騎士団長に攻略されてしまった!

桜猫

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1巻

1-2

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「なにやら盛り上がっているのが聞こえてきたんでね、のぞきにきたらこれだ」

 そのオードリックに気づいたジェラールは、彼にウインクして見せた。オードリックは、くくっと笑みを漏らす。

「君が楽しそうでなにより」

 オードリックは楽しそうにそう言い、二人の戦いを見守っている。

「くっ……」

 いくら打ち込んでもまったく手応てごたえを感じず、シルフィーナは焦る。

「あ、もう勝負がつくな」

 オードリックが言い終わると同時に、シルフィーナの喉元にすっと木刀が突きつけられた。

「はい、また僕の勝ち。これで少しは納得してくれました?」

 相変わらず呑気のんきな物言いでジェラールは問うた。対するシルフィーナは息が上がりひたいに汗がにじんでいる。

「……負けました」

 ジェラールの口ぶりから、なぜ即座に勝負を決めなかったのか理解したシルフィーナは悔しくて、沈んだ声で言った。ジェラールは実力の差をあえて見せつけるような戦い方をしたのだ。

「頑張ったね、シルフィーナ」

 聞き覚えのある声に、はっとする。声のほうに目をやると、敬愛するオードリックの姿があった。

「オードリック様! 見ていらしたんですね……我が団長に負けるなんて醜態しゅうたいを」
(く、くそぉ……なんてずかしいところを……!)

 悔しさとずかしさにシルフィーナの頬が微かに熱くなる。

醜態しゅうたいなんかじゃないよ、シルフィーナ。彼は私より断然強いからね。ほら、この前まで北西のワイズリーとうげに出没してた危険度Aの魔物がいただろう? あれもジェラールが一人で片づけてしまったんだよ」
「え……」
「えええー!?」

 驚愕きょうがくするシルフィーナの声に、他の若手騎士たちの信じられないという声が重なった。危険度Aの魔物といえば、並の騎士一人では到底かなわない。四、五人のパーティーを組んで挑むのが普通なのだ。
 このワイアール国は、国王ディースファルトが張る結界により長らく守られている。
 しかし王の結界に守られていてもなお、魔物は国のあちこちに出没している。その姿形すがたかたちは人によく似たものから、醜悪しゅうあくで恐ろしいものまで様々だ。
 そして、騎士たちの主な仕事の一つがこの魔物退治である。

「君たち、そんなに驚かなくても……」

 苦笑するジェラール。

「だって」
「これが!」
「あの団長がっ」
「オードリック様より強いなんて、信じられません」

 口々に声を上げ、一つの文章のように紡いでいく。全員の意見が見事に一致した瞬間である。

「酷いなあ、君たち。毎回毎回騒ぎを起こした君たちの尻拭しりぬぐいを誰がしていると思っているのかな。その分、事務処理が増えて、現場に出ることが減っているというのに」
「え、そうなんですか? この前、酒場で暴れた悪漢あっかんを取り押さえたとき、勢いあまって壁をぶち抜いたのにおとがめなしだったのは団長のお陰だったのか……」

 と、マーキスが答える。

「これからはもう少し穏便おんびんに願いますよ。ですが、困った者を助けようとする精神は立派ですね」

 怒るでもなくジェラールは、にこにこしている。

「あっ、なんか団長っぽいこと言った!」
「ぽいではなく、正真正銘しょうしんしょうめい団長です。部下の不始末は団長が片づけるものです」

 騒ぎを起こしたことに心当たりのある面々は皆、無言になっている。そしてこの団長がただのほほんとしたゆるい男ではなく、付いていくに値する人間だと各々おのおの感じ始めていた。
 そのときだった。不意にジェラールに向けて剣が振り下ろされたのは。
 ガッ、と剣と木刀のかち合う音がして、ジェラールが攻撃を受け止めたのだとわかった。

「ね? のんびりしてるように見えてちゃんと反応するんだよ、ジェラールは」
「不意打ちは感心しませんねぇ、オードリック。君でなければ叩きせていたところですよ」

 団長同士のやり取りを見て、一同は口をつぐんだ。と同時に、この二人は怒らせてはならないと心に刻んだのであった。

(二人ともすごい……あんな気配を感じさせない鋭い一撃を繰り出したオードリック様も、それを難なく受け止めた団長も。やはり只者ただものではないのだ……団長に関しては、認めたくないが)

