恭介&圭吾シリーズ

芹澤柚衣

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アンチノック・スターチスの誤算

19.

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 夜に飲まれるのは存外早かった。
 烏丸は、転がっていた風車を拾い、池の畔に卒塔婆のように突き刺す。
 もう、風はなくなっていた。代わりに、土からじんわりと夜の空気が染み込んでくる。昼と夜とでは、おそらく都会の夜と砂漠の昼ぐらいの温度差があるだろう。
 どんなに低い山だろうと、軽装備で挑む登山家はいない。まだろくに姉弟のことを弔ってはいないし、この池で無惨に殺された子どもたちの霊は置き去りのままだが、遭難事故を自ら起こしてしまう前に撤収をする必要があった。
 十分な鋭気を蓄え必要な荷造りを済ませた後にまた改めて供養に通うことを密かに決め、烏丸は静かに呼吸を整える。

 後ろを振り向くという行為が、烏丸にとってそれなりに覚悟のいることだった。

「圭吾」
 烏丸の呼びかけに、圭吾は答えなかった。
 恭介の腹の近くに、安物の百円ライターが転がっている。烏丸が、恭介に掛けたジャケットから取り出したのだろう。
 仄かに残る血の匂いからは生々しさが落ち着いていた。代わりに、肉が焦げたような臭いが僅かに鼻をつく。
「圭吾」
 二度目の呼びかけにも、圭吾は答えなかった。ただ静かに、恭介の上半身を抱きしめている。
 破れた腹からの出血は止まっていた。赤黒く焼け爛れた肉が、瘡蓋の役割を果たしているのだと静かに悟る。傍らには、血塗れになったオフホワイトの学ランがぐしゃぐしゃになっていた。どうにか止血をしようとして、それでもどうにもならなかったが故の残酷な二択に、圭吾が苦しんだ結果だと言えた。
 烏丸はゆっくりと近づき、膝をつく。そっと触れた圭吾の肩は僅かに震えていた。
 迫られたのは、好きだと自覚したばかりの人を出血多量でみすみす見殺しにするか、生きたまま火炙りにするかの二択だ。
 それは、大人になった烏丸でさえ狂いたくなる程の選択肢だった。まだ中学生の圭吾に、背負えと言うにはあまりにも重すぎる十字架が、圭吾の心ごと潰してしまいそうな重圧でのしかかっている。
「……悪かった」
 心からの謝罪の言葉だったが、口にしたとたんとても陳腐で的違いの一言に思えた。

 子供たちはいつも、大人が思うより全力で事象に向き合い、全身全霊で答えを探している。
 ――結果、大人がしっかりしていなかったことで派生した因果さえ背負わされ、被害者となるのだと改めて思い知る。

「お前が恭介以外に、そんな真摯に謝れるなんてな」
 絵師が言った。軽やかだったが、茶化すような声ではなかった。
「今回は、良い教訓になっただろ」
「どういう意味だよ」
「恭介が大事だからって、恭介のことしか視界に入れない主義を振りかざして、物事に向き合っていたからこうなるんだ。この世に生を受けて、ひとと関わり続ける以上、このガキと世界のつながりはどんどん増えていくぞ。いつまでもこんな視野の狭いことばかりしてたら、大人になってゆくこいつのことを守れない時がやって来るよ。遅かれ早かれ」
「……」
 友人の忠告を素直に受け入れて、烏丸は力んだ拳を何にもぶつけず静かに収めた。正論で真正面から殴られた気分だった。
 それでも――それでも、だ。
 あの可愛い子供の作り上げた細やかなつながりをすべて断って、この腕に閉じ込めてしまいたいという衝動は消えることはなく、絶えず揺らめいては烏丸の理性を焦がす。
 ままならない感情は、飼い慣らしていくしかないのだろう。
 やっぱりどうしても、世界一この子が愛しくてたまらないのだから。

