さようなら竜生、こんにちは人生

永島ひろあき

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24巻

24-3

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「そのようでござるな。某と風香……ンン、フウが難破して海を彷徨さまよっていた時は、たとえ奴隷に落とされてもいいから誰かに助けてほしいと、すがりたくなったものでござる。でもやっぱりひどい扱いは嫌でござるし……と、半々の気持ちで泣きべそをかいたもんでござるよ」
「あの時はさめのお腹の中に収まってしまうのではないかと、おしっこちびりそうにもなっていたでござるねえ。通りがかった漁船に助けられて、こことは違う港まで運んでもらって、九死に一生を得たのでござったな、ハッチ。今にして思えば、人買いなりに売られなかったのは、彼らもまたロマル帝国に虐げられている立場であったから、国は違えども同じ獣人を無下むげに扱うのは忍びなかったに違いない。理由がなんであれ、拙者とハッチとしては感謝するばかりでござるよ」
「ハッチさんとフウさんの故郷でも、奴隷制度はあるのですか?」

 アムリアの問いに、ハッチこと八千代とフウこと風香は二人とも、う~んと考え込む。
 これまでアークレスト王国で過ごしている間に、八千代達は故郷である秋津国あきつこくの歴史についてはそれほど詳しく話さなかったらしい。
 話して楽しい話題ではないのは明らかで、二人とも分かりやすく悩んでいるようだ。
 下唇を突き出したいささかはしたない顔の八千代が、物憂ものうげな声で故郷の事情を口にする。

飢饉ききん戦禍せんかに見舞われた時に、口減らしと一時をしのぐお金を得る目的で、子供を奉公ほうこうに出す話は今でもあるのでござる。一応、昔の人間の売買とは違う扱いではあるけれど、年貢上納の為の身売りは認められているし、我が故郷に奴隷はいない、とは言えないでござるよ」
「戦国の頃には、義に厚く信心深く、己の信念を貫く聖君とたたえられた大名も、民と武士を対等と示して領民に慕われた名君も、人間の売り買いはしていたでござるしねえ」

 明るく楽しく幸せだけが続いている歴史というのは、どこの国にもないものだと、風香はかなしむでもなく、ただそれがこの世だと悟ったような声で締めくくった。
 時折含蓄がんちくのある事を言うから、この二人を底抜けに陽気で楽しいポンコツ娘達と言い切れない。

「二人からの答えはどうだった、アナ?」

 私がそう問うと、アムリアはしっかりした口調で答えた。

「昔の話であるのなら、今は少しでも違うという事でしょう。今も近い制度が残っていても、誰かがこのままではいけないと考え、それを国家単位で広めて改善した結果です。そしてそれをこれからも続けていけば、いつか奴隷は遠い言葉、遠い概念に変わるでしょう。その逆の可能性もあるのですけれど、私は私の見出みいだした道を歩みたいと思っています」
「これは、思ったよりも頼もしい言葉が出てきたな。ハッチ、フウ、あちらではどう過ごしていたのだ? 帝国に来てからの影響もあるとは思うが、アナはずいぶんと逞しくなっていると思うぞ」

 私の言う〝あちら〟とは、アークレストの王宮を指す。それなりの教師が用意されていたのは簡単に想像出来るが……

「周りの皆さんのご厚意で大いに学び、大いに食べ、大いに遊び、大いに眠りはしたでござるけれども、それ以上の事は特にはないと思うでござるよ~」
「拙者も拙者も~。ハッチと同じ感想でござるな。アナ殿ご自身はどのように感じておられるので?」
「私は、ですか? ええっと……ハッチさんの言う通り、今もですけれど、私の我儘わがままを叶えていただいたと感謝しています。そのおかげで本当に、たくさんの事を学べて、たくさんの方に生かされていると知り、その恩を何かしらの形で返したいと思うようになりました。それに、帝国に来てから見たもの全てが、私に流れる血の責任を、本当の意味で理解させてくれました。あそこから連れ出していただいてから出会った全ての人々が、今の私を形作ってくれたのだと思います」
「今の君は過去の結晶か。ふむ、ならその大した肝の据わり方も私達の影響というわけだが、これからの君がどうなるのか、どうするのか。楽しみでもあり、どこか恐ろしくもある」