 シルフィーナの中でジェラールの存在が、お飾りの団長から変わりつつあった。

「そういえば僕のお願いがまだでしたね。ちょっとこちらへ、シルフィーナさん」

 騎士たちから離れ訓練場の隅へと誘導される。ジェラールのもとへ歩み寄ると耳を貸せと言われ、その通りにする。すると彼はシルフィーナにこうささやいた。

「いつでもどこでも僕とのキスに応じること。それが僕のお願いです」
「…………へ!?」

 予想外のお願いにびっくりして、思わず顔が熱くなる。

「な、な、な……なにを言ってるんですかっ!」
「僕が勝ったら一つ言うことを聞くと言ったじゃありませんか。あれは嘘だったんですか?」

 にこにこと屈託くったくのない笑みを浮かべながら、ジェラールはシルフィーナに問いかける。

「そっ、そういうわけでは……でもてっきり、馬小屋の掃除とかを言いつけられるのだと思っていて……」

 まさかのお願いにシルフィーナは軽いパニックにおちいっている。

「女性にそのようなことをさせる趣味はありません。じゃ、そういうことでよろしくお願いしますね」

 にっこりと笑みを浮かべるジェラールに、言い返したくてもできなくてシルフィーナはこいのように口をぱくぱくさせる。

「あっ、あの。なにか違うお願いに……」
「キス以外の選択肢はありません。観念してください」
「そ、そんなっ。困りますっ」
「約束は約束ですよ、シルフィーナさん」
「ですが……好きでもない相手とそのような行為、私は……」
「勝負を挑んできたのは君のほうですよ? そうですね、お願いを撤回してほしいのなら僕に挑んで勝つことです。いつでもかかっていらっしゃい」

 ジェラールの瞳が、打ち合いをしていたときと同じ鋭く熱のこもったものに変化する。その目に見つめられると、なぜかシルフィーナは抵抗できなくなる。
 ゆっくりと彼の端整たんせいな顔が近づき、二度目のキスをされる。じんわりと唇を押し当てるだけのキスだ。しかし最初のキスより体温と唇のやわらかさを生々しく感じた。

「今日のところは舌は入れないでおいてあげます」

 そう言ってあでやかに微笑むジェラールに身も心も奪われてしまいそうな感覚におちいり、シルフィーナはゾクリとした。
 お飾りの、のほほんとしたゆるい団長だとばかり思っていたのに、こんなに色気の漂う顔をする人だとは心底意外だった。

(この人は、なんなんだ一体……わけがわからない)

 シルフィーナはジェラールの新しい一面をの当たりにし、少しばかり混乱していた。
 ――一方その頃、二人の様子を離れた場所でうかがっていたオードリックと若手騎士たちは……


「おやおや、ずいぶん回りくどいことをするものだね、ジェラールも」

 オードリックはくすりと笑う。だが穏やかな雰囲気なのは彼だけで、他の騎士たちはシルフィーナとジェラールのキスシーンを見て複雑な気持ちになっていた。

「もうあの子はジェラールのお手つきだから、下手にちょっかい出さないほうがいいね。もしシルフィーナを泣かすようなことがあれば、彼に消されるかもしれない」

 だから皆、気をつけるんだよ、とほがらかに笑うオードリックの言葉を聞き、周りはさらに凍りついた。
 のんびりのほほんとした、いかにも温厚そうな団長だと思っていたジェラールが、実は剣の達人であることを見せつけられたあとだ。若手騎士たちは下手なことはしてはならないと密かに心に誓うのだった。



   第二章 絶対好きにならない


     1 キスしましょうか


「どうしてこんなことに……」

 団長との勝負に破れた日の晩、シルフィーナは騎士団の宿舎の自室で頭を抱えていた。彼女の部屋は余計なものがほとんどなく、同年代の女性と比べると酷くシンプルだ。ぬいぐるみや花といったものは、この部屋に存在していない。

(頭も胃も痛くなりそうだ。まさか団長にまでキスを所望しょもうされるとは思わなかった)

