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4 散歩中に
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―――お見合いの話を聞いた翌日。
聡介は大学で講義を受けたが、見合いの文字が頭にちらついてほとんど身に入らず。
帰宅後、気分転換にこてつの散歩に行くことにしたが、やっぱりお見合いの言葉が頭から離れなくて、ぼんやりとしていた聡介は気が付けば普段は来ない少し離れた公園まで歩いて来ていた。
「……はぁ」
少し歩き疲れた聡介はベンチに腰を下ろし、ため息を吐く。そして昨夜、父親の吉平に言われた事が頭に過る。
……俺がお見合い……かぁ。
なんとなく現実味がなくて聡介は他人事のように思えてしまう。
でも二週間後にはお見合いだと言われたのは事実で、理解はできていても何となく心がついていかない。
……まさかお見合いなんてすると思ってなかったから。でもお父さんが持ってくる話なら、きっと悪い話じゃないんだろうな。
聡介はぼんやりと地面を見つめながら思う。
父親の吉平は礼儀や時間には厳しいけれど、それ以外は穏やかで優しい。聡介が跡取りの重荷に耐えられなくなって体調を崩した時も樹から話を聞いて謝ってくれたほどだった。
『聡介、すまなかった。そこまで重荷に感じてるとは……。でも聡介が苦しむことないんだよ、お父さんがどうにかするから』
そう言って慰めてくれて。そんな父が持ってきた話だからこそ、悪い話ではないんだろう。
……それに俺は発情期もまだだし、見た目もこんなだし、今後を心配して持ってきた話なのかもしれない。……まあ、もしこれが政略結婚とかだったとしても俺には断る事なんてできないな。いや、むしろそっちの方が役に立てて良かったと思えるかも。
跡取りとしての役目を果たせなかった聡介はそんな風に思うが、そんな折、突然声をかけられた。
「あれ、聡介君?」
昨日も聞いた声に聡介が顔を上げると目の前にはなんと買い物袋を手にした鬼崎が立っていた。今日はレモン柄の半袖のシャツを着ていて、夏っぽくて涼し気だ。
でもそれよりも鬼崎がここにいる事に驚いて、聡介は思わず大きな声を上げてしまった。
「え!? 鬼崎さんっ!?」
その声が大きかったのか、通り行く人たちの視線が集まり聡介は慌てて自分の口に手を当てた。そんな聡介を見て鬼崎はふふっと笑う。
「ごめんごめん、驚かせたね。聡介君を見かけたから、つい声をかけちゃって」
「いえ、俺の方こそすみません。大きな声を出して」
聡介は謝ったが、内心では鬼崎に会えた事にまだ驚いていた。
……まさか、こんなところで鬼崎さんに会えるなんて!
「ところで聡介君は散歩中? かわいいわんちゃんだね、撫ででもいいかな?」
「あ、はい、どうぞ」
聡介が頷くと鬼崎は腰を下ろして、ふんふんっと興味ありげに匂いを嗅ぐこてつにそっと手を差し出した。
「名前はなんて言うのかな?」
「こてつって言います」
「へぇ、こてつ君か。よろしくね」
鬼崎はそう言うと顎からそっと撫で、それから手を移動させて頭をよしよしっと優しく撫でた。人懐っこいこてつは鬼崎に撫でられて気持ちよさそうに目を細め「くぅーん」と鳴いた。だから聡介はそれを見て思わず。
……いいなぁ、俺も撫でられたい。
気持ちよさそうに撫でられているこてつに、聡介は少しばかり嫉妬の羨望の眼差しを送ってしまう。けれど不意に鬼崎と視線が合って、聡介はぱっと目を離した。なんだか心を見透かされるような気がして。
