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第17話 エリーゼの恋 -5-
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冬の気配を感じて、学院の樹木も葉を落とし始めた。
勉強を教わるのは最初に会った裏庭が定番だったが、季節的に風がひんやりと冷たくなってきた。おまけに今日は天気も曇りで気温が低く肌寒い。
「ここにいたら風邪ひくよ。寮の空き部屋があるから移動しよう」
ノアに案内され、木造の寮に向かった。学院が創立されたときに一緒に建てられたもので、かなり老朽化が進んでいる。寮生たちはみな便利できれいな新しい建物を好むので、この古い1号棟はほとんどが空き部屋になっていた。
薄暗い1階の廊下の突き当りの角部屋の扉を開く。長い間使われていなかったのか、ほこりっぽいにおいがした。室内は狭く、床は歩くたびにきしんだ音を立てる。
「ここに入るの初めてかも」
「きれいじゃないけど、寒くない分、外よりましだよ」
「そうね、十分すぎるわ」
年代物の椅子に座って化学の教科書を開く。
「それで、この化学式がよくわからなくて」
ノアは珍しくそわそわと落ち着かない。
「どうしたの、ノア? ねえ聞いてる?」
はーっと長く息を吐くと、意を決したようにノアが切り出した。
「エリーゼは4年生のマーク・ウェブスターをどう思っているの?」
「え? なに、急に」
「答えて」
「ん-、読書家だし頭いいし優しいし責任感があって、とても尊敬しているわ」
「好きなの? 男として」
「好き、というよりは憧れかなあ。お手本になる上級生って感じ? わたしも男に産まれていたらマークみたいになりたかった」
「ホントに?」
「ええ、そうよ」
「おれはエリーゼが好きなんだ」
突然の告白だった。
「入学式からずっと見てた。1年生の時は上手く近づけなくて、2年で少し仲良くなれたと思ったのに、3年で専攻が別れちゃうし。だから、化学を教えることになったときは千載一遇のチャンスだと思った。ここにいるのは親切心じゃなくて下心だよ」
想像もしていなかった展開に頭が追いつかない。
「待ってよ、そんなこと言われたって、わたしたち友達だと思っていたのに」
「本当に、本当に、友達?」
――――嘘。友達だなんて思ったことなんかない。
ぶんぶんと首を振った。
「ううん、ノアが好きよ。ノア、モテるから、わたしなんか絶対に相手にされないと思ってたの」
手の届かない男の子に恋をして傷つくのは怖い。だからノアのことは何とも思っていないと自分に言い聞かせてた。
化学を教えてあげると言ってくれた時は、天にも昇る心地だった。ふたりだけで過ごせる時間が嬉しくてたまらなかった。ノアを独り占めできる、ほかの女の子にはない、エリーゼだけに許された特権。それだけで満足しようと思っていたのに。
「だいたい、ノアこそ、わたしのどこがいいわけ? 可愛い女の子を選び放題のくせに、なんでわたしなの?」
「ずっとエリーゼを見てたって言ってるだろ。クラスの面倒な仕事を自分から引き受けたり、いつも他人のために頑張っていたじゃないじゃないか。優しいところも全部好きだよ」
「ノア……」
「それにエリーゼは奇麗だよ。初めて会った時に言ったよな、可愛いって」
「でも」
「頼むから、わたしなんかなんて言わないでくれ」
「うん。ごめんなさい」
嬉しいのと恥ずかしい気持ちが混ざり合って、エリーゼは顔をあげられなかった。
「こっち向いて」
顔を寄せてくるノア。
「ちょ、ちょっとダメよ、待って、心の準備ができていないの」
「要らないよ、そんなもの」
