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25巻
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後輩達の激励の為に顔を見せ、ある程度の情報交換も済ませた後、ドランとクリスティーナはガロアを訪れた目的の一つである晩餐会に出席すべく、総督府に足を運んでいた。
この晩餐会には、王国北部の要衝たるガロア近隣の主だった貴族達が招かれている。
表立っては、改めて近隣貴族の親交を深める為とされているが、これは他国に向けたもので、会の目的の半分にすぎない。
残る半分の理由は、アークレスト王家から通達された、暗黒の荒野に拠点を持つ国家――ムンドゥス・カーヌスへの対処と、事前の情報と意識の共有である。
これまでムンドゥス・カーヌスは、西部や北部に国境を接する諸国家を相手に戦争を繰り返し、その版図を広げていた。そしてその一方で、南方――つまりアークレスト王国に侵略の手を伸ばす準備も終えている。
後はこちらに接触を持ち、戦端を開くばかりという段階だ。
事前に形ばかりの外交使節の派遣や降伏勧告くらいはあるだろうから、まったく時間がないわけではないが……決して楽観視出来る状況ではなかった。
今回の晩餐会にクリスティーナは、義母リーサから送られた夕暮れの色を映した夜会服を纏い、白銀の髪は三つ編みにまとめている。
晩餐会に相応しい宝石と黄金をあしらったアクセサリーが首元や耳を飾っており、一人で百万の軍勢を葬れる強者とは誰も思うまい。
なお、その美しすぎる容姿を劣化させる為に『アグルルアの腕輪』を装着した上で参加している。
クリスティーナが伴うドランもまた、この場に相応しい出で立ちだ。ベルン男爵領の補佐官に就任してから仕立てた燕尾服に袖を通し、主君であり恋人であるクリスティーナの傍を片時も離れずにいる。
今回の晩餐会には先程会ったばかりのネルネシアをはじめ、レニーア、ファティマ、フェニアらや、その親族達も顔を見せている。他にも、クリスティーナの領主就任式で部下を遣わした貴族の当主格の姿もあった。
ネルネシアを除いても、何人かは直接言葉を交わした覚えのある者達が出席しているので、晩餐会とはまた別に挨拶をしに行った方が良いだろう。
そして今回の晩餐会において、北方の魔王軍とはまた別の意味で、ドランとクリスティーナにとって極めて重大な問題というか、思わず二の足を踏む存在が出席していた。
クリスティーナの実父ドラムと、義兄エルダルだ。
妾腹であるクリスティーナは、エルダルとは実家住まいの頃から関係が希薄だった事もあり、正妻の子である兄に対して遠慮はあっても苦手意識はない。
またドラムに対しては、ベルン男爵領領主への就任に際し、別れの挨拶をしたのを切っ掛けに、一方的にではあるが和解したつもりになっている為、わだかまりはない。
ドラムと面会するにあたり、ただの近況報告や根回しだけが目的であったなら、クリスティーナはそこまで緊張しなかったし、ドランももっと肩の力を抜いていられただろう。
そうならなかったのは、ひとえにクリスティーナがドランを自分の婚約者として紹介するつもりである為だった。
二人の婚約は今回の晩餐会ではまだ公には発表しない予定だが、身内であるドラムとエルダルには、直接顔を合わせる貴重な機会である為、先に伝える事にしたのだ。
ドランは既にセリナの父母を相手に将来夫婦となる旨を伝える経験をしていたものの、二度目とあって慣れた、などとは口が裂けても言えない心境だった。
現状、明確に彼の恋人となっている女性陣の中で、婚姻に関して親族に報告する必要があるのは、セリナとクリスティーナの両名に限られる。
既にセリナは済ませているのだから、クリスティーナの身内という壁を乗り越えれば、もうこの幸福な悩みは解決される。
しかし、素直に愛されていたセリナと比べると、クリスティーナは随分ややこしく愛されていた。
前回の経験は参考にならないとドランはほぼ確信し、全世界最強の怪物である割には平凡な悩みを抱えたまま今に到っている。
対象と同化して永久に苗床とする他天体の生命体、全ての地上生命を支配下に置こうとする魔王、惑星ごとまとめて住人を自らの領域へと連れ去る冒涜的な邪神。そうした存在を跡形もなく消し飛ばすドランであっても、婚約者であるクリスティーナの実父と母親の違う兄には〝お手柔らかにお願い申し上げます〟と頭を下げるしかない。
魔界の悪鬼邪神など恐れぬ超越者であるのに、恋人の身内に挨拶をとなると途端にこれなのだから、なんとも情けないかもしれない。しかしそれも彼の持ち味なのだ。
ドラン自身はこういった自分の態度を、セリナやクリスティーナに呆れられても仕方がないと思っているが、これは無用な心配である。
彼も古神竜という規格から外れ、超越した存在なりに人間らしい親しみやすさがあるとも言えるだろう。
もっともセリナ達は、ドランの超然とした態度と能力の中にあって親しみが感じられるそういう部分が、彼の可愛いところなどと考えていたりする。
いやはや、恋とは人を盲目にするものだ。
