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第40話 【番外編】ハリソン王子の退屈な日常-2-

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王城に籠っていても気が滅入るので、お忍びで街の視察に出かけることにした。
もちろん周りの者たちは難色を示したが、そこはわがままを通した。昔取った杵柄だ。

よく晴れた気持ちの良い空。やはり執務室から出てきてよかった。
こんな日に閉じこもっている方が間違っている。

市街地を馬車で移動中、窓の外にレイシーによく似た後ろ姿を見つけた。
こんなところにいるわけないのに、理性が働くより先に、気が付いたら馬車を飛び降りていた。

「レイシー!」

肩をつかむ。
意志の強そうなピスタチオグリーンの瞳、まっすぐなブロンドの髪。
振り向いた女性は、雰囲気は似ているがまったくの別人だった。

「ちょっと、いきなり何するのよ!」

女性は声を荒らげた。
追いついてきた従者が咎めようとする。

「娘!こちらは、」
「黙れ!」

従者を制した。

「失礼をしたのはこちらだ。レディ、不躾な真似をしてしまったことお詫びする」
「別にいいわ。じゃあね」

女性は踵を返すと、人込みに紛れて行ってしまった。



次の日も引き続き視察に出かけることにした。
今は、王都の繁華街の中心を一人で歩いている。流行の店が立ち並ぶ、若者に人気の一角だ。
仰々しくなっては市民の普段の様子を観察できないからと、護衛には離れたところから警備にあたらせた。
予定外のことが起こっても、命を脅かされることでなければ、決して近づかぬように言いつけている。

「あれ? あなた、昨日の人じゃないの?」

後ろから声をかけられる。
レイシーと見間違えた女性だった。今日は白い帽子に、水色のワンピースを着ている。

「その節は申し訳なかった」

余は頭を下げた。

「そんなに何度も謝ってもらわなくていいわよ。もう気にしないで」

女性はからっとした性格のようだ。

「ねえ、あなたは王都ここの人なの?」
「ああ。一応、生まれた時から王都に住んでいる」
「それなら、道案内してくれない? 人気のカフェにいきたいのだけど、道に迷っちゃって」
「それは構わないが」
「よかった! わたし、王都に初めて来たから、いろいろ観光しているの」

出身はコルトレーン最西端の街ブロックウッドだという。

「女性一人で観光など危ないだろう。王都は田舎とは違うんだぞ」

彼女は両手で耳をふさぎ、聞きたくないというポーズを作った。

「ああ、もう。伯父さまと同じこと言わないでよ」
「伯父? 王都こちらに知り合いがいるなら同行してもらえばいいではないか」

彼女はぷうと頬を膨らませる。

「それだと好きに歩けないじゃない。あっちはダメ、こっちはダメって言われるに決まっているわ。来週から伯父さまの家に居候させてもらうんだけど、自由に観光したくて、内緒で予定より早く王都に来ちゃったの。だから、今は宿に泊まっているわ」

ずいぶんと行動力があるようだ。

「わたしはシェリルっていうの。ねえ、あなた、名前は?」
「ハ……ハリーだ」
「ハリー、よろしく頼むわね」

目的のカフェはここから5ブロックほど先にある。

奇麗に舗装された石畳の歩道、等間隔に配置された街路樹には青々と葉が茂り、柔らかい太陽の光が命を育んでいる。
雨の季節が終わり、ほんのり湿った風が耳元を走り抜けてゆく。
コルトレーン王国には四季がある。ただ街を歩くだけでも、季節の移ろいを感じることができる。

王都一の規模を誇るリンデル・マーケット抜けると、市民の憩いの場であるフラワーガーデンがある。小径には芝生が敷き詰められ、それに沿って規則正しく並ぶ数千種類の花や樹木が人々の目を楽しませている。
カフェはすぐその先だ。



