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25.戻らない時間と忘れられない記憶
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刑が確定し鉱夫として護送されていくライルは他の囚人達と同じ薄汚れたボーダーの囚人服を着せられていた。
間に短い鎖のついた手枷と足枷⋯⋯荷台の上に檻を乗せたような護送車は炎天下の日差しを遮るものもなく、暇つぶしに通行人が投げる石やゴミは色々な方向から飛んできた。
(昔は仲が良かった気がする⋯⋯どこからズレてしまったんだろう)
父親不在の両家は家長の代わりに母親が走り回っていた。父親達が立ち上げた会社の運営と見知らぬ住所から突然届く契約書への対応、領地の運営もありライルとケインはいつも使用人に紛れて暮らしていた。
表向きは貿易会社は黒字経営で領地は順調と言われているが、父親の無茶な行動で安定していたとは言えない時の方が多かった。
テーブルからハムやチーズが消え具のないスープに黒パンを浸して食べる日が続く合間に高級食材や燻製肉などが父親の手紙と共に届くが、それらは全て売ってお金に変えるのがキャンストル伯爵家の決まりになっていた。
(こんなに貧乏なのに父上はいつもあんな美味しい物を食べてるんだ)
イキイキと書かれた冒険譚や想像すらできない景色や食べ物の話が書かれた手紙はライルの宝物になり、大人になったら父親と共に旅に行きたいと願うようになった。
(でも、父上が選ぶのはエマーソン様で僕じゃない。こんなにうちは貧乏なのにローゼンタール伯爵家にお金を持っていってあげるんだもん⋯⋯僕よりケインの方が良いのかも)
爵位は同じ伯爵で父親は一緒に会社を立ち上げた仲間同士。同い年のライルとケインは母親が長期で家を空けるときは必ず相手の家に預けられた。
普段から一緒にいることの多い2人だがライルは細々とした違いに気付きはじめた。昼食のパンが違うしチーズがいつもついてる。服もケインの方が新しい⋯⋯。
家に泊まりにいくたびにその違いはより顕著になる⋯⋯そんな時には必ずたまにしか会えない父親の何気ないひと言が思い出された。
『ローゼンタールに金は送ったか?』
『ローゼンタールに早く金を送ってやれ』
(うちの方が貧乏なのになんで⋯⋯)
小さな不満を心に溜めながらもそれなりに親しくケイン一家と付き合い、真面目に仕事をしていたライルの心に亀裂が入ったのは妻の不貞がキッカケだった。
母親はすでに儚くなっており父親は家族のことを忘れたようにエマーソンと出かけたきりでほとんど帰って来ない。信じていた妻に裏切られていただけではなく、大切に育てていた息子が他人だった。
(心を痛めたふりで何くれと手助けしてくれるケインが憎くてたまらない! 俺の家に援助してもらって優雅に暮らして⋯⋯妻と子に囲まれて幸せそうにしやがって!)
苦悩するライルの肩を叩いて次の冒険⋯⋯予定を楽しそうに口にする父親に憎しみさえ感じてしまった。
相変わらず自由気儘なランドルフとエマーソンがふらっと帰ってきてザッカリーとアーシェの婚姻を申し渡してきた時、ライルの心に残っていた最後のタガが外れる音が聞こえてきた。
(ザッカリーは俺の子だ! 絶対に手放すもんか。俺や母上を踏み台にして幸せを築いたローゼンタールにはデイビッドをくれてやる。キャンストル伯爵家の汚点を大切に世話させてやろうじゃないか!⋯⋯デイビッドがクズに育ってれば益々笑えるよな)
キャンストル伯爵家の血を受け継いでいない事を黙ったまま婚約を結んだ事がバレてザッカリーには完全に縁を切られたが今だけのことだとライルは気にもしなかった。
離れで暮らさせていたデイビッドを母屋に連れて帰ったライルは少し前まで息子だと思っていた子供が我儘で傲慢になるよう贅沢をさせ叱る事も躾もせず放置した。
腹いせのように会社の金を掠め取ったり仕事をケインに押し付けて逃げ出したり⋯⋯。
(アンジーにあったのが俺の運の尽きだったな。毒を吐いていると分かってるのに目が離せなくて)
ライルの心の闇を的確に見抜いて忍び寄り、提携と称した会社の乗っ取り計画を口にしローゼンタールは犯罪者だとアンジーが耳元で囁く。
隣国に行ってからのライルは何もせずぼうっとして毎日を過ごしていた。憑き物が落ちた後のように心が動かずアンジーが横で騒ぐのを『煩い虫みたいだ』と思っていた。
逮捕されて一番初めに知ったのは援助ではなくキャンストル伯爵家へ借金の返済をしていたと言うことだったがライルの心にはなにも響かなかった。
(今更そんなことを知って何を思えと?)