クリスティーナの実家のアルマディア家は、アークレスト王国北部のみならず、王国全土を見渡しても有数の大貴族であり、建国期にまで遡れる歴史を持つ。
その為、ガロア総督府の中でも一等格の高い貴賓室が宛がわれ、ドラムとエルダル、その護衛と侍従達が詰めていた。
事前に往訪の旨は伝えていた為、ドランを伴ったクリスティーナが訪れても、侍従達に驚きの様子はなく、すぐに入室の是非を確認して、二人を部屋の中へと通した。
非常時には敵の南下を防ぐ要塞としての機能を持つ総督府だが、増築された区画にあるこの貴賓室は、武骨さとはかけ離れた華やかな彫刻が四方を埋めている。
その部屋の中央に置かれた長椅子に、傍らに執事達を伴って晩餐会用の燕尾服を纏ったドラムとエルダルの姿があった。
二人とも数ヵ月ぶりにクリスティーナの姿を見て、僅かに柔和な雰囲気を滲ませる。
アグルルアの腕輪による容姿の劇的な劣化に関しては、競魔祭で目撃済みの為、特に驚いた様子はない。
それにたとえ身内が相手であっても、クリスティーナの素顔というのはなるべく直視するのを控えておかなければ、正気での会話が成り立たなくなる代物だ。
余程の事がない限り、クリスティーナは実父や兄相手でもアグルルアの腕輪を嵌めておくのが賢明であるだろう。
「お久しぶりでございます。ご機嫌麗しゅう、父上、兄上。クリスティーナ・アルマディア・ベルン、お二人の変わらぬ健やかなお姿に安心いたしました」
身内とはいえ、クリスティーナは正式な男爵としての身分を与えられた身である。その為、ドラム達に対して侯爵とその嫡子に対する態度を取るべきなのか悩んだが、晩餐会の前に二人に面会を求めた理由から娘、妹としての態度を選んだ。
実家で会っていた頃には人型に彫った岩石か何かを連想させる無表情の多かった父も、彼女の記憶の中にあるよりも少しだけ雰囲気が柔和になっていた。
二人きりの時ならまだしも、兄やドラン、執事達もいる場でそのように振る舞うのは稀な事だと、クリスティーナには感じられた。
「お前も変わらず壮健な姿を見せてくれたな。ふ、まさか晩餐会にまで男装した姿で出席するのではないかと危惧したが、無用な心配だったな、エルダル」
「ええ。私が申し上げた通り、クリスティーナもそこまで我を通すほど子供ではなかったでしょう。例の醜くなるという魔法の腕輪を嵌めているにしても、女性らしく着飾ったお前の姿を見るのは、さて、いつ以来になるだろうな、妹よ」
悪意など欠片もなく、共通の記憶を思い返そうとする兄の言葉に、クリスティーナは少しだけ、アルマディア家に引き取られてからの日々を、記憶の中から見つけ出す作業に追われた。
「私が引き取られた直後以来になるでしょうか。私は女子らしい衣服に対して、はっきりと拒否を示しておりましたから」
かつて貧しい暮らしをしていたクリスティーナにとって、性別は関係なく単に高級な衣服が肌に合わなかったのだ。他にも非常時に行動の妨げになるという理由から、当時の彼女は男装姿を選んでいた。
内心では、何かしらの理由でアルマディア家を出る時には、女子の服の方が高く売れそうだ、などと悩んだりもしたのだが、それは今言うべきでないのは確かだ。
「そうか、なんとも懐かしい話よ。妹とはいえ、いつまでも立たせているわけにもいくまい。父上、よろしいか?」
エルダルが確認すると、ドラムは目線で二人が腰かけている長椅子とは別の椅子を示す。
「うむ、クリスティーナ、そちらの席へ」
「はい」
クリスティーナは素直に父の言葉に従い、これまで無言のドランは立ったまま彼女の左背後についた。
腰の後ろで手を組み、固く口を結んで一言も発せず、気配を消しきっているその姿は、主人達の邪魔になってはならぬと心得る従者としては文句なしのものだ。
ただ今回、彼はこのまま脇役でいるのを許される立場にはない。
アルマディアから伴ってきた召使い達が手早くクリスティーナの為のお茶を用意し、父と兄が遠く離れた地の領主となった娘を温かく迎えているように見える光景が出来上がる。
「お前がベルンの領主となってから行っている数々の事業については、わし達の耳にも届いておる。両手で塞いでいても勝手に入ってくるくらいにな」
そう笑って告げる父の姿が、予想外に打ち解けて距離感を詰められたと感じ、クリスティーナは少なからず戸惑っていた。
ドランはそんな彼女の内心の微妙な変化を敏感に察し、心の内で微笑んでいた。家族同士の微笑ましいやり取りというのは、実に和むものである。
「お爺様のご威光により方々からご助力いただけておりますから、間違っても私だけの力ではございません」
「ふ、たとえ我が父であろうと、そしてわしであろうと、モレス山脈の竜種達と協力関係を構築するなど出来はせんかったろう。ラミアや人魚達、エンテの森の諸種族との関係も、お前ほど短期間であそこまで友好関係に持って行ける者を、わしは他に知らんよ」
ここまで堂々と父親から褒められた経験のないクリスティーナは、夜会服から覗く首筋から耳の先までうっすらと赤くしていた。
実年齢よりも随分と幼いその反応には、ドランとエルダルの笑みが深まるのも仕方がないというもの。
しかし、ここでクリスティーナは羞恥と喜びに精神を揉まれてばかりいたわけではない。
