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5.Epilogue.
番外編『花束』
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ユリウスの元に一通の手紙が届いたのは朝方だった。
とある王国のとある小さな村。そこの診療所の事務員として、ユリウスは隠居生活を過ごしている。
彼の手元には見慣れた王国の刻印が施された黒い縁起の悪い羊皮紙。宛先にはユリウスの偽名が記されており、ユリウスの身内から送られたものだと解る。
しかし、ユリウスは開封することができずにいた。なぜなら、そこには人の死を知らせる文章が記されているからだ。発信元は書かれてはいない。
どれだけ事務の作業に没頭していただろうか。
三時を知らせる鳩時計。ようやく、ユリウスが意を決して封を破る。そこには小さな花弁と真っ白な厚手の紙に一筆だけ。王妃の死を知らせるものが記されていた。ふと、浮かんだのは精神的におかしくなってしまっていた母親のこと。
「亡くなったのか」
呟きはユリウスの耳元に響く。ありえないと思った。しかし、その自分自身の呟きで彼女が死んでしまったのだと理解する。
小さい頃は華よ蝶よと可愛がってくれた母。しかし、自分が戦場送りとなり、錯乱して精神を壊した母。王妃としては機能しなくなり、兄が全ての政治の指揮を執った。自分のせいで、人生を無駄にした可哀そうな人だった。
バラ園で必死に”ユリウス”を探していた母親。けれども、大人になった自分が再開しても、ユリウスだと認識はしてくれなかった。彼女はずっと戦場に行く前の幼いユリウスを探していた。
「バカらしい」
ユリウスの小さな笑い声は誰に聞こえることもなく、ただ、室内に寂しく響き渡った。
その後、ユリウスはたくさんの花を市場で買い集めた。目立たない灰色の布を頭から被り、苦手な日差しを避けた。ちなみに村人たちからは、シロさんと呼ばれている。アレクセイはそのあだ名を嫌がったが、ユリウスはその偽名を気に入っていた。
花を買い集めて、ユリウスはバスケットに花束をたくさん入れた。色とりどりの花は美しく、香りもまた良かった。時折、子供と母親に気を取られながら、ユリウスは村から外れた海の見える崖へ向かった。
風が凪ぎ、海のさざ波は美しい音色を奏でている。オレンジ色の夕日に、空を彩るには少し早い藍色のハイライト。海は白とオレンジで波際を反射させて、崖に波を打ち付けていく。帰っていく黒い波影は少しばかり寂しさすら感じさせた。
「立派な息子にはなれなかったけれどもな。今までありがとう」
ユリウスは崖からバスケットごと花束を投げ捨てた。海面に浮かぶ白に赤に黄色。たくさんの色は海に全て吸い込まれて消えていった。まるで、海に捕食されているよう。ユリウスは小さくため息をついた。
消えていった花をもっと見ようと、海を覗き込んだ時だ。
「ユリウスさん!」
力強く体ごと引かれた。ごんと背中を打ち付け、ユリウスは低く呻いた。視界に広がったのは藍色の空と黒い髪を持つ青年。そして、空よりもきれいな青い瞳はユリウスを心配そうに見つめていた。
「自殺なんて考えないでください!」
「何を言っているんだ、お前は」
打ち付けた背中を撫でながら、ユリウスはゆっくりと立ちあがった。そして、気が付いた。引っ張られた際に頭から被っていた布が無くなっていることに。海辺を見れば、布が海面に漂っているのが見える。
――あれを回収するのは無理だな。
思わず苦笑いをすれば、腕を強く引かれた。
「どうしたんだ、本当に」
「ユリウスさん、身投げするつもりでは……?」
「はあ?」
「手紙が置きっぱなしになっていて、慌てて探していたんです。そうしたら、村の皆がユリウスさんが深刻そうな顔で出て行ったって。崖の方を目指しているって聞いたから、慌てて飛んできたんです」
