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4巻
4-3
しおりを挟む「我が領土とこの地を置き換えた事に気付くとは、これはますますお前の血を飲みたくなったぞ。その慧眼に敬意を表し、質問に答えよう。この土地を選んだ事に理由はない。強いて言えば我らの準備が整った時に我が国に最も近かったから、という程度の事。もうひとつ、そのファティマとやらの血を吸い、咽喉を湿したのは私ではない、我が父よ。随分と美味だったようで、殊の外お喜びであった。暗黒の闇夜に冠たる、グロースグリア王国第一千三百代国王の糧となった事を言祝ぐが良い」
「そうか。律儀に答えてくれた事には礼を言う。おかげでファティマを傷つけた者が誰か分かった。お前の父とやらの心臓を貫き、陽光に晒して灰にすれば良いわけだ」
私は手にした長剣に竜種の魔力を込めながら、若者の背後を埋め尽くす白霧へ竜眼を向ける。勇みがちになっている私の様子に、ブランは苦笑を洩らした。
「勝手に他人の父親を滅ぼす算段を立てられては困るな。正式に私が王位を継ぐまで、父には健在でいてもらわねば困るのだ。それに、これから大仕事が待っているのでな。その為にも我ら親子と臣下共は精をつけねばならぬ」
「宴に供する贄は、ファティマとこの村の人々というわけか」
「その通りだ。既にこれはと思った村娘を一人、我らの城に招いているが、今回は質より量という話になった。残る村の者共も招く事となった次第よ。歓喜せよ、服従せよ、感涙せよ、隷属せよ。その身に流れる血以外に価値なき塵芥にも等しい人間なぞに、我らの城を訪れる栄誉を与えようというのだから」
「そうか、ならば……」
心の底から喜べ、従えと告げるブランだったが、私の返答は既に決まっていた。そして私だけでなく、親友を害された事に憤激していたこの少女もまた。
「さっさと死ね」
これまで黙って私とブランの会話に耳を傾けていたネルが、私の言葉を継ぐようにして明瞭簡潔な要求を口にした。
ネルが持つ杖の先端は一直線にブランへ向けられていて、ネルが「死ね」と言い終えるよりも早く、その周囲にネルの魔力と氷で生成された長槍が十本、瞬時に出来上がる。
私とブランが会話を交わす間、彼女が押し黙っていたのは、この氷の長槍に込める魔力を貯め込む為であったのだろう。氷属性の攻撃魔法【アイスジャベリン】だ。
降り注ぐ月光を反射して冷たい輝きを放つ氷の長槍は、すぐさま風を貫いて十本すべてがブランの心臓を目がけて殺到する。
「怒りは心という名の炉にくべられる薪ゆえ、魔力に深みと激しさを与える。見事と褒めおくぞ、小娘。確か、ネルネシアとかいったか」
果たして本当に感心しているのか甚だ怪しいが、ブランの口振りには苦痛の欠片もない。
ブランの全身を包む青色のマントに対し、【アイスジャベリン】は触れる事も叶わず、マントの周囲に不可視の壁があるかのように、寸前で止められていた。
「その若さにしてはやる。だが私に傷をつけるにはまだまだ未熟よ」
ブランはマントの内側から右腕を出して、軽く虫でも掃うように振るう。
数万の破片に砕け散る氷を纏いながら、ブランの瞳はネルを映していた。ブランの魅惑の視線にも、ネルの闘志は萎える事を知らず、氷の花と称えられた少女の全身からは苛烈なまでの闘気が陽炎のように立ち昇っている。
「その口を二度と開けないように、灰にしてやる」
「これは怖い。お前の友の血を吸ったのは我が父ぞ。怒りの矛先が違ってはおらぬかな?」
「お前も同類」
