隠れゲイシリーズ

芹澤柚衣

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隠れゲイとカプチーノ

7.

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「取り消さへんで」
 ドアを開けるなり、言ってやった。哲は弱々しく笑いながら、ドアを閉める。促されるまで上がろうとしないのは、こいつの数少ない美点だと思う。顎で合図を出してやった。どうとも取れるような短い仕草で許可を出したのは、俺の小さなプライド故だ。ホモの癖に、鼻っぱしだけは高い俺だった。哲はそんな俺を、長い間甘受してくれていたのだと思う。ヘタレはヘタレなりに、だ。
「取り消さないって……別れ話を?」
「話もなにも、別れはもう決定事項やろ。俺がゆうてんのは、さっきの電話や」
「電話?」
「お前から電話があった時死ねばいいのにて思うたけど、それは取り消さへんよって今、神様に」
「そんな事を今!?」
 哲が声を上げ、そしてすぐに笑った。相変わらず、見た目はクールなのに笑うとただの五歳児だ。つられて笑んでしまいそうな口元を、きゅっと引き締める。
「潤也は相変わらずだなー……あ、これお土産。出張で京都に行って来たんだ」
「……京都まで行って、何でうなぎパイ」
「何言ってんの。潤也は八つ橋よりも、パイの実系のお菓子のが好きじゃん」
 まぁ、色々複雑な気持ちもあるけれど。貰えるものはありがたく貰っておくことにする。一人暮らしの意地汚さ舐めんな。街中で配ってるティッシュだって確実に貰うし。あれ結構溜めると、ボックスティッシュ買う回数が劇的に減るからな。何だったら一年くらいは、買わずにどうにかやっていけるレベルで生活基盤になってくれるから。いやいかん、話が逸れた。
 間がもたなくなって、冷蔵庫を開ける。ほうじ茶のペットボトルを直飲みした。背中を向けたまま振り向くタイミングを掴み損ねている俺に、哲が、明日の天気を聞くような気安さで話し掛けてくる。
「流石に、うなぎパイじゃ絆されてくれない?」
「お前なぁ……」
 呆れて、どついたろかと動かした右手を掴まれた。無骨な哲の掌から伝わる、予想外の熱にぎくりとする。
「ほんとは、指輪にしようと思ってた。でも、いきなりそんなの持ってきちゃったら、絶対潤也に投げ返されるじゃん」
「ただ投げ返さへんで。確実に急所狙って、緩急つけたスライダーお見舞いしてやる」
「うん……だからさ。うなぎパイにしたの」
「…………」
 真意が掴めずに、言葉を失ってしまった。何でこいつの中で、うなぎパイと指輪の存在価値が同じなのだろう。や、すみませんうなぎパイ業者の方々。俺もうなぎパイ大好きです。けれど一度別れた男相手に指輪は駄目だからうなぎパイとか言い出すこいつは、うなぎパイ業者の方々も指輪業界の方々も、樽に詰めて海に沈めても良いような気がするのです。
「潤也は、いつもそうだよね。ものをあげたら、ちょっと困った顔すんの。でも、食べ物だったら絶対、可愛い顔で貰ってくれる」
 どこまで意地汚いイメージ!
「困るんだよね? 手元に残るものは」
「困るて、別に」
「別れた時に、困るんだよね?」
「…………」
 ぎくりとした。ヘタレだ馬鹿だと思っていたこいつは、思うほど頭の足りない生き物ではないのかもしれない。見透かされたような一言に背中が冷える。
「消えちゃうものなら、絶対貰ってくれるのに……」
 それこそ消え入りそうな声で、哲が呟いた。縋るような両手を、何故だか振り払うことが出来ない。
「京都に出張、行ってきたなんて嘘だよ」
「そらそうや。うなぎパイ持ってきた時点で、嘘や言われても驚きはせえへんで」
「手土産を持ってくる、理由が欲しかったの。最初は、チョコパイにしようと思ったけど。理由のないお土産は、受け取って貰えないような気がして」
「ちゅうか、お前ん中で俺どんだけパイ生地好きなイメージ」
「好きだよ」
 会話が成り立ってない。苛々する。
 好きて、何やねん。今更何やねん。
「好きだよ……好き。別れようなんて、言ってごめん。もう一度、俺とやり直して」
 泣きそうな声。震える肩。俺はこいつが、底抜けに優しいのを知ってる。
「……あのな、俺は」
「ねぇ先輩。腐りかけたえのきって、その人のこと?」
 熱に侵されたような意識が、一気に常温に戻る。弾かれたように振り向いたら、珍しく機嫌の悪そうな棚橋が居て。
 本当は声だけで、もうわかっていたのに。
 わざわざ確認したのは、やっぱり怖いもの見たさからだった。