自分の傍に控えている愛しい恋人を父と兄に紹介するという、これまでの人生を振り返っても最大規模の難関に挑まねばならないのだ。
「父上からそのようなお言葉をいただける日が来るとは、人生何があるか分からないものですね」
「お前がアルマディアの家で辛い立場にあったのは、全てわしの不徳の致すところだ。許せ。こうしてお前に父親面をするのも、今更、図々しい事だと自覚してはいるのだがな……」
「私は父上を恨んではおりませんよ。アルマディアの家の誰も。今こうして私がベルンの領主という大役を任されているのも、アルマディアの人間であったからこそですし、感謝しております」
「お前にそう言われて救われた気持ちになっている自分を、わしは軽蔑するよ。なんと都合がよく、身勝手なのかと」
「父上はご自分に対して、殊の外、厳しいのですね」
「そのように自分を律さねば、容易く堕落する程度の人間だと自覚しているのでな」
この態度こそ、王国屈指の大貴族の当主が、長年領地を富ませてきた秘訣なのかもしれない。これは見習わねばと、クリスティーナは密かに心の中の手帳に記入した。
「ところで父上、兄上、こちらの者をご紹介させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
ドランがこれまで黙っていたのは、まだクリスティーナの婚約者という立場で紹介を受けておらず、その家臣でしかない為である。
求められない限り、口を挟むのを許される場面ではなかったが、ここにきてクリスティーナが風向きを変えようと動いた。
家臣らしい振る舞いを堅持しているドランを一瞥し、ドラムとエルダルは鷹揚に頷いて答える。
クリスティーナがこの場に連れてくるのだから、相応の信頼を置いている家臣である事くらいは誰にだって想像がつく。
それとは別になんとなく、ただの家臣ではないのだろうと察せられたし、ベルン男爵領躍進の立役者である人物の調査は、アルマディアでも行っている。
だから実のところ、ドラムもエルダルもこの少年が何者であるかはもう把握していた。
「そちらの少年の素性はもう調べはついているが、改めて本人の口から聞かせてもらおう」
ドラムの許しを得て、ドランは一礼する。
「お許しいただきありがとうございます。クリスティーナ様の補佐官を務めております、ドランと申します。ガロア魔法学院では、クリスティーナ様と共に学ばせていただいておりました」
ここまではあくまでクリスティーナの家臣としての言葉だ。クリスティーナの事もクリスとは呼んでいない。
「エンテの森と龍宮国との友好関係の立役者か。邪竜教団アビスドーンや海魔の件でも名を上げているな。それにスペリオン殿下と妹のフラウ殿下とも、何やら秘密裏に親しいと聞く。大した家臣を持ったな、クリスティーナ」
「私には過ぎた家臣です。ですが、その……今日はただ彼を重用した家臣として紹介するだけではないのです。実を申しますと……父上、兄上、ベルンの領主として赴任して以来、私宛の縁談がいくつか舞い込んできた事がありました」
ちなみにクリスティーナよりはずっと少ないが、ドラン宛にも下級騎士の娘や平民上がりの一代騎士の娘、裕福な商人の娘を妻にどうか……という話がちらほらとあった。
躍進著しいベルン男爵領の差配を任されているドランであるから、縁を結ぼうとする動きがあるのも当然だろう。
しかし、そういう話を持ってきた使者にドラミナの素顔を見せて、恋人だと紹介してやれば、あまりの美貌に精神を打ちのめされてしまう。アレと比べられるのかと恐れ戦いて自然と立ち消えになるので、話が拗れないのが幸いだった。恋人として紹介されるドラミナはその度に、実に自慢げにニコニコと笑顔になっている。
「それなら、我が家の方にも何度か話が来たぞ。父上や私を介して、お前と良縁を結ぼうと頼って来た者はそれなりにいたものだよ」
こう答えたのはエルダルだ。
クリスティーナがアルマディア本家から離れて、ベルン家初代当主として独立したとはいえ、家族であるドラムとエルダルにまず話を通そうとするのも、おかしくはない。
「ふむ、父上や兄上からそのような話を頂いた覚えはございませんが……という事は、全てそちらでお断りいただいていたのですか?」
「まあ、な。お前の婚姻はお前のもの。我がアルマディア家からお前に伝える事はないと全て断らせてもらったよ。しかし、だ。クリスティーナ、お前の方から急にこんな話をしてくるとなると、そちらのドランがお前の考えている相手なのか?」
兄からの指摘に、クリスティーナは乙女の恥じらいを見せた。もっと言えば、頬にうっすらと朱の色を浮かべたのである。
この世で最も美しい化粧をした妹の姿に、エルダルは妻を連れてこなくて良かったと心底思った。
エルダルの妻――クリスティーナの義理の姉は、クリスティーナの美貌にすっかり心酔して、参ってしまっているのだ。
信奉者の域に達していると言っても、言いすぎではないのが、エルダルの小さな悩みである。
「初めてお前の望みを耳にしたかもしれないな。ベルン男爵家の当主が決めた事ならば、それで構わないと私は思うが……」
エルダルの視線につられて、クリスティーナとドランはドラムの顔を見た。