 明日からどうやって生きていこうかと思うと、夕食もろくに喉を通らなかった。
 だがこのまま泣き寝入りするわけにもいかない。とすれば、シルフィーナの取る道は一つだ。

「なにがなんでも団長に勝つ……そんなことできるのか? 私に」

 訓練場で剣を交えたとき、彼はまったく本気を出していなかった。はじめに木刀でいいと言ったのは、嫌味でもなんでもなくシルフィーナの身を案じてのものだった。

(だからさらに腹立たしい。あんな普段のんびりしているような団長に、手も足も出なかった。彼と私の実力の差はどれくらいあるのだろうか。……ふう。考えてばかりいても仕方がないな。明日に備えて寝なくては……悶々もんもんと悩んでいたらすっかり夜中になってしまった)

 そこで彼女のお腹が切ない音を鳴らす。

「夕食、ほとんど食べなかったからな……お腹が空いた」
(寝る前に、なにか少しつまんでおくか)

 シルフィーナは座っていたベッドから立ち上がり、厨房ちゅうぼうへと向かう。チーズのひとかけらでもあればと思ってのことだ。
 さすがに皆寝静まり、廊下はとても静かだ。彼女は足音を立てないように歩いていく。ふと窓の外を見ると、空には明るい満月がある。お陰であかりなしでも不自由なく歩くことができている。
 厨房ちゅうぼうにつくと、チーズとナッツ類が手に入った。そっとポケットにしまい、そこを出ようとしたとき不意に誰かとぶつかってしまった。

「シルフィーナさん?」
「団長……どうしてここに」

 ぶつかった相手は他でもない、ジェラールだった。途端とたんにシルフィーナは居心地が悪くなる。

「もうひと踏ん張りしなくてはならなくて、コーヒーをれにきたんですよ。そう言う君は?」
「私は小腹が空いたので、少し食べるものをもらいに」

 答えながら、なにかされてはたまらないと警戒する。

「そうですか。よかったら君の分もれますから、一緒に飲みませんか、コーヒー」

 汎用はんよう魔法を使いランプに火をともすジェラール。室内が一気に明るくなる。わずかな炎であったが、無意識にシルフィーナは身を強張らせた。
 この世界は汎用はんよう魔法が広く使われており、火をおこしたりあかりをつけたり、氷を出したりと、その程度のことは誰でもできる。ただし、きちんとした魔法はしかるべき場所で学ぶ必要がある。
 シルフィーナも基本的な魔法は扱えるが、どうしても火に関する魔法だけは上達しなかった。過去に起きた火事がトラウマとなり、どうしてもうまく扱えなかったのだ。

「え……は、はあ」

 コーヒーを飲むかとにこやかに尋ねられ、迷いながら返事をする。ジェラールはくるりと背を向けると、ヤカンを火にかけお湯を沸かす。そしてカップを二つ食器棚から取り出し、横に並べコーヒーの粉を入れた。次いで沸いたお湯をそそぎ込む。

「ミルクと砂糖はどうします?」
「ミルクだけお願いします」
「了解」

 なにか嬉しいのか、ジェラールは楽しげにミルクを入れたコーヒーをスプーンでかき混ぜる。そして、どうぞとシルフィーナの前のテーブルにそっと置いた。

「ありがとう、ございます……」
(気を抜いてはいけない。この、のほほんとした雰囲気にだまされてはいけない。団長は見た目通りの人ではないのだから)

 警戒しつつミルク入りコーヒーの入ったカップを手に取る。コーヒーの香りに、思わずほっとする。

(さっさと飲んで、ここから立ち去ろう)

 ふーふーとコーヒーを冷ましながら必死で喉に流し込む。少し熱いが耐えられないほどではない。ほんの数分でコーヒーを飲み干すと、シルフィーナはテーブルの上にからのカップを置いた。

「ごちそうさまでした。では、私はこれで」
「僕が怖いんですか?」

 不意にそう問いかけられ、思わずジェラールを見上げた。その顔を動かしているわずかな間に距離を詰められ、彼とテーブルの間に挟まれる形になる。シルフィーナの体の両脇から腕を伸ばしてテーブルに手をついたので、完全に逃げ道をふさがれてしまった。

(しまった、油断したつもりはなかったのに!)

