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「何で突き飛ばしちゃったの?」
「…」
何となく目を合わせられなくて、会話も続かなくてマグカップの湯気を眺めていると、柔らかい声で聞かれる。
「おれがわるいから…」
「悪くても理由ってものがあるでしょ。なに、怪我させたかったの?」
「ちがう…」
「だよね。そんなことする子じゃないもん綾瀬は」
頭を撫でられるの、気持ちいい。さっきの荒んだ気持ちがどんどん和らいでいく。
「先生はさ、おれがもしも…女子のお腹とか腕とか急に触ったらどう思う?」
「許可なく?」
「…うん」
「んー…マズいでしょそれは。セクハラだと思うよ」
「だよね…でも、ぎゃくだったら、おかしくないよね」
「んー…まあよく俺も筋肉凄いって触られたしなー…」
「俺は、怖かった…から…」
言って、ぶわりとまた落ち着いていたものが込み上げる。
「びっくりした、し…わざとじゃなかった、…」
「相手の子にはそれ言った?」
「…いってない、」
「そっかぁ…ちゃんと理由を言わなかったことは良くないよね」
「…、うん」
「でもあんな風に責め立てられたら言えないか」
「…、せんせいは、変っておもわない…?」
「怖いものは怖いしびっくりするものはびっくりするよ」
「…謝ったら、ゆるしてくれるかな…教室いくの…こわい…」
「綾瀬さっきさ、手のこと大丈夫?って俺に聞いたでしょ?あれさ、本人に言ってみな。大丈夫大丈夫、綾瀬は優しい子だから。ね?」
「…う゛ん…」
ボロボロと涙を流している俺に泣きすぎ、と笑いながら濡れた布で顔を拭われる。体中が何かふわふわして、気持ちがスッキリしていく。
「んじゃあ次の授業まで休もっか」
「…いいの?」
「一応過呼吸起こしかけたからね。貧血っぽくなってるでしょ。ベッド空いてるし落ち着いてから頑張りな」
「ん…」
俺の母親は俺が小学校低学年の頃に死んだ。だから、仕事で忙しい父に変わって、身の回りの世話は叔母さんがよくしてくれていた。
風呂に入れてもらったり、着替えさせてもらったり、一緒に寝たり。いつしか一緒に住むようになって、小さい子と、お母さん。側から見たらそういう風にしか見えないくらいの関係になって、誰も疑わなかった。
でも、俺はずっと嫌だった。一緒に風呂に入った時は、執拗に体を撫でくりまわされるし、寝る時だってズボンの中に何度も手を入れてくるし。やめてと意思表示してもやめてくれない。自分の部屋ができて一人で寝るようになってもベッドに潜り込んでくる。父親に意を決して相談しても、気のせいだとあしらわれてしまう始末。性に関心を持ち、そういう本が学校で出回るようになった頃にはもう、表紙の女性に興奮するどころか嫌悪感を示すようになっていた。
本当にトラウマを覚えるようになったのは、中学一年生の時。初めて夢精した。あの人にバレたら何を言われるか分からないからって汚れた下着を洗濯もせずに行き道のゴミ箱に捨てた。なのに、家に帰ったら捨てたはずのパンツを叔母さんが持っていて。
男の子ねぇ、と湿った声で言われたあの言葉を忘れることはないだろう。食卓の、ラップのかかった唐揚げの隣で、制服のボタンを一つ、また一つと外されて。父もその頃は滅多に帰ってくることがなかったから、部屋で、2人きり。体が固まって、動かなくて。ぶら下がった性器を撫でられ、刺激され、しまいには乳首、尻までをも隈なく触ってくる。
「こーんなイヤらしい液を出せるようになったのねぇ、」
パンツの汚れた部分を見せられながらそう言われた時もう、限界だった。しゃがんでイジイジと性器の穴をぐりぐりと擦っている叔母を蹴り上げて、倒れたところを押さえつけて何度も何度も殴って。気づけば叔母の顔はひどいものになっていて俺が逃れた瞬間、どこかに泣きながら電話をかけ始めた。俺はもう、怖いとかいう感情よりも何か疲れていて。風呂場でひたすら体を流していた気がする。叔母が呼んだのだろう、珍しく帰ってきた父は激怒し、俺を何度も叩いた。俺が何を言っても無駄で、父はあの人の味方。まあ、ここであの人を追い出したら美味しいご飯も、清潔な服も出てこなくなるもんな。俺の世話係が居なくなったら、負担すごいもんな。それを考えるともう、何も言えなかった。
幸いなことにあれ以来、あの人が手を出してくることは無い。ご飯を作って、洗濯も掃除もしてくれる。一緒の空間に居るのは気持ち悪いけど、何もされなくなっただけマシ。
平和で穏やか。俺はそれで十分だった。
「ぅ゛、ぅ…」
目が覚める。体中が汗でベタベタで気持ち悪い。それに呼吸がしんどい。嫌な夢見た。まだ体がゾクゾクしてもう一度寝付けないくらいには。
「せんせ…」
本当に体調悪くなったかも、そう言いかけて気づく、下半身の湿り気。汗にしては濡れすぎで、黒いズボンだけ、それも尻周りだけぐっしょりと。
「ぁ…」
喉がカラカラで、締め付けられそう。学校の備品を、汚した。この歳になって、おしっこを、寝ながら。
震える手で布団を引き戻す。体が震えて動けない。高校生でこんなことやらかすなんて思わないじゃん。嫌な夢みただけで、たかだか昔の思い出を掘り返してしまっただけで。
「あやせー…授業終わったよー…」
囁き声と共にカーテンが開く。チャイムの音も聞こえているから分かっている。どうしようもなくて息を詰めて、目をぎゅっと閉じた。
