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第五章 存在証明
ep.25 存在証明
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「売れば高値が付くのでは?」
メリエルは紫煙をくゆらせながら、部下の問いかけに鼻で笑った。
「売れるようにするのが面倒なのよ」
彼女にとって、何ができて、何が通じないかも、知り尽くした力だ。
同じ力を持つからこそ、その管理と制御にどれほど手間がかかるかを、彼女は知っていた。
「では、どうなさるおつもりで?」
メリエルは煙草を灰皿で押し消す。
「彼次第ね。手順を踏むなら使ってあげる。できないなら——壊してあの男に送り返す」
◇◆◇
無機質な灰色の部屋で、ギルバートは右手の甲の刺青を見つめていた。
「出ろ」
男のぞんざいな声が鼓膜を叩いた。
ギルバートは弾かれたように視線を上げ、よろめきながら立ち上がる。
「仕事だ」
あの日以来、メリエルはギルバートの前に姿を現さなかった。
今の彼に与えられているのは、男たちの命令に従い、ただ仕事を処理し続ける役目だけだ。
「詳しい説明は現地でする」
「……わかった」
あの女が来ないのは、評価されているのか、それとも見限られているのか。
だが、彼女が残したこの印。角蜘蛛の転位鍵は、今も彼の身体と組織の拠点網を繋いでいる。
あとはあの女をもう一度引きずり出しさえすれば——。
安宿が建ち並ぶ街区を抜ける路地裏。
「この女を殺せ」
ギルバートに渡されたのは、一枚の写真だった。
安っぽい服を着て——小さな子供の手を引く細身の女。荒んだ雰囲気はあるが、どこにでもいそうな普通の女性だ。
ギルバートは、思わず男の顔を見返す。
「誰だ?」
「知ってどうする」
ギルバートが問うと、男は投げやりに言った。
「数日前に足抜けしようとした男の嫁だ」
見せしめか。同時に、新参者への警告でもあるのだろう。
「……いいことを教えてやる。その女を殺せば、晴れて組織の一員だ」
ギルバートが写真を手にしたまま動かないでいると、男が囁いた。
女は、帽子を目深に被った男と歩いていた。
その間には、二人と手を繋いだ五、六歳ほどの子供がいる。
ギルバートと仲間の男たちは、曲がり角からその様子を窺っていた。
「早く。やるんだ」
仲間が急かした。
ギルバートは固唾を呑み、指先に魔力を集めた。
——殺すのか?
人を殺めたら、彼女に会うことはおろか、ここから抜け出すこともできなくなる。
もう二度と、“人間”に戻れなくなる。
ギルバートの脳裏に迷いが浮かんだ瞬間だった。
視界が揺らぎ、女と子供の姿が滲んで見えた。
魔力の乱れに反応するように、背筋を電流のような痛みが駆け抜けた。
ギルバートは咄嗟に指先を振り上げる。制御を離れた閃光が空を裂いた。
「おい、何してるっ」
仲間の声が何重にも重なって聞こえる。
女と子供の悲鳴、男たちの怒声、剣呑な足音。
ギルバートの喉が、引き攣れたように鳴った。
目の奥に火花が散る。
学園の制御印の干渉か、それとも、右手の印に仕込まれた魔法か——。
どちらにせよ、身体の内側で暴れる魔力を抑えられなくなっていた。
「近寄るな!」
仲間が魔力を練り上げる気配に、ギルバートは後ずさった。
「拘束は受けない。……俺に触るな!」
感情の乱れに引きずられ、ギルバートの魔力が急激に膨らんだ。
周囲の窓硝子が震え、建物の外壁がひび割れる。
「きゃっ」
石畳が浮き上がり、粉々に弾け飛んだ。
「暴走してるぞ……!」
止まれ、止まれ——。
このままでは、街を飲み込む。
「ちっ、化け物が」
誰かの呟きがギルバートの黒い視界に落ちた。
一瞬、音が鳴りやみ、魔力が引いたかのように思えた。
刹那、彼の魔力は渦を巻いて石畳を抉るように暴れ出した。
『……力を抜いて。ぎゅってしないで』
ギルバートは咳き込みながら、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
ここで誰かを傷付けたら、本物の化け物になる。
今まで耐えたことも、ここにいる意味も、無駄になる。
「……俺は、化け物じゃない!」
ギルバートは、魔力を押し潰すように封じた。
膝が震え、倒れ込む。
その瞬間だった。空気が、歪んだ。
ぎしり、と見えない糸が軋むような音。転位の波動が、路地全体を覆った。
「殺せなかったの?」
低く、乾いた女の声が、耳元で弾けた。
ギルバートは、荒い息のまま顔を上げる。
歪んだ空気の向こうに、紫煙をまとった女が立っていた。
「……メリエル」
声にならない呻きが、喉から零れた。
「“化け物”だったら、何だというの? そんなことにこだわっているから抜け出せないの。……そうは思わない?」
ギルバートは肘で身体を支え、奥歯を食いしばった。
立ち上がろうとして膝に力が入らず、崩れ落ちそうになる。
今しか、ない。
ギルバートは足に魔力をみなぎらせ、倒れ込むようにメリエルの手首を掴んだ。
指先が、彼女の手の甲の印に触れる。
その瞬間、角蜘蛛の紋様が糸のような光を放ち始めた。
「まさか……!」
ギルバートの視界が、急速に崩れていく。
音が遠のき、世界が引き裂かれる感覚。
——まだだ。離すな。
