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22巻
22-3
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青黒い髪の女が身ぶり手ぶりを交えて何かを伝え、それを聞き届けた偽竜達が各々天高く舞い上がり、まもなくそれぞれ小さな集団に分かれて散った。
雲よりも高い位置に達した偽竜達は、彼方の地上に設置された目標物に向けて、上空から偽・竜語魔法や暗黒魔法、ブレスを放ち、爆撃していく。
魔族達もそれを追って空中に浮かび上がり、偽竜達を監督している。
これ以外にも偽竜達が無数の兵を空輸し、特定の目標に対して降下して、迅速に仮想敵陣内に戦力を送り込む演習の映像などが続いた。
暗黒の荒野の軍勢は、既に偽竜を戦略と戦術に組み込み、実用訓練を行う段階に達しているのだ。
映像で確認出来た偽竜の数は五十体を超え、その眷属達も含めればさらに桁が一つ二つと増えるのは想像に難くない。
アークレスト王国のみならず、轟国やロマル帝国といった大国の上層部も、この映像を見せられれば戦慄するだろう。
ベルンにしてもモレス山脈に住まう真にして正統なる竜種達とその眷属が味方とはいえ、双方の竜同士の戦力差は決して楽観視出来るものではない。
ドランが偵察用ゴーレムを介して得た情報を見せられて、ヴァジェに至るまで竜種達が例外なく牙を軋ませ、全身から陽炎の如き闘志を立ち昇らせる。
しかし、これらの映像は数日前のものであり、今現在の暗黒の荒野の映像ではない。それに、遠からず偽竜達とは牙を交える時がやってくる。
紛い物共へ向けた敵意と闘志を爆発させるのはその時でよい。
竜達はどうにか画像から視線を引き剥がす。
クラウボルトが難儀しながら闘志と怒りを呑み込んで、クリスティーナに礼の言葉を口にする。
「ああ、なるほど、これはおれ達も戦わねばならんな。おれ達だからこそ戦わなければならん。ベルン男爵、あなた方ベルンから協力の申し出がなかったとしても、おれ達はおれ達で偽竜共らに戦いを挑んだだろう。それが始祖竜から生まれた竜種というものだ」
予めこのような反応をするだろうとドランから聞かされていたとはいえ、クリスティーナは、偽竜の姿を映像越しに見た途端に闘志を膨れ上がらせたクラウボルト達の姿に驚いていた。
同時に、偽竜達との戦いが終わるまでは、殺気立った竜種達の相手は自分かドランでないと無理だな、と結論を下したのだった。
何しろ、シェンナや他の文官組の顔色が青一色に染まりつつある。
ドランが竜種達の放出する闘志をさりげなく和らげていなかったら、この場で気絶していたに違いない。
「我々からしても、強大な偽竜達の集団と戦わなければならぬ事を考えれば、真なる竜種であるあなた方の助力を得られるかどうかは、文字通りの死活問題です。偽竜の存在を証明出来れば、きっと協力を得られるとは思っていましたが、実際にそうなるかどうかは一種の賭けでした。見る限り、結果は吉と出たようで何よりです。ただ、一つだけ言わせていただけるのでしたなら、あなた方との友好は偽竜の脅威などではなく、もっと穏便な形で結びたかったと思っています」
口惜しそうなクリスティーナの表情を見て、クラウボルトが僅かに目を細める。
「この状況で心の底からそんな言葉を口にするのだから、貴女は本当に暗黒の荒野の者共との戦争以外でも、我々と友好的な交流を持とうとしているのだな」
「もちろんです。今回の戦争の件は、暗黒の荒野の者共が余計な真似をしでかしてくれたと、心底から忌々しく思っているのですから。魔族とはいえ、地上で暮らしているのならば、必ずしも敵対する必要はありません。場合によっては彼らとも手を携える事も視野に入れていました。しかし――」
魔族との共存も視野に入れていたというクリスティーナの発言には、ヴァジェを除く竜種達も驚かされた。
魔界側の神々の子孫ないしは眷属である魔族と、地上の人類達は基本的に相容れないものだ。
神の仲介などを経て、地上の魔族が他の人類等と節度を持って共存する例はあるが、この惑星においては極めて稀、あるいは前例のない話である。
まだ若く柔軟な思考の持ち主であろうとも、クリスティーナのように直接的にこのような言葉を口にするとは信じがたい。
「暗黒の荒野を統一した者は、荒野のみならずこの大陸の支配を、ひいては他の大陸全てを含めた世界の征服を望んでいます。この場合、魔族であるからではなく、武力による世界制覇を狙う相手であるから、戦わなければならないのですよ」
「敵首魁の思想まで把握済みか。よければおれ達にも今分かっている限り――いや、話せる範囲で構わないから、情報を共有してもらえるとありがたい」
「もちろん、お伝えする予定でした。既に我らの主君であるアークレスト王家にも伝えてある情報ですが、暗黒の荒野を統一したのは魔界に堕ちた軍神サグラバースを祖とする魔族の一派と思われます。そして、暗黒の荒野に棲息していた多種族を支配下に収め、一つの勢力として統合したのは、魔王を僭称するヤーハームという男です。彼を筆頭に、強力な魔族と各種族の精鋭達を幹部に据え、まずはこの大陸全土の制圧を狙って、いよいよ動き出たわけですね」