「ええ! そんなああ」

チョコレートが評判のカフェのドアには「close」の看板が掛けられていた。

「休業日ぐらい事前に調べないのか」

シェリルは口を尖らせる。

「しょうがないじゃない、知らなかったんだから。じゃあ、明日、この時間にこの店の前に集合ね。遅刻厳禁よ。いい?」
「店の場所がわかったんだから、一人で来られるだろう。私が来る必要はあるか?」

娘はキッと余を睨みつけた。

「ここのショコラタルト食べたことある?」
「いや、ないが」
「食べないと絶対に後悔するわよ、わかった?」

根拠のない自信に裏打ちされた迫力に押されて了解してしまった。
強引に指切りまでさせられた。

シェリルはへなへなと座り込んだ。

「歩いたらお腹空いちゃった。もうダメ、動けない」

ふと、レイシーとポーラ姉妹が足しげく通ったと言っていたレストランが近くにあるのを思い出した。
おそらくそこなら女性が好むような料理が食べられるだろう。

「私の知っている店でよければ、なにかご馳走しよう。もう少し歩けるか?」
「ホント? やった!」

シェリルは勢いよく立ち上がると、小動物のように飛び跳ねた。
十分に元気じゃないか。まったく。



翌日、ショコラタルトを食べる約束を守るべく、側近の目を盗んで城を抜け出した。
もちろん、ノルマの業務は全て終わらせたうえでだ。
いくら仕事をきちんとこなそうが、護衛をつけないことで説教されるのは確実だが、今は時間がない。

赤いレンガで作られた瀟洒なカフェの前で、シェリルは仁王立ちで待ち構えていた。

「おそーーーーーーーい!!」
「すまない、こちらにも事情があるのでな」

タイミングが良かったのか、待たされずに席に通された。
店の看板メニューであるショコラタルトと紅茶を二人分注文する。

運ばれてきたタルトにさっそくナイフを入れる。
チョコレートの表面は顔が映りこむほどにつややかにコーティングされている。絹のような滑らかさで舌触りがよく、濃厚なのに口に入れるとさらっと溶けてゆく。
タルト生地はバターの風味がしっかりと感じられ、サクサクと香ばしい。

「んー! 美味しい!!」
「うん、美味いな」

一流パティシエのスイーツは食べなれているが、このタルトは少しも引けを取らない。
いや、こうして楽しい気持ちで食べているから、何倍も美味しく感じるのだろう。

シェリルはあっという間に食べ終えた。恍惚とした表情をしている。

「都会のスイーツって、もう最高……!!」
「足りないならもうひとつ注文したらどうだ? フルーツのタルトも気になるのだろう? 遅刻のお詫びにここの勘定は私が持つ」

メニューをシェリルに手渡した。

「ハリーってお金持ちなのね。何者なの? 初めて会った時にはすごく高級そうな馬車に乗っていたじゃない」
「いや、何者といわれても」

正直に名乗るわけにもいかない。なんとごまかそうか。

「わたし、わかっちゃった!」
「え?」

ドキリとする。
シェリルは余の首を指さす。

「そのアザ、左手の指のタコのでき方! バイオリニストでしょ!」
「あ、ああ。そうだ。よく見ているな」

確かに余の首にはうっすらとだが、バイオリンでできたアザがある。
練習を積むほどに出来る、バイオリニストの勲章とも呼ばれているものだ。

「じゃあ、あの高級な馬車は王城からの帰りだったの? もしかしてパーティで演奏したとか?」
「うん、まあ、そんなところだ」
「すごーい。王都のバイオリニストって儲かるのね。わたしも目指そうかなあ」
なんでそういう発想になるのかわからないが、納得してくれたならこれ以上つつくことはあるまい。

シェリルはフルーツのタルトを追加で頼んだ。余も紅茶のお代わりを注文する。
シェリルはよく笑い、よく喋った。くるくる変わる表情につられて、こちらもつい話してしまう。
タルトを食べ終わり、紅茶のカップが空になっても、このテーブルから離れたくなくなっていた。



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