さようなら竜生、こんにちは人生

永島ひろあき

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レニーアと愉快な仲間達

第七話 執念のシジャ

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 レニーアがゼベに対して無理難題を強い、強いられたゼベもまた事態解決の光明をその提案に見出した為、どうにか出来ないかと頭を悩ませていた頃のことである。
 アースィマとハディーヤの身柄を確保するべく、レニーアを一戦交えて成す術なく敗れたロメル・シジャは、その後、冷たい三日月亭の周囲に伏せていたロメル氏族の者達によって回収されていた。

 表向きは独断で動いたとされるシジャだったが、彼が大戦士も贈り子も連れて戻れず、異国の少女に敗れたという事実はロメル氏族にとって衝撃的なものだった。
 アースィマがレニーアに語った通り、シジャは素行が悪く周囲に暴力を振るうのを楽しむところのある問題人物だ。
 そして同時にそれを許される為に強くあり続けようと血反吐を吐く修練を厭わず、またロメル氏族から押し付けられる汚れ仕事の数々をこなしてきた実績を併せ持っている。

 いかにアースィマが国内最高の精霊戦士であり、国宝にも等しい霊刀ソレイガを持っていたとしても足手まといとなるハディーヤを抱えた状況で、正面からの戦闘も搦め手もこなすシジャならば仕損じはしない、とロメル氏族の者達は考えていたほどだ。
 だからこそシジャが戦闘で敗北したという情報は、相応の驚きを持ってロメル氏族の人々に迎えられていた。

 シジャが贈り子らの確保に失敗し、贈り子と大戦士、そしてシジャの邪魔をした異国の少女が姿を消して、その実、マッファ・ゼベの下に匿われているとは知らないロメル氏族、またその他の有力氏族の人々は彼女らの行方を求めて奔走した。
 この状況下で意識を取り戻したシジャは最低限の手当てを受け、淡々と状況報告を終えるとそのままロメル氏族の所有する鍛錬場に引き籠り、今に至る。

 マッファ氏族の領地である港湾都市デザルタを離れ、ロメル氏族の領地にある屋敷の地下に、シジャの籠る鍛錬場がある。
 地下深くに用意された鍛錬場は意図的に精霊の動きを鈍くさせ、数を減らす特殊な場であり、通常よりも精霊への働きかけと精霊の力を振るうのが困難な場所となっている。またほとんど暗闇に飲まれ、自分の手や足も見えないような場所だ。

 今にも潰されてしまいそうな圧迫感と閉塞感、風の流れもほとんど感じられず、目を開けているのか閉じているのかも分からない環境は、足を踏み入れた瞬間から精神をすり減らしてくる。
 そこにシジャは数日間に渡り、籠り続けていた。最低限の保存食と水だけを持ち込み、灯りの類は一切ない。闇ばかりが四方に広がり、自分の体も心もその闇に溶けて消えてしまいそうな空間だ。

「ふぅううう」

 その中でシジャの精神はひたすらに研ぎ澄まされている。風も土も、水も火も感じられない状況の中で彼はわずかに存在する精霊達に呼びかけ、彼らの力を引き出し、強めて行く作業に没入している。
 これまで何度も死を身近に感じ、命を捨てる覚悟で戦ってきた。それだけの強敵と出会い、苦境に追い込まれ、しかしその全てを打破してきたからこそ、こうしてシジャは生きている。

 そのシジャをして頭のてっぺんから指の先まで、そして精神の隅々に至るまで敗北を実感したのは、レニーアが初めてだった。完膚なきまでの、一切の言い訳を挟む余地のない敗北である。
 だからこそシジャはその敗北を覆さなければならない。シジャがこれまでの理不尽な振る舞いを許されているのは、それだけの力が自分にあり、氏族の利益となる汚れ仕事を積極的に引き受けてきたからだと、誰よりも自分で理解している。

 シジャにはまだ利用価値は残っているが、レニーアに敗北した事でその価値が下がったのは言うまでもない。氏族の中での地位を確保する為にも、そして個人的な怨恨を晴らす為にも、シジャはレニーアを必ず殺さなければならないのだ。
 その一念は極めて純粋だった。純粋な想いはそれが殺意であれ、怒りであれ、あるいは慈愛や憐憫であれ、精霊を惹きつける。シジャは着実に精霊使いとしての力量を伸ばしていた。

