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与えられた愛、課された鎖
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「あの男.....本当に、従者に成り下がったのか......?」
「信じられん....誰に命じられたわけでもないのに、朝からずっと屋敷の掃除を....」
「あのルシファ様が.....床を這っている....?」
屋敷に出入りする者たちのざわめきが、日を追うごとに大きくなる。
ユウキの屋敷に”滞在”するようになってから数日、ルシファは変わった。
髪を短く切り、誇り高い王子の服を脱ぎ捨て、質素な従者服に身を包んだ。
食事の際も席につかず、彼女の背後に控え、必要なら手ずから皿を差し出す。
寝具の用意、書類整理、剣の手入れーー
どんな命令もされていないのに、自分から探し、黙々とこなしていた。
最初は、わざとらしく見えた。
だが、何日経っても、それが演技ではないと誰もが理解するようになる。
そして今、ユウキは彼を背にして、執務室の机に座っていた。
その傍らで、ルシファは無言で窓を磨いている。
彼女の視界にすら入らない距離。
話しかけることも許されていない。
だが、彼はそれでいいと、ただ静かに仕えていた。
「....そこ、もう十分に磨けてるわよ」
ぽつりと、ユウキが言った。
ルシファの動きが、一瞬だけ止まる。
「次は廊下。誰が見ても”私の従者"だと分かるようにしておいて。見苦しい汚れが残っていたら、あなたがまたやり直すことになるけど、いいわね?」「....うん、わかった。ユウキ」
姿勢を正し、深く頭を下げ、廊下に消えていく。
その背中を、ユウキはほんのわずかに目で追った。
三日間、一言も逆らわず。
ただ、黙々と「仕えて」いた。
それが、かつての彼の誇りや傲慢さを考えれば、どれだけの変化か。
ふとユウキの唇が、ほんの少しだけ持ち上がった。
そしてーーその夜。
ルシファは、屋敷の裏庭でひとり、寝床の葉の上に膝をついていた。
本来なら王子が座る玉座に座っていた男が、今は夜露に濡れながら空を見上げている。
「....本当に、好きだったのかもな.....お前のと.....」
誰にも届かない独白。
誰も見ていないと思っていた。
だが一
「....そう。なら、少しだけ戻してあげる。」
背後から降るような声音に、ルシファは驚いて振り向いた。
そこに立っていたのは、月明かりの中に佇むユウキだった。
淡々とした、けれど確かに”見ていた“目。
「婚約破棄。取り消してあげる。でも勘違いしないで。”恋人に戻る”んじゃない。....ただ、”私の所有物”の一部として、”手放さない”ことにしただけ」ルシファの目に、音もなく涙があふれた。
「....ああ....ありがとう、...ユウキ」
泥にまみれた膝のまま、額を地にこすりつける。
崩れたプライドも、汚れた服も、今の彼には誇りだった。
ユウキは彼を見下ろす。
その顔にあったのは、王子の矜持などではなかった。
ただ、彼女に見てもらえたという歓喜と、救われたという感情の涙だけ。
そしてユウキは、背を向けて静かに去る。
そのあとを、まるで犬のように、彼は這いながら追っていった。
夜も更け、執務室の灯がまだ灯る時刻。
ルシファは今日も、ユウキの部屋の前で正座していた。
もう何時間、こうして待っているだろう。
呼ばれもしないのに、勝手に現れ、何も言わずにただ座っている。
(.....今日も、声はかけてもらえないかもしれない。それでも....)
それでも、ここにいたい。
ただ、それだけを胸に。
だがその時、ふいに扉が開いた。
「.....入ってきなさい」
凛とした声。
ルシファの背筋がぴんと伸び、彼は慌てて頭を下げたまま、ゆっくりと部屋に入った。
ユウキは執務机の前に立ち、彼をじっと見つめていた。
数秒の沈黙の後。
彼女は、ふと歩み寄ると一
「....よく、頑張ったわね」
その声は、これまでのどんな言葉よりも、柔らかかった。
ルシファの目が、驚きに大きく開かれる。
だがその直後、彼女の腕がそっと彼を抱きしめた。
「....偉い子。.....ちゃんと私の従者として、ここまで来たわね」
ぽつりとこぼされたその言葉に、ルシファの体から力が抜けた。
「.....ユウキ....」
「好きよ、ルシファ」
耳元で囁かれた瞬間、彼の目から熱い雫が一筋、頬を伝って落ちた。
「....俺も.....好き.....ずっと.....」
小さく、震える声で。
ただ、その甘さは長くは続かない。
ユウキはルシファを離し、彼の目をまっすぐに見据える。
「でも、勘違いしないで。これば”ご褒美”よ。私の気まぐれで与える温もり。あなたはまだ完全に戻ったわけじゃない」
ルシファは、まるで叱られた子どものように姿勢を正し、息を呑んだ。
「一あなたは王子。私の婚約者として、ちゃんと“王子の務め”を果たすこと。国に顔を出して、政治の場に立って、あなたにしかできない役割をきっちりこなすの。従者である前に、”私の持ち物として恥じない存在”になりなさい」
「.....わかった.....!」
涙をこぼしながら、ルシファは深く頭を下げた。
「ありがとう......!こんな俺に、また......俺でいさせてくれて.....!」
ユウキはその姿に、ふっと小さく笑い、彼の頬に指を添える。
「次、私の隣で堂々と振る舞って見せて。
そうしたら....また、抱きしめてあげる」
「.....うんっ.....絶対に.....!」
震える声で、誓うように応えるルシファ。
だがその胸の奥には、ようやく届いた”好き”という言葉が、何度も何度も反響していた。