 私が偽りない本音ほんねを口にすると、これまで黙って話に耳を傾けていたリネットが、アムリアへと感嘆かんたん眼差まなざしを向けた。

「グヴェンダン様にここまで言わせるとは、本当にご立派です、アナお嬢様」
「まあ、ふふ……確かにグヴェンダンさんは大抵の事では驚かない方ですものね。私、すごい事が出来たと自信が持てます」

 おしとやかに笑うアムリアに、リネットとガンデウス、キルリンネ達は三人揃ってうんうんと頷き返す。
 このお嬢さん達の〝私至上主義〟は、鳴りを潜める気配すらない。そこまで持ち上げられても、当の私は面映おもはゆくって仕方がないのだけれどなぁ。


 私達は港の中や、近くに広がっている市場もしばらく見て回って、店先の品揃えがまだ豊富である事や、行き交う人々の顔にも笑みが浮かんでいるのを確認した。
 一見すると人間にしか見えない為、明らかに歓迎せざる雰囲気の無数の視線を集めるリネットが、そんなものなど意に介さず、感想を口にする。

「食料品、嗜好品しこうひん、医療品、衣類、まきに炭、武具に到るまで、どれも不足なく並んでいますね。質もそう悪いものではありません。軍に優先して回されていても、これだけの質と量を維持出来ているのは、見事なものです」
「後方の支援態勢は整っているな。元々のロマル帝国支配時代から、海外への戦争を想定した整備がなされていた都市の内の一つというのも理由の一端だろう。しかし、その機能を活用出来ているのは、太陽の獅子吼の努力あっての事には変わりない」
「次に大きく動くとしたなら、太陽の獅子吼が反乱諸勢力の盟主としての立場を確保して、大々的にアステリア皇女かライノスアート大公をつ、と号令を発した時でしょうか?」
「エルケネイで集めた情報を考えると、反乱側も一枚岩にまとまってはいないが、帝国の勢力が残っているうちに争い合うほどいがみ合ってはいない様子だからね。まだ帝国という共通の敵がいる間は、血を流すほどの足の引っ張り合いはしまいよ」

 私の考えを聞き、リネットがポツリとつぶやく。

「まだ、ですか」
「ああ、まだだな。東西南北、どの方角からでも現在の状況を変える〝何か〟が来てもおかしくない状況だ。硬直した現状が否応いやおうなしに変わるのも、そう遠い未来ではないよ」
「では、このウミナルの平穏も長くはないのですね。そうなった時、隔離されているロマルの人々がどうなるか、このトルネなりに気掛かりです」
「ふむ、ロマル人の方が蜂起して血みどろの戦いを起こして、皆殺しという形で鎮圧ちんあつされるか、それともロマル人側が帝国と連携して太陽の獅子吼側を殺戮さつりくしてのけるか。口にするのも不穏ではあるが、両極端な血みどろの結果になりそうだ。レグルがどこに戦いの終着点を見出しているかも、アナではないが気掛かりだ」
「そうなりますと、やはりアナお嬢様の思うままに行動していただくのが、状況を動かすのには効果的ではないでしょうか?」
「好転するか悪化するかは、私達と王国の連携、それに北の動静次第だ」