「時間かい」

 不意に黒一色の世界でシジャが背後を振り返る。閉鎖された外部の様子を鍛錬場に居たまま知る術は基本的にはない。例外の一つはこの状況の中にあって、鍛錬場の外の精霊達との意思疎通が可能な高位の術士の場合、つまり短期間で劇的な成長を遂げたシジャである。
 シジャが知覚した通り鍛錬場を閉ざす石の扉が開かれて、外からの灯りが差し込む。
 四方を石に囲まれた鍛錬場のごく一部が照らし出され、上半身裸のシジャは扉の向こうに立つロメル氏族の使者を見上げる。

「結構、籠っていたと思うけど、状況が動いたんかな? それにしても誰かと話すのが、えらい久しぶりな気もするねぇ」

 ケラケラとレニーアに負ける前と変わらない軽薄な態度で話しかけるシジャに、ロメル氏族の使者である年かさの女性は、恐れおののくような素振りを見せながら答える。

「マッファ氏族が贈り子と例の異国の少女を確保したと情報が入りました。また、儀式の間に参集するよう触れが出ております」

「ほぉん? マッファのお人らが贈り子を捧げる気になったって、んなわけもないか。なにやらあのレニーアとかいうチビちゃんが入れ知恵してそうだけども、他所の氏族も唯々諾々と余所者の言うことを信じやしないでしょ。
 いいよ、それで僕の役割は? 分かってはいるけど、一応、聞いとこうか」

 シジャはレニーアとの再戦の機会が巡ってきたが、思いの外、早かった幸運に笑みの雰囲気を軽薄なものから、凶悪なものへと変えるのだった。



 ハディーヤは少しずつ周囲に集まってくる精霊の気配を感じ、その意思に耳を澄ませていた。眼を閉じ、呼吸を深く長いものにして精神を集中している。
 傍らには同じように瞑想の姿勢を取ったアースィマがいて、二人で基本的な精霊使いの修行に取り組んでいるわけだ。

 場所は変わらずゼベの屋敷に用意された客間である。絨毯の上に敷布を重ねてハディーヤとアースィマがその上で胡坐を組み、心身を落ち着かせている。
 少しずつ数を増やして行く精霊達の意識と触れ合うハディーヤに、レニーアの声が届く。
 レニーアはというと瞑想する二人を、籐で編まれた椅子に腰かけて悠然と眺めている。
 精霊達よりもはるかに力強く、計り知れない程の霊格の高さを感じさせるレニーアに対し、ハディーヤは今さらながら畏怖していた。

「精霊との関わりが国の根幹を成してきたお前達に言うまでもない事だが、下位の精霊はほぼ自我を持たず、知性も無いに等しい。
 専門の修業を積んだ精霊使いや波長の合う者の意に従って、力を振るうのもソレが理由だ。そして時を経るなり、外的な要因で格を上げて自我を得た高位の精霊達が相手になると、逆に意思疎通が難しくなる。
 人間と精霊とでは見えている世界も、住んでいる世界も違うのだから当たり前の話だ。扱いやすい低位の精霊を数で補うのもありだが、同じ属性で相手の方が格上の精霊を使役していた場合、一気に不利になるのが難点だ」

 レニーアに返事こそしないが、ハディーヤもアースィマも一語一句聞き逃さずに聞いている。レニーアの語る内容はこの国のみならず、精霊魔法を学ぶ者なら誰でも知っている基礎中の基礎だ。
 改めて聞かされるまでもないが、レニーアは無駄な事をしないだろうと二人は耳を傾け続ける。

「大精霊級ともなると多くは精霊界に居を移すが、こちら側に腰を落ち着けている個体もいる。
 精霊界に居る大精霊を呼び出すのもいいが、既にこちら側に居る大精霊と契約を結ぶなり、よしみを通じる方が力を行使する負担は小さく済む。
 今はまだいいがいつかより大きな力を欲する時が来たら、大精霊の居住地と思しい場所を調べておくと役に立つだろう」

