エルフェニウムの魔人

神谷レイン

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66 一時間前のこと

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 しばらくして日が落ち、星が空に瞬き始めた頃。

 約束の時間の五分前。

 騎士たちが囲う一台の馬車がリーカン橋の前で止まり、ドアが開いた。
 そこから騎士総長であるネイズが現れ、もう一人ロープで縛られた兎の獣人種、盗人のモリー・コリウスが意気揚々と出てきた。
 モリーは遠くまで聞こえる耳で騎士たちが話しているのを聞いたのか、自分の兄である頭領・ラリーが保釈の為に尽力してくれていることを知っていた。

「おい、ラリー! いるんだろ?」

 モリーは大きな声で暗い森の中に叫んだ。

「静かにしろ、時間まではまだだ」

 ネイズは懐中時計を手に、モリーに言った。時間は刻々と迫るが、誰の気配もない。
 モリーはその事に焦る。

「おい! 誰かいるんだろ!?」

 そう叫ぶが、何の音もしない。さっきまで意気揚々としていた顔色が絶望に変わっていく。
 そしてネイズの懐中時計は八時を迎えた。

「やはり、こちらは陽動か」

 小さく呟くと、伝令魔術の紙でできた白い鳥がネイズの元に飛んできた。
 それを手に取り、中を見るとネイレンの字で『盗賊団の捕縛に成功』と書かれていた。どうやら別動隊は無事、盗賊団を捕まえたようだ。

 ……あちらは上手く行ったか。アレクシスの方は。

 ネイズがそう思った時、東区画から光の柱が立ち上がった。それは膨大な魔力だった。
 その場にいた誰もが唖然とその柱を見上げた。

「なんだ、あれは……」


 そしてそれはネイズ達が光の柱を見る一時間前のことが発端だった――――。









「お前達にもう用はない」

 イーゲルはそう呟くと、腕に仕込んだ飛び道具で小さな矢を男達に放った。その矢はプスッと男達の無防備な首に刺さり、「う!」「ぐぁ!」と二人は小さな悲鳴を上げると、バタバタッとその場に倒れた。
 男達は毒矢を受け、白目をむき、気を失っている。それを見て、シュリはすぐに致死性の高い毒を使ったのだとわかった。きっとあと数十分もすれば、この男達は死に至るだろう。

 けれど、毒矢を放ったイーゲルは何でもない顔をしていた。

「全くうるさい奴らだ」

 イーゲルは忌々しそうに言い、シュリは涙を流しながら「な、んで」と小さく呟いた。
 仲間であろう男達を倒したイーゲルに驚きの眼差しで尋ねる。けれどイーゲルは笑った。

「どうして? 当たり前だろう。邪魔な奴は消すだけだ」

 冷徹な声でイーゲルは笑いながら言った。それは冷たい笑みで、シュリはひゅっと息を飲む。イーゲルの瞳にはもう闇しか見えなかったからだ。
 そしてイーゲルは腰に差していた短剣を抜くとシュリの頬に刃先を添わせた。

「あの時からずっと、こうすることを夢見ていた。お前を殺すことを」
「……なん、だって」

 シュリは震えながら尋ね返す。でもシュリと反対にイーゲルは笑って答えた。

「勘当され、家から出された俺はお前に復讐することを誓った。殺してやろうってね。でも、俺一人じゃ無理だ。だからラビト盗賊団と接触してお前を捕まえてもらった。向こうもあの狼野郎に弟を捕まえられて、腹いせにお前を捕まえる気でいたからな。しかし……あいつらは、殺しはポリシーに反するとか言いやがって、お前を殺させない。だから、頭のいい俺は考えた」