「あいつらもお前も、何を言っているんだ」
大きくため息をつけば、目の前の青年は安心したような表情を浮かべた。けれども、目は複雑そうにユリウスを見つめていた。
「ああ、もう良かった。勝手にいなくならないでください」
抱きつかれて、ユリウスは恐る恐ると彼の背中に手を回す。ぎゅうぎゅうと抱き着いてくる彼のぬくもりを感じながら、「ここからだと王妃に会えないから、せめて、一番近いここから花束をあげたいって思ったんだ」と伝える。
「俺の身分だと、もう参列することもできないから」
「ユリウスさん……」
「だから、せめて、あの国に届きそうな場所から花をあげようって。悪かったな」
青年は何も言わなかった。ユリウスは彼から離れて、再び海岸をぼんやりと眺めた。遠くなってしまった祖国は見る影すらもなかった。恐らく、彼女の葬式は終わってしまっているだろう。今頃は冷たい土の下で眠っているはずだ。
「さあ、帰るぞ。アレクセイ」
青年――アレクセイは静かに頷いた。二人して並んで帰る街並み。ユリウスはふと振り返った。その先に通じる祖国の想いを抱えて。
「ユリウスさん、髪色を変える魔法に興味は?」
「なんだよ、藪から棒に」
「俺がアルター国で使っていたやつです。国が落ち着いた頃、王妃に花を持っていきましょう。あちらの国ではユリウスさんは死んだことにはなっていますが、髪色と目の色さえ変えてしまえば、きっとわかりません。もちろん、リスクはありますが」
アレクセイはそういって優しく微笑んだ。ユリウスは驚いて固まるが、「考えておく」とだけ言う。ふと、足を止めたユリウス。アレクセイは「ユリウスさん?」と小首を傾げた。
ユリウスは海岸を眺めていたが、やがて、ゆっくりと歩き出した。そして、振り返る。今日最期の陽ざしはユリウスの真っ白な髪を染めあげていた。
「なんでもねぇよ」
ユリウスがそう呟いたと同時に日差しは消えていく。空にかかる星空を背中に二人は村の帰路についた。二人が診療所に務めているメアリに怒鳴られるまで、あともう少し――。
終
とある王国のとある小さな村。そこの診療所の事務員として、ユリウスは隠居生活を過ごしている。
彼の手元には見慣れた王国の刻印が施された黒い縁起の悪い羊皮紙。宛先にはユリウスの偽名が記されており、ユリウスの身内から送られたものだと解る。
しかし、ユリウスは開封することができずにいた。なぜなら、そこには人の死を知らせる文章が記されているからだ。発信元は書かれてはいない。
どれだけ事務の作業に没頭していただろうか。
三時を知らせる鳩時計。ようやく、ユリウスが意を決して封を破る。そこには小さな花弁と真っ白な厚手の紙に一筆だけ。王妃の死を知らせるものが記されていた。ふと、浮かんだのは精神的におかしくなってしまっていた母親のこと。
「亡くなったのか」
呟きはユリウスの耳元に響く。ありえないと思った。しかし、その自分自身の呟きで彼女が死んでしまったのだと理解する。
小さい頃は華よ蝶よと可愛がってくれた母。しかし、自分が戦場送りとなり、錯乱して精神を壊した母。王妃としては機能しなくなり、兄が全ての政治の指揮を執った。自分のせいで、人生を無駄にした可哀そうな人だった。
バラ園で必死に”ユリウス”を探していた母親。けれども、大人になった自分が再開しても、ユリウスだと認識はしてくれなかった。彼女はずっと戦場に行く前の幼いユリウスを探していた。
「バカらしい」
ユリウスの小さな笑い声は誰に聞こえることもなく、ただ、室内に寂しく響き渡った。
その後、ユリウスはたくさんの花を市場で買い集めた。目立たない灰色の布を頭から被り、苦手な日差しを避けた。ちなみに村人たちからは、シロさんと呼ばれている。アレクセイはそのあだ名を嫌がったが、ユリウスはその偽名を気に入っていた。