 精霊界から大精霊や中級の精霊を自在に呼び出せるようになる方が、精霊使いとしての格は上だがな、とレニーアは言うが、それを聞かされたハディーヤとアースィマからすれば、大精霊の召喚などは天賦の才を持った精霊使いが生涯を賭けて成し遂げる偉業だ。
 それを他人事だというのもあるだろうが、簡単に言うレニーアには異論の一つも差し挟みたい気持ちだった。まさか、レニーアからすれば大精霊どころか、精霊王や精霊神すら格下の存在だなどと、ハディーヤ達には知りようもない。

「ふむ、アースィマは手慣れているな。精霊達への応答にそつがなく、精霊達に雑音の混じっていない自分の意思を伝えられている。経験と才能の両方が揃っている。中級の精霊くらいなら、その気になれば大概は呼べるのだろう?」 

「戦いに用いるのはあまり好みではありませんでな」

「だから精霊の力は補助に留めて、血で濡らすのは自分の手のみというわけか。まあ、好きにすればいい。傍迷惑なものでなければ、自分の信条に従うのを止めるつもりはない。
 で、ハディーヤだが贈り子に選ばれるだけの素質はある。日々の祈りと修練を欠かしていなかった成果もあって、将来的には大精霊との意思疎通も可能だろう。安全面を考えるのならば、中級の精霊から慣らしていけば問題はあるまいよ」

「レニーアさんにとってはどうということのない話でも、私達からするととっても不遜なお話になるのですけど……」

 精霊達を更に呼び集め、意思を交わしながら口を開いたハディーヤに、レニーアは鼻で笑って答えた。精霊達の気質からして人間達からの信仰など、求めてはいまい。
 シャンドラに膨大な水を齎した大精霊も、まるで神のように崇められる状況は望んだものではないはずだ。求められた以上は応じる、そんなところだろうか、とレニーアはまだ見ぬ大精霊の心中を推測していた。

「私からすればお前達は精霊との間に明確な上下関係を作り過ぎだ。お互いに話し合って決めた関係ならまだしも、過去からの慣習だからと続けているのなら、いずれは歪み、変質するものだ。
 最初はただ生きる為に結んだはずの契約が、豊かになる為、権力を確固なものとする為にといった具合に変っていったり、意思の疎通を軽視して慣習の継続に比重が偏ったりとかな。この国でもそうなっていそうな予感がヒシヒシとしている」

「レニーア殿は絶妙に反論のしにくい指摘をなさる。確かに過去の慣習を維持する事に目を奪われがちになっておるのは否定できぬし、ハディーヤはあの儀式の時になにを感じた?」

「はっきりと言葉では分からなかったけれど、なんだろうな、私は返された、帰してもらえた。そんな印象かな。レニーアさんがもう一度大精霊様のご意思を確認するように勧められるのも、それが理由なのかな」

 レニーアはあくびを噛み殺しながら答えた。

「その内に分かる話だ。お前がもっと精霊使いとしての力量が高ければ、大精霊の意思を読み取れたのだろうが、荒っぽい方法抜きだと一朝一夕では無理に強く出来んしな」

「うう、努力します」

「お前は才能は十分にある。そうだな、百万人に一人くらいの才能か。生涯を賭けなくても大精霊を召喚するくらいの芸当は出来るようになるだろうさ。
 捧げものとしての教育などせずに、精霊使いとしての教育に専念していればシャンドラの状況はもっと早く変わったろうにな」

 呆れた声でそれだけ言うとレニーアは口を閉ざし、会話を打ち切る。ハディーヤとアースィマもレニーアの真意がなんなのかと考えながら、精霊達との対話を継続するべく改めて瞑想に集中する。
 シジャやとハディーヤ達がそれぞれ精霊使いとしての力量を高める為に行う修行の日々は、やや疲れた様子を隠せなくなってきたゼベが氏族長である自身の母を説き伏せ、儀式の間へ再び足を踏み入れるのを許されるのを告げに来るまで続いた