「暴論だな。親の罪は子の罪かね? 私は否と唱えるのが、理性的な結論と思うがな」
「それに、村の娘を誘拐したのはお前。彼女を無傷で帰し、罪を償わないなら、お前の罪は消えない。父親と同罪」
「無傷とはいかぬ。あの娘は戦前の宴に使う余興の道具なのだ。だがファティマとやらは違うぞ。我が父はたとえ下女であれ、人間や亜人などを我らの末席に加える事は滅多になさらぬ方であるが、珍しくも眷属となさるおつもりである。そうなればファティマはあの若さを永遠に保ち、未来永劫病む事はなく、たとえ首を断たれようとも死なぬ身となる。陽光のぬくもりを感じる事は叶わぬが、その代わり闇夜と月光の祝福を受ける事が出来るようになる。なれば、その事を友として祝福するが良い」
ブランの視線がネルの全身をゆっくりと這い上がる。
「なんとなれば私がお前に口づけを与え、眷属として迎えてやっても良い。燃えさかる炎も凍てつかせるような、この魔力は見事よ。それにお前の容貌も悪くない」
「ファティマも私も、お前達の汚らわしい牙を受け入れるつもりなどない。私がお前に言う言葉は一つきり。死んで灰になれ」
再び杖によって増幅されたネルの魔力が、周囲の空間に冷気を放出しながらブランに迫る。
次の瞬間、白い霧を内側から吹き飛ばす氷の爆発が生じた。ネルが放ったのは【アイシクルフレア】である。
無数の氷の破片を撒き散らす爆発の中心に居るブランは、対魔法障壁がなかったら上半身を丸々抉られ、残る下半身も氷の破片に串刺しにされているはずの威力だ。
月光に煌めく氷の破片と白い煙の中から、妖しい響きを帯びたブランの声がした。
「死ね、というのは正確ではないな、ネルネシアよ。我らは死な不る者――不死者。たとえ死を与えられようと、そこから蘇る。よって我らにはこう言うべきだ――」
ブランが言いかけた言葉を私が継ぐ。
「――滅びよ、とな」
「!?」
と、同時にブランに襲いかかったのは、私が突き出した長剣の切っ先から閃いた紅蓮の光線。術者の力量次第では、鋼鉄をも融解させる大熱量を発する、火属性の攻撃魔法【クリムゾン・レイ】だ。
白煙の中に未だ留まるブランを狙った【クリムゾン・レイ】は、その熱量で白煙を吹き飛ばし、ブランの右胸を射ぬいて握り拳ほどの穴を開けた。
対魔法障壁を容易く貫通した私の魔法に、ブランの瞳が見開かれる。
「おお、私の守りを貫くか!?」
一瞬、ブランの体がぐらっと揺らぐが、次の瞬間にはバンパイアの再生能力によって右胸に穿たれた穴は塞がっていた。
「ほう、傷は塞がったが、痛みが常とは違う。これは込められた魔力の質の違いか。くく、どうやら私の想像以上に面白い男のようだな」
ブランは二度咳き込むと左手で口元を押さえ、少量の血を吐いた。
左手を濡らす自身の血を舌で舐め取り、ブランは元より赤い唇を更に赤くして、にいっと目撃した者を戦慄させる笑みを浮かべる。
いよいよもって、ブランの全身から立ち昇る気配が、凶々しさを増した。
私とネルの攻撃を甘んじて受けてきたこの若者が、ようやく反撃に移る気になったという意思表示であろう。
「私は父と違って下僕を増やす事に嫌悪を感じはせぬ。その者が美しければ美しいほど、逞しければ逞しいほど、強ければ強いほど良い。そのような者を下僕に出来たと誇れるからだ。そして、そのような者達の血は格別に美味。我が下僕となる前も、なった後もな」
ダンスの相手の手を握るような淀みない動作で、ブランはマントの中から一振りの長剣を抜いた。