竜達は皆、クリスティーナが語る情報に真剣に耳を傾ける。
「当面、彼らは暗黒の荒野の西にある大国との戦争を主眼に置いているようですが、私達へもその手を伸ばすのは遠い未来の話ではありません。彼ら暗黒の荒野の者達は、彼らの古い言葉で『灰色の世界』を意味するムンドゥス・カーヌスを名乗り、建国しました。よって私達は、暗黒の荒野に発生した敵性勢力をムンドゥス・カーヌスあるいはその頂点に立つ者が魔王を名乗る事から、魔王軍と呼称しています」
「灰色の世界、か。暗黒の世界たる魔界より光と闇の混在する地上へ移住したが故の名付けであるかな? それよりは魔王軍の方が端的で呼びやすいな。今更かもしれんが、このおれ、雷竜クラウボルトは、魔王軍との戦いにおいて全面的にベルン男爵に協力する事を約束しよう。貴女の言葉には信を置けると感じられたし、あの映像を見る限りでは、ただ偽竜共とだけ戦えば済むという話でもあるまい。ならばこちらも相応に協力者を求めるべきだとおれは思う。他の皆はどう考える?」
答えは分かり切っているが、クラウボルトがあえて問いかける事には大きな意味があった。
この場に集った竜達には横の繋がりや年長者への敬意こそあれ、明確な上下関係が存在するわけではない。
誰かが協力を申し出たとしても、それはその誰かだけの意思表明であり、この場に集った八体の竜全員の意思表明とはならないのだ。
当然、クラウボルトの意図を悟れぬ竜はこの場にはおらず、ファイオラやガントンなどは〝小僧っ子が〟と、聡い若造の気遣いに苦笑しながら承諾の言葉を口にした。
「地竜ガントンの名において、アークレスト王国ベルン男爵クリスティーナ殿よりの申し出を受諾する。忌まわしき偽りの竜と、それらと共に戦禍を広げる魔の眷属を討ち滅ぼす力となろう」
「始祖竜の末裔の一席に名を連ねる者として、火竜ファイオラもまた、ベルンと名付けられた地に住む者達に助力しよう。我が赤き火炎は我らの敵を灰へと変えるだろう」
二竜がそれぞれの名において重い誓約を口にした。
これを皮切りに、残るウェドロやウィンシャンテ達も次々に自らの名前や祖となる竜達の名を告げて、正式にベルン男爵領との協力を確約していく。
そして最後に残されたのは深紅竜ヴァジェ。
ドラン達が学生だった頃からの知り合いであり、この中で最も協力的であろう、美しくも苛烈なる少女だ。
彼女は一際厳粛な面持ちでクリスティーナとドラン達を見下ろしながら、言葉を紡ぎ出す。
「偉大なる始祖竜、そして始原の七竜より分かたれた真なる竜種として、深紅竜ヴァジェは全身全霊をもって偽りの竜達と戦い、ベルンの地に住まう者達に寄り添う事を誓う」
その言葉を聞き、ヴァジェと付き合いの長いウェドロやオキシスなどは、この娘がここまで厳粛な面持ちと言葉遣いが出来たのか、とかなり失礼な驚きに見舞われていた。
とはいえ、ヴァジェは目の前に古神竜ドラゴンの生まれ変わりがいると知っている。
そのドランが古神竜としての権威を振るうのを嫌っているのは重々承知であるが、それはそれ、これはこれ。
地上の竜種である以上、古神竜を前に気の引き締まらぬ者はまずいないのだ。
「ありがとうございます。アークレスト王国ベルン男爵クリスティーナ・アルマディア・ベルンの名において、ここに誓いましょう。あなた方との末長い親愛に基づく関係を築き上げ、そしてあなた方からの信頼に応えられるよう、全霊を賭して努力する事を」
こうしてモレス山脈に住まう竜種達とベルン男爵領との間で、極めて稀なる人類と竜種との正式な交流が幕を上げた。
竜種の勢力との交流という点では、アークレスト王国は既に水龍皇龍吉の治める龍宮国と正式に国交を持つに到っているが、これらのどちらにもドランの存在が関わっている。
この事実に、アーレクスト王国はもちろん、周辺諸国も注視するのは必然であった。
とはいえ、今後の暗黒の荒野の軍勢──ムンドゥス・カーヌスの軍勢との戦いにおいて、どの道ベルンは注目されるだろう。
警戒はともかく、今のうちに先行投資をしようという気になってもらえたら儲けものだと、ドランはまるで気にしていなかった。
†
会談が終わり、竜種達の多くは一旦、眷属達の意思統一を図る為に山脈にあるねぐらへと帰っていった。
ただし、ウェドロはベルン村に来ている人魚達の様子を見る為に、そしてヴァジェはドラン達と話をする為に、それぞれ竜人へ姿を変えて残っている。
竜種達の来訪にベルン村の人々が大いに賑わう中、屋敷へと戻ったドラン達は、竜人の姿で気の毒なくらいに萎縮しているヴァジェと顔を合わせていた。
この場には、立会人を務めたリリエルティエルの姿もある。
「ドラン様、この度は仕方のない事とはいえ、見下ろすような真似をしてしまい、なんとお詫びすればよいか」
余人の目と耳を完全に遮断した執務室の中で、ヴァジェは今にも床に頭突きをかまして陥没させかねない勢いで腰を折って頭を下げた。
これにはドランはもちろん、クリスティーナやセリナ、ドラミナ、ディアドラ達も微笑ないしは苦笑を誘われる。
竜種である事に強い誇りを持つこの少女は、古神竜であるドランに向ける敬意がとりわけ強い。
あの会見の間、さぞや肩身の狭い思いをしていただろう。