 レニーアが見守り、ハディーヤとアースィマが水と風の精霊との対話を主に行っている最中、美麗に着飾ったゼベが入室して挨拶もそこそこにレニーアの隣に座り、備え付けの水差しからコップになみなみと注いだ水を一息に飲み干すと、口を挟む隙も無くしゃべり始めた。
 よほど疲れているのか、あるいは溜め込んだ鬱憤を吐き出すような勢いに、ハディーヤは閉じていた目を開いて、驚きを露にしたほどだ。

「ええ、もう疲れましてよ? 逃げた贈り子と大戦士をマッファ氏族が確保したと伝えるだけでも他の氏族からのやっかみがありますのに、実のところは捕縛ではなくて居候に近いですし、おまけにレニーアさんという異分子まで一緒なのですよ?
 わたくし達の手でハディーヤ様達を捕まえていられたのなら、もう少し堂々と他の氏族にも取引なり持ちかけられるのですけれど?」

 言いたいだけ言うと、ゼベは更にもう一杯、冷えた水を飲み干してガラスの小鉢に盛られている干したデーツを口いっぱいに頬張った。普段、他人に隙を見せず、優雅な振る舞いを心掛けているゼベがそれを忘れる位に疲れているらしい。

「どちらにせよお前達マッファ氏族が他の氏族に対して優位に出られるのには、代わりあるまい。優位の程度に違いがあるだけで、お前達にとっては得な話なのだから私達が悪いと言いたいような態度を取られるのは心外だな」

「望外の幸運と思うにはいささかあなたが不穏すぎるのでは? あのロメル・シジャを容易く退ける戦闘能力、秘匿している筈のシャンドラの秘事を把握しているかのような態度。
 そして明らかに他国の人間となれば他国からの介入も視野に入れなければなりませんし、本当に厄介な御方でいらっしゃる。
 この国の要たる大精霊様になにかをなさる危険がないと、今も証明できたわけではありませんし、正直、レニーアさんをお連れしてよいものか今も迷っていないと言えば嘘になりますのよ?」

「ふん、疑り深い奴らめと言いたいが、真っ当な反応だ。国を支える根源に万が一のことがあってはならないと危惧するのも理解する。私を理解していたなら、そんな不安は必要ないと分かるのだが、それを求めるのも酷な話だ。
 だが私から言わせてもらえれば、ハディーヤとそう変わらぬ年齢で大精霊を使役している小僧を知っているし、精霊王を平気な顔で召喚する魔法使いを知っている。そういった連中と比べれば、この国の連中の水準は低いわ。謀略なんぞせんでも力で落とせる」

 レニーアの言う小僧とは競魔祭でドランと激突したエクスの事で、後者は今なお成長途中のメルルだ。
 特にメルルなどは精霊魔法専門というわけでもないのに、超一流という言葉でも足りないほどの大魔法使いであり、シャンドラの人々が出会ったら腰を抜かしかねない。
 レニーアの言葉がどこまで真実か分からないが、嘘を言っている素振りはなく自信満々の様子で告げるレニーアに、ゼベもハディーヤもアースィマも何を言っていいのか分からない様子を見せている。

「えっと、私と同い年くらいで大精霊を使役できるのもすごいですけれど、流石に精霊王様の召喚とかは人間業ではないような~。精霊王様ともなると神性にも匹敵するので、仮に出来たとしても魂が砕けてしまうのでは~?」

 恐る恐る常識的な範疇での反論を試みるハディーヤを、レニーアは物を知らんなと言わんばかりの目線を向けてこう答えた。

「神を降ろしても魂の砕けない聖職者がいるように、精霊王を召喚しても大丈夫な奴はいる。流石にゴロゴロとは居ないが、お前達の世界がシャンドラと精々その周辺国止まりでは、あまりに狭いと言わざるを得ん。
 もっと国内の謀略よりも外の世界に視野を広げなければ、取り返しがつかないほど後れを取ることになるぞ。外国人の私としては大した問題ではないがな」

 シャンドラが他国に蹂躙される未来に陥っても知らないぞ、と告げるレニーアにゼベとアースィマは頬を引き攣らせたが、確かにレニーアからすればどうでもよい事なのだろう。
 出奔を考えているアースィマでも故郷が苦境に陥るとなれば心動かされるが、シャンドラの舵取りを担う氏族生まれのゼベはその比ではあるまい。
 ほとんど戯言のようなレニーアの発言も、これまで彼女が見せてきた圧倒的な力と不可思議な迫力が戯言と切って捨てられない説得力を持たせている。

