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終わりは突然に

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 朝からずっと暗い夜の一日に、時間の概念は狂いがちだった。

 あの妙な鎖使いの男からどうにか逃げおおせて、そのまましばらく気を失ってしまっていたらしい。

 ハッと飛び起きた空は、けれど相変わらずの夜空で、たまにシュウッと星が流れていく。

「ウソでしょ!? いまなんじ……司祭様!」

 約束は昼過ぎのはずだけれど、今がどの時間帯なのかもわからない。
 街外れの林の中ではなおのことだ。
 急いで街のそばまで飛んで行き、誰も居ないのを確認して、私はもう一度イメージする。

 私の昼の姿。セレミアの姿を……。

 少しくせっ毛な栗色の髪、日に焼けた肌にはそばかすが散っていて、ちょっと垂れ目がちなごく普通の町娘。

 夢魔の時に比べると華がないし、胸はしぼむし安産型。

 けれど可愛い方だとは思う。せっかくのデートなのにいつもと同じエプロンドレス、いつもと同じ髪型なのは寂しいけれど。

「この際贅沢言ってられない! 司祭様はそういうことは気にもしないわよどうせっ……」

 それよりもきっと大遅刻だ。

 約束をすっぽかしたことの方が問題だろう。
 たくさんの出店屋台と人であふれかえる街並みを駆け抜けて教会へ向かう。

 ゴォン、ゴォン、と時間を知らせる鐘の音が響いてきた。

 昼をとっくに過ぎて、おやつ時。

 教会に駆け込むように扉を開ける。

「きゃんっ……!?」
「うぐッ……!!」

 ぼすっと何かにぶつかって鼻を打った。呻くような声が頭上から降ってきて、それはみぞおちの辺りを抑えながら蹲ってしまった。

「し、司祭様っ!? や、やだ、ご、ごめんなさい……!」
「ぅ……ごほっ、……ぁ、ああ、せ、セレミアか? ……よ、良いところに……いや、いつまで待っても来ないので、な。その……、もしや、本当は気が進まなかったのかとも思ったが、そうではなく病気や、怪我や、何か良くないことに巻き込まれたかもしれんとも思い……であれば、迎えに、い、行こうかと……」

 扉に手をかけようとしたところに私が飛び込んできた。ということらしい。

「司祭様……ご、ごめんなさい……あた、わ、私、あの、約束の時間を大分遅れてしまって……。司祭様、が、お怒りではないかと……そう思っていたんです。なのに、そんな、……迎えに、行こうと?してくださって……?」

 あの司祭様が? わざわざ? 
 キュウンと胸がいっぱいになる心地。  
 苦しくて甘くて不思議な息苦しさ。

 司祭様はよろよろと立ち上がると、切れ長の目を細めて少し困ったように眉を寄せた顔で笑う。それは照れているようにも見える。

「君が、なんの理由もなく約束を……破るような女性だとは、思えなくて、な。……降星祭の夜は、強い光の加護で悪魔などはみななりを潜めるが、そういう夜だからこそ人の心に魔が差すこともある。光強いところには濃い影も落ちるもの……。可愛らしい女人というのは、それだけで男の心を惑わしかねんし……」
「……可愛らしい?」

 思わずにこにこ顔が緩んでしまう。
 はっとしたように、司祭様は一般論だ! と付け加えてきたけれど。

 私が、セレミアが、よその男にちょっかいかけられてたりナンパを振り切れずに困っているかもって思ったってことなのよね?

 そう解釈していいのよね?
 
 司祭様は私を可愛い女の子だって思ってるのよね?

 ますます心がぽわぽわと温かくなっていく。自然と顔は緩みっぱなしで。

「ん、んんっ! と、ともかく。なんでもないのなら良い……」
「でも、あの、やっぱり……約束の時間を大分遅れてしまったのは、ごめんなさい司祭様。お忙しいのに……」
「……セレミア、……良いんだ。多少時間は遅くなったが、今日はどうせ一日中夜なのだから、……その、君さえよければ……今からでも……」

 祭りを見て回らないか、と司祭様が少し遠慮がちに問いかけてくる。
 私はその顔を見上げて、にっこり笑った。

「司祭様さえ良いのでしたら、セレミアは喜んで! ……嬉しい!」

 ぱっと司祭様の腕を取り、絡めるように掴んで外へ引っ張っていく。
 来る途中に見てきたたくさんの出店屋台、気になるものはたくさんあった。

「行きましょ、司祭様!」
「ま、待て、待て待て、待ちなさいセレミア。セレミア、この腕は……セレミア……!」

 慌てる司祭様の声は無視して、私は降星祭で賑わう街へ踏み出した。

―――

 あちらの屋台からは空腹を誘惑する魅惑のスパイスの香り。
 そちらの屋台からは鼻をくすぐる甘い焼き菓子の香り。
 こってり油で揚げられたパリパリの衣の揚げ物や、目でも楽しめる匠の技から繰り出される飴細工のようなもの。
 食欲をくすぐっていく屋台の数々に、朝からなんにも食べてなかった私のお腹はそろそろ限界を訴えていた。