……俺が考えてたこと気が付いかれてないよね? 撫でられてたいなんて思っていた事を知られたら恥ずかしくて顔見れない。
でも、そんな聡介の気持ちを知ってか知らずか、鬼崎はこてつを撫でていた手を止めてすっと立ち上がり、聡介の隣を指差した。
「隣に座ってもいい?」
「え、あ、はい。どうぞ」
聡介は頷いて答える。すると鬼崎はそっと腰を下ろした。でも隣に座った鬼崎からはふわふわといい香りがして聡介はなんだか心がそわそわしてくる。
……鬼崎さん、今日もいい匂い。香水をつけてるのかな? でも香水とはまた違ったような。うーん、もしかしてこれがαの匂いってやつ? でも俺、αの匂いってわからない。他のαからこんな匂い嗅いだことないし。やっぱり香水かな? それにしてもずっと嗅いでいたい匂い。もっと近くで……。
なんて思っていると「聡介君」と鬼崎に話しかけられ、気が付かぬ間にじわりじわりと体を寄せていた聡介はハッとして身を正すと同時にいかがわしい気持ちを隅っこに追いやった。
「聡介君はこの公園が散歩コースなの?」
「あ、いえ。歩いてたらここまで辿り着いて。普段はもっと家の近くを歩いてます。……あの、鬼崎さんはどうしてこの公園に? 鬼崎さんも散歩ですか?」
「まあ、そんなところ。家から近いんだ、この公園。だから、ちょっとコンビニに買い物がてら散歩してて。そうしたら聡介君を見つけて、つい声をかけちゃったってわけ」
鬼崎はハハッと笑いながら言い、聡介は自然な流れで問いかけてみる。
「お家、近いんですか?」
「うん、ここから五分ぐらいのところ」
……ここから五分。鬼崎さんのお家、そんなに近いんだ。まあ、ここら辺ならお店にも近いもんな。
聡介はいつもお店まで歩いてくることを思い出す。でもそれ以上に好きな人の事を知れて嬉しい。それなのに鬼崎の口から出た言葉に聡介は驚いた。
「なんなら家に遊びに来る?」
「えっ、いいんですかッ?!!?」
あんまりに大きな声で驚いたからか鬼崎はきょとんっと呆気にとられた顔をした後、ふふふっと笑った。なので、聡介は鬼崎が冗談で言ったのだと察し、それに対して食い気味に答えてしまった自分が恥ずかしくなる。
「き、鬼崎さん、笑わないでくださいっ」
「ご、ごめんごめんっ。聡介君がそんなに驚くとは思わなくって、ふふっ、そんなに俺の家に興味あった?」
「そ、それはっ」
「ごめん。でも聡介君なら大歓迎だよ?」
鬼崎は笑いが落ち着いたところでそう言った。けれどもう信じられない。
「もう騙されません」
「嘘じゃないよ。けど……今はやっぱりまだ駄目かな」
「まだ……駄目?」
なんで駄目なんだろう? と思えば、鬼崎は何気なくベンチの上に置いていた聡介の手に上からそっと手を重ねて、指先を撫でる様になぞった。その仕草に聡介は胸がドキッと跳ねあがる、それなのに……。
「聡介君を家に入れたら何するかわからないからね、俺」
鬼崎は分厚い黒縁眼鏡の奥にある瞳は怪し気に光らせながらニッと笑って言った。だから聡介は思わずバッと手を引っ込めて、言葉を詰まらせる。こんな色っぽい鬼崎は知らないから。
でも、聡介が戸惑っている内にすぐにいつもの鬼崎に戻る。
「じょーだんだよ。ふふ、聡介君はからかいがいがあるな~」
「鬼崎さんっ!」
「ごめんごめん。聡介君が可愛くてついね」
「っ!」
……可愛いなんて言葉、俺には似合わないのに。
でも好きな人に可愛いと言われて、嬉しくない訳がない。聡介は胸が少しぽわぽわしてしまう。けれど素直になれない口は勝手に言葉を告げていた。
