十年先まで待ってて

リツカ

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三年ぶりの再会 後編

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 清臣は戸惑ったような表情で俯く。
 なにか言おうと、数回唇を震わせて……しかし結局清臣はなにも言わなかった。清臣は俯いたまま、とぼとぼと祖母の元へと歩いて行く。
 雅臣はその場に立ち尽くし、遠くなっていく小さな背中を見送った。そして清臣の姿が見えなくなったところで、崩れ落ちるようにぺたんとその場に座り込む。

 ──ごめん、清臣……

 目の前が真っ暗になるような感覚に襲われながら、雅臣はギュッと目を閉じた。
 全部自分が悪いのだ。
 出来が悪いから、弱いから、オメガだから──

 だから、両親に愛してもらえなかった。
 だから、弟たちと離れ離れになった。
 だから、清臣に優しくできなかった。
 だから──

『お前はもうこの家に必要ないんだよ』

 まぶたの裏に、初めて自身と目線を合わせて言葉を投げかけてきた父の冷たい笑みがよみがえる。
 雅臣は母には優しいのに自分には冷たく当たる父が怖くて──でも、優秀な父に憧れていた。認められたいと、愛されたいと思っていた。
 けれど──……

 まるで膿んだ傷口が痛むように、胸の奥がずくりとする。癒えることのない痛みが、思い出したかのように再び雅臣の心を抉った。

 ──ああ、だから忘れることにしたのに。

 楽しかったことも、苦しかったことも、全部真っ黒に塗りつぶして、小さな箱に詰め込んだそれを頭の片隅に仕舞う。そのイメージを、頭の中で何度も何度も繰り返す。
 家族のことを思い出すたびにそれを繰り返して、最近ようやくドロドロとした感情に支配される時間が減ってきたのに──

 雅臣は美しい庭園をぼんやりと眺める。
 池の鯉が跳ねて、ぴちゃんと小さな水しぶきがあがった。

「……雅臣」

 不意に声をかけられ、雅臣はのっそりとした動きで顔を上げる。
 見ると、すぐそこに総真が立っていた。
 なんともいえない複雑な表情をしていた総真はズカズカとこちらに近寄ってきたかと思うと、どかりと雅臣の隣に腰を下ろす。そして、突き出すようにハンカチを押し付けてきた。

「ん!」
「え……な、なに?」
「なにじゃねぇだろ。これで涙拭けよ」

 そう言われて初めて、雅臣は自身が泣いていることに気が付いた。あわてて手の甲で目を擦ると、「ばか! 目が赤くなるだろっ!」と総真に叱られる。
 総真は呆れたような、怒ったような顔をしてハンカチで雅臣の涙を拭ってくれた。

「あ、ありがとう……」
「……お前、あんま泣くなよな」

 ムスッとした顔で総真から言われた言葉に、雅臣はぱちりと目を瞬かせる。

「総真くんはいつも俺のこと泣かすのに……?」
「お、お前が勝手にすぐ泣いてるだけだろ! それにっ、俺が泣かすのはまだいいけど、俺以外のやつがお前を泣かすのは絶対ダメなのっ!」

 ──勝手だなぁ……

 雅臣は苦笑する。
 けれど、いつもと変わらぬ総真に少しだけ心が落ち着いた気がした。

「雅臣、キャラメル食べるか?」
「……学校にお菓子持ってきちゃダメなんだよ」
「さっき車ん中で見つけたやつだから、別にずっと持ち歩いてたわけじゃねぇよ。お前、甘いもの好きだろ?」
「うん」

 総真は小さな黄色い箱からキャラメルを取り出し、それをひとつぶ雅臣に手渡した。
 雅臣は包み紙を開けて、キャラメルを口の中へと放り込む。噛むと甘い味が口内に広がって、そのままもぐもぐと噛み続けていると次第に舌の上でとろけていった。
 