「必要だったのだから、気に病む必要など何もないさ。今回の会談に関して、ヴァジェには陰で多くの協力をしてもらっているし、私の方が感謝しなければならないくらいだ。それにしてもすまないな。火龍皇項鱗のところで気苦労を重ねている分、こちらで他の竜達の目を避けて、気を休めてもらえればと思ったのだが……どうにも私の配慮が足りていなかったようだ」
そう言ってドランが頭を下げると、ヴァジェはますます恐縮する。
「いいえ、そのような……。何より、暗黒の荒野で偽竜共が戦の用意を進めているのが原因でございます。決して御身が気に病まれる必要はございません。ただ、恐れながらお伺いしたき事も……」
「ああ、私に答えられる事ならばなんでも答えよう」
「人間ドランとしてならば、御身が先程のように竜種と会談の機会を持たれるのも、卑小な我が身にも理解出来ます。しかしながら、古神竜ドラゴンとして、地上に住む我らにお命じにならないのは何故でしょうか? 他の種族と協力してこの地に蠢く偽竜共を一掃せよと、一言そうご下命くだされば、モレス山脈以外の大地に住む同胞達も、息せき切ってベルンの地に駆けつけるでしょう」
何故? と視線と合わせて問いかけてくるのは、ヴァジェばかりではなかった。
クリスティーナやセリナも、ドランの持つ権限の巨大さは理解していたから、疑問に思わなかったわけではない。
「以前、月にて三竜帝三龍皇達と会う機会があったが、その際に私の方から地上に住む君達への助力の是非を問いかけた。答えは、地上の問題は自分達の力で解決するというものだったよ。私はそれを好ましく思ったし、可能な限り尊重したい。今回の件は、それに倣った判断だ。古神竜ドラゴンとして私が動くのは、古神竜としての私同様にこの地上には本来在るべきではない者達と相対した時と決めているのだ。ムンドゥス・カーヌスの偽竜達の中には、そこまで力を持つ者はいなかったから、今回はヴァジェを含めモレス山脈の同胞達への助力を求めるまでに留めたわけだ」
「左様でございますか。僭越ではありますが、私も三竜帝三龍皇の方々と同じ考えです。地上で起きた問題は、竜界ではなくこの地上で生まれ育った私達自身が挑むべき問題でしょう。それが解決出来るか否かもまた我らの努力次第。ただ、私を含めて、皆が竜界の方々がお出であそばしているこの時期によくも……と、怒りが胸の内に煮え滾っておりますが」
「はは、私達の存在だけでも発奮材料にはなったか。なあに、それくらいは許容範囲だろうさ。さてヴァジェ、ムンドゥス・カーヌスの連中との戦いにおいては、ベルンの人間種の兵士達とも歩調を合わせる必要がある。君達にはさぞや窮屈な事になるとは思うが、私やドラミナ、クリスにセリナ、ディアドラも戦列に加わる。それに、リネットもベルン遊撃騎士としてここぞとばかりに奮戦するだろうな。いざ開戦となった暁には、私と君とは戦友という立場になるわけだが、君の奮闘と期待しているよ。これだけの面子と戦わなければならない相手の方が可哀想なくらいだがね」
「は、はい! 私達の目の前に立つ紛い者共を灰すら残さず燃やしつくしてご覧に入れます!」
ドランの何気ない激励の言葉一つに、ヴァジェは明らかに全身を紅潮させて歓喜の熱を発し、室内の気温を急上昇させる。
それを見て、付き合いのほとんどないリリエルティエルでさえ、実際の戦場で張り切りすぎたヴァジェが地形を変えてしまうくらいの事はありそうだ、と想像するのだった。
第二章―――― ガロアから嵐がやって来る
ヴァジェ同様、ドランの言葉一つで天と地ほども極端に機嫌が変わる少女が、もう一人いる。
最近ではガロアとベルンとで離ればなれになり、手紙のやり取りでなんとか寂寥感を誤魔化し、少しずつ〝親離れ〟の道を歩きはじめていたはずの少女──レニーアである。
ヴァジェが歓喜を覚えていたのと同時刻、ガロア魔法学院の中庭には、傲岸不遜の極みとしか見えない態度で腕を組むレニーアの姿があった。
彼女の前には今、昨年の競魔祭で代表を務めたネルことネルネシアと、今年になってから交流を持つようになった三名の男子生徒が立っている。
少し離れた所では、レニーアの親友にして同居人のイリナ、これまた気を許している同級生のファティマと、彼女の使い魔である半人半吸血鬼シエラが見守っている。
レニーアは華奢な体からは想像もつかない威圧感を発し、暴君そのものという雰囲気で彼らに言い放つ。
「来たる競魔祭の二連覇に向けて、まるで力の足りていないお前達を、鍛えて鍛えて鍛え抜く為、四日後から、ベルン男爵領にて強化合宿を行う! お前達の骨の髄、精神の奥底までこの私が叩き直して、壊して、潰して、強靭なものに作り替えてやるから、覚悟しておけ!」
このような台詞を口にしていても、レニーア・ルフル・ブラスターブラスト。花も恥じらう十七歳の乙女である。
黙ってさえいれば誰もが惚れ惚れと見つめる、妖精のように愛らしい少女だ。
黙ってさえいれば……そう、黙ってさえいれば。そして黙っている事の方が少ない少女であった。
口を開けばおよそ外見に似合わない傲岸不遜なる言葉が飛び出し、その小柄な体からは他者を圧倒する強烈な自信という名前の重圧が放たれる。
肉体こそ人間の父母の間に生まれた純粋なる人間種だったが、魂は大邪神カラヴィスが生み出した、古神竜の因子を持つ神造魔獣という、おそらく世に唯一無二の存在である。