花を買い集めて、ユリウスはバスケットに花束をたくさん入れた。色とりどりの花は美しく、香りもまた良かった。時折、子供と母親に気を取られながら、ユリウスは村から外れた海の見える崖へ向かった。
風が凪ぎ、海のさざ波は美しい音色を奏でている。オレンジ色の夕日に、空を彩るには少し早い藍色のハイライト。海は白とオレンジで波際を反射させて、崖に波を打ち付けていく。帰っていく黒い波影は少しばかり寂しさすら感じさせた。
「立派な息子にはなれなかったけれどもな。今までありがとう」
ユリウスは崖からバスケットごと花束を投げ捨てた。海面に浮かぶ白に赤に黄色。たくさんの色は海に全て吸い込まれて消えていった。まるで、海に捕食されているよう。ユリウスは小さくため息をついた。
消えていった花をもっと見ようと、海を覗き込んだ時だ。
「ユリウスさん!」
力強く体ごと引かれた。ごんと背中を打ち付け、ユリウスは低く呻いた。視界に広がったのは藍色の空と黒い髪を持つ青年。そして、空よりもきれいな青い瞳はユリウスを心配そうに見つめていた。
「自殺なんて考えないでください!」
「何を言っているんだ、お前は」
打ち付けた背中を撫でながら、ユリウスはゆっくりと立ちあがった。そして、気が付いた。引っ張られた際に頭から被っていた布が無くなっていることに。海辺を見れば、布が海面に漂っているのが見える。
――あれを回収するのは無理だな。
思わず苦笑いをすれば、腕を強く引かれた。
「どうしたんだ、本当に」
「ユリウスさん、身投げするつもりでは……?」
「はあ?」
「手紙が置きっぱなしになっていて、慌てて探していたんです。そうしたら、村の皆がユリウスさんが深刻そうな顔で出て行ったって。崖の方を目指しているって聞いたから、慌てて飛んできたんです」
「あいつらもお前も、何を言っているんだ」
大きくため息をつけば、目の前の青年は安心したような表情を浮かべた。けれども、目は複雑そうにユリウスを見つめていた。
「ああ、もう良かった。勝手にいなくならないでください」
抱きつかれて、ユリウスは恐る恐ると彼の背中に手を回す。ぎゅうぎゅうと抱き着いてくる彼のぬくもりを感じながら、「ここからだと王妃に会えないから、せめて、一番近いここから花束をあげたいって思ったんだ」と伝える。
「俺の身分だと、もう参列することもできないから」
「ユリウスさん……」
「だから、せめて、あの国に届きそうな場所から花をあげようって。悪かったな」
青年は何も言わなかった。ユリウスは彼から離れて、再び海岸をぼんやりと眺めた。遠くなってしまった祖国は見る影すらもなかった。恐らく、彼女の葬式は終わってしまっているだろう。今頃は冷たい土の下で眠っているはずだ。
「さあ、帰るぞ。アレクセイ」
青年――アレクセイは静かに頷いた。二人して並んで帰る街並み。ユリウスはふと振り返った。その先に通じる祖国の想いを抱えて。
「ユリウスさん、髪色を変える魔法に興味は?」
「なんだよ、藪から棒に」
「俺がアルター国で使っていたやつです。国が落ち着いた頃、王妃に花を持っていきましょう。あちらの国ではユリウスさんは死んだことにはなっていますが、髪色と目の色さえ変えてしまえば、きっとわかりません。もちろん、リスクはありますが」
アレクセイはそういって優しく微笑んだ。ユリウスは驚いて固まるが、「考えておく」とだけ言う。ふと、足を止めたユリウス。アレクセイは「ユリウスさん?」と小首を傾げた。
ユリウスは海岸を眺めていたが、やがて、ゆっくりと歩き出した。そして、振り返る。今日最期の陽ざしはユリウスの真っ白な髪を染めあげていた。
「なんでもねぇよ」
ユリウスがそう呟いたと同時に日差しは消えていく。空にかかる星空を背中に二人は村の帰路についた。二人が診療所に務めているメアリに怒鳴られるまで、あともう少し――。
終
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