
そのまま並んで座って特に何を話すでもなく秋の風に吹かれていると、ドラミナが慈しみを込めた瞳でクリスティーナさんを見つめて問い掛けた。
「ところでクリスティーナさん、体を動かされて少しは気晴らしになりましたか?」
実のところ、私達も試合を見はじめてから、クリスティーナさんの心が浮ついているというか、普段と比べると落ち着きのないところがあると、感じていたのである。
特に直接剣を交えたドラミナは、クリスティーナさんの心に訪れている動揺、あるいは変化を敏感に感じ取り、こうして問い掛けたのだろう。
指摘を受けたクリスティーナさんの様子から察するに、そう差し迫った問題ではなさそうだが……さて、彼女が抱えている事情とは何か?
クリスティーナさんは心の内を分かりやすく表に出してしまう自分を恥じるように、小さく頭を掻いた。それでも、内心を見透かされた事への不愉快さは、欠片も見当たらなかった。
「ドラミナさんのご指摘通り、ちょっと心が浮つく事がありました。恥ずかしながら、それを抑えきれなかったようです。ドラミナさんは――というよりも、皆は全てお見通しらしい」
ドラミナは素直に悩みを打ち明ける妹を見るような眼差しで、優しく続きを促す。
「その様子ですと、喜ばしい事とお見受けしますが、この場で口にしても差し障りのない内容でしょうか? それとも、時期が来るまでは内密にするべきものでしょうか?」
「学院長を経由して私に来た話です。皆になら話しても問題はないでしょう」
学院長経由という言葉で、私とセリナには概ね察しがついた。
私に騎爵位授与の話が来たように、数日遅れてクリスティーナさんにも正式に、これまでの功労に対する報奨が伝えられたのだろう。
一体、彼女にはどのような報奨が下されたのか、私は大いに興味があった。
クリスティーナさんは背筋を正し、私達を見つめながら口を開く。
「実はこの度、私はベルン村を含む北部を領地として授かり、ベルン男爵位を拝命する事となった」
「ほう」
「ええ!?」
「あら」
「ふん」
私達それぞれの反応の第一声が重なる。
ふうむ、建国以来の大貴族――アルマディア家の令嬢たるクリスティーナさんにどんな報奨が、と思っていたが……まさか我が実家のご領主様とは、いやはや。
ご先祖の事といい、つくづく縁深いものだな。
「驚いたのはセリナだけか。ドラミナさんとドランは予想していたような反応だな。レニーアは、まあ、いつも通りの無関心ぶりだったけれどね」
「私はこれでも驚いたさ。王家の直轄領でなくなるから税率が上がるのかとか、クリスティーナさんが領主なら安心だなとか、色々考えてしまった」
「では、ドラミナさんは? やはり経験からそうなると考えていらっしゃったのですか?」
「クリスティーナさんのお爺様が元は開拓計画の責任者であった事、クリスティーナさんが侯爵家という家や身分それ自体には興味が薄い事、そしてそれをお父上が察しておられるかもしれない可能性など、色々と考えれば選択肢は絞られるものです。それに王子殿下と王女殿下はクリスティーナさんとドランの実力を目撃しています。お二人が下手にどこかの貴族に娶られるか仕えるよりも、より王家に近い立場に置いておきたいと考えるでしょう。ドランは故郷に関わるのを強く望んでいますから、クリスティーナさんが領主になればドランを繋ぎとめられる可能性は高い。ベルン村は総督府の置かれているガロアの近くですし、その条件にある程度は合致します」
ふむ、スペリオン殿下達は全てを目撃したわけではないが、それでも、クリスティーナさんを含む私達で、ガジュラが復活させた邪竜を滅ぼしたと認識しているだろうからな。
最低でも、私達を竜殺しが可能な戦力と考えられておるわな。
「後は、勢力を増している北部の魔物達の大軍勢を相手に出来る、信頼の置ける者を用意しておきたいという考えもあるかもしれませんね。クリスティーナさんとドランは、夏の戦いにおいて最前線で戦った実績があり、ベルン村の人々からの信頼も厚いです。王国の東西がきな臭い時期に、北から敵対勢力が大挙して押し寄せて来た場合に対する策の一つであるという見方も出来ます」
「ふむ、私の親や祖父母の世代は今もクリスティーナさんのお爺さんに対して、強い信頼と敬意を抱いている。その孫娘で、しかも既に何度か村を訪れて命懸けの戦いにも轡を並べたクリスティーナさんなら、村人からの反発などはないし、よほどの無茶をしない限りはまず信頼され続けるだろうな」
私は昨今の王国近隣の情勢を踏まえて推察を続ける。
「今の王国は最悪の場合、東西と北で同時に戦が起きかねない微妙な時期だ。流石に三面戦争など真っ平ご免だろう。まあ、東と西は内輪揉めに近いから、話の持って行き方次第では王国が領土を広げる好機だけれどもね。となると、さほど利益を見込めない北の脅威に関しては、領土拡大は考えず、防波堤の役割を果たせれば充分。それなら、五千のゴブリンを退けたベルン村の戦力と、その後ろに控えるガロアで対処出来る体制を構築してしまえば、王国は東西のゴタゴタに注力出来る。東と西に関してはどちらか一方にアークウィッチ殿を派遣し、もう片方に通常の兵力を投入すれば、最悪でも今の国土を維持出来るだろうしね」