そのレニーアは、在籍するガロア魔法学院において極めて有名な生徒であり、同時に特級の問題児でもあった。
成績は極めて優秀なのだが、興味のない授業にはほとんど目もくれず、進級に必要最低限な分しか受講していない。
友好関係はひどく狭く、彼女とまともに言葉を交わす生徒は両手の指にも満たないほどだ。
そんなレニーアを一躍有名にしたのは、昨年執り行われた五つの魔法学院の生徒達による、魔法戦闘能力の競い合い──競魔祭において見せた凶悪なる戦闘能力だった。
彼女を含む五名の代表選手は、全試合全勝利による優勝という、燦然と輝く陽光の如き実績を打ち立てた。この偉業が当時の代表選手の評価を大いに高め、ガロア教師陣の鼻を高くさせたのは言うまでもない。
しかしそれは同時に、翌年以降の生徒にとって途方もない重圧になった。
特に、昨年の代表五名のうち、レニーアとネルネシアを除く三名が卒業した為、戦闘能力の大幅な低下は免れない。
この揺るぎない事実が、ガロア魔法学院の生徒達に重くのしかかっている。
競魔祭は五名と五名とで試合が行われ、三勝をあげた側が勝利となる試合形式だ。
今年も残った二名──レニーアはまず誰が相手でも勝てる実力を持っているが、ネルネシアは他校の最強格と当たった場合、必ず勝てるとは言い切れない。
その為、少なくともあと二人、ネルネシアや卒業したフェニア級の実力者が欲しい――と、レニーアや魔法学院の教師達は考えていた。
フェニアやネルネシアにしても、十年に一度、あるいはそれ以上の逸材である。冒険者や傭兵だったなら、既に超一流の実力者として名が知られていただろう。
しかも昨年の競魔祭に向けた特訓では、水龍皇や始原の七竜を相手に研鑽を積むという環境にも恵まれた。その為、才能だけはネルネシアやフェニアに匹敵する者がいたとしても、経験を踏まえた実戦能力まで同じ水準に達するのは極めて困難だ。
つまり、卒業した三名――すなわちドラン、クリスティーナ、フェニアの穴を埋めうる人材は、ガロア魔法学院はおろか世界中どこを探したとしても、到底見つからないのだ。
彼女らに準ずる人材として名が挙がるのは、昨年の競魔祭出場者を選定する予選会に出場した生徒達だが、残念ながら何人かは既に卒業している。
さらに悪い事に、ドランに良いところを見せようと奮起したレニーアと昨年の予選会で対戦した生徒達は、一年経っても拭えぬ恐怖を植え付けられ、出場を強固に辞退している。
このような事情もあって、今年、競魔祭出場選手として選定されているレニーアとネルネシア以外の三名は、ガロア魔法学院の最精鋭とは言い切れないのが現在の状況である。
そしてそんな現状に対し、敬愛するドランに続かんと競魔祭二連覇を狙うレニーアが、手をこまねいているわけがなかった。
先程レニーアが口にした台詞は、同じ競魔祭の代表生徒達に向けて、ベルン男爵領での強化合宿実施の宣言だ。
中庭には五名の代表生徒以外にも、ファティマやシエラ、イリナの姿があるが、この三名はネルネシアやレニーアと懇意にしているので、決して場違いというわけではない。
さて、ガロア魔法学院で最も態度が大きく、横柄な事には定評のあるレニーアの対面に立っている三名の男子生徒が、新しく加わった代表である。
一人は、昨年の予選会でドランと激闘を演じた、長身痩躯に眼鏡が特徴的なゴーレムクリエイター、マノス。
菌糸類との親和性が高そうな風貌で、痩せた体ともじゃもじゃとした髪に、眼鏡の奥の知性の光は相変わらずだった。
彼が造り出すゴーレムの性能はドランも認めており、代表生徒としては納得の人選である。
二人目はクシュリという飛蝗の虫人。今年二年生になるレニーアの後輩だが、競魔祭並びに予選会へは初出場だ。
それなりに整ってはいるが、どこか野性的な雰囲気を感じさせる顔つきをしていて、黒い髪の間から飛蝗の触角が飛び出て、両足は茶色い甲殻で覆われている。
虫人特有の強靭な脚力を秘めており、魔法によって魂と肉体を構成する飛蝗の因子を強化し、人間大の昆虫としての身体能力をさらに高めて戦う、肉弾戦に特化した魔法戦士である。
そして三人目の男子生徒は、青みがかった毛皮が美しい青虎人の少年だ。
この面子の中では唯一の一年生であり、やや吊り上がり気味の黄金の瞳を持ち、あどけなさを残しつつも色香すら感じさせる妖しげな顔立ちと、しなやかな体つきをしている。
青黒い髪は長い三つ編みにして垂らし、半袖半ズボンの制服からは青い毛並みに包まれた手足がスラリと伸びる。
野生動物の獰猛さと力強い生命力、そして男として成長しきる前の少年の瑞々しさとを併せ持った、美しい生き物であった。名をアズナルと言う。
冬の間から次の競魔祭の出場選手については話題となっており、彼ら三名以外にも有力株の生徒達は幾人かいた。
だが、そのことごとくがレニーアの厳しいという言葉では表現しきれぬ審査に耐えきれず、櫛の歯が抜けるように脱落していき、最後に残ったのがこの三名だった。
腕を組み、フンスと荒々しく息を吐くレニーアに対して、アズナルが元気よく〝はい〟と声を出しながら挙手をする。質問の許可を求めているのだ。
