1 / 24
1
しおりを挟む
「人前でその力を使ってはダメよ?」
幼い頃、飼い猫が怪我をした時、咄嗟に治癒魔法をかけるアメリを見て、母親であるステラはそう言った。それからアメリは事ある毎にステラにそう言い含められて育った。
この世界で魔法を使えるのは貴族のみである。
ある日それを知ったアメリは、もしかすると自分はステラがメイドとして仕えている辺境伯の隠し子なのかもしれないと思うようになった。
そして、それを黙って隠しているのは、ステラが『地枯れ』だからなのだろうと考えた。
『地枯れ』とは呪術の一つで、それは子に受け継がれるものであり、当然アメリもまたそれを受け継ぎ『地枯れ』であった。
『地枯れ』になると、その領地を離れて長く生きていられない体になる。
現在は人道的にこの呪術は禁止されているが、昔は領地に忠誠を誓うものとしてこの呪術を使用人や側近にかけることが多かったそうだ。
呪術をかけられたがわも、自分の子々孫々に渡り領主に雇ってもらい面倒を見て貰える、というメリットがあったため、嫌がらずにその呪術を受ける者も多かった。
だが、現在では『地枯れ』は制約を受けている者という解釈で縁談を断られることも多く『地枯れ』を受けている者は数を減らしていた。
それにステラは言っていた。誇れるものではないのだから、信頼できる相手以外に『地枯れ』であることは絶対に話さないように、と。
そんなステラが亡くなったのは六年前のことだった。
その日ステラは昼休憩でアメリと昼食を済ませると、仕事に戻るさいに窓から外を見上げて言った。
「アメリ、今日は天気が悪くなりそうだから早めにお使いをすませてしまいなさい」
「はーい。そんなに心配しなくてもちゃんとお手伝いするもん」
「もう八つになるのだから、旦那様の役に立てるよう頑張らないといけないんですからね?」
そう言ってステラは優しくアメリの頭を撫でた。ステラの手は乾燥し、肌荒れでざらざらした感触だったがとても温かく、優しく包み込むようなその手をアメリはとても心地よく感じていた。
「じゃあ行ってくるわね」
笑顔で部屋を出ていくステラをアメリは笑顔で見送る。それがアメリの見た母親の最後の姿だった。
「アメリ、ここにいたのね?! 大変なの、あなたのお母様が馬車の事故に巻き込まれたみたいなの!」
お屋敷の使用人仲間にそう言われたのは、アメリが頼まれたお使いを済ませて屋敷に戻った時だった。
慌てて事故現場に駆けつけると、おびただしい量の血溜まりの中に布をかけられた人間らしきものが横たわっていた。
アメリが来たことに気づいたその場にいる数人の見知った屋敷の使用人たちが、アメリを憐憫の眼差しで見つめた。
「アメリ、見ない方がいい」
「いやぁ、嘘、嘘よ……そんな。嫌よ!! これは何かの間違いなんでしょう?」
「アメリ、落ち着いて。とにかく部屋に戻ろう」
そう言ってアメリを落ち着かせようとする使用人たちを振り切って、アメリはその人間らしきものへ駆け寄ろうとした。
その時、横から力強く抱き締められる。
「アメリ、見るんじゃない! 行ってはいけない」
それが誰なのか見上げると、ステラの雇い主である辺境伯家の跡取りであるシメオン・フォン・バロー辺境伯令息だった。
シメオンとアメリは年齢が近いこともあり、幼い頃は屋敷のそばで兄妹のように遊んで過ごしたものだった。
シメオンは同じ年齢の男の子とは違い、跡取りとして教育を受けているせいか少し大人びた性格で、使用人の娘であるアメリを妹のように優しく扱ってくれていた。
アメリはそんなシメオンに恋心を抱いていて、とても大切な存在となっていた。だが、身分差があり、しかも自分は『地枯れ』である。
到底結ばれることはないと自覚しておりその気持ちを抑えて過ごしていた。
「嫌よ! シメオン放して!」
そう言ってシメオンの胸の中で必死に抵抗するも、シメオンはアメリを力強く抱き締め続け、アメリはそのままシメオンの胸の中で泣き崩れた。
シメオンはその場でアメリをある程度落ち着かせると、屋敷へ連れて戻りずっとそばにいて抱きしめ泣き続けるアメリの背中をさすり続けた。
泣きつかれて涙も枯れたころ、シメオンはアメリを諭すように言った。
「アメリ、時間が経っても忘れることなく悲しみに暮れることもあるかもしれないが、その時は我慢せずに泣いたっていい。その代わり悲しみに囚われそこにとどまることだけはしてはいけない。君のお母様は、それを望んでいないから。ステラは君を生んで今まで苦労して育ててきた。君はステラの生きた証なんだよ。だから君が自分を大切にしなければ、それはステラが生きてきたことを否定することになるのだから」