娘からすると意外にも自分を愛していた父親は、どことなくむすっとした顔になっている。
これが自分の意に沿わぬ婚姻を進めようとしているクリスティーナに怒っているのか、あるいはまさか、娘が結婚する事自体が気に食わないのか。
それはドラム以外の誰にも分からなかった。
おそるおそるクリスティーナがドラムの顔色を窺いながら口を開く。
ここで反対されても、ドランとは何がなんでも結婚するつもりだ――そうしないとセリナ達からの視線が非常に怖い――が、やはり身内には賛成してほしいものだ。
「父上、その、もしドランの身分が気掛かりであるとお考えでしたなら、ご安心ください。彼は平民生まれではありますが騎爵としての身分を拝領しておりますし、また私も彼を正式な騎士として叙任しています。男爵の相手として決して不相応ではありません。何より私は彼をこそ我が夫として迎えたいと考えています」
婚約者としての紹介をすっ飛ばし、夫にするとまで断言したクリスティーナに、ドランは少しだけ目を丸くして驚いた。しかし、ドラムが零した小さな溜息を耳にして、そちらに視線を移す。
「他家の当主が決めた事に口を出すほど、耄碌はしておらん。それが自分の娘が決めた婚姻であれ、だ」
口にした言葉とは裏腹にますますしかめっ面になっていくドラムに困惑し、クリスティーナは自分よりもはるかに父に詳しいエルダルに視線で助けを求める。
ほとんど初めてに等しい妹からの助けの求めに、兄は無力を噛み締めながら首を横に振った。
エルダルの記憶を遡っても、こういう感情を表に出す父の態度というのはほとんど例がない。
分かっているのは、父がクリスティーナに対していくらか拗らせているという事実だけだった。
「クリスティーナは身分と口にしたが、ドラン、君が娘と王家から与えられた身分以上に重要な人物であるのは、わしとて知っているよ。君はエンテの森の重鎮たるオリヴィエ学院長のみならず、世界樹エンテ・ユグドラシル殿と友好関係を結んだと聞く。それに、龍宮国国主龍吉殿が我が国との関係を前向きにお考えになったのも、君の存在が大きいそうだね。そのような重要人物が娘の家臣となり、夫となって支えてくれるのなら、父親としても、一貴族の当主としても、頼もしい限りだ」
口ではそう言っているけれど、顔は思いっきりしかめっ面のままだなあ……と、クリスティーナとエルダルの兄妹は素直な感想を抱いた。
ドラムの値踏みを隠さない視線を真っ向から受けて、ドランは変わらずあるかなきかの微笑を貫く。
恋人の父親であるなら、値踏みをするのも当然だと考えているからだ。
「この上ないお褒めの言葉です。ドラム様」
「ここ百年、二百年……いや、建国期まで遡ったとしても、君ほどの成果を上げている人間がどれほどいるだろうか。クリスティーナは領地運営の始まりから有能な人物を確保出来たわけなのだから、喜ぶべきだろうな」
ドラムはとりあえず事実ではあるが社交辞令めいた言葉を重ねるが、渋面は変わらない。
愛していた娘が――どこの馬の骨というわけではないのだが――よく知らぬ男にかっさらわれるのは、心中では面白くないのだろう。
厳しい言葉を口にしていないのは、ドラム自身、これまでろくに父親らしい事をしてこなかったくせに、身勝手だという自覚があるからだ。
「ありがとうございます。クリスティーナ様に相応しくあれるよう、常に己を律し、お傍で生涯支えます」
「んん!!」
クリスティーナにとっては意表を衝く形で発せられたドランからのプロポーズ(?)の言葉に、彼女の咽喉の奥から若干低めの奇声が漏れた。
父ドラムと兄エルダル、それに執事達の姿がなかったら、この場で恥ずかしさと嬉しさを制御しきれずに、床の上を転げ回っただろう。
さらに、残念ながら晩餐会の時間が近づいていた。義父と義兄になる二人への挨拶は、また晩餐会とその後の会議が終わってから改めてする他ない。
ドラムの顔がまた渋くなるのを見逃さず、ドランはこの場にいる全員を現実に引き戻す言葉を口にした。
「これからそう遠からずこの地にやってくる北の脅威を前にしても、クリスティーナ様のお傍におりますよ」
それは、娘が男を紹介してきた事に機嫌を損ねる父と、そんな父を見てどうしたものかと悩む息子の意識を切り替えさせるのに、充分すぎる言葉だった。
そう、ドラン達は決して結婚の話をしたり、後輩を激励したりする為にガロアに足を運んだのではない。
クリスティーナが最も危険な役割を担う、魔王軍との戦いに備えるのが一番の目的だ。
「口ではなんとでも……とは言うが、その目に偽りはないな。余程でない限りクリスティーナの婚姻に口は挟まん。君はその余程の場合ではなさそうだ。クリスティーナ、結婚の時期は決めているのか?」
「いえ、結婚の時期に関しましては、具体的にはまだ決めておりません。年内には魔王軍との戦闘が始まるでしょうし、それを考えると、私の結婚それ自体も策の一つとして用いられそうですので」
「ふむ、そうか。ならば」
ドラムは何やら考え込むように深く目を閉じた。
再びそれを開いた時には爛々と輝く獰猛とさえ表現出来る光が浮かび上がっていた。
「なるべく早く戦争を終わらせんとな」
ドラムの獲物を狙い定めた狩人のような声色に、ドランはやはりこの方はクリスの父親だなあ……と、呑気な感想を抱くのだった。