「…」
何となく目を合わせられなくて、会話も続かなくてマグカップの湯気を眺めていると、柔らかい声で聞かれる。
「おれがわるいから…」
「悪くても理由ってものがあるでしょ。なに、怪我させたかったの?」
「ちがう…」
「だよね。そんなことする子じゃないもん綾瀬は」
頭を撫でられるの、気持ちいい。さっきの荒んだ気持ちがどんどん和らいでいく。
「先生はさ、おれがもしも…女子のお腹とか腕とか急に触ったらどう思う?」
「許可なく?」
「…うん」
「んー…マズいでしょそれは。セクハラだと思うよ」
「だよね…でも、ぎゃくだったら、おかしくないよね」
「んー…まあよく俺も筋肉凄いって触られたしなー…」
「俺は、怖かった…から…」
言って、ぶわりとまた落ち着いていたものが込み上げる。
「びっくりした、し…わざとじゃなかった、…」
「相手の子にはそれ言った?」
「…いってない、」
「そっかぁ…ちゃんと理由を言わなかったことは良くないよね」
「…、うん」
「でもあんな風に責め立てられたら言えないか」
「…、せんせいは、変っておもわない…?」
「怖いものは怖いしびっくりするものはびっくりするよ」
「…謝ったら、ゆるしてくれるかな…教室いくの…こわい…」
「綾瀬さっきさ、手のこと大丈夫?って俺に聞いたでしょ?あれさ、本人に言ってみな。大丈夫大丈夫、綾瀬は優しい子だから。ね?」
「…う゛ん…」
ボロボロと涙を流している俺に泣きすぎ、と笑いながら濡れた布で顔を拭われる。体中が何かふわふわして、気持ちがスッキリしていく。
「んじゃあ次の授業まで休もっか」
「…いいの?」
「一応過呼吸起こしかけたからね。貧血っぽくなってるでしょ。ベッド空いてるし落ち着いてから頑張りな」
「ん…」
俺の母親は俺が小学校低学年の頃に死んだ。だから、仕事で忙しい父に変わって、身の回りの世話は叔母さんがよくしてくれていた。
風呂に入れてもらったり、着替えさせてもらったり、一緒に寝たり。いつしか一緒に住むようになって、小さい子と、お母さん。側から見たらそういう風にしか見えないくらいの関係になって、誰も疑わなかった。
でも、俺はずっと嫌だった。一緒に風呂に入った時は、執拗に体を撫でくりまわされるし、寝る時だってズボンの中に何度も手を入れてくるし。やめてと意思表示してもやめてくれない。自分の部屋ができて一人で寝るようになってもベッドに潜り込んでくる。父親に意を決して相談しても、気のせいだとあしらわれてしまう始末。性に関心を持ち、そういう本が学校で出回るようになった頃にはもう、表紙の女性に興奮するどころか嫌悪感を示すようになっていた。
本当にトラウマを覚えるようになったのは、中学一年生の時。初めて夢精した。あの人にバレたら何を言われるか分からないからって汚れた下着を洗濯もせずに行き道のゴミ箱に捨てた。なのに、家に帰ったら捨てたはずのパンツを叔母さんが持っていて。
男の子ねぇ、と湿った声で言われたあの言葉を忘れることはないだろう。食卓の、ラップのかかった唐揚げの隣で、制服のボタンを一つ、また一つと外されて。父もその頃は滅多に帰ってくることがなかったから、部屋で、2人きり。体が固まって、動かなくて。ぶら下がった性器を撫でられ、刺激され、しまいには乳首、尻までをも隈なく触ってくる。
「こーんなイヤらしい液を出せるようになったのねぇ、」
パンツの汚れた部分を見せられながらそう言われた時もう、限界だった。しゃがんでイジイジと性器の穴をぐりぐりと擦っている叔母を蹴り上げて、倒れたところを押さえつけて何度も何度も殴って。気づけば叔母の顔はひどいものになっていて俺が逃れた瞬間、どこかに泣きながら電話をかけ始めた。俺はもう、怖いとかいう感情よりも何か疲れていて。風呂場でひたすら体を流していた気がする。叔母が呼んだのだろう、珍しく帰ってきた父は激怒し、俺を何度も叩いた。俺が何を言っても無駄で、父はあの人の味方。まあ、ここであの人を追い出したら美味しいご飯も、清潔な服も出てこなくなるもんな。俺の世話係が居なくなったら、負担すごいもんな。それを考えるともう、何も言えなかった。
幸いなことにあれ以来、あの人が手を出してくることは無い。ご飯を作って、洗濯も掃除もしてくれる。一緒の空間に居るのは気持ち悪いけど、何もされなくなっただけマシ。
平和で穏やか。俺はそれで十分だった。
「ぅ゛、ぅ…」
目が覚める。体中が汗でベタベタで気持ち悪い。それに呼吸がしんどい。嫌な夢見た。まだ体がゾクゾクしてもう一度寝付けないくらいには。
「せんせ…」
本当に体調悪くなったかも、そう言いかけて気づく、下半身の湿り気。汗にしては濡れすぎで、黒いズボンだけ、それも尻周りだけぐっしょりと。
「ぁ…」
喉がカラカラで、締め付けられそう。学校の備品を、汚した。この歳になって、おしっこを、寝ながら。
震える手で布団を引き戻す。体が震えて動けない。高校生でこんなことやらかすなんて思わないじゃん。嫌な夢みただけで、たかだか昔の思い出を掘り返してしまっただけで。
「あやせー…授業終わったよー…」
囁き声と共にカーテンが開く。チャイムの音も聞こえているから分かっている。どうしようもなくて息を詰めて、目をぎゅっと閉じた。
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