エリーゼのあごをつかみ、ノアは強引に自分の方を向かせた。エリーゼはぎゅっと目をつむる。ノアの唇が優しく触れる。ぎこちないファースト・キス。
「力ぬいてよ」
緊張しすぎだよとノアが笑う。
「だって初めてなんだもの、仕方ないじゃない」
「やばい、エリーゼ、可愛すぎる」
耳や首まで真っ赤になった涙目のエリーゼに、ノアはおでこや鼻、頬にキスの雨を降らせた。
「ふふ、くすぐったいよ、ノア」
そしてもう一度、ノアはエリーゼに口づけをした。今度はちゃんとノアの唇の感触を確かめることができた。
そっとまぶたを開けると、ノアが目を細めてエリーゼを見つめている。幸せに満ち足りた笑顔だった。
ノアってこんな表情もするんだ……。
自然と口から言葉が出ていた。
「ノア、大好き」
「ありがとう。でも、おれのほうがもっとエリーゼのこと大好き」
「……なんで、そこで張り合ってくるの」
男の子ってわからない。
「わからないのはエリーゼだよ。あれだけ態度に出しているのに気がつかないって鈍すぎない?」
「だって、誰にでもああいう感じかと思っていたんだもの」
「おれ、どれだけ女たらしだと思われてたわけ」
「勝手な思い込みで誤解していたことは謝るわ」
「いいよ、別に。そういう鈍感なところも含めて好きだから」
「もう、ひどい」
ふとダンスパーティ準備委員ことを思い出した。
「もしかして、マークに嫉妬してた?」
「そりゃ、もうしていたよ。放っておいたらエリーゼを取られかねないし、どうやってあいつから引き離そうか、そればかり考えてた」
「取られるなんて。マークが私を好きだなんて、そんなわけないわ」
ノアが吹き出す。
「なんで笑うのよ」
「おれ、はじめて先輩に同情したかも」
「もう、わかんない」
エリーゼはぷうと頬を膨らませた。
「そんなことよりさ、これからはリゼって呼んでいい?」
「もちろんいいけど」
「ほかのやつには呼ばせたらダメだから。おれ専用ね」
小さい子供のようなムキになった言い方が可愛く感じられて、思わず笑ってしまう。
「ふふっ。そうするわ」
勉強を教わるのは最初に会った裏庭が定番だったが、季節的に風がひんやりと冷たくなってきた。おまけに今日は天気も曇りで気温が低く肌寒い。
「ここにいたら風邪ひくよ。寮の空き部屋があるから移動しよう」
ノアに案内され、木造の寮に向かった。学院が創立されたときに一緒に建てられたもので、かなり老朽化が進んでいる。寮生たちはみな便利できれいな新しい建物を好むので、この古い1号棟はほとんどが空き部屋になっていた。
薄暗い1階の廊下の突き当りの角部屋の扉を開く。長い間使われていなかったのか、ほこりっぽいにおいがした。室内は狭く、床は歩くたびにきしんだ音を立てる。
「ここに入るの初めてかも」
「きれいじゃないけど、寒くない分、外よりましだよ」
「そうね、十分すぎるわ」
年代物の椅子に座って化学の教科書を開く。
「それで、この化学式がよくわからなくて」
ノアは珍しくそわそわと落ち着かない。
「どうしたの、ノア? ねえ聞いてる?」
はーっと長く息を吐くと、意を決したようにノアが切り出した。
「エリーゼは4年生のマーク・ウェブスターをどう思っているの?」
「え? なに、急に」
「答えて」
「ん-、読書家だし頭いいし優しいし責任感があって、とても尊敬しているわ」
「好きなの? 男として」
「好き、というよりは憧れかなあ。お手本になる上級生って感じ? わたしも男に産まれていたらマークみたいになりたかった」
「ホントに?」
「ええ、そうよ」
「おれはエリーゼが好きなんだ」
突然の告白だった。
「入学式からずっと見てた。1年生の時は上手く近づけなくて、2年で少し仲良くなれたと思ったのに、3年で専攻が別れちゃうし。だから、化学を教えることになったときは千載一遇のチャンスだと思った。ここにいるのは親切心じゃなくて下心だよ」