親指の先くらいあるルビーをいくつも埋め込んだ黄金の柄に、同じく黄金の刀身を持った長剣である。鞘から抜き放たれた刀身から溢れる魔力、あるいは妖気は、新たに高位のバンパイアが出現したかの如く強大だ。夜と月と死の国の王子が携えるに相応しい品である事は、疑いようもない。
「我が愛剣グリーフマリア――嘆きの聖母だ。我が下僕となるのを忌むならば、この刃から逃れて見せよ」
黄金の切っ先はだらりと下がり、霧に呑まれた大地を指していたが、いつ動き出したとも知れぬ自然な動きで右下から左上へと、歪みのない直線を描く。
ブランとネルの間には、この黄金の刃が届く筈のない距離が開いていた。だが、その距離が自身を守らない、とネルは直感的に理解したらしい。
ネルの足が大地を蹴り、私達の方に跳躍した刹那の後、ブランの描いた斬線の延長線上に存在していた大気や木々、更に空間そのものが斬り裂かれた事を私は知覚した。
霧の果てまで裂けた空間に、周囲の空気が凄まじい勢いで吸引された後、世界そのものが持つ修復力によって、空間は元に戻った。
だが、空間そのものすら斬るのならば、物理的な手段ではブランの斬撃を防ぐ事は事実上不可能である。
「一太刀目をよくぞかわした。何をされたとも分からずに、両断される者が多いのだがな」
振りあげた黄金の長剣を元の位置に戻しながら、ブランはわずかばかりの称賛を交えて言う。言葉通り、最初の一太刀でほとんどの戦いに勝利してきたのだろう。
私とセリナのすぐ傍まで飛び退いていたネルの顔色が変わった。一瞬反応が遅れていたら体を両断されていた事実を噛み締めているのか。それでもなお、ネルの闘志は萎えていない。自分の死を克明に意識したであろうに、芯の強い女子である事よ。
右膝を突いた姿勢から立ち上がりざま、ネルは続く攻撃魔法の詠唱に入った。
「鱗は氷柱 牙は銀筍 吐息は吹雪 汝は氷の雄蛇と雪の雌蛇の間に生まれし子 真白き双頭蛇よ ブラン・サーペンタス!」
ネルが差し向けた杖の先に、精霊界から氷精の力が急速に流れ込み、詠唱に謳われる通り、氷柱の鱗を生やした真っ白い大蛇が姿を現す。
出現すると同時に周囲の気温を大幅に下げた大蛇は、尻尾の先端部分にも頭を持ち、二つの頭部をブランへ向けて威嚇を始めた。
しゃあ、と吹雪の吐息を吐きだしながら、召喚者であるネルの意思に従って、双頭蛇は巨体を虚空にくねらせて襲いかかる。
吹雪の吐息はブランに当たる直前で障壁に阻まれ、後方へと流れていった。
矢よりも速い双頭蛇に、ブランはこれこそ氷の眼差しといった冷たい視線を向けながら、小さな苦笑を浮かべてグリーフマリアの刀身を右から左へと一閃。
銀筍の牙をびっしりと生やした顎を開いた双頭蛇は、黄金の刀身を避ける暇もなく、呆気なく両断され、グリーフマリアが斬り裂いた空間に、呑み込まれて消える。
「グリーフマリアはいささか切れ味が良すぎる。首を刎ねぬように気を遣わねばならないのが難点だな。死ぬ前に血を吸えば良いのだが、刎ねた首から吸うのでは風情がない」
これはどう見てもネルの手に負える相手ではない。さすがのネルも、一瞬動きを止めた。
侮りを隠さぬブランの言葉によって、再びネルの闘志に火が点く前に、私は動いた。
「次はそちらか? 足を断てば戦意が尽きるか。腕を落とせば抗う事を諦めるか。それとも四肢をすべて千切れば私に降るか? さてどれが正しいか試してみよう」
この言葉だけでも、目の前の美麗なる若者の冷酷残虐さが分かる。ブランは、気を遣わねばならないと口にしたばかりの黄金の魔剣を振り上げる。
黄金の切っ先は月光を斬り裂きながら天を向き、そこから大瀑布の迫力と闇夜の静けさをもって振り下ろされる。
「ドランさん!」
「ドラン!」