後輩達の激励の為に顔を見せ、ある程度の情報交換も済ませた後、ドランとクリスティーナはガロアを訪れた目的の一つである晩餐会に出席すべく、総督府に足を運んでいた。
この晩餐会には、王国北部の要衝たるガロア近隣の主だった貴族達が招かれている。
表立っては、改めて近隣貴族の親交を深める為とされているが、これは他国に向けたもので、会の目的の半分にすぎない。
残る半分の理由は、アークレスト王家から通達された、暗黒の荒野に拠点を持つ国家――ムンドゥス・カーヌスへの対処と、事前の情報と意識の共有である。
これまでムンドゥス・カーヌスは、西部や北部に国境を接する諸国家を相手に戦争を繰り返し、その版図を広げていた。そしてその一方で、南方――つまりアークレスト王国に侵略の手を伸ばす準備も終えている。
後はこちらに接触を持ち、戦端を開くばかりという段階だ。
事前に形ばかりの外交使節の派遣や降伏勧告くらいはあるだろうから、まったく時間がないわけではないが……決して楽観視出来る状況ではなかった。
今回の晩餐会にクリスティーナは、義母リーサから送られた夕暮れの色を映した夜会服を纏い、白銀の髪は三つ編みにまとめている。
晩餐会に相応しい宝石と黄金をあしらったアクセサリーが首元や耳を飾っており、一人で百万の軍勢を葬れる強者とは誰も思うまい。
なお、その美しすぎる容姿を劣化させる為に『アグルルアの腕輪』を装着した上で参加している。
クリスティーナが伴うドランもまた、この場に相応しい出で立ちだ。ベルン男爵領の補佐官に就任してから仕立てた燕尾服に袖を通し、主君であり恋人であるクリスティーナの傍を片時も離れずにいる。
今回の晩餐会には先程会ったばかりのネルネシアをはじめ、レニーア、ファティマ、フェニアらや、その親族達も顔を見せている。他にも、クリスティーナの領主就任式で部下を遣わした貴族の当主格の姿もあった。
ネルネシアを除いても、何人かは直接言葉を交わした覚えのある者達が出席しているので、晩餐会とはまた別に挨拶をしに行った方が良いだろう。
そして今回の晩餐会において、北方の魔王軍とはまた別の意味で、ドランとクリスティーナにとって極めて重大な問題というか、思わず二の足を踏む存在が出席していた。
クリスティーナの実父ドラムと、義兄エルダルだ。
妾腹であるクリスティーナは、エルダルとは実家住まいの頃から関係が希薄だった事もあり、正妻の子である兄に対して遠慮はあっても苦手意識はない。
またドラムに対しては、ベルン男爵領領主への就任に際し、別れの挨拶をしたのを切っ掛けに、一方的にではあるが和解したつもりになっている為、わだかまりはない。
ドラムと面会するにあたり、ただの近況報告や根回しだけが目的であったなら、クリスティーナはそこまで緊張しなかったし、ドランももっと肩の力を抜いていられただろう。
そうならなかったのは、ひとえにクリスティーナがドランを自分の婚約者として紹介するつもりである為だった。
二人の婚約は今回の晩餐会ではまだ公には発表しない予定だが、身内であるドラムとエルダルには、直接顔を合わせる貴重な機会である為、先に伝える事にしたのだ。
ドランは既にセリナの父母を相手に将来夫婦となる旨を伝える経験をしていたものの、二度目とあって慣れた、などとは口が裂けても言えない心境だった。
現状、明確に彼の恋人となっている女性陣の中で、婚姻に関して親族に報告する必要があるのは、セリナとクリスティーナの両名に限られる。
既にセリナは済ませているのだから、クリスティーナの身内という壁を乗り越えれば、もうこの幸福な悩みは解決される。
しかし、素直に愛されていたセリナと比べると、クリスティーナは随分ややこしく愛されていた。
前回の経験は参考にならないとドランはほぼ確信し、全世界最強の怪物である割には平凡な悩みを抱えたまま今に到っている。
対象と同化して永久に苗床とする他天体の生命体、全ての地上生命を支配下に置こうとする魔王、惑星ごとまとめて住人を自らの領域へと連れ去る冒涜的な邪神。そうした存在を跡形もなく消し飛ばすドランであっても、婚約者であるクリスティーナの実父と母親の違う兄には〝お手柔らかにお願い申し上げます〟と頭を下げるしかない。
魔界の悪鬼邪神など恐れぬ超越者であるのに、恋人の身内に挨拶をとなると途端にこれなのだから、なんとも情けないかもしれない。しかしそれも彼の持ち味なのだ。
ドラン自身はこういった自分の態度を、セリナやクリスティーナに呆れられても仕方がないと思っているが、これは無用な心配である。
彼も古神竜という規格から外れ、超越した存在なりに人間らしい親しみやすさがあるとも言えるだろう。
もっともセリナ達は、ドランの超然とした態度と能力の中にあって親しみが感じられるそういう部分が、彼の可愛いところなどと考えていたりする。
いやはや、恋とは人を盲目にするものだ。
クリスティーナの実家のアルマディア家は、アークレスト王国北部のみならず、王国全土を見渡しても有数の大貴族であり、建国期にまで遡れる歴史を持つ。
その為、ガロア総督府の中でも一等格の高い貴賓室が宛がわれ、ドラムとエルダル、その護衛と侍従達が詰めていた。