猫のように気まぐれなところがあり、それがまた一つの魅力となって、多くの女生徒から人気のあるこの少年は、レニーアを相手にしても怯まない胆力の持ち主である。
雲よりも高い位置に達した偽竜達は、彼方の地上に設置された目標物に向けて、上空から偽・竜語魔法や暗黒魔法、ブレスを放ち、爆撃していく。
魔族達もそれを追って空中に浮かび上がり、偽竜達を監督している。
これ以外にも偽竜達が無数の兵を空輸し、特定の目標に対して降下して、迅速に仮想敵陣内に戦力を送り込む演習の映像などが続いた。
暗黒の荒野の軍勢は、既に偽竜を戦略と戦術に組み込み、実用訓練を行う段階に達しているのだ。
映像で確認出来た偽竜の数は五十体を超え、その眷属達も含めればさらに桁が一つ二つと増えるのは想像に難くない。
アークレスト王国のみならず、轟国やロマル帝国といった大国の上層部も、この映像を見せられれば戦慄するだろう。
ベルンにしてもモレス山脈に住まう真にして正統なる竜種達とその眷属が味方とはいえ、双方の竜同士の戦力差は決して楽観視出来るものではない。
ドランが偵察用ゴーレムを介して得た情報を見せられて、ヴァジェに至るまで竜種達が例外なく牙を軋ませ、全身から陽炎の如き闘志を立ち昇らせる。
しかし、これらの映像は数日前のものであり、今現在の暗黒の荒野の映像ではない。それに、遠からず偽竜達とは牙を交える時がやってくる。
紛い物共へ向けた敵意と闘志を爆発させるのはその時でよい。
竜達はどうにか画像から視線を引き剥がす。
クラウボルトが難儀しながら闘志と怒りを呑み込んで、クリスティーナに礼の言葉を口にする。
「ああ、なるほど、これはおれ達も戦わねばならんな。おれ達だからこそ戦わなければならん。ベルン男爵、あなた方ベルンから協力の申し出がなかったとしても、おれ達はおれ達で偽竜共らに戦いを挑んだだろう。それが始祖竜から生まれた竜種というものだ」
予めこのような反応をするだろうとドランから聞かされていたとはいえ、クリスティーナは、偽竜の姿を映像越しに見た途端に闘志を膨れ上がらせたクラウボルト達の姿に驚いていた。
同時に、偽竜達との戦いが終わるまでは、殺気立った竜種達の相手は自分かドランでないと無理だな、と結論を下したのだった。
何しろ、シェンナや他の文官組の顔色が青一色に染まりつつある。
ドランが竜種達の放出する闘志をさりげなく和らげていなかったら、この場で気絶していたに違いない。
「我々からしても、強大な偽竜達の集団と戦わなければならぬ事を考えれば、真なる竜種であるあなた方の助力を得られるかどうかは、文字通りの死活問題です。偽竜の存在を証明出来れば、きっと協力を得られるとは思っていましたが、実際にそうなるかどうかは一種の賭けでした。見る限り、結果は吉と出たようで何よりです。ただ、一つだけ言わせていただけるのでしたなら、あなた方との友好は偽竜の脅威などではなく、もっと穏便な形で結びたかったと思っています」
口惜しそうなクリスティーナの表情を見て、クラウボルトが僅かに目を細める。
「この状況で心の底からそんな言葉を口にするのだから、貴女は本当に暗黒の荒野の者共との戦争以外でも、我々と友好的な交流を持とうとしているのだな」
「もちろんです。今回の戦争の件は、暗黒の荒野の者共が余計な真似をしでかしてくれたと、心底から忌々しく思っているのですから。魔族とはいえ、地上で暮らしているのならば、必ずしも敵対する必要はありません。場合によっては彼らとも手を携える事も視野に入れていました。しかし――」
魔族との共存も視野に入れていたというクリスティーナの発言には、ヴァジェを除く竜種達も驚かされた。
魔界側の神々の子孫ないしは眷属である魔族と、地上の人類達は基本的に相容れないものだ。
神の仲介などを経て、地上の魔族が他の人類等と節度を持って共存する例はあるが、この惑星においては極めて稀、あるいは前例のない話である。
まだ若く柔軟な思考の持ち主であろうとも、クリスティーナのように直接的にこのような言葉を口にするとは信じがたい。
「暗黒の荒野を統一した者は、荒野のみならずこの大陸の支配を、ひいては他の大陸全てを含めた世界の征服を望んでいます。この場合、魔族であるからではなく、武力による世界制覇を狙う相手であるから、戦わなければならないのですよ」
「敵首魁の思想まで把握済みか。よければおれ達にも今分かっている限り――いや、話せる範囲で構わないから、情報を共有してもらえるとありがたい」
「もちろん、お伝えする予定でした。既に我らの主君であるアークレスト王家にも伝えてある情報ですが、暗黒の荒野を統一したのは魔界に堕ちた軍神サグラバースを祖とする魔族の一派と思われます。そして、暗黒の荒野に棲息していた多種族を支配下に収め、一つの勢力として統合したのは、魔王を僭称するヤーハームという男です。彼を筆頭に、強力な魔族と各種族の精鋭達を幹部に据え、まずはこの大陸全土の制圧を狙って、いよいよ動き出たわけですね」
竜達は皆、クリスティーナが語る情報に真剣に耳を傾ける。
「当面、彼らは暗黒の荒野の西にある大国との戦争を主眼に置いているようですが、私達へもその手を伸ばすのは遠い未来の話ではありません。彼ら暗黒の荒野の者達は、彼らの古い言葉で『灰色の世界』を意味するムンドゥス・カーヌスを名乗り、建国しました。よって私達は、暗黒の荒野に発生した敵性勢力をムンドゥス・カーヌスあるいはその頂点に立つ者が魔王を名乗る事から、魔王軍と呼称しています」
