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映画館を出た私達は、何事もなかったかのように手を離して別れた。ただ、私の連絡先に煌大先輩の名前が増えただけだ。
美化委員会の水やりの日、久しぶりに裕人先輩と顔を合わせた。花壇の前までやって来たのだから、わざわざ会いに来てくれたのは明白だった。
「前野さん」
「お疲れさまです、裕人先輩」
「……やっと会えた。今日は一緒に帰らない?」
制服の白いシャツが似合う爽やかさで、裕人先輩は微笑んだ。
「ごめんなさい。まだ色々やることが残っていて。先生から資料作りも頼まれているので、数時間掛かるかも」
「待つよ、それくらい! なんなら手伝うし」
「それは申し訳ないので……」
俯きながら謝れば、裕人先輩は慌てたように「ごめん!」と叫んだ。
その様子は、今にも枯れてしまいそうな花のようだった。
「君を困らせたいわけじゃないんだ。真面目に仕事をしているのに、わがまま言ってごめん」
「また今度、時間を取るので待っていてもらえますか」
「うん! いつでも連絡して」
元気を取り戻したように背筋を伸ばし、裕人先輩は生徒会室の方へと戻って行った。
それを静かに見送った私は、校舎の中へと移動する。
職員室に寄ってパソコンを借りてこないと。
夏休み特有の静かな廊下を歩いていると、横から伸びてきた手に腰を抱かれた。
……既視感。
「……それ、セクハラって言われませんでした?」
「そうだった。また、お詫びをしないと」
そのまま空き教室に連れ込まれた私は、煌大先輩の瞳を見つめる。
「今日も綺麗です」
「本当に物好きだね。こんなもの、気味悪がられることのほうが多いのに」
そう語る先輩は寂しそうで、私は背伸びをしてその口を塞ぐ。
……もうそれ以上は言わないで。
「夕奈ちゃんって……キスすれば、俺が黙ると思い込んでない?」
「口答えするなら、またしますけど?」
「まいったなぁ。何も言えなくなる」
全然そんな様子もなく、煌大先輩ははにかんだ。
なかなかお互いの予定が合わない私たちは、こうして僅かな時間に会っていた。
廊下から見つからないように、並んで死角に座る。
「生徒会長って夕奈ちゃんのこと好きなんでしょう? 知り合いから聞いたけど」
「どこでそんな噂が……」
「夕奈ちゃんは特進科の才女って聞いた。二人はお似合いだって」
「拗ねてくれるんですか?」
顔を見れば一目瞭然だった。
……こんなに素直だとは思わなかった。
こちらのほうが照れてしまい、顔を背ける。
ふいに先輩は呟いた。
思いついたことをそのまま、口にしてしまったような軽さで。
「こんなに違うと、罪悪感みたいなものを感じるなぁ……」
それは、冷や水を浴びせられたような気分になる。
そんなに煌大先輩と私は違う存在?
もし……もし、私が月奈みたいに普通科の後輩だったら、そう思わなかった?