 それから贈り子を捧げる儀式の行われていた場への移動が決まり、準備に二日をかけてレニーア達はデザルタを後にした。
 向かうのはシャンドラの首都郊外にある巨大洞穴の地下に広がる地底湖だ。デザルタから砂の海を走る砂船に乗り、およそ一日半を費やして移動する。

 砂に干渉して船体を浮かせ、風の精霊の力を借りて推進する砂船はシャンドラを始めとした砂漠地方に広く普及している。
 レニーア達は自由がないこと以外に不便はなく、運び込まれる食事もシャンドラでは贅を尽くしたものだ。これはゼベからの指示だろう。船旅の期間が短い事もあり、レニーアは特に機嫌を損ねていない。

 贈り子の儀式が行われる地底湖は砂漠の岩場に精霊魔法によって隠蔽した大穴を下り、迷宮化された内部を進んだ先に存在する。
 元々は小さな湖だったが、大精霊との契約に基づく儀式によって水量を大幅に増やし、それを地下の水路を通じて国内各地に巡るよう調整した事で、契約を結んだ氏族を中心としたシャンドラの国内統一の大きな原動力となったのである。

 場所を秘匿する為、砂船で直接乗り付ける事はどの氏族であれ許されておらず、首都に砂船を停めた後にラクダの背中に揺られてこの地底湖を目指す事となる。
 当然、地底湖へ向かう一行の護衛も最低限な分、各氏族の精鋭が揃えられており、ゼベを中心とした一行の周囲には六名ほどの卓越した精霊使いと戦士が揃えられている。

 初めてラクダに乗ったレニーアはゆっさゆっさと砂漠を歩くのが面白いのか、意外に上機嫌である。
 護衛のマッファ氏族の猛者達はハディーヤとアースィマを捕縛したというには自由にさせている状況を内心で訝しんでいるが、ゼベから強く言い含められている為、態度には出していない。

 儀式の中核である大精霊ウォクアは通常、地上世界に姿を見せておらず、儀式によって地底湖に顕現し、捧げられた贈り子の魂を触媒として、枯れない水源を生み出し、シャンドラの人々を渇きから救い続け、そして潤したからこその欲望を育ませてしまったのだ。
 照り付ける灼熱の太陽が一行の影を焼けた砂に落とす中、レニーアは砂除けのフードで長い黒髪を隠し、ラクダの乗り心地を気に入っている様子である。

「ふふ、ラクダの背も悪くない。何頭か買って帰るか? ところでゼベ、ハディーヤをもう一度儀式の間に送り込むとなると、他の氏族からもそれなりに地位のある人間が寄越されると考えていいか?」

 不意にレニーアから発せられた問いかけに、レニーアの斜め後方で別のラクダの背に揺られていたゼベはすぐに答えた。誰が出席するかは事前に把握してある。
 ハディーヤを確保したとして、マッファ氏族が一歩進み出た形だが、これからのシャンドラの政権争いを考えれば今が分け目の時だ。どの氏族も神経を尖らせて次に取るべき行動を模索しているだろう。

「そうね? 氏族長を出してくるところもあるでしょうけれど、氏族長に近い立場の重鎮が来るのは間違いないかしら? 護衛として連れてくるのも生え抜きの連中でしょうね?」

「ふむ。では地底湖に辿り着くまでにハディーヤを掠め取ろうとする小物はいるか?」

「いくらなんでもそれはと言いたいところですけれど、ウォクア様との儀式によって得られる水はこの国の要、それを握れるとあれば愚かな勘違いをして仕掛ける者が居ないとは言い切れなくてよ?」

