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米の神様と、商売の神様

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「・・奥さん、泣いてますよ」

ミシェルは、気の毒そうにつぶやいた。
そもそもこの国に、この男についてやってこなかったら、この女にはこの苦労はなかったのだ。

実家なのだろうか、ひろびろとした農地の前で、子供に古い物語でも聞かせてやっている、今の女の姿がぼんやりと、光に包まれて見える。女は、痛々しいながらも幸せそうだった。

この女は、成功だの、教育だの、上流階級だの、そういうものに魅力を感じて男についてきたわけではなさそうだ。
この男の素朴な穀物への愛と、神からの愛をうけた、きらきらとした姿に、恋をした、恋した男と共にありたかった。ただそれだけだったのだろう。

「あの女が泣いていても、私には関係がない。私が知りたいのは、どうやってあの女から子供達を取り戻すか、それだけだ。早く子供を学び舎にかえさないと、どんどん学習が遅れてしまう」

男はいらいらと、冷たく言い放った。
この男の目に映る女の姿は、ただの感謝しらずの、役立たずの、女。それどころか、子供の教育の邪魔。

「あと、ミシェルさん、私の事業は、西でどうなると思いますか?なにか見える事があれば、教えてください」

この男の心には、もう女は住んでいない。
その代わりに、商売への成功への野望が、住んでいる。

ミシェルは、ため息をつきながら、この男の後ろのさざめきに集中する。

男の後ろの、きらきらと輝く穀物の神は、ゆっくりと姿を消していった。
美しい水田の姿は、男の後ろにはもうない。
その代わりに、強く、雄々しい光が姿を現した。この光に、男は今後導かれるのだろう事をミシェルは察した。

それは、穀物の神に愛された男から、別の神への鞍替え。

(もう、この女の愛した男は、いなくなるのか)

男は変わってしまったのだ。
ミシェルは、この二人の関係が終わりを迎えた事を知った。
この女の愛した素朴な青年は、もう今後、存在する事はないのだ。なら、変わってしまったこの男と、変わらなかったこの女の、それぞれを幸せな道におくるまでだ。
もう、共には歩いていかない、その道。

ミシェルは、告げた。

「西での事業は必ず成功します。でも、あなたはオイチャの現場からは離れて、事業そのものに集中してください」

もう、穀物の神はこの男を愛しては、いないらしい。
男は、それで、いいらしい。

「ああ!ミシェルさん、それが私の考えていた事です。オイ・チャの現場は共同事業者が扱い、私は運営と経営に集中します。この10年、私は地盤を築き上げてきたのです!それこそ寸暇を惜しんで、働いてきた甲斐があるというものです!素晴らしい、あなたはさすが、ダンテ様が他国よりお呼びしただけの事のある、すばらしい預言者だ!」

エンは、上機嫌だ。
この男は、自分が手放してしまった素晴らしいものよりも、手放した事で手に入れる素晴らしいものの方が、喜びだと、そういう事らしい。事業の成功のお告げは、相当彼にとって喜ばしい知らせだった様子。

エンは、上機嫌で、次の質問を投げかける。

「ミシェルさん、どの弁護人を使って子供をこっちに連れて帰るべきか、みえますか?これ以上学び舎を休ませたら、遅れてしまう」

一度は心から愛した女の手から、その一番愛する存在を、こうも残酷に、気軽に奪おうとするのか。
きらきらと輝く穀物の神ではなく、強く雄々しい神と手の取る事を決めた男は、ミシェルには怖かった。

「・・無理やり奪うのは、無理ですよ、この方は、愛するものの為だったら何でもできる、愛の深い方です。力で奪おうとしても、絶対手放そうとはしませんよ」

そう、この女はとても、愛が深いのだ。
この男への愛の為に外国まで、生まれた家族をおいてこの男についてやってきた程に、愛が深い女だ。
しっかりと、愛情いっぱいに、子供を抱きとめている女の姿が見える。

ミシェルは、光のさざめきに、導かれるように手元のサイコロをころころと転がした。

(どうか、みんなが一番幸せになる方法を、みちびいて)



ミシェルは、さざめきに祈った。このさざめきは、この男と女の幸せを願う、何かだ。
それが何であるか、ミシェルにわかったものではない。だが、なんだって、いい。

サイコロが示した番号通りのページを、手元のカラオケ本を開けてみる。

(さようならあなた、あなたの為に私は別れるの、あなたの為になら、私は愛するあなたと別れるの)

ちょっと古めの演歌のページに行き着いた。
辛気臭いと、あまり好きではなかったが。

そうか。

ミシェルは理解した。

「こちらの生活の方が、子供の為だと奥様が思えば、子供の為であれば手放してくださいます。説得はそういう方向で、子供の利益を強調してください」

「ああ、それはさすがだ、ミシェルさん!あの女も、学校についてはこちらの学校の方がよほど故郷の学校よりもよい環境だと、珍しく私に感謝していましたよ。そうですか、では西で、最高によい学校を探してきて、こちらに子供を送るように働きかけましょう」

男は意気揚々である。

だが、ミシェルは女の故国で、子供と一緒で幸せそうな女と、女に甘える子供達の姿を見てしまっている。
涙がでそうな美しい田園の、親子の風景だったのだ。

失わせて、なるものか。思わず、ミシェルは、口にする。営業は口がまわってなんぼだ。

「エンさん、でもね、故郷も子供達にとって素晴らしい場所ですよ。学び舎が休みの時は、故郷に帰らせてあげて、その間エンさんは事業に集中される方が、エンさんの事業にも、それから子供の将来にもいいんですって!」

適当に歌詞カードをなぞる。

異世界の文字などだれも読めやしないのだ。
お告げに、そんな事はでてはないが、ミシェルが考える幸せを、お告げとお告げの間に押し付けてやろう。

乳母を雇うとはいえ、やはり自分一人で子供の面倒を事業を広げながら責任を持つことには、ためらいがあったのか、エンはこのミシェルの「お告げ」に喜んで賛成した。

「ええ!大変信用のおけるミシェルさんの占いが、そういうのであれば、異論はありません!将来的に、故郷の商工会にコネがあったほうが、子供達のこの国での事業にもプラスになるでしょう、子供達は定期的に母親の元に送りますよ、離婚はしますが、子供の母である事にはかわりありませんからね」

いやいや、素晴らしい有意義な時間をありがとうございました。

そう上機嫌で、エンは帰っていった。
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