 北方の魔王軍が動けば、内紛が続くロマル帝国としても無視は出来まい。

「北……動き出す時期でしょうか?」
「隷属と宣戦布告を兼ねた使者が寄越よこされてもいい頃だろう。あちらの私達だけで決めてよい話ではないから、中央まで丁重にご案内せねばならん。使者を殺害して帰すのが返事という野蛮な時代でもないのだからね。使者が来てからも、まだ時間がかかろうさ」
「いざ開戦となっても、なんの心配も不要とは存じますが、キルリンネとガンデウスは戦争の現場に立てないのを残念がるかもしれません」
「君以上に私に対して格好の良いところを見せたがる二人だからな。そんな事をしなくても、私はいつだって父親のような気持ちで君達を見守っているのだが……伝わらないのは私の不徳の致すところだ」
「このトルネを含め、見栄を張る年頃なのだと、どうぞ大きな心でお許しください」
「もちろん、大地より広く、海より深く、そして空よりも高い心で見守るのが肝要かんようと、父親入門関係の書籍で学んだからね」
「……そのような本をいつの間に?」
「はは、まあ、私なりに色々と学ばねばと考えた結果の一つだよ。いつ買ったかは、恥ずかしいから内緒だ」

 短いが濃い付き合いをしていると自負するリネットだったが、主人の思わぬ買い物と努力には、目を丸くするのを禁じ得なかった様子だ。
 そんなリネットの態度が余計に気恥ずかしくて、私は照れを隠すように笑った。


 それからかなりの距離を歩き回り、休憩を取ろうとしたが、人間であるアムリアやリネット達を連れている為、屋台や食堂では冷ややかな視線を向けられた。
 注文しようと近づくと、露骨ろこつに嫌な顔をされたので、私や八千代達だけで屋台で軽食を買った。
 半日近く都市の住人達から悪感情に近い視線と態度を取られ続けて、さしものアムリアも精神的にかなり疲れている様子だ。
 休憩する時にまで住人達の反応をうかがう気にはなれず、私達は人目を避けられるさびれた広場を見つけ、その片隅で休む事にする。
 私達が口にしているのは、長いパンに色々な果実のジャムと、生の果実や干した果実を挟んだ、かなり甘めの品だ。疲れた体と精神に、甘味はとびきりの特効薬の一つだろう。飲み物の方は全員が携帯している金属製の水筒の茶や水で済ませる。

「甘い、柔らかい、酸っぱい、甘い、とても甘い、ぷちぷちしている」
美味おいしいね~。一日中これだけ食べていたいな~」

 パンを一口かじったリネットとキルリンネが、それぞれ感想を口にした。

「以上、私トルネとルリの感想ですが、いかがでしたでしょうか、グヴェンダン様」
「……端的に情報が伝わる感想であると思う」

 ふむ、ウチの子達はここまで教養というか、語彙ごいとぼしかったかな? 私自身も似たような感想ではあるのだが、もう少しこう聞いていて美味しそうだと思える感想が出てこないものかな。
 私もまたパンを平らげながら、アムリア達の方へと視線を転じる。
 あまり手入れのされていない木製の椅子にハンカチを敷いてから腰かけたアムリアに、口いっぱいに甘いのを頬張ほおばる八千代と風香が立て続けに声をかける。
 二人には失礼な話だが、疲れた様子の飼い主を案じる犬にしか見えん。

「アナ殿ぉ、やっぱりこの状況の都市を歩いて回るのは問題があったでござるよぅ。今日はもうこれくらいで切り上げて、グド殿の用意してくださっている宿へと戻るのが吉かと」
「ハッチの言う通りにするのが一番と、このフウも考え申す。ほらぁ、お日様もそろそろ海の向こうに沈みそうになっている事でござるし、今日一日、慣れない都市の中を歩いて回った疲れをいやさないと。体を壊してしまっては元も子もござらんし」
「はい。何事も体が資本ですから、今日はもうゆっくりと休ませていただこうと思います。グドさんの――いえ、アルダム商会の船は、しばらく出港出来ない事ですし」

 厳密に言うと、出港しない、が正しい。
 アルダム商会を通じて国外へ脱出しようとしている私達がウミナルに滞在する口実である。不運にも船に積むはずの荷物の到着が遅れていたり、船員に欠員が出たり、船に故障が見つかったり……といった具合に不幸が重なる予定になっているからだ。
 偶然とは恐ろしいものだな……ふむははははは。

