『残魂微光』

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前編『絆魂光(はんこんこう)』

幕間1『過去』

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 剣士の郷は、様々な國の若者が集まって剣術を学ぶ厳格な修練の場だった。
 五行の國からなる若者たちが、魔気まき――妖を倒すことのできる唯一の力を習得するために、日々過酷な修行に耐える場でもある。

 山に点々とコブシの花が咲き誇り、辺りは春を迎えていた。春らしい香りに誘われて、剣の修行でもしようと一人の若者が部屋を出た。十五歳の少年――水星は、剣を手に廊下を歩きながら、障子の開いた部屋から聞こえてくる師範たちの溜息に足を止めた。
 和室の方から漏れる声は、いつものように、とある少年の悪評で埋まっている。
焔尽えんじは天才だが、彼ほど困った問題児はいないだろう」
「私が聞いた話では、来て早々、水の國の三男である水星の扇子を壊したとか」
「まったく……火の國と水の國は仲が元々悪い。火の後継者争いは複雑だな」
 水星は眉をひそめた。焔尽のせいで、師範たちがまた頭を抱えてる、と。
 焔尽とは火の國の創者の息子のことだ。双子の兄・焔君えんくんとは正反対の自由奔放な問題児。
 兄は努力家で天才肌と評されるが、弟の焔尽はなんでも器用にこなす天才型。周囲はそうやって双子を比べ、次代の火の國の後継者争いに興味津々だった。
 火の國の後継者ともなれば、水の國の創者――國の指揮を執る者でもある兄がいる水星にも関係することだ。他人ごとではなかった。
「だが、焔尽の成績は優秀。我流ながら剣術の腕も確かだ。神は才能を与える相手を間違えたのだ」
「水の國の水星と一緒に勉学させれば、少しは落ち着くだろう。火を抑えるには水だ」
「だが、油を吸った火は、水をかけたところで弾くだけだ。火と水で収まらない」
「真面目な水星が剣を手に暴れたと聞くほどだ」
「すでに水が火を弾いた後か。手に負えんな」
 その言葉に水星は唇を噛んだ。
 ――確かに、焔尽のせいで水星も我を忘れて怒ったことがあった。
 しかし、神が才能を与える相手を間違えたと師範たちの深い溜息が聞こえてくるたび、焔尽の能天気な笑顔が浮かんだ。
 その時だった。屋根の上から響いた声と足音が天井を揺らし、土埃が舞い散った。しんと静まり返った空気に、ひとりの師範が顔を覆う。
 恐らくは、その問題児が屋根の上で暴れているのだろう。廊下を歩くよりも、こっちの方が早いと走り回っている姿を見たことがある。
「まさか、あれが火の國の後継者候補の一人とは……水の國の三男の水星は人も良く剣技も素晴らしいのに」
 嘆く師範の肩に、ぽんっと手が置かれるのが見えた。水星は「はあ」と呆れた。そこにいたのは、今まさに話題の本人――焔尽だ。
 焔尽は赤い瞳を持ち、どこか無邪気さを思わせる笑顔をしていた。彼の黒髪は、火の揺らめきのように軽やかで、結い上げずとも自然に肩に流れ落ちる。水星が思うに、女性のように細身で白く、そして、綺麗だった。
 しかし、それは――黙っていれば、だ。
「先生、そんなに落ち込んでもしょうがないって。ほら、罰の書き取りも終わったしさ。えっと、次は何をするんだっけ? トイレ掃除だっけ」
 焔尽は、へらへら笑いながら人差し指を立てて、師範の頬に指をぷにぷにと突き刺してる。
 師範の肩が、震えてるのが見えた。両隣の師範たちはもう呆れ果てた表情で黙ってる。
「あり? 松前師範、どうしたん……」
「馬鹿者! お前に魔気の使い方を教えてやる!」
 師範が部屋の隅にあった箒を手に取って立ち上がるのを、水星は黙って見ていた。師範が握ったホウキは緑色のオーラを持つ。
