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The 34th episode

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 現場検証の電話なんて、二本で済んだ。

 潤は何も言わずに隣に座っていた。
 何物にもない虚無感に目眩のような霧、けれども祥真の穏やかな表情に、血を吐いた口元を黙って拭ってやる潤は、「俺さ、」と言った。

「祥ちゃんのオムライス好きだったんだよね…」

 何も感情は読み取れない、けど、いつもの潤の軽々しい口調ではなかった。

 横目で見れば泣きはしないが、眉間に皺が寄り綺麗な瞳で。
 そうか俺もこいつも、いつもそうだったのか。
 案外人の死を受け入れてこれなかったのかもしれないなと、それから顔を背けるかたちで潤は箕原海を眺めた。

「いつも家事は祥ちゃんの担当でさ。俺は温室だから、まぁ、いままで…雨さんともだけど、やったことなくて」
「…うん」
「でもさ、帰ってきたり帰ってこなかったり、俺もだしさ、結構あってさ」
「うん」
「ただなんか…あぁ落ち着くな、どうしてだろうな、
でも俺祥ちゃんのことあんま知らなくてさ。だからかなとか…」

 気が触れたように潤は喋り続ける。新たに火をつけようとポールモールを挟んでも、中身を確認してはまた戻し、自分のキャスターに火をつけた。

 澄ました横顔が見える。その瞑った目から流れた涙は、確かに綺麗だった。
 喉仏が震えている。それから気付いたのだろうか、息と嗚咽を殺すような沈黙が流れる。
 俺はひとつも、多分、

「…っ多分さぁ、」

 押し殺したように低くなった、出だしが掠れる一言と息継ぎ。
 俺はひとつも、多分、泣けてないのにな。

「まぁ…かっこいいねって言ったんだよ、祥ちゃんに、最初」
「…うん」
「この人最初どおしたと思う?ねぇ、知ってる?フェンスの向こう側にいたんだよ、10階かなんかの。自分は仲間を裏切った、そんなの正義じゃないから暴露する、自分の死を持ってって。だから俺多分掛けてみたんだよ、ぶっ刺されてもいいやって、だってなんだろ、自分で背負ってさぁ、」
「ん…うん、」
「でも俺を助けたんだよ」

 話ながら涙は案外すぐ、乾いたのか。もしかすると、欠伸だったのかもしれないけど。

 まだ潤んだその瞳で俺を見る潤は、少し、まじまじと俺を見ながら「ふっ、」と笑うも、口元が震えていた気がした。
 それから今度は俺の目元に手を伸ばしてきた。どうやら涙を、拭ったらしかった。
 
そうか。

「お前ってなんでいつも気が付かないの、流星」
「…ぅぅ、ん、」

 声が出ていかなかった。
俺、泣いてたんだ。

「ちょっと、…うん、正直、安心はするけどさ、流星。
 俺お前があの日も、銀河を殺した日も、…いまだって、泣いてなかったら、お前なんて人じゃなかったんだって、きっと再会すらしなかったよ」
「ん、」
「……祥ちゃんと、決めたんでしょ、俺お前のとこに転がり込むんだってな」
「ん…」
「…でも、まぁ、…どっちでもいいから…。
まぁ、今晩は、でもそっか、帰らないよな。祥ちゃんはどんなやつだったの」
「うん…、」

 また沈黙が続く。
 何故だろうな、外なのに、自分家なんかじゃないのにな。

 真っ直ぐ俺を見て湿った笑顔の相棒はけれども、クソほど美人、
いや、本当に単純に綺麗な笑顔だった。その目が宇宙のように感じて。

 暫く悶絶してまた沈黙が漂ってしまう。何故だろうな、一人じゃないのに、ここは広く心が寒く感じるんだよ。どうしてかな。俺は多分、確かに家には帰らないかもしれないな。
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