セリナとネルが悲鳴と共に私を呼んだのは、私が空間をも斬り裂く斬撃を避けもせず、まったく同じ軌跡で長剣を振るった後であった。
金属を引き裂くような音が大気を震わせる。斬り裂かれた空間が閉じる前に、更に斬り裂かれた事で発する、いわば空間の上げる悲鳴であった。
鼓膜を貫いて脳を直接揺らすような、この世のものではない音を耳にして、セリナとネルが盛大に顔をしかめながら耳を押さえる。
私はブランと同じく天から地へ長剣を振り下ろした体勢から、再び長剣の切っ先を上げて、深い海色のマントに覆われた左胸へ向ける。
その奥にある心臓を貫いてくれる、という意思表示だ。それを目にしたブランは、偽りのない驚きの相を浮かべていた。
「これは、驚いたぞ、ドランとやらよ。我が一撃から身を守るでもなく避けるでもなく、まったく同じ斬撃でもって凌いで見せるとは。特別な刀剣を手にしているわけでもなしに、なんたる剣を振るうのか。己の剣才の無さを嘆くべきかもしれんな」
「称賛するのは勝手だが、だからといって容赦を期待されては困る。お前の灰はたっぷりと陽光に晒してから海に撒いてやろう」
ブランの言葉を聞き流しながら、私は低い声で答えた。ネルがぎょっとした顔で私を見る。私の敵対者に向けた冷徹な声と、そこに込められた殺意を、ネルは初めて耳にしたのだ。
私の抹殺宣言もどこ吹く風と、ブランは爽やかな笑みさえ浮かべ、左半身を前に出して黄金剣を体の陰に隠した。斬撃の初動と太刀筋を見切らせぬ為である。
私の一挙手一投足、呼吸にさえもブランの視線が注がれるのを感じながら、私は空いている左手を掲げて、それをふっと下ろした。
「降り注げ、セレスティアル・ジャベリン」
私の声が大気に溶けるのと同時に、月光をはるかに上回る鮮烈な光が夜天を煌々と照らしだし、私達の影を地に這わせる。
以前、エンテの森での魔界の軍勢との戦いで私が行使した、敵集団の頭上より降り注ぐ無数の魔力の槍。
詠唱を省略し、左手の動作と魔法名のみで発動させた為に大幅に威力は落ちているが、それでも私の竜種の魔力が込められて白く輝く槍は、ブランの対魔法障壁を薄紙のように貫くだけの威力はある。
頭上より降り注ぐ【セレスティアル・ジャベリン】を、ブランは流石にバンパイアの超人的――いや、まさしく超人そのものの反射神経で迎え撃った。
ブランの魔剣は空間を断つだけではないようで、刃に内包された魔力とブランの百人力をはるかに上回る膂力で、打ち合った【セレスティアル・ジャベリン】を粉微塵に砕いてゆく。
だが、手が回りきらぬと早々に悟ったブランは、不意に奇妙な事を口にする。
「これはちと手間だ。処理は私の護衛に任せるとしよう」
影さえ見えぬのに護衛とは? だが、ブランが口にした護衛の正体はすぐさま知れた。
ブランの全身を覆い隠したマントの生地に、すうっと半ば透けた腕が浮かび上がる。腕は一本だけではなく二本、三本、四本、五本……と増え続けて、遂には五十本を数えた。それらは人間の腕のみならず、黒い剛毛を生やした腕、青黒い鱗に覆われた腕、関節が逆になっている緑色の肌の腕と、実に多彩だ。
私の眼を惹いたのは、それらの武具を握る様々な種族の腕が、全てバンパイアと化している事だった。
「これぞ我が護衛達よ。いずれも私が牙を立てて血を吸った、強く美しい女達。我が下僕と化した後、その生皮を剥いで繋ぎ合わせ、更に魂を封じ込めて仕立てたのがこのマントだ。マントに宿る我が下僕達は、私の意思に応じてこのように姿を現すのだよ」
誇らしげなブランの言葉に鼓舞されたのか、マントから浮かび上がる五十本の腕は、主人に降り注ぐ数十本の【セレスティアル・ジャベリン】を各々の武器で迎え撃った。