事前に往訪の旨は伝えていた為、ドランを伴ったクリスティーナが訪れても、侍従達に驚きの様子はなく、すぐに入室の是非を確認して、二人を部屋の中へと通した。
非常時には敵の南下を防ぐ要塞としての機能を持つ総督府だが、増築された区画にあるこの貴賓室は、武骨さとはかけ離れた華やかな彫刻が四方を埋めている。
その部屋の中央に置かれた長椅子に、傍らに執事達を伴って晩餐会用の燕尾服を纏ったドラムとエルダルの姿があった。
二人とも数ヵ月ぶりにクリスティーナの姿を見て、僅かに柔和な雰囲気を滲ませる。
アグルルアの腕輪による容姿の劇的な劣化に関しては、競魔祭で目撃済みの為、特に驚いた様子はない。
それにたとえ身内が相手であっても、クリスティーナの素顔というのはなるべく直視するのを控えておかなければ、正気での会話が成り立たなくなる代物だ。
余程の事がない限り、クリスティーナは実父や兄相手でもアグルルアの腕輪を嵌めておくのが賢明であるだろう。
「お久しぶりでございます。ご機嫌麗しゅう、父上、兄上。クリスティーナ・アルマディア・ベルン、お二人の変わらぬ健やかなお姿に安心いたしました」
身内とはいえ、クリスティーナは正式な男爵としての身分を与えられた身である。その為、ドラム達に対して侯爵とその嫡子に対する態度を取るべきなのか悩んだが、晩餐会の前に二人に面会を求めた理由から娘、妹としての態度を選んだ。
実家で会っていた頃には人型に彫った岩石か何かを連想させる無表情の多かった父も、彼女の記憶の中にあるよりも少しだけ雰囲気が柔和になっていた。
二人きりの時ならまだしも、兄やドラン、執事達もいる場でそのように振る舞うのは稀な事だと、クリスティーナには感じられた。
「お前も変わらず壮健な姿を見せてくれたな。ふ、まさか晩餐会にまで男装した姿で出席するのではないかと危惧したが、無用な心配だったな、エルダル」
「ええ。私が申し上げた通り、クリスティーナもそこまで我を通すほど子供ではなかったでしょう。例の醜くなるという魔法の腕輪を嵌めているにしても、女性らしく着飾ったお前の姿を見るのは、さて、いつ以来になるだろうな、妹よ」
悪意など欠片もなく、共通の記憶を思い返そうとする兄の言葉に、クリスティーナは少しだけ、アルマディア家に引き取られてからの日々を、記憶の中から見つけ出す作業に追われた。
「私が引き取られた直後以来になるでしょうか。私は女子らしい衣服に対して、はっきりと拒否を示しておりましたから」
かつて貧しい暮らしをしていたクリスティーナにとって、性別は関係なく単に高級な衣服が肌に合わなかったのだ。他にも非常時に行動の妨げになるという理由から、当時の彼女は男装姿を選んでいた。
内心では、何かしらの理由でアルマディア家を出る時には、女子の服の方が高く売れそうだ、などと悩んだりもしたのだが、それは今言うべきでないのは確かだ。
「そうか、なんとも懐かしい話よ。妹とはいえ、いつまでも立たせているわけにもいくまい。父上、よろしいか?」
エルダルが確認すると、ドラムは目線で二人が腰かけている長椅子とは別の椅子を示す。
「うむ、クリスティーナ、そちらの席へ」
「はい」
クリスティーナは素直に父の言葉に従い、これまで無言のドランは立ったまま彼女の左背後についた。
腰の後ろで手を組み、固く口を結んで一言も発せず、気配を消しきっているその姿は、主人達の邪魔になってはならぬと心得る従者としては文句なしのものだ。
ただ今回、彼はこのまま脇役でいるのを許される立場にはない。
アルマディアから伴ってきた召使い達が手早くクリスティーナの為のお茶を用意し、父と兄が遠く離れた地の領主となった娘を温かく迎えているように見える光景が出来上がる。
「お前がベルンの領主となってから行っている数々の事業については、わし達の耳にも届いておる。両手で塞いでいても勝手に入ってくるくらいにな」
そう笑って告げる父の姿が、予想外に打ち解けて距離感を詰められたと感じ、クリスティーナは少なからず戸惑っていた。
ドランはそんな彼女の内心の微妙な変化を敏感に察し、心の内で微笑んでいた。家族同士の微笑ましいやり取りというのは、実に和むものである。
「お爺様のご威光により方々からご助力いただけておりますから、間違っても私だけの力ではございません」
「ふ、たとえ我が父であろうと、そしてわしであろうと、モレス山脈の竜種達と協力関係を構築するなど出来はせんかったろう。ラミアや人魚達、エンテの森の諸種族との関係も、お前ほど短期間であそこまで友好関係に持って行ける者を、わしは他に知らんよ」
ここまで堂々と父親から褒められた経験のないクリスティーナは、夜会服から覗く首筋から耳の先までうっすらと赤くしていた。
実年齢よりも随分と幼いその反応には、ドランとエルダルの笑みが深まるのも仕方がないというもの。
しかし、ここでクリスティーナは羞恥と喜びに精神を揉まれてばかりいたわけではない。
自分の傍に控えている愛しい恋人を父と兄に紹介するという、これまでの人生を振り返っても最大規模の難関に挑まねばならないのだ。
「父上からそのようなお言葉をいただける日が来るとは、人生何があるか分からないものですね」