「魔気とは、國の剣士が妖を払うために使うものだ! こんな風にな!」
「え、ちょっと……うわぁ! それ、妖に使うんだろ!? 俺に使ってどうするんだよっ!?」
「今日こそ、その腐った根性を成敗してやる!」
「あははは!」
 焔尽が逃げ出すと、師範が追いかけて和室を抜け、縁側へと駆けていく。これは、いつもの光景だ。
 箒を手に、怒りの猛攻を繰り出す師範。焔尽は風と踊る葉みたいにするりと動いて、攻撃を全部避けていた。
 しまいには師範の足払いまでかわし、宙にふわりと舞い上がった。彼の長い髪は夜を紡いだ黒い絹のように揺れて、赤い瞳が楽しそうに細められてる。その姿は小鳥みたいに無邪気だった。
「せんせ、それじゃ当たらないって! あはははっ!」
 しかし、急に師範が足を止めた。鬼みたいな顔のまま静止するのを見て、妙に納得した。焔尽が水星の前までやって来たからだ。
 焔尽はようやく動きを緩め、「あれ……?」と呟く。水星は彼に用事を思い出し、懐に忍ばせていた教科書を握り締めた。そして、水星はわざと焔尽の前に立ちはだかった。
「わっ!」
 ぶつかった焔尽は驚くほど軽かった。彼は尻から転がり、「いってぇ……」と声を漏らす。
「――人の教科書に、変なものを描いておいて……ずいぶん呑気なものだな」
 水星の低い声が縁側に響いた。見下ろすと、焔尽が赤い瞳で水星を見上げてた。柔らかな表情が、じっと水星を見つめている。
 思わず、その能天気さに苛立ちながら、開いた教科書を彼に突き出した。
「魔気は魔魂まこんを持つ剣士が扱う力。魔気は妖を払うための力と書かれているページだ。お前はこのページに何を書いた?」
「え? 猫ちゃんと水星だけど」
 水星の教科書を握っていた手が震えた。
 開いた教科書に猫の落書きが大きく描かれてる。それも愛らしい猫だ。『みなせ』と書かれた顔の落書きまであった。
「ダメか? 貸してくれた時に、書き込んでいいかって聞いたら、いいって言ったじゃん」
「俺は先生の言葉を書くものだと思っていたぞ。では、次のページ。初代剣士・蓬莱様の挿絵に描かれたこの落書きは何だ!?」
 教科書をさらに見せつける。蓬莱様の若い頃の挿絵にまで、落書きされてるのが目に入った。
「えー? 髭を足しても、別にいいだろ。若い頃の絵なんて使うから。実際は歳をとって、髭もじゃだったって聞いたし……おっと!?」
 我慢の限界だった。水星は剣を抜き、怒りで焔尽を追いかけた。
 彼は、「なんで怒った!?」と慌てて逃げ出した。
「貴様! 蓬莱様は俺の祖先だ!」
「えっ!? じゃあ将来、お前も髭がもじゃに――」
「許さん!! その口を二度と開くな!」
 縁側で響く破壊音と焔尽の悲鳴。遠慮なく、水星は剣を振り回した。後ろで師範が箒を手に崩れ落ちて、空を見上げてるのが見えた。
 遠くで師範が『もう面倒はこりごりだ……』と呟くのがかすかに聞こえたが、水星はもう焔尽を追いかけるのに夢中だった。
「まず、お前は教科書を持って来い! 寝るな! 勉強ぐらいしろ!」
「あははは! じゃあ、問題! 魔気の元や魔魂とは?」
「魔気は魔魂を持つ剣士が扱う力。魔魂は心の核であり、妖を払うための力の源だ。このページに、お前は何を書いた?」
「正解! 水星と猫ちゃん! え、ちょっと待って……待って待って、それ卑怯だって! てか、お前! もう魔気使えるのかよ!」
 やがて、郷全体にざわつきが広がり始めた頃、水星は息を切らして立ち止まった。焔尽は楽しそうに笑っている。
 あいつのせいで静かな日々なんて来そうにない――そう思いながら、剣を握り直した。
 あの笑顔が、こんなにも遠くなるとは、この時の俺は知らなかった。


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