アメリは宙に視線を彷徨わせたまま黙って頷いた。
シメオンは呆然としているアメリの涙を指で拭うと瞼にキスし微笑む。
「それに悲しみにくれた時は、すぐに私のところに来て私を頼ってほしい。いいね?」
そんなシメオンの優しさに触れ、アメリはまた涙が溢れた。そして、シメオンを見つめ返すともう一度その胸に顔を埋めた。
アメリはこの時、心の中でシメオンに忠誠を誓った。
この時にシメオンに言われたことを肝に命じ、アメリは徐々に立ち直っていった。
それにステラのことを忘れず、誰かに母親の思い出話を語ることによって、話を聞いた相手の中でもステラは生き続けると思えるようになり、無理に忘れる必要はないのだと前向きに考えられるようになった。
ステラの事故は仕事中の事故だったため、バロー家が責任を取るという形でアメリの世話をしてくれることになった。
シメオンの母親である、エステル・フォン・バロー辺境伯夫人はアメリをとても気づかい、教育をほどこし不自由のない生活をさせるよう手配した。
だがアメリは自分の身分をわきまえていた。
バロー家に仕えるために学ぶべきことはしっかり学び、十歳になったころにはメイド見習いとして働くことにした。
そうして、シメオンと自分とのあいだにしっかり線引きをしたのだ。
メイド見習いになってから、学業と仕事の両立で忙しくなりシメオンとも顔を会わせずにすむのもアメリにとっては都合がよかった。
午前中はメイド見習い、午後から教養を身につけるためのレッスンをする。そんな毎日をがむしゃらにこなした。
メイドの朝は忙しく、誰よりも早く起きて朝食の準備、そしてベッドメイキングに洗濯。やることはたくさんあった。
そんな日々もなれたころ、アメリが慌ただしくシーツを取りにリネン室へ入ると、その瞬間に背後から声がかけられる。
「アメリ、うちのメイドになるんだってね。君はそんなことをしなくとも不自由なく暮らすことができるのに」
声のする方へ振り向くと、シメオンがアメリの退路を経つようにリネン室の入口に立っていた。
「シメオン様、あの、今はこのシーツを持ってくるように申し付かっているのです。早く持っていかなければなりません」
「『シメオン様?』だって?! その呼び方も本当に気にくわないな。昔は普通に名で呼んでくれたじゃないか」
幼い頃、飼い猫が怪我をした時、咄嗟に治癒魔法をかけるアメリを見て、母親であるステラはそう言った。それからアメリは事ある毎にステラにそう言い含められて育った。
この世界で魔法を使えるのは貴族のみである。
ある日それを知ったアメリは、もしかすると自分はステラがメイドとして仕えている辺境伯の隠し子なのかもしれないと思うようになった。
そして、それを黙って隠しているのは、ステラが『地枯れ』だからなのだろうと考えた。
『地枯れ』とは呪術の一つで、それは子に受け継がれるものであり、当然アメリもまたそれを受け継ぎ『地枯れ』であった。
『地枯れ』になると、その領地を離れて長く生きていられない体になる。
現在は人道的にこの呪術は禁止されているが、昔は領地に忠誠を誓うものとしてこの呪術を使用人や側近にかけることが多かったそうだ。
呪術をかけられたがわも、自分の子々孫々に渡り領主に雇ってもらい面倒を見て貰える、というメリットがあったため、嫌がらずにその呪術を受ける者も多かった。
だが、現在では『地枯れ』は制約を受けている者という解釈で縁談を断られることも多く『地枯れ』を受けている者は数を減らしていた。
それにステラは言っていた。誇れるものではないのだから、信頼できる相手以外に『地枯れ』であることは絶対に話さないように、と。
そんなステラが亡くなったのは六年前のことだった。
その日ステラは昼休憩でアメリと昼食を済ませると、仕事に戻るさいに窓から外を見上げて言った。
「アメリ、今日は天気が悪くなりそうだから早めにお使いをすませてしまいなさい」
「はーい。そんなに心配しなくてもちゃんとお手伝いするもん」
「もう八つになるのだから、旦那様の役に立てるよう頑張らないといけないんですからね?」
そう言ってステラは優しくアメリの頭を撫でた。ステラの手は乾燥し、肌荒れでざらざらした感触だったがとても温かく、優しく包み込むようなその手をアメリはとても心地よく感じていた。
「じゃあ行ってくるわね」
笑顔で部屋を出ていくステラをアメリは笑顔で見送る。それがアメリの見た母親の最後の姿だった。
「アメリ、ここにいたのね?! 大変なの、あなたのお母様が馬車の事故に巻き込まれたみたいなの!」
お屋敷の使用人仲間にそう言われたのは、アメリが頼まれたお使いを済ませて屋敷に戻った時だった。
