兎の檻は誰が壊したか

音央とお

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第一章

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大学の仲間たちと飲み会が行われた。

最近お酒が飲めるようになった私は、まだ自分の限界を測れないでいた。
ちびちびと飲んでいたはずなのに、気付けば酔いつぶれてしまった。

「……」

「モカちゃん、目が据わってるね。誰かにお迎え頼んだほうがいいんじゃない?」

幹事の絵里ちゃんが水の入ったグラスを渡してくれる。
彼女は面倒見の良い子で、いつも助かっている。

「ありがとぉ~」

頬がだらしなく緩んでしまう。

「うーん、これは危険。男に送らせたら狼になっちゃう。……モカちゃん、ご家族は?」
「お兄ちゃん」
「お兄ちゃんがいるのね。お兄ちゃんは迎えに来てくれる?」
「う~ん、宙は引きこもりだからなぁ!」
「おお、まさかのカミングアウト! じゃあ、ソラさん?は無理だね」

畳の上に落ちていたスマホを渡される。

「他に連絡できる人いる?」
「……」

連絡? 誰に? ……うーん?

何だか眠くなってきた。
「おーい」という絵里ちゃんの声は聞こえるけど、まぶたが重い。

「……しょうがない、あの人を呼ぶか。酔わせ過ぎて怒られないといいけど」

なんて聞こえてきたけど、頭が回っていないのですぐに忘れてしまった。



*   *   *


懐かしい匂いがする。
甘くて官能的な香り。
その正体に気付いて飛び起きる。

「……夢、じゃないよね……」

居酒屋にいたはずなのに移動している。
部屋の中は電気がついておらず、窓の月明かりが室内を照らしていた。

スーツの手触りも、家具の配置にも覚えがある。
キングサイズのベッドには私以外おらず、そっと廊下へと続くドアを開けた。

耳をすませると微かにシャワーの音が確認できる。
……今のうちに帰ってしまおう。
なぜ、ここにいるのかは分からないけど、迷っている暇はない。

「鞄がない……」

ベッドルームには見当たらない。
リビングや他の部屋も覗いてみるけど無し。スマホも財布も鍵もないとなれば、宙の家を目指すしかない。
でも、それも徒歩では気が遠くなりそうだった。

「探し物?」
「ひゃあ!」

うろうろと歩き回っていたら、KINGがシャワーを済ませていた。
髪の毛は無造作になっていて水滴がこぼれる。何よりも、その上半身が……

「なんで裸!?」
「エッチ。着替えるから待って」

上着を取りに行く背中には、大きな傷跡があった。衝撃に目を見開く。

まるで刃物で切りつけられたような、赤く膨れた跡。

「それ、どうしたの」
「ん? ああ、半年くらい前にちょっとね」

濁すというよりは、何でもないかのような言い草。
服を着た男は、私の顔を眺めると上機嫌に微笑んだ。

なんだか嫌な予感がする……。

「覚えてないだろうけど、酔っ払ってる時のモカちゃんは俺の名前を何度も呼んでいたんだよ」
「……」

全く記憶にない。
あっても思い出したくないけど……。

「素面の時も呼んでよ」
「……嫌」
「荷物、返してあげないよ?」

やっぱり隠されていたんだ。
名前さえ呼べば返してくる。でも、それを口にするのが怖い。

情報屋のKINGにとって、名前は重い意味がある。軽々しくは扱えない。

「ほら」

急かすように催促され、鞄が戻ってこないよりマシであると自分に言い聞かす。
ぼそっと喋る。

「……環」
「うん」

嬉しそうに微笑まれると、息が詰まりそうになる。
気まずさに目を伏せてしまう。
……そんな顔をしないでよ。


「モカちゃん」と名前を呼ばれた。

「なに?」
「君は気付いていないかもしれないけど」
「え?」
「ここでは口調が緩むんだね」

ハッとして、口を閉じる。
本当に?

「この部屋を手放さなくて良かったよ」と言って、喉を鳴らして笑っている。
私は愕然とする。

「おかえり、モカちゃん」
「……私は、帰ってきたつもりなんて……」
「まだ拗ねてるの?」

まるで私が駄々をこねているみたいに言う。
でも、どっちが駄々をこねているの?

「……帰る」
「今日は泊まっていきなよ。終電は止まったし、俺はもう寝るから送れない」
「うそつき」
「何も嘘はついてないよ? 朝になったら、鞄は返してあげるから。……おいで」

ベッドルームのドアが開かれる。
真ん中に置かれたベッドに環は腰掛けた。

「モカちゃん」

来い、というニュアンスが含まれた言い方。
じっと見つめられると捕食者になった気分だ。後退る。

「一緒に寝るの?」
「手は出さないよ」
「……ソファーとか」
「ダメ。広いんだから、ここでいいでしょう」

視線だけで、私の意思を奪い取ってしまう。

「本当に俺はすぐ寝るから。疲れてるんだよ」という言葉に、そろりと足を踏み入れた。
近づくほど動悸が激しくなる。

ベッドの中に潜り込むと、布団をかけてくれた。

「おやすみ、モカちゃん」

本当に眠かったようで、環は背中を向けて寝息を立て始めた。
こんな姿は初めて見たかも。

疲れているなら、私の相手なんてしなくていいのに。

「環さん」

名前を呼んでみても反応はない。
安心したような寝顔だ。

「……」

そっと、環の服を捲くり上げてみる。
中央部分へと指を這わせてゆく。
気になっていた傷跡は、こうして見ると痛ましい。

私の知らないところで環は何をしていたの?
――その質問は、できそうになかった。
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