「鬼崎さん、誰にでもそんなこと言ってるんじゃないですか? そもそも俺、男ですし」
「男の子にも可愛いは使うでしょ。それに誰にも言わないよ」
嘘か本当かはわからない、けれど”誰にでも言わない”と言う言葉にまたも聡介の胸はぎゅっと掴まれる。けれど、その隣で鬼崎は楽しそうに笑った。
「鬼崎さん?」
「いや、いつも聡介君と話したいなーっと思っていたけどお店が忙しくて呼び止められなかったから、こうしてゆっくり話せるのが楽しいな、と思ってね」
嬉しい言葉を放たれて、聡介の胸はぎゅうぎゅうっと苦しくなる。だから照れ臭いけど聡介も少しだけ本心を口にした。
「そんなの、俺だって鬼崎さんともっと話したいってずっと思ってました」
聡介が告げれば、鬼崎の眼鏡の奥にある瞳が少し揺らいだ気がした。
けれど鬼崎が「聡介君」と名前を呟いた後、タイミング悪く鬼崎の携帯電話が鳴った。
「あ……ごめん。ちょっと出るね」
鬼崎は携帯の着信相手を見ると聡介に断りを入れて、電話に出た。
「もしもし。 ……ああ、わかった。俺も行くから先方に連絡を入れておいてくれ。今は外だからまた連絡する」
それだけを言うと早々に電話を切った。雰囲気からして仕事の電話のようだと聡介は何となく勘づく。けれど、いつもともさっきとも全然違う仕事モードの大人な鬼崎の横顔に聡介はつい惚れ惚れとしてしまう。
……鬼崎さん、こんな顔もするんだ。
「聡介君」
名前を呼ばれて、うっかり見惚れていた聡介は「あ、はいっ!」と返事良く答える。
「このまま聡介君と話していたかったんだけど仕事が入ったから俺は行くよ」
鬼崎はそう言って腰を上げ、聡介はなんだか寂しい想いが胸に募ってしまう。
……この後も色々話せるんだって思ったからかな。行っちゃうの、さびしい。けど俺が引き留められる理由もないし。
だから聡介がかけられる言葉はひとつだけだった。
「じゃあ、鬼崎さんまたお店で」
聡介は送り出す言葉を告げたが、鬼崎は聡介をじっと見て、それから少し考えた後に自身の携帯をささっと操作してスッと聡介の前に差し出した。
「聡介君、携帯持ってるよね? 番号、これに打ってくれる?」
「え? あぁ、はい」
鬼崎は急ぎの仕事が入っているのだから待たせてはいけない、と思って聡介は戸惑いつつも素直に、なおかつ素早く自分の携帯番号を打った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「あの、でもどうして俺の番号」
そう問いかけた途中で聡介の携帯が鳴る。思わずポケットに入れていた携帯を見れば、着信には見知らぬ番号。けれど不思議に思った聡介に鬼崎は教えた。
「それ、俺の番号」
「え、鬼崎さんの?」
「そっ、今日はもう行くけど、またこんな風に話そう? そうだな、今度は一緒にこてつ君の散歩に連れてってよ。ダメかな?」
「そんな事ないですっ、鬼崎さんが良ければ!」
聡介が答えると鬼崎は嬉しそうに笑った。その笑顔に聡介の胸はいちいちドキドキしてしまう。
「そっか、良かった。なら時間が空きそうな時に連絡するよ」
鬼崎はそう言うと、何気なく聡介の頭にぽんっと手を置くと優しく頭を撫でて、それから「またね」と言って軽やかに走り去って行った。でも、それを聡介はドキドキしながら見つめるしかなくて。
鬼崎が去って少し経ってから、聡介は足元にいるこてつを抱き上げると堪らずぎゅっと抱き締めた。
……き、鬼崎さんに頭を撫でられた! しかも連絡先も教えてもらえた!!!
