お仕置きはほどほどに

リツカ

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 心を無にして目と口をギュッと閉じていること数秒……ルシアンの唇がそっと離れていく。
 ホッとしたローランが目を開けると、そこには呆れたようなルシアンの苦笑があった。

「君は本当に素直だ。良くも悪くもね」
「申し訳ありません」
「責めているわけじゃないさ。……まあ、褒めているわけでもないが」

 肩をすくめたあと、ルシアンは気を取り直したようにいつもの笑みを浮かべて、「じゃあ、私はそろそろ帰るとするよ」と言った。
 意外な言葉にローランはぱちりと目を瞬かせる。

「もう、帰るんですか?」
「ああ。こう見えて、私は結構忙しいからね。もともと今日君と会うのも、一時間程度の予定だった」

 つまり、その貴重な一時間は、見事ローランの時間潰しで消費されてしまったということだろう。
 多少ばつが悪い気分になりながらも、ローランはひそかに安堵した。何時間もルシアンとふたりきりだなんて、想像するだけで息が詰まる。ローランにとってはまさしく苦行そのものだ。

「……では、お見送りいたします」
「ああ、頼むよ」

 ルシアンは一歩踏み出しかけた足をふと止め、再びローランを見下ろした。
 頭ひとつ分ほど高い位置にあるその美しい顔を見上げつつ、ローランは首を傾げた。

「ルシアン様?」
「次からは、私が君を学園まで迎えにいくことにしよう。そうしたら、さすがの君も逃げられないだろう?」
「……そ、それはやめてくださいっ」
「──ローラン」

 低い声色で名前を呼ばれた瞬間、背筋にぞわりと冷たいものが走った。部屋ごとぴりりとした空気に包まれて、ローランは身動きひとつできなくなる。
 そんな中、その圧の正体であるルシアンはおかしそうにくつくつと笑った。

「私は久しぶりに君と会えるのをとても楽しみにしていたよ。たとえ君がそうじゃなくてもね」
「…………」
「だから、次は私から会いに行って、君を見つける。ただそれだけの話だ」
「……ごめんなさい」

 子どもじみた謝罪がこぼれた。
 怖かったからではない。ルシアンを怒らせたのではなく、傷付けたのだと気付いたからだ。
 苦手だし、怖いと思っているが、男として尊敬はしている。それに、ルシアンはなにも悪くない。
 そんな彼を、ローランだって傷付けたいわけではなかった。むしろ、自分より圧倒的に素晴らしい人間であるルシアンを傷付けたと思うと、自分がいっそう最低な人間に思えて来る。
 しゅんとしたローランを見てか、フッと室内の空気が和らいだ。ルシアンの大きな手が、ローランの頭をぽんぽんと優しく叩く。

「ローラン、私は怒っているわけでもなければ焦っているわけでもない。どれだけ君が私を嫌っていても、あと半年もすれば君は私の妻に──唯一無二の番になる。そうしたら、今日の諍いなんて些細なことだ」
「別に、嫌っているわけでは……」
「じゃあ、苦手くらいか。しかしなんにせよ、君は私と結婚したくないわけだろ?」
「…………」

 笑顔で核心を突かれたローランは、思わず押し黙った。
 なにもかも見透かされている。やはりこの男は怖い。
 引きつったローランの顔を覗き込んで、ルシアンは薄っすらと笑う。

「心配ないさ。時間はたっぷりある。君が私を愛していなくても、君は私のオメガだ」

 うっとりとした声色に、ローランの肌が粟立った。
 どうしてこんなに怖いのか、ローランにもよくわからない。
 他のオメガみたいに、この完璧なアルファの番になれることを喜べたら良かったのだろうか。同じ年頃の女の子と結婚したいなんて、つまらないこだわりなのだろうか。
 でも──……

「……俺はまだ、誰のオメガでもありません」

 その青い瞳を射るように鋭く見つめ返して、ローランは冷ややかに告げた。
 すると、虚を突かれたようにルシアンは目を見開く。丸くなった瞳に、太々しいほど不機嫌そうなローランが映っていた。

「くっ……」

 程なくして、ルシアンの喉からくつくつとした笑い声が漏れはじめる。必死に笑い声を堪えているような、そんな笑い方だった。
 よくわからないが、おそらく馬鹿にされている。
 ローランがむすっとしていると、ようやく落ち着いたらしいルシアンは弾んだ声で喋りだした。

「ああ、そうだな。だからこそ、君が私のものになる日が待ち遠しいよ」
「…………」

 ローランの返事などはなから期待していなかったのか、ルシアンは言うだけ言って颯爽と応接室を出ていった。
 立ち尽くしたローランは、遠ざかっていくその広い背中を呆然と眺める。

 ──やっぱり、あのひとと結婚するのは嫌だなぁ……

 ローランはがくりと肩を落とし、深いため息をついた。
 そうして、帰宅するルシアンを見送るため、のろのろとした足取りで彼の後を追った。
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