「灰色の世界、か。暗黒の世界たる魔界より光と闇の混在する地上へ移住したが故の名付けであるかな? それよりは魔王軍の方が端的で呼びやすいな。今更かもしれんが、このおれ、雷竜クラウボルトは、魔王軍との戦いにおいて全面的にベルン男爵に協力する事を約束しよう。貴女の言葉には信を置けると感じられたし、あの映像を見る限りでは、ただ偽竜共とだけ戦えば済むという話でもあるまい。ならばこちらも相応に協力者を求めるべきだとおれは思う。他の皆はどう考える?」
答えは分かり切っているが、クラウボルトがあえて問いかける事には大きな意味があった。
この場に集った竜達には横の繋がりや年長者への敬意こそあれ、明確な上下関係が存在するわけではない。
誰かが協力を申し出たとしても、それはその誰かだけの意思表明であり、この場に集った八体の竜全員の意思表明とはならないのだ。
当然、クラウボルトの意図を悟れぬ竜はこの場にはおらず、ファイオラやガントンなどは〝小僧っ子が〟と、聡い若造の気遣いに苦笑しながら承諾の言葉を口にした。
「地竜ガントンの名において、アークレスト王国ベルン男爵クリスティーナ殿よりの申し出を受諾する。忌まわしき偽りの竜と、それらと共に戦禍を広げる魔の眷属を討ち滅ぼす力となろう」
「始祖竜の末裔の一席に名を連ねる者として、火竜ファイオラもまた、ベルンと名付けられた地に住む者達に助力しよう。我が赤き火炎は我らの敵を灰へと変えるだろう」
二竜がそれぞれの名において重い誓約を口にした。
これを皮切りに、残るウェドロやウィンシャンテ達も次々に自らの名前や祖となる竜達の名を告げて、正式にベルン男爵領との協力を確約していく。
そして最後に残されたのは深紅竜ヴァジェ。
ドラン達が学生だった頃からの知り合いであり、この中で最も協力的であろう、美しくも苛烈なる少女だ。
彼女は一際厳粛な面持ちでクリスティーナとドラン達を見下ろしながら、言葉を紡ぎ出す。
「偉大なる始祖竜、そして始原の七竜より分かたれた真なる竜種として、深紅竜ヴァジェは全身全霊をもって偽りの竜達と戦い、ベルンの地に住まう者達に寄り添う事を誓う」
その言葉を聞き、ヴァジェと付き合いの長いウェドロやオキシスなどは、この娘がここまで厳粛な面持ちと言葉遣いが出来たのか、とかなり失礼な驚きに見舞われていた。
とはいえ、ヴァジェは目の前に古神竜ドラゴンの生まれ変わりがいると知っている。
そのドランが古神竜としての権威を振るうのを嫌っているのは重々承知であるが、それはそれ、これはこれ。
地上の竜種である以上、古神竜を前に気の引き締まらぬ者はまずいないのだ。
「ありがとうございます。アークレスト王国ベルン男爵クリスティーナ・アルマディア・ベルンの名において、ここに誓いましょう。あなた方との末長い親愛に基づく関係を築き上げ、そしてあなた方からの信頼に応えられるよう、全霊を賭して努力する事を」
こうしてモレス山脈に住まう竜種達とベルン男爵領との間で、極めて稀なる人類と竜種との正式な交流が幕を上げた。
竜種の勢力との交流という点では、アークレスト王国は既に水龍皇龍吉の治める龍宮国と正式に国交を持つに到っているが、これらのどちらにもドランの存在が関わっている。
この事実に、アーレクスト王国はもちろん、周辺諸国も注視するのは必然であった。
とはいえ、今後の暗黒の荒野の軍勢──ムンドゥス・カーヌスの軍勢との戦いにおいて、どの道ベルンは注目されるだろう。
警戒はともかく、今のうちに先行投資をしようという気になってもらえたら儲けものだと、ドランはまるで気にしていなかった。
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会談が終わり、竜種達の多くは一旦、眷属達の意思統一を図る為に山脈にあるねぐらへと帰っていった。
ただし、ウェドロはベルン村に来ている人魚達の様子を見る為に、そしてヴァジェはドラン達と話をする為に、それぞれ竜人へ姿を変えて残っている。
竜種達の来訪にベルン村の人々が大いに賑わう中、屋敷へと戻ったドラン達は、竜人の姿で気の毒なくらいに萎縮しているヴァジェと顔を合わせていた。
この場には、立会人を務めたリリエルティエルの姿もある。
「ドラン様、この度は仕方のない事とはいえ、見下ろすような真似をしてしまい、なんとお詫びすればよいか」
余人の目と耳を完全に遮断した執務室の中で、ヴァジェは今にも床に頭突きをかまして陥没させかねない勢いで腰を折って頭を下げた。
これにはドランはもちろん、クリスティーナやセリナ、ドラミナ、ディアドラ達も微笑ないしは苦笑を誘われる。
竜種である事に強い誇りを持つこの少女は、古神竜であるドランに向ける敬意がとりわけ強い。
あの会見の間、さぞや肩身の狭い思いをしていただろう。
「必要だったのだから、気に病む必要など何もないさ。今回の会談に関して、ヴァジェには陰で多くの協力をしてもらっているし、私の方が感謝しなければならないくらいだ。それにしてもすまないな。火龍皇項鱗のところで気苦労を重ねている分、こちらで他の竜達の目を避けて、気を休めてもらえればと思ったのだが……どうにも私の配慮が足りていなかったようだ」