「お前がアルマディアの家で辛い立場にあったのは、全てわしの不徳の致すところだ。許せ。こうしてお前に父親面をするのも、今更、図々しい事だと自覚してはいるのだがな……」
「私は父上を恨んではおりませんよ。アルマディアの家の誰も。今こうして私がベルンの領主という大役を任されているのも、アルマディアの人間であったからこそですし、感謝しております」
「お前にそう言われて救われた気持ちになっている自分を、わしは軽蔑するよ。なんと都合がよく、身勝手なのかと」
「父上はご自分に対して、殊の外、厳しいのですね」
「そのように自分を律さねば、容易く堕落する程度の人間だと自覚しているのでな」
この態度こそ、王国屈指の大貴族の当主が、長年領地を富ませてきた秘訣なのかもしれない。これは見習わねばと、クリスティーナは密かに心の中の手帳に記入した。
「ところで父上、兄上、こちらの者をご紹介させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
ドランがこれまで黙っていたのは、まだクリスティーナの婚約者という立場で紹介を受けておらず、その家臣でしかない為である。
求められない限り、口を挟むのを許される場面ではなかったが、ここにきてクリスティーナが風向きを変えようと動いた。
家臣らしい振る舞いを堅持しているドランを一瞥し、ドラムとエルダルは鷹揚に頷いて答える。
クリスティーナがこの場に連れてくるのだから、相応の信頼を置いている家臣である事くらいは誰にだって想像がつく。
それとは別になんとなく、ただの家臣ではないのだろうと察せられたし、ベルン男爵領躍進の立役者である人物の調査は、アルマディアでも行っている。
だから実のところ、ドラムもエルダルもこの少年が何者であるかはもう把握していた。
「そちらの少年の素性はもう調べはついているが、改めて本人の口から聞かせてもらおう」
ドラムの許しを得て、ドランは一礼する。
「お許しいただきありがとうございます。クリスティーナ様の補佐官を務めております、ドランと申します。ガロア魔法学院では、クリスティーナ様と共に学ばせていただいておりました」
ここまではあくまでクリスティーナの家臣としての言葉だ。クリスティーナの事もクリスとは呼んでいない。
「エンテの森と龍宮国との友好関係の立役者か。邪竜教団アビスドーンや海魔の件でも名を上げているな。それにスペリオン殿下と妹のフラウ殿下とも、何やら秘密裏に親しいと聞く。大した家臣を持ったな、クリスティーナ」
「私には過ぎた家臣です。ですが、その……今日はただ彼を重用した家臣として紹介するだけではないのです。実を申しますと……父上、兄上、ベルンの領主として赴任して以来、私宛の縁談がいくつか舞い込んできた事がありました」
ちなみにクリスティーナよりはずっと少ないが、ドラン宛にも下級騎士の娘や平民上がりの一代騎士の娘、裕福な商人の娘を妻にどうか……という話がちらほらとあった。
躍進著しいベルン男爵領の差配を任されているドランであるから、縁を結ぼうとする動きがあるのも当然だろう。
しかし、そういう話を持ってきた使者にドラミナの素顔を見せて、恋人だと紹介してやれば、あまりの美貌に精神を打ちのめされてしまう。アレと比べられるのかと恐れ戦いて自然と立ち消えになるので、話が拗れないのが幸いだった。恋人として紹介されるドラミナはその度に、実に自慢げにニコニコと笑顔になっている。
「それなら、我が家の方にも何度か話が来たぞ。父上や私を介して、お前と良縁を結ぼうと頼って来た者はそれなりにいたものだよ」
こう答えたのはエルダルだ。
クリスティーナがアルマディア本家から離れて、ベルン家初代当主として独立したとはいえ、家族であるドラムとエルダルにまず話を通そうとするのも、おかしくはない。
「ふむ、父上や兄上からそのような話を頂いた覚えはございませんが……という事は、全てそちらでお断りいただいていたのですか?」
「まあ、な。お前の婚姻はお前のもの。我がアルマディア家からお前に伝える事はないと全て断らせてもらったよ。しかし、だ。クリスティーナ、お前の方から急にこんな話をしてくるとなると、そちらのドランがお前の考えている相手なのか?」
兄からの指摘に、クリスティーナは乙女の恥じらいを見せた。もっと言えば、頬にうっすらと朱の色を浮かべたのである。
この世で最も美しい化粧をした妹の姿に、エルダルは妻を連れてこなくて良かったと心底思った。
エルダルの妻――クリスティーナの義理の姉は、クリスティーナの美貌にすっかり心酔して、参ってしまっているのだ。
信奉者の域に達していると言っても、言いすぎではないのが、エルダルの小さな悩みである。
「初めてお前の望みを耳にしたかもしれないな。ベルン男爵家の当主が決めた事ならば、それで構わないと私は思うが……」
エルダルの視線につられて、クリスティーナとドランはドラムの顔を見た。
娘からすると意外にも自分を愛していた父親は、どことなくむすっとした顔になっている。
これが自分の意に沿わぬ婚姻を進めようとしているクリスティーナに怒っているのか、あるいはまさか、娘が結婚する事自体が気に食わないのか。