「私もそう考えていますよ。北からの脅威はあくまで可能性の段階ではありますが、途方もない実力を持つクリスティーナさんとドランの扱いに関しては、殿下はさぞ頭を悩ませたでしょうね」
アークウィッチが私とドラミナ、そしてレニーアに敗れた件を殿下に告げていたら、もっと面倒な事になっていただろう。
単独で大国の戦力にも匹敵するアークウィッチに勝る強者が三名もいるとあっては、それを喜ぶよりも、その扱いに困惑し、むしろ造反された時の恐怖に支配されるかもしれない。
騎爵位を授かった為、私には出兵義務が生じているし、それに従うのもやむなしとも思うが……正直に言って、人間同士の国家間戦争に積極的に関わるのは、私としてはご免被りたいところだ。
クリスティーナさんは全くその通りだと言わんばかりに何度も頷く。
「ドラミナさんの言ったような事が、王国の偉い方々の間で話されたのではないかな? おそらく、我が父も立場上一枚噛まざるを得なかったとは思う。私としては大変名誉に思うし、重圧を感じると共に喜びと使命感を覚えている」
「ふむ、クリスティーナさんがベルン男爵となるとして、領主になるのはいつなのだね? 今すぐの話なのだろうか?」
「私が魔法学院を卒業したら正式に拝命する予定だ。もちろん、村長達には先に通達する事になるな。ベルン村と隣のクラウゼ村との間を結ぶ街道の真ん中辺りにある石碑から北が、私の領地になる。それからベルン村以北の開拓については裁量に任されるらしい。開拓すればしただけ領土が広がるというわけだな。ここだけを聞けば旨みがたっぷりとある話だよ」
北部に広がる暗黒の荒野は、魔物が跋扈する不毛の領域と認識されている。しかし、人間に転生してすぐ私が気脈を操作した影響で、今はちょっと開墾すれば簡単に栽培が出来る状態だから、以前の開拓時とは事情が大分異なる。
人手が集まり、その統率と事前準備などが上手くいけば、滞りなく開拓は進むだろう。
その代わり、暗黒の荒野に棲む魔物達との非友好的な接触は不可避だが。
「新しい男爵家が出来るわけか。ましてやそれがクリスティーナさんとなると、魔法学院の生徒や退学した貴族の次男坊以下の元生徒達が是非家臣にと殺到するのではないかな?」
私の指摘に、クリスティーナさんは苦笑して応える。
「魔物の襲撃が頻発するかもしれない、村一つだけの領地の家臣にかい?」
「クリスティーナさん目当てでね」
「それでは信頼するのも信用するのも難しい話だ」
今の魔法学院での周囲からの扱いが、領主になった後も続くと想像したクリスティーナさんの顔は、これ以上ないほど苦いものとなった。
ドラミナはその苦悩にしみじみと同意を示す。経験者は語る、というやつか。
「極めて一方的かつ視野狭窄に陥りがちで、こちらの意思を曲解しやすいという欠点を除けば、忠誠心に満ち溢れた家臣を得られる機会ではあるのですけれどね……」
ふむ、ドラミナは人間を含む他種族を食料として見られないという、バンパイアとしては致命的な欠点を持つ異端児扱いされていたと聞いたが、それでもそのような狂信的な家臣がいくらか……いや、あの様子では相当数いたのか。
その扱いには随分と苦労させられたみたいだが、場合によってはクリスティーナさんも同じ道を歩みかねないわけか。
苦労ばかりが前面に押し出されているドラミナの表情を見て、クリスティーナさんは〝うへえ〟と言い出しそうなほど、あからさまに眉をひそめた。
「ドラミナさんでさえ難儀したのなら、私はとてもそういった者達を上手く扱える気がしません。今の魔法学院の状況だけでも持て余しているのに」
「この件に関しては、龍吉殿にもご意見を伺った方が良いでしょう。あの方は私よりもさらに長く玉座につき、極めて円満に政をなさっていますから、的確な助言をくださると思います」
「それは名案です。しかし、ベルン男爵という立場に就く以上は、龍宮国の国主である龍吉さんと、公に面会するのは問題になりそうですね。リュー・キッツさんとして振る舞われている時にお会い出来ればよいのですが……。とはいえ、今から誰かに頼る事ばかりを考えていても仕方がないかもしれません」
龍吉は伊達に長く国主の座に就いていたわけではなく、徹底した仕事の効率化で自由な時間の作り方というものを心得ている。
頼めばすぐにでも来てくれるだろうし、助言を仰ぐ事それ自体は決して難しくはないのだが、クリスティーナさんの言う通り、そう安易に頼っていい立場の相手ではない。
とはいえ、いざという時の龍吉に加え、ドラミナという国王経験者がすぐ傍に居るのだから、クリスティーナさんは新領主としてはかなり好条件と言えよう。
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