高密度に圧縮された魔力の槍が音よりも速く飛来するのを、ブランの護衛達は一本の漏れもなく弾き返すか、砕くか、あるいは軌道を逸らすかして、見事吸血王子に傷一つ付けずに凌ぎ切る。
【セレスティアル・ジャベリン】がこれ以上降り注がないと悟ってか、はたまたブランの意思によってか、護衛の腕達は現れた時と同様にすうっと透けて、すぐにその姿を消した。
おそらくあの腕達は、元はブランに戦いを挑んだ数多の種族の女戦士達なのだろう。
ロイヤルバンパイアに血を吸われ、下僕と化したとなれば、並のバンパイアという事もあるまい。少なく見積もってもそれぞれが強力なエルダーバンパイア級の力はあるだろうが、バンパイアとなる前の実力とブランの力が合わさっているとなれば、更に上位のノーブルバンパイア級かもしれん。
竜眼で観察すると、ブランの纏う青いマントに宿る、無数の霊魂の姿を克明に見る事が出来た。
いずれも自分達の血を吸った憎むべき吸血鬼ブランへは無限の敬愛と畏怖の念を抱き、敵対者である私達には憎悪に染まった黒い視線を向けている。
彼女達は、血を吸われ、別の生き物に変えられ、更には生皮を剥がされて魂を封じ込められてなお、主には絶対の忠誠と敬意を捧げる。血を吸われる前は下僕となるくらいなら自ら死を選ぶと決意していた者でさえ、一度血を吸われてしまえば己の全存在を捧げる事を当たり前と考えてしまう。それがバンパイアに血を吸われた者の心理なのであった。
まして、ブランはバンパイアのほぼ最高位たるロイヤルバンパイア。下僕に対する支配力は絶対的なはず。
「果たして私の牙を濡らした女の数が千か二千か……数えるのを止めて久しく、私自身も分からぬが、私と戦うのは数千のバンパイアを相手にする事と等しい」
「嘘はよくないな。お前一人で雑兵の一万くらいには相当するだろう」
客観的に見た上での私の評価に、ブランは少し嬉しそうに笑った。
意外と人懐っこい笑みだったが、この若者はその笑みを浮かべたまま女子供の、それこそ生まれたばかりの乳飲み児の首筋にまで、牙を突き立てる冷酷な心の持ち主なのだ。
「では訂正しよう。私と戦うのは一万と数千のバンパイアを相手にする事と等しい、と」
ブランが攻撃の為にかすかに重心を動かした時、フラウパ村の方角から、新たな闖入者の声が朗々と響いた。
「楽しそうな事をしているな。私も混ぜろ」
金鈴を転がすような声とはこれか、と思わせる可憐な声であるというのに、その響きには他者への無関心と無情ばかりが滲む。ブランとはまた違う、聞く者の背筋を凍らせる人外のみが出し得る声であった。
声が私達の鼓膜を揺さぶるのとほぼ同時に、ブランの頭上から、淡い灰色の光を放つ、半透明の巨大な獣の腕が叩きつけられた。
新たに出現した護衛の腕達が、頭上から襲いかかる獣の腕を受け止める。一本の巨大な腕と百を超える女の腕とがぶつかる衝撃が、周囲に走った。
獣の腕の付け根に視線を巡らした私は、閉ざされたフラウパ村の門の前に、見覚えのある小柄な姿があるのを見つけた。見覚えのある、と言っても学院で一度見たきりではあるが。
星の無い夜空の色に染まった髪と瞳、非人間的なまでに白く透けた肌が目を引く、可憐な容貌。しかし、それほどの愛らしさを持ちながら、滲み出る威圧感と雰囲気は常人には直視を許さぬものがあった。
新たな乱入者の名前を、ネルがどこか苦々しく口にする。
「レニーア」
その名前に、私は記憶の棚の抽斗を一つ引いた。