そう言ってドランが頭を下げると、ヴァジェはますます恐縮する。
「いいえ、そのような……。何より、暗黒の荒野で偽竜共が戦の用意を進めているのが原因でございます。決して御身が気に病まれる必要はございません。ただ、恐れながらお伺いしたき事も……」
「ああ、私に答えられる事ならばなんでも答えよう」
「人間ドランとしてならば、御身が先程のように竜種と会談の機会を持たれるのも、卑小な我が身にも理解出来ます。しかしながら、古神竜ドラゴンとして、地上に住む我らにお命じにならないのは何故でしょうか? 他の種族と協力してこの地に蠢く偽竜共を一掃せよと、一言そうご下命くだされば、モレス山脈以外の大地に住む同胞達も、息せき切ってベルンの地に駆けつけるでしょう」
何故? と視線と合わせて問いかけてくるのは、ヴァジェばかりではなかった。
クリスティーナやセリナも、ドランの持つ権限の巨大さは理解していたから、疑問に思わなかったわけではない。
「以前、月にて三竜帝三龍皇達と会う機会があったが、その際に私の方から地上に住む君達への助力の是非を問いかけた。答えは、地上の問題は自分達の力で解決するというものだったよ。私はそれを好ましく思ったし、可能な限り尊重したい。今回の件は、それに倣った判断だ。古神竜ドラゴンとして私が動くのは、古神竜としての私同様にこの地上には本来在るべきではない者達と相対した時と決めているのだ。ムンドゥス・カーヌスの偽竜達の中には、そこまで力を持つ者はいなかったから、今回はヴァジェを含めモレス山脈の同胞達への助力を求めるまでに留めたわけだ」
「左様でございますか。僭越ではありますが、私も三竜帝三龍皇の方々と同じ考えです。地上で起きた問題は、竜界ではなくこの地上で生まれ育った私達自身が挑むべき問題でしょう。それが解決出来るか否かもまた我らの努力次第。ただ、私を含めて、皆が竜界の方々がお出であそばしているこの時期によくも……と、怒りが胸の内に煮え滾っておりますが」
「はは、私達の存在だけでも発奮材料にはなったか。なあに、それくらいは許容範囲だろうさ。さてヴァジェ、ムンドゥス・カーヌスの連中との戦いにおいては、ベルンの人間種の兵士達とも歩調を合わせる必要がある。君達にはさぞや窮屈な事になるとは思うが、私やドラミナ、クリスにセリナ、ディアドラも戦列に加わる。それに、リネットもベルン遊撃騎士としてここぞとばかりに奮戦するだろうな。いざ開戦となった暁には、私と君とは戦友という立場になるわけだが、君の奮闘と期待しているよ。これだけの面子と戦わなければならない相手の方が可哀想なくらいだがね」
「は、はい! 私達の目の前に立つ紛い者共を灰すら残さず燃やしつくしてご覧に入れます!」
ドランの何気ない激励の言葉一つに、ヴァジェは明らかに全身を紅潮させて歓喜の熱を発し、室内の気温を急上昇させる。
それを見て、付き合いのほとんどないリリエルティエルでさえ、実際の戦場で張り切りすぎたヴァジェが地形を変えてしまうくらいの事はありそうだ、と想像するのだった。
第二章―――― ガロアから嵐がやって来る
ヴァジェ同様、ドランの言葉一つで天と地ほども極端に機嫌が変わる少女が、もう一人いる。
最近ではガロアとベルンとで離ればなれになり、手紙のやり取りでなんとか寂寥感を誤魔化し、少しずつ〝親離れ〟の道を歩きはじめていたはずの少女──レニーアである。
ヴァジェが歓喜を覚えていたのと同時刻、ガロア魔法学院の中庭には、傲岸不遜の極みとしか見えない態度で腕を組むレニーアの姿があった。
彼女の前には今、昨年の競魔祭で代表を務めたネルことネルネシアと、今年になってから交流を持つようになった三名の男子生徒が立っている。
少し離れた所では、レニーアの親友にして同居人のイリナ、これまた気を許している同級生のファティマと、彼女の使い魔である半人半吸血鬼シエラが見守っている。
レニーアは華奢な体からは想像もつかない威圧感を発し、暴君そのものという雰囲気で彼らに言い放つ。
「来たる競魔祭の二連覇に向けて、まるで力の足りていないお前達を、鍛えて鍛えて鍛え抜く為、四日後から、ベルン男爵領にて強化合宿を行う! お前達の骨の髄、精神の奥底までこの私が叩き直して、壊して、潰して、強靭なものに作り替えてやるから、覚悟しておけ!」
このような台詞を口にしていても、レニーア・ルフル・ブラスターブラスト。花も恥じらう十七歳の乙女である。
黙ってさえいれば誰もが惚れ惚れと見つめる、妖精のように愛らしい少女だ。
黙ってさえいれば……そう、黙ってさえいれば。そして黙っている事の方が少ない少女であった。
口を開けばおよそ外見に似合わない傲岸不遜なる言葉が飛び出し、その小柄な体からは他者を圧倒する強烈な自信という名前の重圧が放たれる。
肉体こそ人間の父母の間に生まれた純粋なる人間種だったが、魂は大邪神カラヴィスが生み出した、古神竜の因子を持つ神造魔獣という、おそらく世に唯一無二の存在である。
そのレニーアは、在籍するガロア魔法学院において極めて有名な生徒であり、同時に特級の問題児でもあった。