月奈に負けた気分になって、それはとても口にできなかった。キスなんてされなくても、私の口はいつでも閉じられてしまう。
もうとっくに、いい子なんかじゃなくなってるのに……。
* * *
また父と食卓を囲むことになった。
今回は誰も喋ろうとしなかった。この場に月奈がいたから。
相変わらず父の好物ばかりが並び、普段の献立とは品数が圧倒的に違う。
……昔は、月奈がそれを喜んでいたこともあった。
父がいればご馳走を食べられると無邪気に喜んでいた。今は、顔色一つ変えずに口に運んでいる。
3人の時はつけないテレビをつけ、ちっとも笑えない空気の中に第三者の笑い声が聞こえてくる。
「……ねえ」と月奈が箸をテーブルの上に転がしながら、口を開いた。
乱雑に転がった箸は、私の膝の上に落ちてきた。
「こんなにお通夜みたいな空気で食べるならさ、私の分は用意しなくていいよ。お金さえくれれば、外で食べてくるし」
夏休みを自由な時間と思っているのか、日に日に月奈の容姿は校則からはみ出していく。長く伸ばし、真っ赤に塗られた爪が、テーブルを叩いた。
「せっかく顔を合わせたんだし、お小遣いちょうだいよ、パパ」
「高校生の小遣いの範囲内で渡してある。これ以上はダメだ」
「それがしけてるって言ってるんでしょう? ……この真面目ちゃんと違って、私はお金が掛かるの。友達が多いから」
月奈の怒りの矛先は私に変わったらしい。
箸を置いて俯く。
ふいに叩かれることがあるから、奥歯を強く噛んでおくのは癖になっていた。
「どうせ、学校と塾しか行ってないんでしょ、アンタは。そんな人生の何が楽しいの? ……ああ、私たちみたいな底辺を見下すのが楽しいのかな? 最低じゃん」
両親は何も口を挟まない。
私だって、嵐が去るのを待つべきだ。でも、
「……そんなこと思ってない」
それは否定したかった。底辺とかそんなこと思ってないし、関係ない。
「勝手に決めつけてるのは、あなたたちじゃない!」
「夕奈?! どうしたんだ?」
父が驚いたように反応を示した。
こんな私は意外だったようだ。
「私は間違えたことを言ってるつもりはない。見下すとか、そんな感覚で考える方が最低だよ」
睨むように月奈を見つめると、手を振り下ろされた。
「月奈! やめなさい!」と父が叫ぶも、止まるはずがない。
「やだ……!血が出てるじゃない!」と母が口元を押さえて青ざめた。
伸ばされた爪によって、頬を引っ掻かれたらしい。ズキズキと傷が痛む。
「フン! みんなして、夕奈のことばっかり。こんな家、大嫌い!!」
月奈はそのまま家を飛び出した。
両親とも追いかける素振りを見せず、私の頬を心配する。
「傷が残ったらどうするの……。顔に傷がある女なんて価値が下がるのに」
母の言葉にゾッとした。
こんな時に心配するところが、そこ……?
「ごめん、気分悪くなってきたから、もう寝るね」
ふらりと立ち上がり、自分の部屋へと向かう。
「ちゃんと手当てするのよ。必要だったら病院に行くから」
「……うん」
月奈が思っているほど、私はこの家で立場なんてないんだよ。
それをあの子が気付く日は、来ないと思う。
美化委員会の水やりの日、久しぶりに裕人先輩と顔を合わせた。花壇の前までやって来たのだから、わざわざ会いに来てくれたのは明白だった。
「前野さん」
「お疲れさまです、裕人先輩」
「……やっと会えた。今日は一緒に帰らない?」
制服の白いシャツが似合う爽やかさで、裕人先輩は微笑んだ。
「ごめんなさい。まだ色々やることが残っていて。先生から資料作りも頼まれているので、数時間掛かるかも」
「待つよ、それくらい! なんなら手伝うし」
「それは申し訳ないので……」
俯きながら謝れば、裕人先輩は慌てたように「ごめん!」と叫んだ。
その様子は、今にも枯れてしまいそうな花のようだった。
「君を困らせたいわけじゃないんだ。真面目に仕事をしているのに、わがまま言ってごめん」
「また今度、時間を取るので待っていてもらえますか」
「うん! いつでも連絡して」
元気を取り戻したように背筋を伸ばし、裕人先輩は生徒会室の方へと戻って行った。
それを静かに見送った私は、校舎の中へと移動する。
職員室に寄ってパソコンを借りてこないと。
夏休み特有の静かな廊下を歩いていると、横から伸びてきた手に腰を抱かれた。
……既視感。
「……それ、セクハラって言われませんでした?」
「そうだった。また、お詫びをしないと」
そのまま空き教室に連れ込まれた私は、煌大先輩の瞳を見つめる。
「今日も綺麗です」
「本当に物好きだね。こんなもの、気味悪がられることのほうが多いのに」
そう語る先輩は寂しそうで、私は背伸びをしてその口を塞ぐ。
……もうそれ以上は言わないで。
「夕奈ちゃんって……キスすれば、俺が黙ると思い込んでない?」
「口答えするなら、またしますけど?」
「まいったなぁ。何も言えなくなる」
全然そんな様子もなく、煌大先輩ははにかんだ。
なかなかお互いの予定が合わない私たちは、こうして僅かな時間に会っていた。
廊下から見つからないように、並んで死角に座る。
「生徒会長って夕奈ちゃんのこと好きなんでしょう? 知り合いから聞いたけど」
「どこでそんな噂が……」
「夕奈ちゃんは特進科の才女って聞いた。二人はお似合いだって」
「拗ねてくれるんですか?」
顔を見れば一目瞭然だった。
……こんなに素直だとは思わなかった。
こちらのほうが照れてしまい、顔を背ける。
ふいに先輩は呟いた。
思いついたことをそのまま、口にしてしまったような軽さで。
「こんなに違うと、罪悪感みたいなものを感じるなぁ……」
それは、冷や水を浴びせられたような気分になる。
そんなに煌大先輩と私は違う存在?