「それで、今日一日休んだら、明日、是非ぜひともお付き合いしていただきたい場所があるのですが……」

 申し訳なさそうに告げるアムリアに、八千代と風香は即座に肯定の返事をした。
 しかし私には、明日アムリアがする事が、彼女にとってこの都市で最大の行為となるのが薄々察せられた。アムリアからのお願いの中には、そう安請やすういするべきではないものが含まれていると、八千代と風香はきっと思い知るなるだろう。
 それは翌日、アムリアがロマル帝国皇女アステリアとして太陽の獅子吼代表レグルと極めて秘匿性の高い形で対面する、という形で実現するのだった。


     †


 アムリア達がレグルと対面する上で留意するべき点の一つは、レグルないしは彼に近い位置にいる人間と直接接触を図る事だ。
 間にアシア派もレコ派も挟まないのが肝要である。二つに割れている過激派に間に挟まれては、レグルの態度や言葉に何かしらの配慮が含まれる恐れがある。
 アムリアが欲しているのは雑物を含まないレグルの純粋な真意と方針なのだ。
 グヴェンダン達以外の者が同行者であったなら、アムリアはここまでの無茶を試みようとはしなかったろう。しかし、グヴェンダンとメイド三姉妹の常人離れした戦闘能力とお人好しぶりを知悉ちしつしているアムリアは、大胆な一手を選べた。
 レグルはまれにだが市外にある演習場や兵舎におもむき、前線に出る兵士達を相手に手合わせをする。あるいは指揮官以上の者達と意見交換をする為に、旧総督府から外出する事がままあるのが判明している。
 彼の立場上そう頻繁ひんぱんに行われるわけではないが、幸いにしてグヴェンダンならば太陽の獅子吼側が厳重に隠蔽いんぺいの魔法を施した旧総督府の中だろうと、問題なく透視出来る。
 こうした事情も、アムリアの目論見もくろみに大いに味方した。
 昨日一日、旧総督府に忍び込ませた虫型ゴーレムとグヴェンダンの透視によって、アシア派でもレコ派でもない、いわばレグル派と呼ぶべき者達の確認は済ませている。
 彼らならばまず真っ先にレグルに情報を伝えて、指示をあおぐだろう。そうなればアムリアとしては願ったり叶ったりである。
 さて、アムリアは紛れもなくロマル帝国皇帝の血筋を受け継ぐ皇女であるが、その存在を秘匿され続けていた経緯もあり、太陽の獅子吼が素性を把握しているとは限らない。
 だが幸か不幸か、アムリアは太陽の獅子吼がどうしても無視出来ない存在と瓜二うりふたつである。多少――いや、大いに不安は残るが、その人物に成りすませば、レグルとの面談が叶う可能性は充分にあった。
 すなわち、双子の姉であるアステリアに成りすますのだ。
 あまりに大胆だがアムリアにしか出来ないこの作戦には、当たり前だが不安要素はある。
 過去にアステリアを実際に見ているグヴェンダンによって、顔が瓜二つという点は保証されているとはいえ、その人格まで完全に真似まねるのはまず不可能だ。
 そもそもアステリアの人格に関する情報自体が不足しているのだから、半分も真似られまい。
 太陽の獅子吼にアステリアの人となりを知っている者がいる可能性は低いが、アステリアではないと看破かんぱされる原因の一つとしては充分に考えられる。
 また、単純に太陽の獅子吼のふところにアステリアを名乗って飛び込む事の危険性が危惧され、これも八千代と風香が声を大にして反対意見を出した理由だった。
 いくらグヴェンダンやリネット達が行動を共にしていても、それとこれとでは話が別であり、わざわざアムリアが獅子の口に飛び込む必要はない。
〝こんこん〟と〝わんわん〟がそう騒ぎ立てるのも無理はない。
 ただ、今回の帝国道中に限ってはアムリアの意思を最優先すると決めているグヴェンダンは黙して語らず、八千代と風香がアムリアに説得されるのを眺めているきりだった。