 この、漫画みたいなタイミングの悪さは何だろうと思う。
「榎……?」
 訝しそうに、哲が呟く。
「……まあ普通、えのき言われたらそういう漢字変換やろな」
「俺は輪島です」
「知ってます」
 生真面目に自己紹介する哲が痛い。色々な意味で。そしてどうした棚橋その冷たい切り返し。優しさライセンス所持者の棚橋、どうしたその態度。
「ちょっと潤也、俺聞いてないんだけど」
「何がや」
「お前浮気してんの!? 榎さんって誰だよ」
「心配せんでも、お前が思うとるえのきとちゃうわ」
「どういう榎!?」
「だから……あの、冷蔵庫に入ってる、白い……きのこ的な」
「そんな下手な言い訳で、誤魔化せると思ってんの!?」
 怒るのも無理ないと思うが、本当にそのえのきの話してんだよ。架空の榎とかいう存在のせいで、理不尽に責められて堪るか。そもそも、お前が浮気どうのと言えた口かい! 
「そもそも輪島さんが、浮気とか責められる立場だと思ってるんですか」
 俺の気持ちを代弁した棚橋の声が、ぎくりとする程冷ややかだった。さりとてそうだそうだ、言える立場か! なんて。軽いノリで便乗出来ないこの空気。
「そう言えば、こいつも誰なの潤也。お前俺の知らないところで、色々男にモテてたんだね」
「そんなんちゃうわ。こいつは、普通に大学の後輩。何でもホモ目線でライバルのカウントに入れんな」
「普通に大学の後輩、棚橋です」
 律儀に棚橋が名乗った。どんな自己紹介だよ! 俺の説明オウム返しかい!
「なら何で普通に大学の後輩が、潤也の家に来て、俺に切れてんの」
 幾らか甘えたモードの払拭された哲が、シビアな声で聞き返す。俺の前でぐだぐだに語尾の伸びる口調が、今や完全に外面モードだ。
「ゲイじゃないと、先輩の家に遊びに来たら行けませんか」
「俺が厭なんだよ。会うんなら外で会ってくれない? っていうかそもそも、ゲイじゃない君が何でそんなに喧嘩腰なの」
「さぁ? 生理的に嫌いなんでしょうね」
 何このぴりぴりした空気。いつの間にやら蚊帳の外に出されてるっぽい俺が一番しんどいんですけど。棚橋がこんなにウエルカム喧嘩みたいな、好戦的な態度取ってるのも初めて見るし。超怖い。
「……ま、とりあえずアレだ。哲、お前一旦帰れ」
「何で!?」
「で、棚橋は部屋に入ってろ」
「あ、はい。お邪魔します」
 指示を出したら、案の定哲に怒鳴られた。
「ちょ、何で何で何で!? 意味わかんない!」
「俺はお前が何で分からへんのか分からへん。元彼と進展のない話するくらいなら、後輩部屋に入れて茶ァ飲んだ方がマシや、死ね」
「やだよ、話しようよ。進展なくなんかないよ」
「おい、外面モードどうした。お前今完全にただの駄々っ子やんけ」
「だから、俺には潤也だけなんだよ……お願い、もう一回だけ俺にチャンスちょうだい!」
「お前後で二回くらい死ね」
「じゅーんーやー……」
 情けない程ぐしゃぐしゃの顔をした、哲の背中を蹴飛ばして外へ出す。ドアを閉める直前に、視線を合わせて言ってやった。
「来週の月曜日、十二時半にオアシスのマクドや」
「……は?」
「きっちりその時間に来ぉへんかったら、今度こそ終いやで」
「じゅ、潤也。それって」
「死ね!」
 力任せに、ドアを閉める。哲の顔を見る勇気はなかった。

「輪島さんと切れてなかったの?」
 ドアを閉めるなり聞かれた。超怖い。何が怖いって、声質。声の温度を測る機械があったら、きっと氷を張れる段階をぶっちぎっているであろうこのひやっこさは何だ。
「切れてへん訳あるか。別れてから、会うんは今日が初めてや」
「でも、部屋に入れたんだよね」
 はい、入れました。すみませんでした。
 勢いで謝りそうになって、いや違うだろ! と我返る。棚橋に、俺からの謝罪を受け取る筋合いはない――俺側に、その気持ちがあったとしても、だ。
「で、またオアシスのマックで会うんだよね」
「……向こうに、その気があったらな」
「どうして?」
 棚橋の言葉はストレートだ。疑問に思う対象を濁さない。だから逃げ場がないのだ。それはそれで、つらい。
「やり直す気はないんでしょ。先輩の目を見てれば分かるよ」
 つらい、けど。
「なのにどうして会おうとするの」
 つらいけど、時々それに救われたりもする。
「……気づいておきながら」
「……?」
「物のよぉわからん子供みたいな態度で、気づいてへんことにして……なあなあで済ませてた問題がある」
 声にして、その罪の重さにぞっとした。
 自覚はあった。
 それなりに多分――覚悟も。
 現状と正確な未来予想図を、一番理解していたのは俺だった。二人で熱に浮かされたような恋愛をしていながら、一人浮かされきれない何かがあった。だから本来なら、まだ冷静に現実を把握出来ていた俺から、進言しなければならなかったのに。
 手放すには、未練があった。魔法のような、特別な力が突然働いて。全てが上手くゆくんじゃないかなんて、儚い夢を見ていた。
「やり直すんは、やり直す」
「……もう一回、傷つくと思うよ」
 真面目な顔で、棚橋が言う。力なく笑って、頭を叩いてやった。
「なぁ、棚橋。後生のお願いがあんねんけど。聞いて貰える?」
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