意識が沈みかける中、彼は必死に指を絡めた。
「逃がさない」
彼を包む空間が、完全に裏返った。
メリエルは紫煙をくゆらせながら、部下の問いかけに鼻で笑った。
「売れるようにするのが面倒なのよ」
彼女にとって、何ができて、何が通じないかも、知り尽くした力だ。
同じ力を持つからこそ、その管理と制御にどれほど手間がかかるかを、彼女は知っていた。
「では、どうなさるおつもりで?」
メリエルは煙草を灰皿で押し消す。
「彼次第ね。手順を踏むなら使ってあげる。できないなら——壊してあの男に送り返す」
◇◆◇
無機質な灰色の部屋で、ギルバートは右手の甲の刺青を見つめていた。
「出ろ」
男のぞんざいな声が鼓膜を叩いた。
ギルバートは弾かれたように視線を上げ、よろめきながら立ち上がる。
「仕事だ」
あの日以来、メリエルはギルバートの前に姿を現さなかった。
今の彼に与えられているのは、男たちの命令に従い、ただ仕事を処理し続ける役目だけだ。
「詳しい説明は現地でする」
「……わかった」
あの女が来ないのは、評価されているのか、それとも見限られているのか。
だが、彼女が残したこの印。角蜘蛛の転位鍵は、今も彼の身体と組織の拠点網を繋いでいる。
あとはあの女をもう一度引きずり出しさえすれば——。
安宿が建ち並ぶ街区を抜ける路地裏。
「この女を殺せ」
ギルバートに渡されたのは、一枚の写真だった。
安っぽい服を着て——小さな子供の手を引く細身の女。荒んだ雰囲気はあるが、どこにでもいそうな普通の女性だ。
ギルバートは、思わず男の顔を見返す。
「誰だ?」
「知ってどうする」
ギルバートが問うと、男は投げやりに言った。
「数日前に足抜けしようとした男の嫁だ」
見せしめか。同時に、新参者への警告でもあるのだろう。
「……いいことを教えてやる。その女を殺せば、晴れて組織の一員だ」
ギルバートが写真を手にしたまま動かないでいると、男が囁いた。
女は、帽子を目深に被った男と歩いていた。
その間には、二人と手を繋いだ五、六歳ほどの子供がいる。
ギルバートと仲間の男たちは、曲がり角からその様子を窺っていた。
「早く。やるんだ」
仲間が急かした。
ギルバートは固唾を呑み、指先に魔力を集めた。
——殺すのか?
人を殺めたら、彼女に会うことはおろか、ここから抜け出すこともできなくなる。
もう二度と、“人間”に戻れなくなる。
ギルバートの脳裏に迷いが浮かんだ瞬間だった。
視界が揺らぎ、女と子供の姿が滲んで見えた。
魔力の乱れに反応するように、背筋を電流のような痛みが駆け抜けた。
ギルバートは咄嗟に指先を振り上げる。制御を離れた閃光が空を裂いた。
「おい、何してるっ」
仲間の声が何重にも重なって聞こえる。
女と子供の悲鳴、男たちの怒声、剣呑な足音。
ギルバートの喉が、引き攣れたように鳴った。
目の奥に火花が散る。
学園の制御印の干渉か、それとも、右手の印に仕込まれた魔法か——。
どちらにせよ、身体の内側で暴れる魔力を抑えられなくなっていた。
「近寄るな!」
仲間が魔力を練り上げる気配に、ギルバートは後ずさった。
「拘束は受けない。……俺に触るな!」
感情の乱れに引きずられ、ギルバートの魔力が急激に膨らんだ。
周囲の窓硝子が震え、建物の外壁がひび割れる。
「きゃっ」
石畳が浮き上がり、粉々に弾け飛んだ。
「暴走してるぞ……!」
止まれ、止まれ——。
このままでは、街を飲み込む。
「ちっ、化け物が」
誰かの呟きがギルバートの黒い視界に落ちた。
一瞬、音が鳴りやみ、魔力が引いたかのように思えた。
刹那、彼の魔力は渦を巻いて石畳を抉るように暴れ出した。
『……力を抜いて。ぎゅってしないで』
ギルバートは咳き込みながら、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
ここで誰かを傷付けたら、本物の化け物になる。
今まで耐えたことも、ここにいる意味も、無駄になる。
「……俺は、化け物じゃない!」
ギルバートは、魔力を押し潰すように封じた。
膝が震え、倒れ込む。
その瞬間だった。空気が、歪んだ。
ぎしり、と見えない糸が軋むような音。転位の波動が、路地全体を覆った。
「殺せなかったの?」
低く、乾いた女の声が、耳元で弾けた。
ギルバートは、荒い息のまま顔を上げる。
歪んだ空気の向こうに、紫煙をまとった女が立っていた。
「……メリエル」
声にならない呻きが、喉から零れた。
「“化け物”だったら、何だというの? そんなことにこだわっているから抜け出せないの。……そうは思わない?」
ギルバートは肘で身体を支え、奥歯を食いしばった。
立ち上がろうとして膝に力が入らず、崩れ落ちそうになる。
今しか、ない。
ギルバートは足に魔力をみなぎらせ、倒れ込むようにメリエルの手首を掴んだ。
指先が、彼女の手の甲の印に触れる。
その瞬間、角蜘蛛の紋様が糸のような光を放ち始めた。
「まさか……!」
ギルバートの視界が、急速に崩れていく。
音が遠のき、世界が引き裂かれる感覚。
——まだだ。離すな。
意識が沈みかける中、彼は必死に指を絡めた。
「逃がさない」
彼を包む空間が、完全に裏返った。
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