「美味いか?」
「うん」
「まだいっぱいあるからな」
「……ありがと」

 ──いつも意地悪だけど、こうやって優しいところもあるんだよなぁ……

 だからこそ、本心からは憎めない。
 そんなところがまたいっそう眩しくて憎たらしくもあるのだが、今は総真が隣にいてくれることが少しうれしかった。

 総真は縁側に下ろした足をぶらぶらとさせながら、なにか考え込むように難しい顔をしていた。
 宙を睨む総真のその横顔がいつもより大人びて見えて、雅臣はぼんやりと総真を見つめる。
 ずっと黙ってたら本当に天使みたいに綺麗なのになぁ、と本人に知られたら激怒されそうなことを雅臣が考えていると、宙を睨んでいた総真の瞳がちらりと雅臣へと向けられた。

「……お前、あんまり気にするなよ」
「……なにが?」
「なんつうか……いろいろ」

 今日のことを気遣ってくれているのだとわからないほど、雅臣も馬鹿ではない。
 雅臣はかすかに頬を緩め、小さく微笑む。

「うん。ありがとう」

 雅臣が目を合わせてお礼を言うと、総真は照れくさそうな顔をしていた。らしくないほど頬が赤らんでいて、くすぐったそうに口をもぞもぞと動かしている。

「あら、ふたりでお話ししているの?」

 のんびりとした足取りで、ふたりのもとに祖母がやってきた。祖母は静かに膝を折り、雅臣の隣に腰を下ろす。

「ふたりでキャラメル食べてたんだ」
「それはいいわねぇ」
「雅臣のばあちゃんにもあげる」
「あら、ありがとう」

 総真と祖母に挟まれた雅臣はふたりのやりとりに耳を傾けながら、そっと祖母の体にもたれかかる。祖母の着物からは、いつもと同じ品の良いお香の匂いがした。
 この家に来たばかりの頃、泣いてばかりの雅臣の傍に祖母はずっと寄り添ってくれた。両親のことを忘れろとも、もう泣くなとも言わず、祖父とともにただ雅臣を優しく見守って、受け入れてくれた。今だって、雅臣を傷付けないよう、清臣のことには触れないでいてくれている。

「……ばあちゃん」
「なあに?」
「いつもありがとう」
「あら、めずらしい。じゃあ今日はいっぱいお手伝いしてちょうだいね。一緒にお夕飯でも作る?」
「うん!」

 家族のことを思い出すと、今でも胸が苦しい。
 けれど、雅臣を引き取ってくれた祖父母が今は雅臣の新しい家族で、なによりもかけがいのない存在であることに間違いはない。
 祖父母はひとり息子である雅臣の父と縁を切ってまで雅臣の心を守ってくれた優しいひとたちだ。祖父母がいなければ、雅臣の心はとっくの昔に壊れていたのかもしれない。

 雅臣が祖母と微笑みあっていると、隣からくいくいと袖を引っ張られた。振り返ると、総真が拗ねたような顔で雅臣を見ている。

「な、なに?」
「……俺のこと忘れるなよ」
「忘れてないよ」

 本当に忘れてなんていなかった。
 だって、さっきまで暗い感情に押し潰されそうだった雅臣が今落ち着いていられるのは、総真のおかげでもある。
 雅臣ははにかむように総真に笑いかけた。

「……今日は、傍にいてくれてありがとう」

 あくまで『今日は』の話だが、本心だ。
 今日は、総真が隣にいてくれて、優しくしてくれて、助けられた。救われたような気さえした。
 総真の頬がまた赤くなる。まるで、総真ひとりだけ夕陽に照らされているみたいだ。

「……これからも俺がずっと傍にいてやる」
「えっ……い、いやー、それは大丈夫かなぁ……」
「大丈夫ってなんだよ。嫌なのか?」

 不満そうな総真を前に『はい、そうです』と答えるわけにもいかず、雅臣は曖昧な表情で笑ってみせた。これも対総真用の処世術のひとつである。
 しばしの間ジトっとした目で雅臣を睨んでいた総真だったが、やがてフンッと鼻を鳴らして前を向く。

「素直じゃないやつ……」
「……??」

 雅臣は意味がわからなかったが、なにやら総真の中ではひとりで完結しているようなので、そっとしておくことにした。

 ──総真が口にした『ずっと』が『生涯』を意味していることを雅臣が知るのは、これから約十四年後のことである。

 (終)

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