想像もしていなかった展開に頭が追いつかない。
「待ってよ、そんなこと言われたって、わたしたち友達だと思っていたのに」
「本当に、本当に、友達?」
――――嘘。友達だなんて思ったことなんかない。
ぶんぶんと首を振った。
「ううん、ノアが好きよ。ノア、モテるから、わたしなんか絶対に相手にされないと思ってたの」
手の届かない男の子に恋をして傷つくのは怖い。だからノアのことは何とも思っていないと自分に言い聞かせてた。
化学を教えてあげると言ってくれた時は、天にも昇る心地だった。ふたりだけで過ごせる時間が嬉しくてたまらなかった。ノアを独り占めできる、ほかの女の子にはない、エリーゼだけに許された特権。それだけで満足しようと思っていたのに。
「だいたい、ノアこそ、わたしのどこがいいわけ? 可愛い女の子を選び放題のくせに、なんでわたしなの?」
「ずっとエリーゼを見てたって言ってるだろ。クラスの面倒な仕事を自分から引き受けたり、いつも他人のために頑張っていたじゃないじゃないか。優しいところも全部好きだよ」
「ノア……」
「それにエリーゼは奇麗だよ。初めて会った時に言ったよな、可愛いって」
「でも」
「頼むから、わたしなんかなんて言わないでくれ」
「うん。ごめんなさい」
嬉しいのと恥ずかしい気持ちが混ざり合って、エリーゼは顔をあげられなかった。
「こっち向いて」
顔を寄せてくるノア。
「ちょ、ちょっとダメよ、待って、心の準備ができていないの」
「要らないよ、そんなもの」
エリーゼのあごをつかみ、ノアは強引に自分の方を向かせた。エリーゼはぎゅっと目をつむる。ノアの唇が優しく触れる。ぎこちないファースト・キス。
「力ぬいてよ」
緊張しすぎだよとノアが笑う。
「だって初めてなんだもの、仕方ないじゃない」
「やばい、エリーゼ、可愛すぎる」
耳や首まで真っ赤になった涙目のエリーゼに、ノアはおでこや鼻、頬にキスの雨を降らせた。
「ふふ、くすぐったいよ、ノア」
そしてもう一度、ノアはエリーゼに口づけをした。今度はちゃんとノアの唇の感触を確かめることができた。
そっとまぶたを開けると、ノアが目を細めてエリーゼを見つめている。幸せに満ち足りた笑顔だった。
ノアってこんな表情もするんだ……。
自然と口から言葉が出ていた。
「ノア、大好き」
「ありがとう。でも、おれのほうがもっとエリーゼのこと大好き」
「……なんで、そこで張り合ってくるの」
男の子ってわからない。
「わからないのはエリーゼだよ。あれだけ態度に出しているのに気がつかないって鈍すぎない?」
「だって、誰にでもああいう感じかと思っていたんだもの」
「おれ、どれだけ女たらしだと思われてたわけ」
「勝手な思い込みで誤解していたことは謝るわ」
「いいよ、別に。そういう鈍感なところも含めて好きだから」
「もう、ひどい」
ふとダンスパーティ準備委員ことを思い出した。
「もしかして、マークに嫉妬してた?」
「そりゃ、もうしていたよ。放っておいたらエリーゼを取られかねないし、どうやってあいつから引き離そうか、そればかり考えてた」
「取られるなんて。マークが私を好きだなんて、そんなわけないわ」
ノアが吹き出す。
「なんで笑うのよ」
「おれ、はじめて先輩に同情したかも」
「もう、わかんない」
エリーゼはぷうと頬を膨らませた。
「そんなことよりさ、これからはリゼって呼んでいい?」
「もちろんいいけど」
「ほかのやつには呼ばせたらダメだから。おれ専用ね」
小さい子供のようなムキになった言い方が可愛く感じられて、思わず笑ってしまう。
「ふふっ。そうするわ」
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