 アムリアのアステリア成りすまし大作戦の決定がくつがえらず、実行となってからの展開は実に早かった。
 グヴェンダン達は既に、ウミナル市内で一般市民に扮装ふんそうして活動している太陽の獅子吼の諜報員ちょうほういんの存在を把握していた。そしてその中でもレグルへと伝達の系譜けいふが繋がっている者達を選んで、ロマル帝国の間諜の存在をわざと気付かせる。
 この場合のロマル帝国の間諜というのが、アムリアが扮する偽アステリアと、それを守るグヴェンダン達の扮する偽帝国軍人となる。
 そうして彼らに自分達を捕縛ほばくしてもらい、そこで捕まったのがまさかまさかのアステリア皇女だったと判明。この重大事がレグルに伝わって、こちらに会いにくれば目的達成となる。
 あまりに都合がよく、かつ迅速じんそくな展開ではあるが、毎回こうも呆気あっけなく話が進むわけではない。
 今回はアムリアの願いを叶える為に、グヴェンダンが自重の枷を大幅に緩めているからこそ、冗談のように順調に進んだのだ。
 しかしいくらなんでも、反乱勢力の中心地にアステリア皇女が足を運ぶなど軽率すぎるし、まずあり得ないと一笑に付されてもおかしくはなかった。
 しかし、ここで役に立つのが皇女の世間での評判だ。
 彼女は公平にして公明正大、聡明そうめい英邁えいまいなる才女として知られているが、それと同時にあまりに頭の回転が速すぎて、周囲の者達が理解の出来ない突飛な行動に出るとも知られている。
 彼女からすれば合理性に基づいた最小の労働による最大効率の行動も、他者から見れば理解の外というのがざらなのだという。
 そんなアステリアであれば、自ら敵対勢力の懐に姿を見せたとしても、常人には推し量れない確たる理由があるのだと、周囲が勝手に推測し、納得してくれる可能性が極めて高い。
 それに、レグルと会えた後ならば、偽物だとバレてしまっても構わないのだ。
 顔立ちの似た者か、後天的に顔を似せた影武者と誤認されても、それはそれでアムリアとグヴェンダンにとって都合の悪い話ではない。
 後々、本物のアステリアと面談する機会に恵まれた際には、皮肉の一つも言われるかもしれないが……




 第二章―――― 皇女と獅子




 アルダム商会の事務所を出て数時間後、アムリアはウミナル市外にある演習場庁舎の奥まった一室にいた。
 彼女の背後には監視役の屈強な男の獅子人と女の獅子人が二名の合計三名。テーブルを挟んで正面の椅子に腰かけたレグルと、彼の直属の護衛二名がアムリアと相対している。窓はなく、唯一の出入り口である分厚い扉の前にはレグルの護衛である男の黒豹人くろひょうびとが立ちふさがっている。
 室内には照明の魔法具とレグルとアムリアの腰かけている椅子の他は、二人の間に置かれたテーブルしかない。
 何より、この場にはグヴェンダンもリネット達メイド三姉妹も、八千代と風香の姿もなかった。
 アルダム商会を出た時と変わらぬ服装のまま、アムリアはつとめて無表情を心掛けて、こちらの顔を穴が開きそうなほどに凝視ぎょうししてくる若い獅子人を観察していた。
 グヴェンダン達がかたわらにいない事への不安を感じている様子はない。
 レグルは男の獅子人らしく黄金のたてがみを持つ猛々たけだけしい雰囲気の青年である。まだ三十にもなっていないだろう。
 その両手足は獅子の毛皮に覆われていて、胸元の大きく開いた灰色のシャツと青いベストに膝までの白い半ズボン、左肩には真紅のマントを羽織はおるという軽装だ。シャツからベストまで、彼らの部族で好んで使用される刺繍が施されている。
 立場に相応しく、衣服に使われている素材は全て最高級品だが、獅子人の青年のかも精悍せいかんな雰囲気と瞳の輝きが、彼が自らの命をして闘う戦士だと印象付けていた。
 周囲の護衛達は一言も発せずに、レグルとアムリアの対峙たいじを見守っている。アムリアとグヴェンダンの思惑通り、この場にいるのはアシア派でもレコ派でもない、レグル直轄ちょっかつの者達だ。
 目の前の偽アステリアを観察していたレグルだったが、ひとしきり満足したのか、左手で頬杖を突いて口を開く。
 その瞳には、反旗を翻した相手を前にした憎悪よりも、好奇心の光の方が強く輝いている。