もし……もし、私が月奈みたいに普通科の後輩だったら、そう思わなかった?
月奈に負けた気分になって、それはとても口にできなかった。キスなんてされなくても、私の口はいつでも閉じられてしまう。
もうとっくに、いい子なんかじゃなくなってるのに……。
* * *
また父と食卓を囲むことになった。
今回は誰も喋ろうとしなかった。この場に月奈がいたから。
相変わらず父の好物ばかりが並び、普段の献立とは品数が圧倒的に違う。
……昔は、月奈がそれを喜んでいたこともあった。
父がいればご馳走を食べられると無邪気に喜んでいた。今は、顔色一つ変えずに口に運んでいる。
3人の時はつけないテレビをつけ、ちっとも笑えない空気の中に第三者の笑い声が聞こえてくる。
「……ねえ」と月奈が箸をテーブルの上に転がしながら、口を開いた。
乱雑に転がった箸は、私の膝の上に落ちてきた。
「こんなにお通夜みたいな空気で食べるならさ、私の分は用意しなくていいよ。お金さえくれれば、外で食べてくるし」
夏休みを自由な時間と思っているのか、日に日に月奈の容姿は校則からはみ出していく。長く伸ばし、真っ赤に塗られた爪が、テーブルを叩いた。
「せっかく顔を合わせたんだし、お小遣いちょうだいよ、パパ」
「高校生の小遣いの範囲内で渡してある。これ以上はダメだ」
「それがしけてるって言ってるんでしょう? ……この真面目ちゃんと違って、私はお金が掛かるの。友達が多いから」
月奈の怒りの矛先は私に変わったらしい。
箸を置いて俯く。
ふいに叩かれることがあるから、奥歯を強く噛んでおくのは癖になっていた。
「どうせ、学校と塾しか行ってないんでしょ、アンタは。そんな人生の何が楽しいの? ……ああ、私たちみたいな底辺を見下すのが楽しいのかな? 最低じゃん」
両親は何も口を挟まない。
私だって、嵐が去るのを待つべきだ。でも、
「……そんなこと思ってない」
それは否定したかった。底辺とかそんなこと思ってないし、関係ない。
「勝手に決めつけてるのは、あなたたちじゃない!」
「夕奈?! どうしたんだ?」
父が驚いたように反応を示した。
こんな私は意外だったようだ。
「私は間違えたことを言ってるつもりはない。見下すとか、そんな感覚で考える方が最低だよ」
睨むように月奈を見つめると、手を振り下ろされた。
「月奈! やめなさい!」と父が叫ぶも、止まるはずがない。
「やだ……!血が出てるじゃない!」と母が口元を押さえて青ざめた。
伸ばされた爪によって、頬を引っ掻かれたらしい。ズキズキと傷が痛む。
「フン! みんなして、夕奈のことばっかり。こんな家、大嫌い!!」
月奈はそのまま家を飛び出した。
両親とも追いかける素振りを見せず、私の頬を心配する。
「傷が残ったらどうするの……。顔に傷がある女なんて価値が下がるのに」
母の言葉にゾッとした。
こんな時に心配するところが、そこ……?
「ごめん、気分悪くなってきたから、もう寝るね」
ふらりと立ち上がり、自分の部屋へと向かう。
「ちゃんと手当てするのよ。必要だったら病院に行くから」
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