「ふぅん。マッファ氏族の重鎮であるお前を込みで護衛を抹殺して、ハディーヤを攫うのは流石に風聞が悪すぎるものな」

 レニーアの口に浮かぶ笑みが深まり、一気に凶悪さを増したのを目撃してゼベは背筋の凍る思いをした。短い付き合いの間で慣れたのかアースィマはソレイガを抜き放ち、ハディーヤも即座に精霊達に呼びかける。
 周囲の護衛達も三人が戦闘準備を整えるのに気付いて、慌ててそれぞれの武器を構えてレニーア達に向け、レニーアの心底馬鹿にした言葉を浴びる事となる。

「馬鹿が。向ける相手を間違えているぞ。ハディーヤ、アースィマ、ゼベ、この場は私が引き受けた。お前達はさっさと地底湖とやらに向かえ。流石にそこまで追ってはこられんだろう」

 ハディーヤ達の返事を待たずにレニーアは周囲へ思念魔法を走らせ、砂の中に潜んでいた悪霊や蠍、鮫型の魔物達、更にそれらを使役する人間達を引きずり出して四方八方へと放り投げる。
 尾を引く悲鳴と共に遠ざかってゆく彼らの姿に、不届き者の待ち伏せを理解して、ゼベは秀麗な美貌に怒りの朱色を上らせてラクダに鞭を打つ。
 こちらを囲い込んでいた襲撃者はレニーアが先んじて片付けたが、地底湖の道のりにも他の襲撃者達が手ぐすねを引いて待ち構えているだろう。

「ハディーヤ、わしの後ろにおれ! ゼベ殿、わしが先陣を切る故、挟撃の警戒を願いたい!」

 後方からの追撃を口にしないのは、レニーアならばしくじりはないと信頼しているからだ。ゼベも大戦士と称えられるアースィマの戦闘能力には一定の信頼を置いており、周囲の護衛達にも命じて、ハディーヤを連れてこの場からの離脱を最優先事項とする。

「総員、ハディーヤ様の安全を最優先として地底湖へ向かいなさい。逆賊の汚らわしい指を一本たりとて触れさせるのではなくてよ? ではレニーアさん、お任せいたしますわよ?」

「おう。任せておけ。ハディーヤ、アースィマ、さっさとこの国のつまらん慣習に決着を付けて来い。これ以上はこの国の民であるお前達の手で進む先を決めるのが筋というもの。私はお前達の邪魔をする阿呆を叩き潰すところまではしてやる」

「レニーア殿、かたじけない! お先に行かせていただく」

「レニーアさん、すぐに追いかけてきてくださいね! 儀式の間で待っていますから」

「ん。お前達を追い抜かさんように気を付けんとな。ワハハハハハ!」

 ハディーヤ達の乗るラクダが砂を蹴り上げて駆け出すのを見送って、レニーアは自分のラクダから余裕のある態度で飛び降りる。
 ラクダはというと周囲に満ちる殺気を感じているのかいないのか、暴れる様子もなくその場に立ち尽くしている。レニーアがラクダの精神に干渉しているのかもしれない。

「さて、さて。この数日で少しは鍛えてきたようではないか。以前よりはマシだと分かるぞ。たしか、ロメル・シジャとかいうの」

 レニーアが好戦的な笑みを浮かべたまま砂丘の向こうに視線を向ければ、蜃気楼のように風景が滲んで、引き絞られた上半身を露にしたシジャが姿を見せる。

「いやぁ、名前を憶えてくれていて嬉しいなぁ。自分を殺す人間の名前くらい、知っておきたいだろうと思っていてねえ。もし僕の名前を忘れていたら、名乗り直そうかと心配していたよ」

「ふうん、軽薄な態度はそのままだが、さっきの念動は宿で襲ってきた時のお前ならば、耐えられるものではない。よく鍛えたではないか」

「はは、それはどうも。そう言ってもらえると鍛え直した甲斐があったわ。そういうわけで君には骨の髄まで僕の力を体感して欲しいねぇ」

「は! 命令されたのはハディーヤの確保だろうに。よしよし、優しい私はお前のつまらん意地を受け止めてやろう。くだらない慣習を思考放棄して続ける愚かな国に生まれた阿呆な男に引導を渡してやる」

「……いや、いくらなんでも口悪すぎない?」

 この場にハディーヤ達が残っていたなら、流石にシジャに同意したかもしれなかった。

<続>
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