「一応、自己紹介をしておこう。おれが太陽の獅子吼の代表を務めているレグル・レオニグスだが……お嬢さん、あんたが本当にロマル帝国のアステリア皇女でいいのかい?」

 会った事のない姉を脳裏に思い描いて、アムリアは周囲からひしひしと寄せられる圧力に負けぬように表情を維持し、喉笛のどぶえみついてきそうな若者に応じた。

「アステリア皇女がこの場にいるわけがないのはお分かりでしょう。ですから、そういう事です」
「ふぅん、そうかい。非公式の会談にしたいのかは知らんが、なら勝手にこっちでアステリア皇女だと思わせてもらうぜ。あんたが皇女の影武者って可能性も充分にあるが、その顔は間違いなくアステリアだ。幻術の形跡はないしな。それにしても、わざわざこっちの懐まで潜入しておいて、偽装を見破られて捕まるなんざ……額面通りに受け取れば、この上なく間抜けな話だ。普通ならおれ達の敵はなんて間抜けなんだと笑えば済むが……アステリアが関わっているとなると、そうもゆかん」

 ここまで言ってから、レグルは口元に浮かべていた笑みはそのままに、眼光を刃の如くするどく変えて、アムリアの心の底まで見通そうと睨む。

「護衛の一人もいないとはいえ、あんたはこうしておれと面と向かっている状況に持ってきている。現状があんたの狙い通りだって可能性は、充分にある。アステリアって女は腹立たしいくらいに頭が切れるからな」
「ええ、アステリア皇女はとても評価されているようですね。本当にそのような評価を受けるに相応しいのか、私には分かりませんけれど。でも、こうして貴方と向かい合えるように動いたのは確かです。私は、貴方とお話をするのが目的ですから」

 この状況は自分の狙い通りだと告げる偽アステリアの言葉に、護衛達が僅かに反応するが、レグルが一瞥いちべつしてそれをしずめた。
 一方で、アムリアの背後の三人は身じろぎ一つしない。

「へえ、おれと何を話したいんだ、皇女。おれ達はあんたらを徹底的に打ちのめすつもりで兵を起こしているんだぜ。中途半端ちゅうとはんぱなところで手打ちになんざ出来ん。あんたらがおれ達と父祖にいてきた数百年分の屈辱ってのは、そういうもんだ」
「ええ、ええ、それは分かっております。ただ、私が知りたいのは、それ以外の部分です。レグル・レオニグス殿、ここには貴方の腹心ばかり。アシア派もレコ派も、リオレ派の方もいない。この場でなら、どちらに配慮する必要もない、貴方自身の言葉を聞けるでしょうから」
「ほー、おれ達の内情も知っているか。だが、それを訳知り顔で話されても、不愉快なだけだぜ。おれがアシアとレコに配慮していると? はん、そこまで腑抜ふぬけに見えるか?」
「いいえ、臣下の意をむ君主を腑抜けとは思いません。ただ先頭に立ってひた走るだけではいけないと、それを知った方の、当然の――そして賢明な判断でしょう」
「そうかい。うわさのアステリア皇女に高く評価してもらえて何よりだ。これで敵じゃなけりゃ、もっと素直に喜んでいたがね」

 レグルはあくまで伝法な口調を崩さず、アステリアをかたるアムリアの真意を探るようにしているが、これだけでもエルケネイで聞いた彼の評判と異なるのが分かる。
 評判通りであったなら、力にものを言わせてアステリアを屈服させようとするか、短絡的たんらくてきに殺害してしまいそうなものだ。


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