『アンジーと結婚? あり得ませんしちゃんと断りました。だって、俺があんな毒女と結婚したらザッカリーの迷惑になるじゃないですか』
その陰でアンジーの父親と娘が暗躍しているのに気付いていたかと聞かれたが⋯⋯。
『知ってましたよ。ザッカリーにさえ手を出さないならローゼンタールの奴らの事なんかどうでもいいと思ってたんで⋯⋯ざまぁとは思ったかもなあ』
『俺の狙い? う~ん、特に何も⋯⋯あ、会社から逃げたかったかも。アンジー達が欲しいならやってみれば? みたいな。
愚鈍な俺じゃケインにはどうせ勝てないし⋯⋯ケインならケレイブ子爵達をどうやって撃退するのかなぁって思ったくらいですね』
(そう言えば⋯⋯会社がなくなればデイビッドとアーシェの婚約もなくなると思ったかもな。あの頃は意味のない婚約をさせた事に少しだけ罪悪感があったし)
逮捕されてから全く感情を表さないライルはその日の夜鉄格子から見える小さな空を見上げて呟いた。
「父上はエマーソン様と一緒にいて、妻は俺に関係のないガキを押し付けて他の男と出て行ったまま。ザッカリーには見放されて」
その夜、遠い昔の夢を見た。
生真面目なザッカリーと手を繋ぎ甘えん坊のデイビッドを肩車してピクニックに出かけたり、厨房で真剣な顔で人参を切るザッカリーと泣きながら玉ねぎの皮を剥くデイビッドを見守る自分。
泣いてぐずるデイビッドを一晩中抱えて下手な歌を歌い、家族の⋯⋯ライルとザッカリーとデイビッドが手を繋ぐ下手くそな絵を見せたデイビッドの頭を撫でて膝に抱き上げた。
(デイビッドだって俺の子だったのに⋯⋯)
ケレイブ子爵家の爵位簒奪計画に加担したライルの家族として父親やザッカリーも平民落ちし罪人となるはずだったが、ローゼンタール伯爵家からの嘆願で彼等はお咎めなしとなったと聞いた時も『偽善者』だと鼻で笑っただけだった。
年老いた馬に引かれた護送車がゴトゴトと荒れた道を進んで行った。乾いてひび割れた道には元気のない雑草がチラホラと見えるだけで、人の気配もなくいつもうるさく飛び回る虫さえ今日は見当たらない。
日中の暑さが和らぎもう少ししたら日も翳りはじめるかという頃、少し遠くに何度も補強した家が立ち並んでいるのが見えてきた。
(ふ~ん、随分オンボロの家だなぁ。雨漏りとか凄そう)
端から2番目の家のドアが開いて大きなエプロンをつけた少年が木の匙を振り回しながら駆け出してきた。
「繝ゥ繧hォ! 今日は母さんの代わりにスープ作ったから~、味見してくれないかあ」
井戸の近くで遊んでいた少年が大きな叫び声に気付いて立ち上がり、両手を大きく振りながら家に走って行った。
「ごめんな、繧アN繝ウ! もうそんな時間だった!?」
エプロンの少年が怒ったふりをして遊んでいた少年を揶揄っている。
「しょうがない! 今回はぁ⋯⋯許~す!」
ケラケラと笑い合う少年達が家に入って行った。
(ケインの昔の口癖そっくりだな。そういえば⋯⋯俺が泊まりに行くとおばさまのエプロンつけてスープ作ってくれた事が何度もあって⋯⋯忘れてたなぁ⋯⋯ケインはいつだって俺の⋯⋯)
ライルの目から初めて後悔の涙が溢れた。
間に短い鎖のついた手枷と足枷⋯⋯荷台の上に檻を乗せたような護送車は炎天下の日差しを遮るものもなく、暇つぶしに通行人が投げる石やゴミは色々な方向から飛んできた。
(昔は仲が良かった気がする⋯⋯どこからズレてしまったんだろう)
父親不在の両家は家長の代わりに母親が走り回っていた。父親達が立ち上げた会社の運営と見知らぬ住所から突然届く契約書への対応、領地の運営もありライルとケインはいつも使用人に紛れて暮らしていた。