慌てて事故現場に駆けつけると、おびただしい量の血溜まりの中に布をかけられた人間らしきものが横たわっていた。
アメリが来たことに気づいたその場にいる数人の見知った屋敷の使用人たちが、アメリを憐憫の眼差しで見つめた。
「アメリ、見ない方がいい」
「いやぁ、嘘、嘘よ……そんな。嫌よ!! これは何かの間違いなんでしょう?」
「アメリ、落ち着いて。とにかく部屋に戻ろう」
そう言ってアメリを落ち着かせようとする使用人たちを振り切って、アメリはその人間らしきものへ駆け寄ろうとした。
その時、横から力強く抱き締められる。
「アメリ、見るんじゃない! 行ってはいけない」
それが誰なのか見上げると、ステラの雇い主である辺境伯家の跡取りであるシメオン・フォン・バロー辺境伯令息だった。
シメオンとアメリは年齢が近いこともあり、幼い頃は屋敷のそばで兄妹のように遊んで過ごしたものだった。
シメオンは同じ年齢の男の子とは違い、跡取りとして教育を受けているせいか少し大人びた性格で、使用人の娘であるアメリを妹のように優しく扱ってくれていた。
アメリはそんなシメオンに恋心を抱いていて、とても大切な存在となっていた。だが、身分差があり、しかも自分は『地枯れ』である。
到底結ばれることはないと自覚しておりその気持ちを抑えて過ごしていた。
「嫌よ! シメオン放して!」
そう言ってシメオンの胸の中で必死に抵抗するも、シメオンはアメリを力強く抱き締め続け、アメリはそのままシメオンの胸の中で泣き崩れた。
シメオンはその場でアメリをある程度落ち着かせると、屋敷へ連れて戻りずっとそばにいて抱きしめ泣き続けるアメリの背中をさすり続けた。
泣きつかれて涙も枯れたころ、シメオンはアメリを諭すように言った。
「アメリ、時間が経っても忘れることなく悲しみに暮れることもあるかもしれないが、その時は我慢せずに泣いたっていい。その代わり悲しみに囚われそこにとどまることだけはしてはいけない。君のお母様は、それを望んでいないから。ステラは君を生んで今まで苦労して育ててきた。君はステラの生きた証なんだよ。だから君が自分を大切にしなければ、それはステラが生きてきたことを否定することになるのだから」
アメリは宙に視線を彷徨わせたまま黙って頷いた。
シメオンは呆然としているアメリの涙を指で拭うと瞼にキスし微笑む。
「それに悲しみにくれた時は、すぐに私のところに来て私を頼ってほしい。いいね?」
そんなシメオンの優しさに触れ、アメリはまた涙が溢れた。そして、シメオンを見つめ返すともう一度その胸に顔を埋めた。
アメリはこの時、心の中でシメオンに忠誠を誓った。
この時にシメオンに言われたことを肝に命じ、アメリは徐々に立ち直っていった。
それにステラのことを忘れず、誰かに母親の思い出話を語ることによって、話を聞いた相手の中でもステラは生き続けると思えるようになり、無理に忘れる必要はないのだと前向きに考えられるようになった。
ステラの事故は仕事中の事故だったため、バロー家が責任を取るという形でアメリの世話をしてくれることになった。
シメオンの母親である、エステル・フォン・バロー辺境伯夫人はアメリをとても気づかい、教育をほどこし不自由のない生活をさせるよう手配した。
だがアメリは自分の身分をわきまえていた。
バロー家に仕えるために学ぶべきことはしっかり学び、十歳になったころにはメイド見習いとして働くことにした。
そうして、シメオンと自分とのあいだにしっかり線引きをしたのだ。
メイド見習いになってから、学業と仕事の両立で忙しくなりシメオンとも顔を会わせずにすむのもアメリにとっては都合がよかった。
午前中はメイド見習い、午後から教養を身につけるためのレッスンをする。そんな毎日をがむしゃらにこなした。
メイドの朝は忙しく、誰よりも早く起きて朝食の準備、そしてベッドメイキングに洗濯。やることはたくさんあった。
そんな日々もなれたころ、アメリが慌ただしくシーツを取りにリネン室へ入ると、その瞬間に背後から声がかけられる。
「アメリ、うちのメイドになるんだってね。君はそんなことをしなくとも不自由なく暮らすことができるのに」
声のする方へ振り向くと、シメオンがアメリの退路を経つようにリネン室の入口に立っていた。
「シメオン様、あの、今はこのシーツを持ってくるように申し付かっているのです。早く持っていかなければなりません」
「『シメオン様?』だって?! その呼び方も本当に気にくわないな。昔は普通に名で呼んでくれたじゃないか」
応援ありがとうございます!
73
お気に入りに追加
1,486
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる