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第二章 ノーカウントパンチ
第二十四話 わたしの好きなものと、坊ちゃんの嫌いなもの
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部屋に戻り、アタッシュケースを開けた。そして中からA4サイズのセルペーパーを取り出す。これはセルシートに薄い紙を貼り付けたもので、鉛筆でも絵が描けるようになっている。
(主人公は小さな女の子で、修道女のお姉さんに導かれて冒険するの! それで最後にドラゴンを倒してハッピーエンド!)
王道なストーリを思い描きながら、キャラクターのデザインを作っていく。
キャラクターのモデルはさっき、心に刻み込んできた。
お人形ちゃんをデフォルメしたようなキャラクターを、シートの右側に描き込んでいく。右手を上に差し出していて、それを握るのは一回り大きな手だ。
シスターの少女が、女の子の手を握っている。服装こそ違うものの、シスターはデフォルメされた無垢なメイドさんそのものだった。
(これはタイトル画面。次は個別で歩くモーションを作ろう)
半分サイズのセルペーパーを取り出して、お人形姫を描いていく。ほぼ真横を向いていて、一歩踏み出したところだ。冒険に移動は欠かせない。
(走る感じの方が良かったかな? あとで余裕があったら描いてみよう)
一枚描き終えたら、新しいシートを重ねてM字クリップで留める。ここからは絵を動かす作業なので、シートをめくって確認しながら描いていく。
シートをたくさん使うことはできないので、最近のアニメのような滑らかな動きは作れない。デフォルメされたキャラクターを少ない枚数で動かすのも、一つの味になると信じて作業を進めた。
三枚目に取り掛かったところで、猫の悲鳴のような音が部屋に響く。
振り返ると、坊ちゃんの部屋から黒ドレスさんが出てきていた。黒ドレスさんはわたしの近くに来て、机の上を覗き込んだ。
「あ、いまアニメを……」
黒ドレスさんはわたしの声には一切反応せず、クリップで留められた三枚のシートを手に取った。
伝わらない言葉よりも、現物を見た方が早い。黒ドレスさんはそれがわかっているのだろう。
黒ドレスさんはシートをペラペラとめくった。
(どうやって絵が動いているのか、わかってもらえたかな?)
黒ドレスさんはシートを上に掲げて覗き込み、シートを振った。メモに黒ドレスさんの絵を描いて渡したときと、同じ反応だ。
きっと、絵が動く原理は全く伝わっていない。
「えっと……」
説明しようとして、やめた。
言葉が通じない。わたしがまともにしゃべれない。障害はたくさんあったけれど、一番の理由は、このシート以上にわかりやすい材料が用意できていないことだ。
(どこかでメモ帳とか用意して、パラパラ漫画を作ってみよう。たぶんそれが一番わかりやすいし)
描く仕草をして『今度作るね』と伝えようとした。それが伝わったのかわからないけれど、黒ドレスさんは二度うなずいてからシートを机に戻して微笑んだ。
そして何か言ってから、廊下へと出て行った。
(とりあえず、メモ帳が用意できるまではお人形姫の作業を進めていいよね。じゃあ気を取り直して――)
机に向かった瞬間に、猫の悲鳴のような音が再び響いた。
(なんだろう。黒ドレスさんが忘れ物でもしたのかな?)
振り向くと、見えたのは坊ちゃんの背中だった。廊下の扉へと向かっている。
そして一度もこちらに目を向けずに、扉を開けた。
「って! ちょ……!」
完全に出遅れた。わたしが立ち上がったときには、扉は完全に閉まっていて、坊ちゃんの姿は見えなかった。
(声ぐらいかけてくれてもいいのに)
廊下に飛び出すと、坊ちゃんは角を曲がるところだった。走れば簡単に追いつきそうだ。
わたしが追いついても、坊ちゃんは特に反応をしなかった。
(悪態をつかれたらヤダなとか思ったけど、何もないのはそれはそれで寂しいじゃん)
まるで、わたしなんかいないかように、坊ちゃんは歩き続ける。そして着いたのは、食堂の扉だった。
「あ……」
わたしのお腹の虫がうなり声を上げた。
(今は匂いとかしてないのに……!)
こういうときだけ、坊ちゃんはわたしに目を向ける。きっとわたしの顔は真っ赤になっているだろう。
坊ちゃんは得に感想を言うこともなく、食堂の扉を開けた。
食堂に入っても、昨日のような食欲をそそる香りはしなかった。何かを煮込む音も聞こえないし、包丁とまな板の音も聞こえない。
調理場にはコックのおばちゃんが立っていた。何をするでもなく、気さくな笑顔をこちらに向けている。
「――――――」
おばちゃんが坊ちゃんに話しかけると、坊ちゃんは面倒そうに答えながら、椅子によじ登った。
そしてわたしを指さして、何か言う。するとおばちゃんは右手を上げてそれに答えると、奥の扉へと姿を消した。
(あ、これって……)
朝に見たのと同じ光景に、わたしのお腹は素早く反応した。パブロフも驚きの反射獲得速度だ。オリンピック種目になってくれれば、間違いなく金メダルが取れる。
戻ってきたおばちゃんの手には丸っこいパンが握られていた。昨日の物より、かなり黒っぽい。
それは坊ちゃんの手を介さず、わたしに直接渡される。これを坊ちゃんに渡そうとしたら、また怒られるのだろう。
わたしは素直にパンにかぶりついた。やたらとモチモチする食感は今朝食べたパンと同じだ。けれど、風味は全く違う。
(この味は……!)
口が冷えるような感覚と、鼻が通るすっきりとした香り。そして、ほのかな苦味と、しっかりとした甘さがあった。人によっては、歯磨き粉の味とか言ったりもするかもしれない。
「チョコミントだ!」
今日イチの声がでた。
この味を説明する言葉は色々あるけれど、誉め言葉なのは『独特の風味が良い』くらいだろう。でも独特とか言っている時点で何もわかっていない。この味を表現するのは一言で十分だ。
「おいしい……」
言葉の意味は分からないはずなのに、おばちゃんは嬉しそうに頷いた。一方、坊ちゃんは知らない生き物でも見るように、顔をしかめている。
坊ちゃんがおばちゃんの方を見て、何か言うと、おばちゃんは手元の台を通販番組の商品紹介の様に両手で示した。
そこには色とりどりの野菜や肉などの食材が並んでいる。二枚のまな板と三本の包丁。抱えるほどの鍋も用意してあり、準備は万端といった様子だ。
(もしかして、坊ちゃんが来るのを待ってたのかな?)
坊ちゃんは身を乗り出して、食材を吟味し始めた。特に問題はなかったのか、頷いて指を鳴らすような仕草で合図をする。するとおばちゃんは包丁を手に取った。
(やっぱりそうだ。勝手に料理を始めると怒るんだろうな)
好き嫌いをやめさせるのも、わたしの仕事なのかもしれない。けれどわたしは何も言わなかった。なぜなら、チョコミントのパンを食べるのに忙しいからだ。
(それにしても、毎回見に来てるんならよっぽどだよね。みんなで食べる料理なわけだから、迷惑極まりないだろうし。誰か文句言ったりしないのかな?)
朝と同じで、鍋は一つしかない。すでにそれぞれの席に銀色の皿が置かれているので、またそこに分けるのだろう。
(本当にみんなを巻き込んでわがままを言ってるのかな? 坊ちゃんに正座をさせてた黒ドレスさんが、黙っているとは思えないんだけど)
少し考えてみたけれど、答え合わせはできない。
(チョコミントうまい)
とりあえず今はそれだけでよかった。
(主人公は小さな女の子で、修道女のお姉さんに導かれて冒険するの! それで最後にドラゴンを倒してハッピーエンド!)
王道なストーリを思い描きながら、キャラクターのデザインを作っていく。
キャラクターのモデルはさっき、心に刻み込んできた。
お人形ちゃんをデフォルメしたようなキャラクターを、シートの右側に描き込んでいく。右手を上に差し出していて、それを握るのは一回り大きな手だ。
シスターの少女が、女の子の手を握っている。服装こそ違うものの、シスターはデフォルメされた無垢なメイドさんそのものだった。
(これはタイトル画面。次は個別で歩くモーションを作ろう)
半分サイズのセルペーパーを取り出して、お人形姫を描いていく。ほぼ真横を向いていて、一歩踏み出したところだ。冒険に移動は欠かせない。
(走る感じの方が良かったかな? あとで余裕があったら描いてみよう)
一枚描き終えたら、新しいシートを重ねてM字クリップで留める。ここからは絵を動かす作業なので、シートをめくって確認しながら描いていく。
シートをたくさん使うことはできないので、最近のアニメのような滑らかな動きは作れない。デフォルメされたキャラクターを少ない枚数で動かすのも、一つの味になると信じて作業を進めた。
三枚目に取り掛かったところで、猫の悲鳴のような音が部屋に響く。
振り返ると、坊ちゃんの部屋から黒ドレスさんが出てきていた。黒ドレスさんはわたしの近くに来て、机の上を覗き込んだ。
「あ、いまアニメを……」
黒ドレスさんはわたしの声には一切反応せず、クリップで留められた三枚のシートを手に取った。
伝わらない言葉よりも、現物を見た方が早い。黒ドレスさんはそれがわかっているのだろう。
黒ドレスさんはシートをペラペラとめくった。
(どうやって絵が動いているのか、わかってもらえたかな?)
黒ドレスさんはシートを上に掲げて覗き込み、シートを振った。メモに黒ドレスさんの絵を描いて渡したときと、同じ反応だ。
きっと、絵が動く原理は全く伝わっていない。
「えっと……」
説明しようとして、やめた。
言葉が通じない。わたしがまともにしゃべれない。障害はたくさんあったけれど、一番の理由は、このシート以上にわかりやすい材料が用意できていないことだ。
(どこかでメモ帳とか用意して、パラパラ漫画を作ってみよう。たぶんそれが一番わかりやすいし)
描く仕草をして『今度作るね』と伝えようとした。それが伝わったのかわからないけれど、黒ドレスさんは二度うなずいてからシートを机に戻して微笑んだ。
そして何か言ってから、廊下へと出て行った。
(とりあえず、メモ帳が用意できるまではお人形姫の作業を進めていいよね。じゃあ気を取り直して――)
机に向かった瞬間に、猫の悲鳴のような音が再び響いた。
(なんだろう。黒ドレスさんが忘れ物でもしたのかな?)
振り向くと、見えたのは坊ちゃんの背中だった。廊下の扉へと向かっている。
そして一度もこちらに目を向けずに、扉を開けた。
「って! ちょ……!」
完全に出遅れた。わたしが立ち上がったときには、扉は完全に閉まっていて、坊ちゃんの姿は見えなかった。
(声ぐらいかけてくれてもいいのに)
廊下に飛び出すと、坊ちゃんは角を曲がるところだった。走れば簡単に追いつきそうだ。
わたしが追いついても、坊ちゃんは特に反応をしなかった。
(悪態をつかれたらヤダなとか思ったけど、何もないのはそれはそれで寂しいじゃん)
まるで、わたしなんかいないかように、坊ちゃんは歩き続ける。そして着いたのは、食堂の扉だった。
「あ……」
わたしのお腹の虫がうなり声を上げた。
(今は匂いとかしてないのに……!)
こういうときだけ、坊ちゃんはわたしに目を向ける。きっとわたしの顔は真っ赤になっているだろう。
坊ちゃんは得に感想を言うこともなく、食堂の扉を開けた。
食堂に入っても、昨日のような食欲をそそる香りはしなかった。何かを煮込む音も聞こえないし、包丁とまな板の音も聞こえない。
調理場にはコックのおばちゃんが立っていた。何をするでもなく、気さくな笑顔をこちらに向けている。
「――――――」
おばちゃんが坊ちゃんに話しかけると、坊ちゃんは面倒そうに答えながら、椅子によじ登った。
そしてわたしを指さして、何か言う。するとおばちゃんは右手を上げてそれに答えると、奥の扉へと姿を消した。
(あ、これって……)
朝に見たのと同じ光景に、わたしのお腹は素早く反応した。パブロフも驚きの反射獲得速度だ。オリンピック種目になってくれれば、間違いなく金メダルが取れる。
戻ってきたおばちゃんの手には丸っこいパンが握られていた。昨日の物より、かなり黒っぽい。
それは坊ちゃんの手を介さず、わたしに直接渡される。これを坊ちゃんに渡そうとしたら、また怒られるのだろう。
わたしは素直にパンにかぶりついた。やたらとモチモチする食感は今朝食べたパンと同じだ。けれど、風味は全く違う。
(この味は……!)
口が冷えるような感覚と、鼻が通るすっきりとした香り。そして、ほのかな苦味と、しっかりとした甘さがあった。人によっては、歯磨き粉の味とか言ったりもするかもしれない。
「チョコミントだ!」
今日イチの声がでた。
この味を説明する言葉は色々あるけれど、誉め言葉なのは『独特の風味が良い』くらいだろう。でも独特とか言っている時点で何もわかっていない。この味を表現するのは一言で十分だ。
「おいしい……」
言葉の意味は分からないはずなのに、おばちゃんは嬉しそうに頷いた。一方、坊ちゃんは知らない生き物でも見るように、顔をしかめている。
坊ちゃんがおばちゃんの方を見て、何か言うと、おばちゃんは手元の台を通販番組の商品紹介の様に両手で示した。
そこには色とりどりの野菜や肉などの食材が並んでいる。二枚のまな板と三本の包丁。抱えるほどの鍋も用意してあり、準備は万端といった様子だ。
(もしかして、坊ちゃんが来るのを待ってたのかな?)
坊ちゃんは身を乗り出して、食材を吟味し始めた。特に問題はなかったのか、頷いて指を鳴らすような仕草で合図をする。するとおばちゃんは包丁を手に取った。
(やっぱりそうだ。勝手に料理を始めると怒るんだろうな)
好き嫌いをやめさせるのも、わたしの仕事なのかもしれない。けれどわたしは何も言わなかった。なぜなら、チョコミントのパンを食べるのに忙しいからだ。
(それにしても、毎回見に来てるんならよっぽどだよね。みんなで食べる料理なわけだから、迷惑極まりないだろうし。誰か文句言ったりしないのかな?)
朝と同じで、鍋は一つしかない。すでにそれぞれの席に銀色の皿が置かれているので、またそこに分けるのだろう。
(本当にみんなを巻き込んでわがままを言ってるのかな? 坊ちゃんに正座をさせてた黒ドレスさんが、黙っているとは思えないんだけど)
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