それはきっと、彼にとって鎖であり、救いであり、永遠の呪いになる。
「信じられん....誰に命じられたわけでもないのに、朝からずっと屋敷の掃除を....」
「あのルシファ様が.....床を這っている....?」
屋敷に出入りする者たちのざわめきが、日を追うごとに大きくなる。
ユウキの屋敷に”滞在”するようになってから数日、ルシファは変わった。
髪を短く切り、誇り高い王子の服を脱ぎ捨て、質素な従者服に身を包んだ。
食事の際も席につかず、彼女の背後に控え、必要なら手ずから皿を差し出す。
寝具の用意、書類整理、剣の手入れーー
どんな命令もされていないのに、自分から探し、黙々とこなしていた。
最初は、わざとらしく見えた。
だが、何日経っても、それが演技ではないと誰もが理解するようになる。
そして今、ユウキは彼を背にして、執務室の机に座っていた。
その傍らで、ルシファは無言で窓を磨いている。
彼女の視界にすら入らない距離。
話しかけることも許されていない。
だが、彼はそれでいいと、ただ静かに仕えていた。
「....そこ、もう十分に磨けてるわよ」
ぽつりと、ユウキが言った。
ルシファの動きが、一瞬だけ止まる。
「次は廊下。誰が見ても”私の従者"だと分かるようにしておいて。見苦しい汚れが残っていたら、あなたがまたやり直すことになるけど、いいわね?」「....うん、わかった。ユウキ」
姿勢を正し、深く頭を下げ、廊下に消えていく。
その背中を、ユウキはほんのわずかに目で追った。
三日間、一言も逆らわず。
ただ、黙々と「仕えて」いた。
それが、かつての彼の誇りや傲慢さを考えれば、どれだけの変化か。
ふとユウキの唇が、ほんの少しだけ持ち上がった。
そしてーーその夜。
ルシファは、屋敷の裏庭でひとり、寝床の葉の上に膝をついていた。
本来なら王子が座る玉座に座っていた男が、今は夜露に濡れながら空を見上げている。
「....本当に、好きだったのかもな.....お前のと.....」
誰にも届かない独白。
誰も見ていないと思っていた。
だが一
「....そう。なら、少しだけ戻してあげる。」
背後から降るような声音に、ルシファは驚いて振り向いた。
そこに立っていたのは、月明かりの中に佇むユウキだった。
淡々とした、けれど確かに”見ていた“目。
「婚約破棄。取り消してあげる。でも勘違いしないで。”恋人に戻る”んじゃない。....ただ、”私の所有物”の一部として、”手放さない”ことにしただけ」ルシファの目に、音もなく涙があふれた。
「....ああ....ありがとう、...ユウキ」
泥にまみれた膝のまま、額を地にこすりつける。
崩れたプライドも、汚れた服も、今の彼には誇りだった。
ユウキは彼を見下ろす。
その顔にあったのは、王子の矜持などではなかった。
ただ、彼女に見てもらえたという歓喜と、救われたという感情の涙だけ。
そしてユウキは、背を向けて静かに去る。
そのあとを、まるで犬のように、彼は這いながら追っていった。
夜も更け、執務室の灯がまだ灯る時刻。
ルシファは今日も、ユウキの部屋の前で正座していた。
もう何時間、こうして待っているだろう。
呼ばれもしないのに、勝手に現れ、何も言わずにただ座っている。
(.....今日も、声はかけてもらえないかもしれない。それでも....)
それでも、ここにいたい。
ただ、それだけを胸に。
だがその時、ふいに扉が開いた。
「.....入ってきなさい」
凛とした声。
ルシファの背筋がぴんと伸び、彼は慌てて頭を下げたまま、ゆっくりと部屋に入った。
ユウキは執務机の前に立ち、彼をじっと見つめていた。
数秒の沈黙の後。
彼女は、ふと歩み寄ると一
「....よく、頑張ったわね」
その声は、これまでのどんな言葉よりも、柔らかかった。
ルシファの目が、驚きに大きく開かれる。
だがその直後、彼女の腕がそっと彼を抱きしめた。
「....偉い子。.....ちゃんと私の従者として、ここまで来たわね」
ぽつりとこぼされたその言葉に、ルシファの体から力が抜けた。
「.....ユウキ....」
「好きよ、ルシファ」
耳元で囁かれた瞬間、彼の目から熱い雫が一筋、頬を伝って落ちた。
「....俺も.....好き.....ずっと.....」
小さく、震える声で。
ただ、その甘さは長くは続かない。
ユウキはルシファを離し、彼の目をまっすぐに見据える。
「でも、勘違いしないで。これば”ご褒美”よ。私の気まぐれで与える温もり。あなたはまだ完全に戻ったわけじゃない」
ルシファは、まるで叱られた子どものように姿勢を正し、息を呑んだ。
「一あなたは王子。私の婚約者として、ちゃんと“王子の務め”を果たすこと。国に顔を出して、政治の場に立って、あなたにしかできない役割をきっちりこなすの。従者である前に、”私の持ち物として恥じない存在”になりなさい」
「.....わかった.....!」
涙をこぼしながら、ルシファは深く頭を下げた。
「ありがとう......!こんな俺に、また......俺でいさせてくれて.....!」
ユウキはその姿に、ふっと小さく笑い、彼の頬に指を添える。
「次、私の隣で堂々と振る舞って見せて。
そうしたら....また、抱きしめてあげる」
「.....うんっ.....絶対に.....!」
震える声で、誓うように応えるルシファ。
だがその胸の奥には、ようやく届いた”好き”という言葉が、何度も何度も反響していた。
それはきっと、彼にとって鎖であり、救いであり、永遠の呪いになる。
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