成績は極めて優秀なのだが、興味のない授業にはほとんど目もくれず、進級に必要最低限な分しか受講していない。
友好関係はひどく狭く、彼女とまともに言葉を交わす生徒は両手の指にも満たないほどだ。
そんなレニーアを一躍有名にしたのは、昨年執り行われた五つの魔法学院の生徒達による、魔法戦闘能力の競い合い──競魔祭において見せた凶悪なる戦闘能力だった。
彼女を含む五名の代表選手は、全試合全勝利による優勝という、燦然と輝く陽光の如き実績を打ち立てた。この偉業が当時の代表選手の評価を大いに高め、ガロア教師陣の鼻を高くさせたのは言うまでもない。
しかしそれは同時に、翌年以降の生徒にとって途方もない重圧になった。
特に、昨年の代表五名のうち、レニーアとネルネシアを除く三名が卒業した為、戦闘能力の大幅な低下は免れない。
この揺るぎない事実が、ガロア魔法学院の生徒達に重くのしかかっている。
競魔祭は五名と五名とで試合が行われ、三勝をあげた側が勝利となる試合形式だ。
今年も残った二名──レニーアはまず誰が相手でも勝てる実力を持っているが、ネルネシアは他校の最強格と当たった場合、必ず勝てるとは言い切れない。
その為、少なくともあと二人、ネルネシアや卒業したフェニア級の実力者が欲しい――と、レニーアや魔法学院の教師達は考えていた。
フェニアやネルネシアにしても、十年に一度、あるいはそれ以上の逸材である。冒険者や傭兵だったなら、既に超一流の実力者として名が知られていただろう。
しかも昨年の競魔祭に向けた特訓では、水龍皇や始原の七竜を相手に研鑽を積むという環境にも恵まれた。その為、才能だけはネルネシアやフェニアに匹敵する者がいたとしても、経験を踏まえた実戦能力まで同じ水準に達するのは極めて困難だ。
つまり、卒業した三名――すなわちドラン、クリスティーナ、フェニアの穴を埋めうる人材は、ガロア魔法学院はおろか世界中どこを探したとしても、到底見つからないのだ。
彼女らに準ずる人材として名が挙がるのは、昨年の競魔祭出場者を選定する予選会に出場した生徒達だが、残念ながら何人かは既に卒業している。
さらに悪い事に、ドランに良いところを見せようと奮起したレニーアと昨年の予選会で対戦した生徒達は、一年経っても拭えぬ恐怖を植え付けられ、出場を強固に辞退している。
このような事情もあって、今年、競魔祭出場選手として選定されているレニーアとネルネシア以外の三名は、ガロア魔法学院の最精鋭とは言い切れないのが現在の状況である。
そしてそんな現状に対し、敬愛するドランに続かんと競魔祭二連覇を狙うレニーアが、手をこまねいているわけがなかった。
先程レニーアが口にした台詞は、同じ競魔祭の代表生徒達に向けて、ベルン男爵領での強化合宿実施の宣言だ。
中庭には五名の代表生徒以外にも、ファティマやシエラ、イリナの姿があるが、この三名はネルネシアやレニーアと懇意にしているので、決して場違いというわけではない。
さて、ガロア魔法学院で最も態度が大きく、横柄な事には定評のあるレニーアの対面に立っている三名の男子生徒が、新しく加わった代表である。
一人は、昨年の予選会でドランと激闘を演じた、長身痩躯に眼鏡が特徴的なゴーレムクリエイター、マノス。
菌糸類との親和性が高そうな風貌で、痩せた体ともじゃもじゃとした髪に、眼鏡の奥の知性の光は相変わらずだった。
彼が造り出すゴーレムの性能はドランも認めており、代表生徒としては納得の人選である。
二人目はクシュリという飛蝗の虫人。今年二年生になるレニーアの後輩だが、競魔祭並びに予選会へは初出場だ。
それなりに整ってはいるが、どこか野性的な雰囲気を感じさせる顔つきをしていて、黒い髪の間から飛蝗の触角が飛び出て、両足は茶色い甲殻で覆われている。
虫人特有の強靭な脚力を秘めており、魔法によって魂と肉体を構成する飛蝗の因子を強化し、人間大の昆虫としての身体能力をさらに高めて戦う、肉弾戦に特化した魔法戦士である。
そして三人目の男子生徒は、青みがかった毛皮が美しい青虎人の少年だ。
この面子の中では唯一の一年生であり、やや吊り上がり気味の黄金の瞳を持ち、あどけなさを残しつつも色香すら感じさせる妖しげな顔立ちと、しなやかな体つきをしている。
青黒い髪は長い三つ編みにして垂らし、半袖半ズボンの制服からは青い毛並みに包まれた手足がスラリと伸びる。
野生動物の獰猛さと力強い生命力、そして男として成長しきる前の少年の瑞々しさとを併せ持った、美しい生き物であった。名をアズナルと言う。
冬の間から次の競魔祭の出場選手については話題となっており、彼ら三名以外にも有力株の生徒達は幾人かいた。
だが、そのことごとくがレニーアの厳しいという言葉では表現しきれぬ審査に耐えきれず、櫛の歯が抜けるように脱落していき、最後に残ったのがこの三名だった。
腕を組み、フンスと荒々しく息を吐くレニーアに対して、アズナルが元気よく〝はい〟と声を出しながら挙手をする。質問の許可を求めているのだ。
猫のように気まぐれなところがあり、それがまた一つの魅力となって、多くの女生徒から人気のあるこの少年は、レニーアを相手にしても怯まない胆力の持ち主である。
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