「司祭様、あれはなんですか。司祭様、あっちのあれは? わあ、見て見て司祭様!」

 見知らぬ気になるものだらけの私の質問攻撃に、司祭様は嫌な顔ひとつせず丁寧に答えてくれる。
 グーグー鳥のスパイス串、クメルの実とトロシロップのパイ、カパルのチーズの包み揚げ、と知ってるようで知らない名前の食べ物があちこちにある。

「降星祭の日は、あちこちから商売人が屋台を開きにやってくる……地方の名物や聖都の流行りものも、この日はこうした辺境の街まで届くから……、セレミア、どれか食べたいものがあるのなら言ってくれ。遠慮はせずに……。今日は、その……いつもよくやってくれているから、な、君に……お礼を、したい」
「司祭様……? ……えっと、……そ、それじゃ……あの、パイのお菓子……食べてみたいです」

 遠慮をするには空腹が限界すぎた。
 司祭様のお言葉にしっかり甘えておねだりをする。
 司祭様は目を細めて頷いた。

「あぁ、やはりそうか。君が好きそうだと思った」

 バレていた。

 司祭様のことだから、若い女の子はだいたい甘いものが好きという雑な認識の可能性もあるけれど。
 私のことをわかってくれているのかもと思うとそれは嬉しい気がする。

 パイを二つ買って、飲み物を買って、樽や木箱を置いただけの簡易ベンチに座って食べる。
 空はずっと夜のままで、星が瞬いて流れていく。
 それを二人で見上げている、それだけの時間がとんでもなく嬉しくて大切な気がしてしまう。

「星……綺麗ですね。私……覚えてないから、わからないけれど、こんなにたくさんの流れ星を見たの初めて」
「……ぁあ、うむ。……この降星祭というのは、天上の国におわす天空神様からの地上への祝福であると言われている。毎年……この時期、日が昇らぬ代わりに無数の星が降り注ぐ。星は、苦しむ者、嘆く者、悩める者らへと辿り着き、彼らを癒やして救うのだ。……巡る星は神の思し召し。悩みなき者たちはこの星の降る夜に大切な者たちと過ごし、一年の感謝と次の年への抱負を抱く。……そういう日だ」

 お祭りを楽しんでいる人たちは、神様がどうとかあまり気にはしていなさそうだけれど。
 司祭様はやっぱり司祭様で、ただ綺麗だとか素敵だとか、そういうありふれた感想は言わないのだなぁと改めて納得する。

「……あ、いや、つまり。そう、綺麗だ、この日は毎年良い日だが、そう。うむ。綺麗だとも!」
「ふふっ、あはは! 司祭様ったら……! いいんです。……いいんですよ。……司祭様、そんな一年の大事な一日を、どうして私と過ごそうと思ってくださったの?」
「な、なに……」

 青白い司祭様の顔が、ひゅっと流れていく星明かりに照らされて浮かび上がる。
 動揺したのか、わずかに顔が赤くも見えた。
 意地悪な質問だったかもしれない。妹のように思っているからだ、と言われればそれはそれで私が哀しくなるのに。

「そ、それは……もちろん、その……。……よ、良き同僚として、良き友人として……」
「ふふ……それから妹のような存在として?」

 ううとかあぁとか呻く司祭様に思わず溜息を吐いてから、残りのパイをサクサクっと食べる。
 煮え切らない。
 けれど、今日という日を一緒に過ごしてくれたことは真実で。今はそれだけでいいのかも、と思いもする。

「そろそろ次の屋台、見てみましょう司祭様!」

 立ち上がって腕を引き、また引きずるように歩いて回る。
 楽しいお祭り。
 けれどもしかしたら、私はとんでもなく重大なことを忘れていたのかもしれない。

―――

 ふんわり蒸し上げた白い生地の中にとろぉりぐつぐつ煮込んだお肉を入れたもの。
 ナントカまんとでも呼べそうな、どこかの地方の名物料理を屋台で買って食べ歩き。

 並ぶ屋台もちょうど切れて、疲れた人たちが憩う広場に辿り着いた頃だった。

 ふいに、誰かが私の手を強く掴んだ。

「おまえ……! まさかこんなとこに居るたぁな……!」
「いたっ……!」
「な、なんだ……いきなり何をする……!」

 ぱっと瞬く星明かりに浮かび上がる、濃い色の肌に赤茶の髪の男の顔。
 私は目を見開いて、硬直したままその顔を見上げているしかできなかった。

 私の手を掴む男に、司祭様が割って入って抗議の声をあげる。
 司祭様の姿を見て、男の方も少し驚いたような顔をした。

「おいおい、マジかよ……。……アンタ、司祭だろう、司祭様ともあろうもんが……」
「私が司祭であったらなんだという……。彼女は貴様のような不逞の輩が誘えるような女性ではない、手を離さぬか」
「……ふっは! 本気かぁ!? ……はっ、この街の司祭はとんだめくらの能なしらしいな」