 そう気づいたが、時すでに遅し。

「団長、なにを……」
「役職ではなく名前で呼んでくれたほうが嬉しいんですけどねぇ」
「はい?」

 シルフィーナが怪訝けげん面持おももちで見ると、彼は獲物を見つけた猛禽類もうきんるいを思わせる瞳で彼女を射抜く。

「こういうのはムードが大事だというじゃありませんか、ねえ?」

 わずかにつやを含む声で言われ、シルフィーナの心臓がどくんと跳ねた。なにかやばいことが起きようとしている、そう感じたのだ。
 なんとか隙を見て逃げなければと思うのだが、徐々に詰め寄られ重心がうしろに傾いていく。これでは非常に動きにくい。さらに彼は体重をかけるように上半身を前に倒してくる。そうされることでシルフィーナは、ますます背をのけ反らせる形になる。

「キスしましょうか」
「い、嫌です」
「拒否権はありませんよ」

 思わず目をつむると、くすりと笑う気配がして唇が重なる。触れ合う唇から伝わる体温が生々しく感じられた。幾度いくどついばむような口づけが繰り返される。やさしく触れてくる唇に、ずかしいと同時に切ない気持ちが込み上げた。ゆっくりと唇にわされる舌が心地よくなってきて、シルフィーナはほのかに目元を熱くする。
 そうこうしている間に、ますます体はうしろに傾いていく。

「逃げようとするのは結構ですが、そろそろきついんじゃないですか? 素直に僕につかまれば楽になりますよ」

 下唇を甘噛みされ、力が抜けて倒れかけたシルフィーナは、反射的にジェラールに抱きついた。

(しまった! つい抱きついてしまった。ちくしょう……)
「ふふ、可愛いですねぇ」

 とっさに抱きついたとはいえ、のけ反っていることに変わりないシルフィーナは少し息苦しい。時折ちゅ、と水音が立つたびに彼女の羞恥しゅうちしんあおられていく。訓練でしか異性と接近したことなどないため、こんなに間近で触れられているこの状況に困惑している。
 好きでもない相手にキスをされて不快なはずなのに、気持ちいいと感じている自分に嫌悪感を抱く。

(私が、私が好きなのは、オードリック様なのに)

 それなのに抱きついたジェラールの体は、すらりとした見た目に反して思いのほかたくましく、心臓が勝手に早鐘はやがねを打つ。そして彼独特の香りとコーヒーの香りが混じり合ったものに包まれ、妙にドキドキしてしまう。

「んぅ……」

 自分の喉元から上がる声に、シルフィーナは一瞬驚く。

(なっ、なにを私はこんな気持ちよさそうな声を漏らしているんだ。好きでもない男にキスされて、ここは怒るところだろう!?)
「舌、入れちゃってもいいですか?」
「は? なんで、わざわざ聞くんだっ」

 いきなり思ってもみないことを尋ねられ、シルフィーナは顔を熱くした。焦ったせいで敬語で話すのを忘れてしまった。それにどうせそんなことを言ったって、拒否権などないのだ。

「君のとろけている顔があまりにも可愛くて、もっと見たくなってしまいました」
(やめろ! そんなずかしいことを、さらっと口にするな!)

 一気に顔に熱が集まる。悔しさにうるんだ瞳で、ジェラールをにらむ。

「ああ、ほんとうに……」

 焦れた様子で熱をはらむ目を細めたジェラールに、深く口づけられる。唇を割り歯列を舌先でめられ、シルフィーナは口を控え目に開いてしまう。ぬるりとした感触と共に、ジェラールの舌が入ったのだとわかり、胸が早鐘はやがねを打つ。厚みのある長い舌は熱く、彼女の咥内こうないを溶かしてしまいそうだ。粘膜をねぶられ舌をこすり合わされると、息が荒くなりお腹の下のほうが熱を持ち始める。
 角度を変えて唇を重ねられるたびに、くちゅり、と淫猥いんわいな音が立ち、シルフィーナは耳から犯されている気分になる。

(だめ、駄目だ、こんなのは……頭ではわかっているのに、体が言うことをきかない。こんなのちっとも気持ちよくなんか、ない……――)
「っは、あぁ……ん……んぁっ、…………んむ……っ」

 彼女の気持ちとは裏腹に、白い喉から漏れ聞こえるのは嬌声きょうせいに他ならない。咥内こうないを自在にうごめく舌の感触に段々慣れてくると、さらに気持ちよくなる。特に上顎うわあごを舌先でちろちろと刺激されるたびに上擦うわずった声が漏れ、無意識に体が震えた。その様子を見たジェラールは、執拗しつよう上顎うわあごばかりをめ回してくる。

