十年先まで待ってて

リツカ

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過去話・後日談・番外編など

もう一方のメリーミー 2

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「夜彦が俺と結婚するって言って聞かなくて、困ってるんです」
「それは大変だねぇ」

 まるで他人事のように言って、夜彦の父はのんびりと微笑んだ。困り顔を作った誠は、内心小さく舌打ちをする。
 食えない男だ。もしかすると、夜彦以上に厄介な男なのかもしれない。
 しかし、だからこそ夜彦を諌められるのは目の前の男しかいなかった。あの夜彦でも、唯一の肉親である父親の言うことはたまに聞き入れることもある。

「……おじさん、他人事じゃないでしょう? 夜彦と俺が一緒になったら、孫の顔も見れませんよ?」
「いいんじゃないか、別に。跡取りが必要なほど大した家でもないし、私は夜彦が幸せならそれで構わないよ」

 言って、夜彦の父は湯呑みに注がれた緑茶を静かに啜る。

 ──いいわけないだろうが。

 誠はダイニングテーブルの上で組んだ手に自然と力が入るのを感じた。その怒りを押し殺し、無理やり卑屈な笑みを作る。

「……でも、俺の父は犯罪者ですし、俺も世間を騒がせました。俺なんて佐伯の家には相応しくないですよ。警視総監だったおじさんの名前にも傷が付きます」
「気にしなくて大丈夫だよ。私はもう定年退職したからね。あとは可愛いひとり息子を見守りながら余生を過ごすだけさ」

 少し前に、夜彦の父は警察官を辞めた。どこかに天下りでもしてくれていたらまだ良かったのに、その手の話はすべて断ったらしく、今は自宅でのんびりと暮らしている。
 失う物のないただの父親になってしまった夜彦の父は、誠の交渉相手としては些か面倒だ。
 誠が歯痒さに苦い顔をしていると、向かいの夜彦の父が小さく笑った。

「君、夜彦が嫌いなんだね。……ああ、別にだからどうということでもないよ。君の気持ちもわかる。あの子は少し普通のひととは違うからね」
「…………」
「だけど、私にとっては可愛い息子で、妻が残してくれたたったひとりの家族だ。あの子が君が良いと言うなら、それでいいんだよ」

 つまりこの男は、誠に『一生夜彦のペットでいろ』というわけだ。
 そんな答えは誠の望んだものではなかった。誠はスッと目を細め、夜彦の父を睨む。

「夜彦が俺が良いと言っても、俺は夜彦と結婚したくありません」
「そうか。残念だ」

 ちっとも残念じゃなさそうに言って、夜彦の父は視線をテーブルの上の写真立てへと向けた。
 その写真の中の女性は──今は亡き夜彦の母は、穏やかに微笑んでいる。まるで、夜彦の父を見つめ返しているかのようだった。
 見た目にはわからないが、この男も最愛の妻を亡くした瞬間おかしくなってしまったのかもしれない。もしかすると、夜彦よりもずっと歪に。

「恋というのはままならない。だからこそ素晴らしいのかもしれない」
「……詩人ですね」

 皮肉のつもりだが、夜彦の父に伝わったのかはわからなかった。いや、仮に伝わっていたとしても痛くも痒くもないのだろう。
 誠の意思も、言葉も、夜彦の父にとっては取るに足らないものだ。きっと、夜彦にとっても。

 誠は席を立ち、無言で二階の自室へと戻った。
 夜彦の父に結婚の話を相談すれば、いくらかのまとまった金を渡されて家を出ていくよう言われるのではないかと期待したが、そんな上手い話はないらしい。

「なんで俺なんだよ……」

 毒づきながら、誠は自室のソファに座って頭を抱える。
 自画自賛になるが、確かに顔の作りはいい方だと思う。だからこそ、アルファの振りをして生きてこられた。
 しかし、夜彦の周りには大勢の本物のアルファがいて、その中には当然誠よりも秀でた人間がごろごろいた。夜彦だって、誠に執着し出す前はそのアルファたちと恋人ごっこのような関係を楽しんでいたはずだ。

『──マジでゴミだな、お前』

 夜彦に雅臣を紹介したあの日、あの瞬間、すべてがおかしくなった。もともとおかしかった関係がさらに強固に、歪になって、誠を捕らえて離さない。
 爛々とした夜彦の目を思い出すと、今でも背筋がぞくりとする。あの日が誠にとって最悪の運命の日だったのだろうか。

「雅臣……」

 髪をかき乱しながら、誠は愛しいひとの名前を呟く。
 会いたい。会って、謝りたい。許されたい。一緒に逃げ出したい。
 許されないことをしたのは誠もわかっていた。だが、それでも今も雅臣を愛しているのは事実だ。

 ──全部、あいつらのせいだ。あいつらのせいで、俺と雅臣は引き離された。

 誠の瞳に冷たい光が灯る。
 夜彦と卯月総真が憎かった。その片割れの傍で生きることを強制されるのが煩わしかった。

 どうすれば夜彦から逃げられるだろう。どうしたら夜彦に愛されずにすむだろう。

 夜彦にだけは言われたくないが、夜彦曰く誠もイカれているらしい。夜彦は誠のそんなところがたまらなく好きなのだと言っていた。
 カーテンの締め切られた薄暗い室内で、誠は天を仰ぐ。見慣れたシミひとつない天井を睨み、この不愉快な檻から抜け出す方法を考えはじめた。

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