 憩いのはずの広場で突然長身の男たちが言い合う様子に、広場で休んでいた人たちも何事かとざわつき始める。
 自分たちの街の司祭様が、流れ者に馬鹿にされていると知って不穏な気配を滲ませる人も。

 相変わらず私の手は男にきつく掴まれて、ギリギリとその太く力強い指が食い込んで痛かった。
 けれどその痛みより、私にはもっと恐ろしいことがある。

「私のことはなんと言おうが構わぬ。痛がっているだろう、その不埒な手をいますぐ離せ」
「チッ、節穴野郎が。……おまえも相当いいタマしてるなぁ、まさか司祭を誑かしているとはね」
「おい、いい加減にせんか……!」

 男が私を見て鼻先で笑う。
 司祭様が怒りを露わに男に詰め寄る。
 私はただ、祈っていた。願っていた。

 お願い。
 言わないで……!

「本当に気付かないのかよ、能なし野郎が! ……この女はなぁ、司祭さんよ……夢魔だぜ!」
「……っ」
「……何を馬鹿なことを」

 男が力尽くで私を引き寄せる。
 司祭様は呆れたように男を見ていた。 
 
 信じていなかった。

 ほっとしたのもつかの間。

「馬鹿はどっちか、教えてやるよ……」

 手を掴む男の指先には、不思議な紋様が刻まれていた。それが不意に光を放つ。

「っあ、あぁああああ!!」

 ジュウ! っと掴まれたところが急激に熱くなり、あまりの痛みに私の喉は勝手に悲鳴を上げていた。

「……! せ、セレミア……」
「その節穴の目をよく開いて見ておけよ司祭様……、この女の正体を!」
「い、っぁ、ぁああ、ああああ!!」

 あまりの熱さと痛みに、術を保っていることはできなかった。

 セレミアの姿を。

 パチンッと弾けるように術が解けて、私の姿はいつもの夜の姿へと戻ってしまう。

 ふわふわの桃色の髪、豊満な胸にきゅっと締まった腰とぷりんとしたお尻。自在に動く尻尾と空を飛べる翼。

 司祭様が目を見開く。驚いた顔で、私を見つめていた。

 男の手が緩められ、私の体はふらりと倒れる。

 ざわざわと広場の人たちがざわめいていた。
「悪魔!?悪魔だ」「きゃあっ!」「逃げろ、悪魔が出たぞ!」
そんな声が波のように広がっていく。

「……なぜ、おまえが。どういうことだ……」
「っ、ぁ、し、司祭様……」

 呆然と私を見つめる司祭様の顔は、ただただ驚いていた。

「どうもこうもない。アンタ、誑かされていたのさ……この夢魔にな」

 男の手が、私の翼の付け根を掴んで引きずり立たせる。体中から力が抜けていて、されるがままになっていた。

「……わ、わからん。なぜおまえが……セレミアは、本物のセレミアはどうした。夢魔よ、おまえは……私を……騙したのか? ……ミーア?」

 司祭様が、困惑したように私を見ていた。
 それは、信じていたものに裏切られて、それでもまだその現実を受け止めきれないというような。
 傷ついているような。
 悲しんでいるような。

「ご、ごめんね……司祭様……」

 私はうまく言葉を紡げなくて、ただ一筋涙がこぼれていく。
 頬を伝うそれは熱くて冷たい。

「どういう関係だよ、アンタ。司祭さん。この夢魔とも昵懇だったのか? ……はっ、随分と爛れているんだねぇ。……教会の醜聞案件だな、こいつは。……だが、今は……」

 男は、そんなことは興味ないと言うように私を見て。
 不思議な紋様の刻まれた光る手を振り上げた。

 ああ、ここで終わりなのね。

 バチッ!

 と眩しい光が炸裂する。
 耳を劈くような音も。

 覚悟を決めた私は、それでも身に走るだろう痛みを思って震えた。

 震えたけれど。

「っち、な、にしやがる……!」
「こ、このめでたき降星祭の日に、騒ぎを起こす不届き者を……罰したまで! ……いけ、夢魔よ。もういけっ、どこへなりと、いけっ!」

 司祭様が、男の手にタクトのようなステッキを打ち据えてその手を止めていた。
 雷撃があらぬ所に飛び、地面を焼く。

「いけっ……はやく……いけ……二度と、私の前に、姿を見せるな……次は、払う……」

 司祭様は、やっぱり怒っている。けれどそれよりきっと、傷ついていた。
 血を吐くような苦しげな声で、奥歯を噛み締めながら言うその声に。

 私は何も言えなくて。

 サヨナラも、ゴメンナサイも、言えなくて。

 ボロボロになった翼を羽ばたかせ、星降る夜の空へと、飛び立った。
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