嬉しすぎて聡介の胸は弾けそうだった。
「こてつ、嬉しくて死にそぅ」
「くぅん?」
わからないこてつは不思議そうに首を傾げて鳴くだけだった。
聡介は大学で講義を受けたが、見合いの文字が頭にちらついてほとんど身に入らず。
帰宅後、気分転換にこてつの散歩に行くことにしたが、やっぱりお見合いの言葉が頭から離れなくて、ぼんやりとしていた聡介は気が付けば普段は来ない少し離れた公園まで歩いて来ていた。
「……はぁ」
少し歩き疲れた聡介はベンチに腰を下ろし、ため息を吐く。そして昨夜、父親の吉平に言われた事が頭に過る。
……俺がお見合い……かぁ。
なんとなく現実味がなくて聡介は他人事のように思えてしまう。
でも二週間後にはお見合いだと言われたのは事実で、理解はできていても何となく心がついていかない。
……まさかお見合いなんてすると思ってなかったから。でもお父さんが持ってくる話なら、きっと悪い話じゃないんだろうな。
聡介はぼんやりと地面を見つめながら思う。
父親の吉平は礼儀や時間には厳しいけれど、それ以外は穏やかで優しい。聡介が跡取りの重荷に耐えられなくなって体調を崩した時も樹から話を聞いて謝ってくれたほどだった。
『聡介、すまなかった。そこまで重荷に感じてるとは……。でも聡介が苦しむことないんだよ、お父さんがどうにかするから』
そう言って慰めてくれて。そんな父が持ってきた話だからこそ、悪い話ではないんだろう。
……それに俺は発情期もまだだし、見た目もこんなだし、今後を心配して持ってきた話なのかもしれない。……まあ、もしこれが政略結婚とかだったとしても俺には断る事なんてできないな。いや、むしろそっちの方が役に立てて良かったと思えるかも。
跡取りとしての役目を果たせなかった聡介はそんな風に思うが、そんな折、突然声をかけられた。
「あれ、聡介君?」
昨日も聞いた声に聡介が顔を上げると目の前にはなんと買い物袋を手にした鬼崎が立っていた。今日はレモン柄の半袖のシャツを着ていて、夏っぽくて涼し気だ。
でもそれよりも鬼崎がここにいる事に驚いて、聡介は思わず大きな声を上げてしまった。
「え!? 鬼崎さんっ!?」
その声が大きかったのか、通り行く人たちの視線が集まり聡介は慌てて自分の口に手を当てた。そんな聡介を見て鬼崎はふふっと笑う。
「ごめんごめん、驚かせたね。聡介君を見かけたから、つい声をかけちゃって」
「いえ、俺の方こそすみません。大きな声を出して」
聡介は謝ったが、内心では鬼崎に会えた事にまだ驚いていた。
……まさか、こんなところで鬼崎さんに会えるなんて!
「ところで聡介君は散歩中? かわいいわんちゃんだね、撫ででもいいかな?」
「あ、はい、どうぞ」
聡介が頷くと鬼崎は腰を下ろして、ふんふんっと興味ありげに匂いを嗅ぐこてつにそっと手を差し出した。
「名前はなんて言うのかな?」
「こてつって言います」
「へぇ、こてつ君か。よろしくね」
鬼崎はそう言うと顎からそっと撫で、それから手を移動させて頭をよしよしっと優しく撫でた。人懐っこいこてつは鬼崎に撫でられて気持ちよさそうに目を細め「くぅーん」と鳴いた。だから聡介はそれを見て思わず。
……いいなぁ、俺も撫でられたい。
気持ちよさそうに撫でられているこてつに、聡介は少しばかり嫉妬の羨望の眼差しを送ってしまう。けれど不意に鬼崎と視線が合って、聡介はぱっと目を離した。なんだか心を見透かされるような気がして。
……俺が考えてたこと気が付いかれてないよね? 撫でられてたいなんて思っていた事を知られたら恥ずかしくて顔見れない。