「恭介に輸血はできないだろ。何か手があるのか?」
 彼が特殊な血液の所有者であるのは明白で、絵師は烏丸に指示をあおいだ。業務提携先の担当者に問いかけるような、フラットな声だった。
「万一には備えてるよ。恭介本人の血液を定期的に採取して、極秘裏に保管してる施設がある。そこへ向かえば輸血の選択肢も治療法もあるはずだ」
「金持ちはやることが違うな」
 呆れたように絵師が嘯いた。値上がりした卵を手に取ったけれど、やはり買うのは諦めて棚に戻した瞬間、横から富豪にそれを掠め取られた時のような声だった。
「何にせよ、早めに山を降りた方が良いな」
 絵師がそう言ったのと、烏丸が恭介の膝の裏に腕を通したのは同時だった。そのまま慣れた手付きで、小柄ではあるが一人の男子高生を堂々とお姫様抱っこで持ち上げ、帳の降りた山の麓へと踵を返す。
「どこに行くんだよ」
 そう言い放った絵師を、地球外生命体を見つけたような顔で烏丸が見た。何を言ってるんだよだの、話を聞いていなかったのかだの言いたそうな顔だった。
「俺を誰だと思ってるんだ」
 ふんぞり返りながら絵師が言った。烏丸の欲しかった答えを一ミリも内包しない台詞だった。
「……誰だって言うんだよ」
「少なくとも、お前よりは冷静な大人だよ」
 彼は、言いながらマジシャンのように懐から一本の棒を取り出した。それが魔法のステッキであればまだ現状打破の一手として希望が持てたのかもしれないが、たった今その辺の枝を折ってきましたと言われても、だろうなと返せるくらいに何の変哲もない木の枝の中の木の枝だった。
 絵師は得意げに出したそのアイテムに何ひとつ注釈をつけず、ガリガリと地面に大きな円陣を描き始める。細かな紋様のようなものを内側に描き、その中心に手を翳した。
「胡桃」
「はい! ご主人様!」
 信じられないことに、スピーカーにした受話器のように鮮明な音声が力強く響いた。
 それは、先程拓真を連れて下山した、小動物を思わせる子供の声だった。
「どこまで降りた?」
「もう山を出ましたよ。今、最寄り駅の近くで地図を見ているところです」
「上出来だ。陣を描く場所はあるか? 何人か、そっちへ飛ばしたい」
「ちょっと待ってくださいね」
「わぁ!」
 ポップコーンが弾けるような音がして、拓真が感嘆とも驚愕とも取れる声をあげた。混乱の渦中にある彼の状況説明はどれを取っても的を得ていなかったが、どうやら胡桃の姿が成人男性に変わったらしい。
 どういうことですか、という拓真の弱々しい声に、あっさりと絵師が答える。
「必要がない時は省エネモードだけど、普段の胡桃はその大きさだぞ。人間っぽく化けるのはまだ下手くそだから、ケモ耳と普通の耳があるのうけるだろ」
「うけないです……」
 真摯な声で、拓真が律儀に突っ込んだ。
「拓真、あばれないで。落っことしちゃうよ」
「み、耳元で喋らないで……」
 どうやら向こうは向こうで、移動手段にお姫様抱っこという手法を選んでいるらしい。愛くるしかったペットのような姿から精悍な顔立ちの青年に変化した胡桃のスキンシップに音を上げた拓真が、可哀想になるくらいの貧弱な声でそう言っているのが聞こえた。
「ご主人様、陣を描く場所が見つかりました。全員こちらに移動しますか?」
「いや、俺は良いよ。くるくる頭がまだむかさりに入ったままだし。いざという時のために動けるようにしておきたいからね」
「……俺も、ここに残る。悪霊に取り憑かれてた女を家に送って、目が覚めたら事情を説明する役が必要だろ」
 智也がため息混じりに立候補した。その役目をこなせる面子が自身以外にいないという現状は、火を見るよりも明らかだった。
「妥当だな。胡桃!」
「はい」
「そっちには、烏丸と恭介と、もう一人行く。三人受け止めるまで待機しろ」
「了解です」
 恙無く避難経路が確保されてゆくさまを、愛弟子を抱えたままの烏丸が呆けた顔で見遣っていた。
 烏丸、と智也が呼びかけたが、まるで自身の名前さえも忘れていたかのような間の悪さで振り返る。
「悪い……」
 何もかも後始末を任せてしまう現状は理解しており、それでも甘えきる選択肢以外選べない。
 烏丸の心はとっくに疲れ切っていた。
「お前にしては、耐えた方だよ。しっかり恭介の面倒見てこい――隣のガキと一緒にな」
 絵師は、ずるずると固まったままの圭吾を引きずって陣の真ん中に置いた後、ポン、と軽く烏丸の背を叩き、後に続くよう促す。
 背を押してくれた友人の手は温かく、烏丸の冷え切った肺や心臓に、少しだけ熱を分けてくれたような気がした。

「……本当に一緒に行かなくて良かったのか?」
 ぐるりと大鍋をかき混ぜる魔女のような仕草で、絵師が地面に描かれたそれを消しながら言った。らしくない智也の行き過ぎたお節介を、からかうことだけを目的としたいじめっこのような声だった。
「依頼人を放ってはおけないだろ……まぁ俺のって訳じゃないが、ここまで付き合ったんなら巻き込まれてやるさ。ああなった烏丸が、しどろもどろに状況を説明するよりかはマシだろ」
「正論だ」
 恭介が関わると、あの男はポンコツになる。
 瀕死の状態である彼をいつまでも横に置いたまま、それ程関係性を築けていない相手に状況を理解できるような日本語が話せるとは思えない。

 ――いや違う、と智也は思った。

 恭介が怪我をしていてもしていなくても、その軸は決して揺るがない。烏丸にとっての世界の中心は恭介で、彼がそこにいる限り、物事の価値も善悪も倫理も道理も、恭介が微笑んだ方に天秤が傾く。そういう生き方を、烏丸はし続けるのだろう――きっと、死ぬまで。
 
 どうしても、どうやっても、智也は恭介には敵わない。

 わかっていて、智也は駒に成り下がった。烏丸は旧知の仲であろうと今さっき知ったばかりの知人であろうと、恭介を保護するあらゆる方法のために、ピチカートのような軽さで必要な人間を浪費し続けるのだと思う。
 使われることに腹は立つが、たとえ一瞬でも、頭数としてでも、烏丸が智也を必要としてくれるという幸いは手放せそうにない。

(お前はずっと、そのままで良い)

 覚悟は、とうに決めていた。
 一生愛されないとわかっている相手に、心を寄せながら生きるというのはそういうことだ。

 だらりと弛緩した女を背負い、智也はゆうるりと立ち上がった。絵師が、小さく鼻を啜る。
 世界は、とっくに闇に食われた後だった。
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