表向きは貿易会社は黒字経営で領地は順調と言われているが、父親の無茶な行動で安定していたとは言えない時の方が多かった。
テーブルからハムやチーズが消え具のないスープに黒パンを浸して食べる日が続く合間に高級食材や燻製肉などが父親の手紙と共に届くが、それらは全て売ってお金に変えるのがキャンストル伯爵家の決まりになっていた。
(こんなに貧乏なのに父上はいつもあんな美味しい物を食べてるんだ)
イキイキと書かれた冒険譚や想像すらできない景色や食べ物の話が書かれた手紙はライルの宝物になり、大人になったら父親と共に旅に行きたいと願うようになった。
(でも、父上が選ぶのはエマーソン様で僕じゃない。こんなにうちは貧乏なのにローゼンタール伯爵家にお金を持っていってあげるんだもん⋯⋯僕よりケインの方が良いのかも)
爵位は同じ伯爵で父親は一緒に会社を立ち上げた仲間同士。同い年のライルとケインは母親が長期で家を空けるときは必ず相手の家に預けられた。
普段から一緒にいることの多い2人だがライルは細々とした違いに気付きはじめた。昼食のパンが違うしチーズがいつもついてる。服もケインの方が新しい⋯⋯。
家に泊まりにいくたびにその違いはより顕著になる⋯⋯そんな時には必ずたまにしか会えない父親の何気ないひと言が思い出された。
『ローゼンタールに金は送ったか?』
『ローゼンタールに早く金を送ってやれ』
(うちの方が貧乏なのになんで⋯⋯)
小さな不満を心に溜めながらもそれなりに親しくケイン一家と付き合い、真面目に仕事をしていたライルの心に亀裂が入ったのは妻の不貞がキッカケだった。
母親はすでに儚くなっており父親は家族のことを忘れたようにエマーソンと出かけたきりでほとんど帰って来ない。信じていた妻に裏切られていただけではなく、大切に育てていた息子が他人だった。
(心を痛めたふりで何くれと手助けしてくれるケインが憎くてたまらない! 俺の家に援助してもらって優雅に暮らして⋯⋯妻と子に囲まれて幸せそうにしやがって!)
苦悩するライルの肩を叩いて次の冒険⋯⋯予定を楽しそうに口にする父親に憎しみさえ感じてしまった。
相変わらず自由気儘なランドルフとエマーソンがふらっと帰ってきてザッカリーとアーシェの婚姻を申し渡してきた時、ライルの心に残っていた最後のタガが外れる音が聞こえてきた。
(ザッカリーは俺の子だ! 絶対に手放すもんか。俺や母上を踏み台にして幸せを築いたローゼンタールにはデイビッドをくれてやる。キャンストル伯爵家の汚点を大切に世話させてやろうじゃないか!⋯⋯デイビッドがクズに育ってれば益々笑えるよな)
キャンストル伯爵家の血を受け継いでいない事を黙ったまま婚約を結んだ事がバレてザッカリーには完全に縁を切られたが今だけのことだとライルは気にもしなかった。
離れで暮らさせていたデイビッドを母屋に連れて帰ったライルは少し前まで息子だと思っていた子供が我儘で傲慢になるよう贅沢をさせ叱る事も躾もせず放置した。
腹いせのように会社の金を掠め取ったり仕事をケインに押し付けて逃げ出したり⋯⋯。
(アンジーにあったのが俺の運の尽きだったな。毒を吐いていると分かってるのに目が離せなくて)
ライルの心の闇を的確に見抜いて忍び寄り、提携と称した会社の乗っ取り計画を口にしローゼンタールは犯罪者だとアンジーが耳元で囁く。
隣国に行ってからのライルは何もせずぼうっとして毎日を過ごしていた。憑き物が落ちた後のように心が動かずアンジーが横で騒ぐのを『煩い虫みたいだ』と思っていた。
逮捕されて一番初めに知ったのは援助ではなくキャンストル伯爵家へ借金の返済をしていたと言うことだったがライルの心にはなにも響かなかった。
(今更そんなことを知って何を思えと?)