でも、そんな聡介の気持ちを知ってか知らずか、鬼崎はこてつを撫でていた手を止めてすっと立ち上がり、聡介の隣を指差した。
「隣に座ってもいい?」
「え、あ、はい。どうぞ」
聡介は頷いて答える。すると鬼崎はそっと腰を下ろした。でも隣に座った鬼崎からはふわふわといい香りがして聡介はなんだか心がそわそわしてくる。
……鬼崎さん、今日もいい匂い。香水をつけてるのかな? でも香水とはまた違ったような。うーん、もしかしてこれがαの匂いってやつ? でも俺、αの匂いってわからない。他のαからこんな匂い嗅いだことないし。やっぱり香水かな? それにしてもずっと嗅いでいたい匂い。もっと近くで……。
なんて思っていると「聡介君」と鬼崎に話しかけられ、気が付かぬ間にじわりじわりと体を寄せていた聡介はハッとして身を正すと同時にいかがわしい気持ちを隅っこに追いやった。
「聡介君はこの公園が散歩コースなの?」
「あ、いえ。歩いてたらここまで辿り着いて。普段はもっと家の近くを歩いてます。……あの、鬼崎さんはどうしてこの公園に? 鬼崎さんも散歩ですか?」
「まあ、そんなところ。家から近いんだ、この公園。だから、ちょっとコンビニに買い物がてら散歩してて。そうしたら聡介君を見つけて、つい声をかけちゃったってわけ」
鬼崎はハハッと笑いながら言い、聡介は自然な流れで問いかけてみる。
「お家、近いんですか?」
「うん、ここから五分ぐらいのところ」
……ここから五分。鬼崎さんのお家、そんなに近いんだ。まあ、ここら辺ならお店にも近いもんな。
聡介はいつもお店まで歩いてくることを思い出す。でもそれ以上に好きな人の事を知れて嬉しい。それなのに鬼崎の口から出た言葉に聡介は驚いた。
「なんなら家に遊びに来る?」
「えっ、いいんですかッ?!!?」
あんまりに大きな声で驚いたからか鬼崎はきょとんっと呆気にとられた顔をした後、ふふふっと笑った。なので、聡介は鬼崎が冗談で言ったのだと察し、それに対して食い気味に答えてしまった自分が恥ずかしくなる。
「き、鬼崎さん、笑わないでくださいっ」
「ご、ごめんごめんっ。聡介君がそんなに驚くとは思わなくって、ふふっ、そんなに俺の家に興味あった?」
「そ、それはっ」
「ごめん。でも聡介君なら大歓迎だよ?」
鬼崎は笑いが落ち着いたところでそう言った。けれどもう信じられない。
「もう騙されません」
「嘘じゃないよ。けど……今はやっぱりまだ駄目かな」
「まだ……駄目?」
なんで駄目なんだろう? と思えば、鬼崎は何気なくベンチの上に置いていた聡介の手に上からそっと手を重ねて、指先を撫でる様になぞった。その仕草に聡介は胸がドキッと跳ねあがる、それなのに……。
「聡介君を家に入れたら何するかわからないからね、俺」
鬼崎は分厚い黒縁眼鏡の奥にある瞳は怪し気に光らせながらニッと笑って言った。だから聡介は思わずバッと手を引っ込めて、言葉を詰まらせる。こんな色っぽい鬼崎は知らないから。
でも、聡介が戸惑っている内にすぐにいつもの鬼崎に戻る。
「じょーだんだよ。ふふ、聡介君はからかいがいがあるな~」
「鬼崎さんっ!」
「ごめんごめん。聡介君が可愛くてついね」
「っ!」
……可愛いなんて言葉、俺には似合わないのに。
でも好きな人に可愛いと言われて、嬉しくない訳がない。聡介は胸が少しぽわぽわしてしまう。けれど素直になれない口は勝手に言葉を告げていた。
「鬼崎さん、誰にでもそんなこと言ってるんじゃないですか? そもそも俺、男ですし」
「男の子にも可愛いは使うでしょ。それに誰にも言わないよ」