「ふむ、ガロア四強の一人だったな。なるほど……フラウパ村には二種の結界が張ってあったが、一つはネル、もう一つは彼女のものか」
「そう。私達とは別に、村の近くに出没した魔獣退治の依頼でレニーアはこの村に来ていた。最初に村が襲われた時も、彼女のお蔭で村人の犠牲を抑えられた。ファティマは助けられなかったけれど……」
当のレニーアはと言えば、出現させた獣の腕を消し去ると、私達には目もくれずに、傲岸不遜の見本といった態度で悠々とブランに近づいてゆく。
魔法学院の制服に身を包んだ小さなレニーアは、不愉快さを隠さぬブランを真っ向から睨みつけている。バンパイアの催眠眼が効いている様子はない。
「これはまた随分と愛らしい邪魔者が来たな。今日は私の邪魔をする者達に次々と巡り合う運命の日か」
嘆息しながら告げるブランに、レニーアは欲しくて堪らなかった玩具を前にした子供のように嬉しそうで、そしてこれ以上なく凶悪な笑みを浮かべた。
なまじ人形のように整った顔をしているだけに、浮かべた笑みの凄絶さはただならぬものがある。
「バンパイア共の王族か。この間村に来たという奴の息子か何かか? 奴には結局逃げられたからな。お前を滅ぼせば息子の仇討ちと息巻いて、今度は逃げるような真似はすまい」
村が襲われた時も戦ったとネルは言った。それならレニーアがバンパイアの脅威を知らぬ筈はない。であるにも拘らずここまでの大言を吐くとは、よほどの自信家か、あるいは救いようのない愚か者か。
真の貴公子と褒め称える者の絶えぬであろうブランの美しい顔に、はっきりと嫌悪の色が浮かぶ。レニーアが姿を見せてから不愉快さは増すばかりのようだ。
「そなたの悪口は度が過ぎるし、いくつか訂正を必要とする。女人の戯言と聞き流すわけにもいかぬな。一つ、父は逃げてなどおらぬ。幾夜にもわたり眠れる女の褥に立ち、血を飲むのは古からの我らの儀礼だ。父が先だってこの村より去ったのは、あくまでその伝統を尊んだからにすぎぬ。更に今一つ。私を滅ぼすとは、それこそ無理というもの。そなたの矮小なる力では、この私を討つなど夢のまた夢」
「他人の血を吸わねば不死の生命を保てぬ汚らわしい寄生虫の分際で、お前こそ戯言が過ぎる。お前を滅ぼす事が夢かどうか、その身で確かめろ!」
言い終わるや否や、レニーアの全身から放出された殺気がしたたかに私の頬を打ち、周囲に蟠る魔性の霧を散らす。
華奢な体からは灰色の魔力が激しく溢れだし、レニーアの漆黒の髪を逆立たせる。
「ネル、レニーアの得意とする魔法は?」
ブランと護衛達の注意がいつこちらに戻るか警戒しながら、私は背後のネルに確認した。ネルは新たな状況に即応出来るよう、体内の魔力を練っている最中だったが、私の問いにすぐさま答えた。
「得意なのは思念魔法。二つ名は〝破壊者〟!」
思念魔法とは、その名の通り、思念でもって世の森羅万象、魔道の法則に干渉する魔法体系の事だ。ちなみに、私が普段使う理魔法は、力ある言葉――詠唱や魔法文字、神秘象徴、自らの魔力をもって世の理に干渉するが、思念魔法の場合は心中で念じる事を基本とする。
思念魔法は、常人をはるかに凌駕する思念の強さで、一時的に世界の法則を都合の良いように書き換える魔法だ。生まれ持った才能と、思い込みの強さがなによりも重要とされる為、後天的にこの魔法を習得する事は極めて難しく、使い手の数は限られている。
レニーアはその希少な魔法の才能と、禍々しい二つ名「破壊」が伊達ではない事を証明するかのように、その力を振るう。
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