「んんんっ……んっ、ふ……ぁ……」

 感じては駄目だと必死に快楽から意識を逸らそうとするのにあらがえない。高められた快感のせいで、目尻から涙がすうと流れ落ちる。それから何度も舌を絡められ、逃げようとすると逃がさないとばかりに強く吸われる。もうお腹の下のうずきがかなり強くなっていて、熱いと同時にどうしようもなく切なくなってくる。

(なんなんだこの感じは……どうしたら、満たされる? 熱くうずいてたまらない、早く楽にしてほしい。私は……私の体は一体どうなってしまったんだ――)

 何度も繰り返される濃い口づけに、シルフィーナはじらっている余裕などなくなっていた。ジェラールによって与えられる甘い快感に酔うことしかできない。
 ジェラールは、すっかり力が抜けたシルフィーナの背中に手を回して支える。シルフィーナにはもう抵抗する気力も残っていなかった。とろけきってしまった瞳で、ただ彼を見上げ続ける。今、二人の間には濃密な情欲の気配が漂っているように感じられて、シルフィーナは恥ずかしくてたまらなかった。彼もシルフィーナを一心に見つめ返し、小さく身震いをした。それから、ふっと熱をはらんだ青い目を細め、つやめいた笑みを浮かべる。
 しかしすぐに、なにかを振り払うように首を横に振った。
 ジェラールはそっとシルフィーナから唇を離し、解放する。
 シルフィーナは一瞬、どうして、と思ってしまった。

「すみませんね。これ以上してしまうと、僕のほうが収まらなくなるので……また、明日しましょう」
「……んっ」

 シルフィーナはとっさに言葉が出てこず、まだ余韻よいんの残る小さなあえぎが漏れた。
 するとジェラールは彼女のあごをしなやかな指で捕らえ上向うわむかせると、触れるだけのキスをした。

「おやすみのキスです。……僕はね、ずっと前から君のことを知っているんですよ」
「え……」

 ずっと前から知っている。そう言われ、シルフィーナは少し意識を取り戻す。

「よい夢を。シルフィーナさん」

 いつもののほほんとした笑みを浮かべ、ジェラールはその場をあとにした。
 辺りはしんと静まり返り、体の熱が引いていく。ついさっきまで、ここで抱きしめられキスを交わしていたのが幻のように思える。

「私のことを、知っていた……どうして」
(団長はわからないことだらけだ。なぜ私にキスを要求してくるのか。私のことを前から知っているというのは一体……)

 シルフィーナは複雑な想いを胸に抱きながら自室へと向かう。
 部屋に入り、ベッドの上に寝転がる。硬すぎずやわらかすぎないベッドは割と寝心地がよい。シルフィーナはひたいに左手を乗せ、ぼんやりと天井を見つめる。

「…………」
(団長の青い目、綺麗きれいだったな。それによく見たら綺麗きれいな顔立ちだった。でもキスするとき眼鏡が少し邪魔だったな)

 ――――!!
 そのときぶわっと一気に熱が駆けめぐり、シルフィーナは全身が熱くなる。

(そうだ、私、キス。またキスされたんだ。しかも今度はあんな……あんな……!)
「……っ」

 急にずかしさがぶり返して、彼女はごろんと体をひっくり返してうつぶせになり枕に顔をうずめる。

(なっ、ななな、なんてことをしてしまったんだ、私は! 好きでもない相手と、またしてもキスするなんて。私はそんな軽い女ではない。誰でもいいわけじゃない。私が好きなのは、オードリック様なのに……初めてのキスだけでなく三度目のキスも団長に奪われてしまった)

 しかも、彼のキスが気持ちよくて、強く拒絶することすらできなかった。

(そう……きもち、よかった……。キスがあんなに気持ちのいいものだなんて知らなかった。団長の舌は熱くてコーヒーの味がして……不覚にもドキドキしてしまった)
「ああ、もうっ」
(考えてはいけない! こんなことは早く忘れろ!)

 そうしてシルフィーナは毛布にくるまる。両目をぎゅっと閉じ、頭まですっぽり毛布を被り直す。
 悶々もんもんとした気持ちはすぐには消えてくれないが、それでも昼間みっちり訓練したせいか徐々に眠気が襲ってくる。
 そういえば、せっかく厨房ちゅうぼうから持ってきたチーズとナッツを結局食べていないな、と思いながら意識を手放した。

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