嘘か本当かはわからない、けれど”誰にでも言わない”と言う言葉にまたも聡介の胸はぎゅっと掴まれる。けれど、その隣で鬼崎は楽しそうに笑った。
「鬼崎さん?」
「いや、いつも聡介君と話したいなーっと思っていたけどお店が忙しくて呼び止められなかったから、こうしてゆっくり話せるのが楽しいな、と思ってね」
嬉しい言葉を放たれて、聡介の胸はぎゅうぎゅうっと苦しくなる。だから照れ臭いけど聡介も少しだけ本心を口にした。
「そんなの、俺だって鬼崎さんともっと話したいってずっと思ってました」
聡介が告げれば、鬼崎の眼鏡の奥にある瞳が少し揺らいだ気がした。
けれど鬼崎が「聡介君」と名前を呟いた後、タイミング悪く鬼崎の携帯電話が鳴った。
「あ……ごめん。ちょっと出るね」
鬼崎は携帯の着信相手を見ると聡介に断りを入れて、電話に出た。
「もしもし。 ……ああ、わかった。俺も行くから先方に連絡を入れておいてくれ。今は外だからまた連絡する」
それだけを言うと早々に電話を切った。雰囲気からして仕事の電話のようだと聡介は何となく勘づく。けれど、いつもともさっきとも全然違う仕事モードの大人な鬼崎の横顔に聡介はつい惚れ惚れとしてしまう。
……鬼崎さん、こんな顔もするんだ。
「聡介君」
名前を呼ばれて、うっかり見惚れていた聡介は「あ、はいっ!」と返事良く答える。
「このまま聡介君と話していたかったんだけど仕事が入ったから俺は行くよ」
鬼崎はそう言って腰を上げ、聡介はなんだか寂しい想いが胸に募ってしまう。
……この後も色々話せるんだって思ったからかな。行っちゃうの、さびしい。けど俺が引き留められる理由もないし。
だから聡介がかけられる言葉はひとつだけだった。
「じゃあ、鬼崎さんまたお店で」
聡介は送り出す言葉を告げたが、鬼崎は聡介をじっと見て、それから少し考えた後に自身の携帯をささっと操作してスッと聡介の前に差し出した。
「聡介君、携帯持ってるよね? 番号、これに打ってくれる?」
「え? あぁ、はい」
鬼崎は急ぎの仕事が入っているのだから待たせてはいけない、と思って聡介は戸惑いつつも素直に、なおかつ素早く自分の携帯番号を打った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「あの、でもどうして俺の番号」
そう問いかけた途中で聡介の携帯が鳴る。思わずポケットに入れていた携帯を見れば、着信には見知らぬ番号。けれど不思議に思った聡介に鬼崎は教えた。
「それ、俺の番号」
「え、鬼崎さんの?」
「そっ、今日はもう行くけど、またこんな風に話そう? そうだな、今度は一緒にこてつ君の散歩に連れてってよ。ダメかな?」
「そんな事ないですっ、鬼崎さんが良ければ!」
聡介が答えると鬼崎は嬉しそうに笑った。その笑顔に聡介の胸はいちいちドキドキしてしまう。
「そっか、良かった。なら時間が空きそうな時に連絡するよ」
鬼崎はそう言うと、何気なく聡介の頭にぽんっと手を置くと優しく頭を撫でて、それから「またね」と言って軽やかに走り去って行った。でも、それを聡介はドキドキしながら見つめるしかなくて。
鬼崎が去って少し経ってから、聡介は足元にいるこてつを抱き上げると堪らずぎゅっと抱き締めた。
……き、鬼崎さんに頭を撫でられた! しかも連絡先も教えてもらえた!!!
嬉しすぎて聡介の胸は弾けそうだった。
「こてつ、嬉しくて死にそぅ」
「くぅん?」
わからないこてつは不思議そうに首を傾げて鳴くだけだった。
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