それはドラム以外の誰にも分からなかった。
おそるおそるクリスティーナがドラムの顔色を窺いながら口を開く。
ここで反対されても、ドランとは何がなんでも結婚するつもりだ――そうしないとセリナ達からの視線が非常に怖い――が、やはり身内には賛成してほしいものだ。
「父上、その、もしドランの身分が気掛かりであるとお考えでしたなら、ご安心ください。彼は平民生まれではありますが騎爵としての身分を拝領しておりますし、また私も彼を正式な騎士として叙任しています。男爵の相手として決して不相応ではありません。何より私は彼をこそ我が夫として迎えたいと考えています」
婚約者としての紹介をすっ飛ばし、夫にするとまで断言したクリスティーナに、ドランは少しだけ目を丸くして驚いた。しかし、ドラムが零した小さな溜息を耳にして、そちらに視線を移す。
「他家の当主が決めた事に口を出すほど、耄碌はしておらん。それが自分の娘が決めた婚姻であれ、だ」
口にした言葉とは裏腹にますますしかめっ面になっていくドラムに困惑し、クリスティーナは自分よりもはるかに父に詳しいエルダルに視線で助けを求める。
ほとんど初めてに等しい妹からの助けの求めに、兄は無力を噛み締めながら首を横に振った。
エルダルの記憶を遡っても、こういう感情を表に出す父の態度というのはほとんど例がない。
分かっているのは、父がクリスティーナに対していくらか拗らせているという事実だけだった。
「クリスティーナは身分と口にしたが、ドラン、君が娘と王家から与えられた身分以上に重要な人物であるのは、わしとて知っているよ。君はエンテの森の重鎮たるオリヴィエ学院長のみならず、世界樹エンテ・ユグドラシル殿と友好関係を結んだと聞く。それに、龍宮国国主龍吉殿が我が国との関係を前向きにお考えになったのも、君の存在が大きいそうだね。そのような重要人物が娘の家臣となり、夫となって支えてくれるのなら、父親としても、一貴族の当主としても、頼もしい限りだ」
口ではそう言っているけれど、顔は思いっきりしかめっ面のままだなあ……と、クリスティーナとエルダルの兄妹は素直な感想を抱いた。
ドラムの値踏みを隠さない視線を真っ向から受けて、ドランは変わらずあるかなきかの微笑を貫く。
恋人の父親であるなら、値踏みをするのも当然だと考えているからだ。
「この上ないお褒めの言葉です。ドラム様」
「ここ百年、二百年……いや、建国期まで遡ったとしても、君ほどの成果を上げている人間がどれほどいるだろうか。クリスティーナは領地運営の始まりから有能な人物を確保出来たわけなのだから、喜ぶべきだろうな」
ドラムはとりあえず事実ではあるが社交辞令めいた言葉を重ねるが、渋面は変わらない。
愛していた娘が――どこの馬の骨というわけではないのだが――よく知らぬ男にかっさらわれるのは、心中では面白くないのだろう。
厳しい言葉を口にしていないのは、ドラム自身、これまでろくに父親らしい事をしてこなかったくせに、身勝手だという自覚があるからだ。
「ありがとうございます。クリスティーナ様に相応しくあれるよう、常に己を律し、お傍で生涯支えます」
「んん!!」
クリスティーナにとっては意表を衝く形で発せられたドランからのプロポーズ(?)の言葉に、彼女の咽喉の奥から若干低めの奇声が漏れた。
父ドラムと兄エルダル、それに執事達の姿がなかったら、この場で恥ずかしさと嬉しさを制御しきれずに、床の上を転げ回っただろう。
さらに、残念ながら晩餐会の時間が近づいていた。義父と義兄になる二人への挨拶は、また晩餐会とその後の会議が終わってから改めてする他ない。
ドラムの顔がまた渋くなるのを見逃さず、ドランはこの場にいる全員を現実に引き戻す言葉を口にした。
「これからそう遠からずこの地にやってくる北の脅威を前にしても、クリスティーナ様のお傍におりますよ」
それは、娘が男を紹介してきた事に機嫌を損ねる父と、そんな父を見てどうしたものかと悩む息子の意識を切り替えさせるのに、充分すぎる言葉だった。
そう、ドラン達は決して結婚の話をしたり、後輩を激励したりする為にガロアに足を運んだのではない。
クリスティーナが最も危険な役割を担う、魔王軍との戦いに備えるのが一番の目的だ。
「口ではなんとでも……とは言うが、その目に偽りはないな。余程でない限りクリスティーナの婚姻に口は挟まん。君はその余程の場合ではなさそうだ。クリスティーナ、結婚の時期は決めているのか?」
「いえ、結婚の時期に関しましては、具体的にはまだ決めておりません。年内には魔王軍との戦闘が始まるでしょうし、それを考えると、私の結婚それ自体も策の一つとして用いられそうですので」
「ふむ、そうか。ならば」
ドラムは何やら考え込むように深く目を閉じた。
再びそれを開いた時には爛々と輝く獰猛とさえ表現出来る光が浮かび上がっていた。
「なるべく早く戦争を終わらせんとな」
ドラムの獲物を狙い定めた狩人のような声色に、ドランはやはりこの方はクリスの父親だなあ……と、呑気な感想を抱くのだった。
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