『アンジーと結婚? あり得ませんしちゃんと断りました。だって、俺があんな毒女と結婚したらザッカリーの迷惑になるじゃないですか』
その陰でアンジーの父親と娘が暗躍しているのに気付いていたかと聞かれたが⋯⋯。
『知ってましたよ。ザッカリーにさえ手を出さないならローゼンタールの奴らの事なんかどうでもいいと思ってたんで⋯⋯ざまぁとは思ったかもなあ』
『俺の狙い? う~ん、特に何も⋯⋯あ、会社から逃げたかったかも。アンジー達が欲しいならやってみれば? みたいな。
愚鈍な俺じゃケインにはどうせ勝てないし⋯⋯ケインならケレイブ子爵達をどうやって撃退するのかなぁって思ったくらいですね』
(そう言えば⋯⋯会社がなくなればデイビッドとアーシェの婚約もなくなると思ったかもな。あの頃は意味のない婚約をさせた事に少しだけ罪悪感があったし)
逮捕されてから全く感情を表さないライルはその日の夜鉄格子から見える小さな空を見上げて呟いた。
「父上はエマーソン様と一緒にいて、妻は俺に関係のないガキを押し付けて他の男と出て行ったまま。ザッカリーには見放されて」
その夜、遠い昔の夢を見た。
生真面目なザッカリーと手を繋ぎ甘えん坊のデイビッドを肩車してピクニックに出かけたり、厨房で真剣な顔で人参を切るザッカリーと泣きながら玉ねぎの皮を剥くデイビッドを見守る自分。
泣いてぐずるデイビッドを一晩中抱えて下手な歌を歌い、家族の⋯⋯ライルとザッカリーとデイビッドが手を繋ぐ下手くそな絵を見せたデイビッドの頭を撫でて膝に抱き上げた。
(デイビッドだって俺の子だったのに⋯⋯)
ケレイブ子爵家の爵位簒奪計画に加担したライルの家族として父親やザッカリーも平民落ちし罪人となるはずだったが、ローゼンタール伯爵家からの嘆願で彼等はお咎めなしとなったと聞いた時も『偽善者』だと鼻で笑っただけだった。
年老いた馬に引かれた護送車がゴトゴトと荒れた道を進んで行った。乾いてひび割れた道には元気のない雑草がチラホラと見えるだけで、人の気配もなくいつもうるさく飛び回る虫さえ今日は見当たらない。
日中の暑さが和らぎもう少ししたら日も翳りはじめるかという頃、少し遠くに何度も補強した家が立ち並んでいるのが見えてきた。
(ふ~ん、随分オンボロの家だなぁ。雨漏りとか凄そう)
端から2番目の家のドアが開いて大きなエプロンをつけた少年が木の匙を振り回しながら駆け出してきた。
「繝ゥ繧hォ! 今日は母さんの代わりにスープ作ったから~、味見してくれないかあ」
井戸の近くで遊んでいた少年が大きな叫び声に気付いて立ち上がり、両手を大きく振りながら家に走って行った。
「ごめんな、繧アN繝ウ! もうそんな時間だった!?」
エプロンの少年が怒ったふりをして遊んでいた少年を揶揄っている。
「しょうがない! 今回はぁ⋯⋯許~す!」
ケラケラと笑い合う少年達が家に入って行った。
(ケインの昔の口癖そっくりだな。そういえば⋯⋯俺が泊まりに行くとおばさまのエプロンつけてスープ作ってくれた事が何度もあって⋯⋯忘れてたなぁ⋯⋯ケインはいつだって俺の⋯⋯)
ライルの目から初めて後悔の涙が溢れた。
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