 イーゲルはぴっと指を立ててシュリに教えた。

「やつらは金にも飢えていた。だから金塊の輸送ルートを教え、俺がモリーとかいう男を迎えに行くふりをして、この家にほとんど人が近づかない瞬間。お前を殺してやろうって」
「なっ」
「そして今後の事も考えて、あいつらは騎士団に処理してもらうことにした。騎士団に輸送車が盗賊団に襲われる旨を書いた警告文を送ったから、今頃、何も知らない馬鹿な兎達は騎士達に捕まっている事だろう。その上、誰も来ないリーカン橋と盗賊団討伐で騎士団は分断され、騎士団の追ってなく、あとはお前を殺して俺は国外に逃げるだけ。まさに一石二鳥だろう? ……殺されたお前を見て、あの狼はどうなるだろうな」

 イーゲルは冷たく笑ってシュリの頬を刃先でぺんぺんっと叩いた。
 殴られた頬が熱を持っているせいか、刃先が冷たい。

 そして冷たい瞳のイーゲルを見て、シュリは涙をぽろぽろっと流した。それをみてイーゲルはシュリが怖がっているのかと思った。
 だから「なんだ、殺されるのが怖いのか?」と尋ねた。でもシュリの涙の理由は、そうではなかった。

「お前は……かわいそうな奴だな。誰も止めてくれる人がいなくて」

 シュリが憐れんで言うと、イーゲルはカッと目を見開き、ピッとシュリの頬を切っ先で切った。

「うるさいっ! お前にそんなことを言われる筋合いはない! 自分の立場を弁えろ! そんな恰好で何ができる!」

 イーゲルは激高したようにシュリに怒鳴った。でも、そんなイーゲルにシュリは尋ねた。シュリの切られた頬から赤い血が滴る。それでも。

「お前はどうしてそこまでアレクシスを目の敵にする、アレクシスが何かしたのか?」

 シュリは涙に潤んだ瞳で尋ねる。するとイーゲルは吐き捨てるように言った。

「別に、何もない。私はあいつが嫌い、ただそれだけだ。学園にいた時から……獣人の癖に、みんなにちやほやされて、どうしてあいつばかりが評価される、あんな見た目なのに!」

 イーゲルは忌々しそうに言い、シュリはその感情の名前を知っていた。

「そうか……お前はアレクシスが羨ましかったんだな」

 シュリが言うとイーゲルは驚いたような顔をした。

「私が? あいつを羨ましい? ……何を馬鹿なことを言っているんだ。あんな獣風情を羨ましがる必要なんてないだろう」

 イーゲルは鼻で笑い、シュリを馬鹿にした。けれど、シュリは冷静だった。

「そうじゃなかったら、どうしてアレクシスを嫌う。嫉妬していたからだろう? 人と違っても、みんなに本当は慕われているアレクシスが」

 シュリが淡々と言うとイーゲルはシュリの顔を殴った。ドゴッと骨が当たる鈍い音がした。ガタガタっと椅子ごとシュリの体が揺れる。

「違うと言っているだろう!」

 怒鳴り声と共に、はぁっはぁっとイーゲルの荒い息が部屋に響く。でもイーゲルははぁーっと大きく息を吐き、呼吸を落ち着かせると、乱れた身なりを整え、縦襟をピッと伸ばして、シュリに短剣を向けた。

「フン、無駄口もそれまでだ。……それに残念だが、時間を引き延ばしてもあいつはここには助けに来ないぞ。きっと囮にした別の一軒家に行っているだろうからな」

 イーゲルはふふっと笑って言った。

 あえて寂れた一軒家に人を出入りさせて、人の目につくように工作していた。ひとまず、この館に来るものはいないだろう。
 そうイーゲルは思う。脳裏には、無様な騎士達が誰もいない寂れた一軒家に群がっている様子が浮かぶ。

 自分の計画は完璧だ。

 心の中で呟いた後、ふっと笑い、短剣をしっかりと握る。

「死んだお前を見て、自分の無力さに崩れ落ちるあいつを見れないのは勿体ないが、仕方ない。お前はここで死ねッ!」

 イーゲルは躊躇いもなく、短剣を持った手を振りかぶった。


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