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竜の御珠
しおりを挟むシュシュリは、不意を突かれたような気持ちだった。
燕白は相変わらず後ろ手を縛られたままで、寝間着をだらりと羽織ったどうにも間の抜けた姿のまま寝台を降りて行く。
「ほ、本当に……果たすつもりなのか」
シュシュリの問いは、燕白のいまの姿以上に或いは間抜けであったかもしれない。
振り返った燕白の顔もやや苦笑気味だった。シュシュリは急激に恥ずかしくなる。
これではまるで、自分の方がまんまと籠絡されて絆されたみたいだ、と思えて。
ばさりと絹の羽織を身にまとい、短刀を掴んで寝台を降りた。
「……円華人は嘘吐きだというが、な。……わしは……ぁあ、まぁ。とにかく。夜が明けては色々と面倒だろう。日が昇ると、わしの気も変わりかねんしな」
冗談めかして笑いながら、燕白は寝室から続く総督執務室へと出た。
灯りの落とされた執務室は闇が凝り真っ暗だ。
「灯りを持ってくれるかね、シュシュリ。わしは手が塞がっているし」
「……あぁ」
シュシュリは、何度か口を突いて出そうになる、解こうか、という言葉をぐっと飲み込み手持ちの小さなランタンを手に取った。
ぼんやりと照らし出された部屋の中は、飾り窓と巻物の重なる文箱の載った卓と、その背後に簡素な書棚。それから壁には円華の宮廷を描いたらしい豪華な掛け軸。
総督執務室といっても案外なにもないものだ、とシュシュリはやや肩透かしを食らった気分にもなる。
燕白は掛け軸の前に立つと、シュシュリを見た。
「そなたとの時間もここまでか。寂しくもあるが、やはり……悪くない人生の締めと言えるかなぁ」
「な、なにを……」
狼狽えるシュシュリをよそに、燕白は何かを呟く。
ふわりと、風もないのに掛け軸が翻って、何もなかったはずの壁に扉が現れた。
「な、扉……!?」
円華帝国には幾つかの面妖な術が伝わっている、とはシュシュリも聞いたことがあった。
その一端が、いま忽然と現れた扉と、それを克明にするための呟きだったのだろう。
「目眩しの術という。円華に伝わる妖術のひとつで、この呪文は鎮守府着任の折に総督だけに知らされることになっていてなぁ……総督の変わるごとに、呪文も毎度変わるのだ。……おいで、シュシュリ。そなたの求めるものは、ここにある」
燕白が微笑んだ。
すっかり諦めきったかのような、それでいて妙に底の知れない、落ち着かない笑みだとシュシュリは思った。
未だ警戒は解かず、短刀を握りしめて近付く。燕白は、シュシュリに先を促した。
シュシュリが扉に手を掛け、ゆっくりと、重厚なそれを引いていく。
ボウ、と。
四角い小さな小部屋の中に、うっすらと光を帯びて鎮座する宝玉があった。
思わず、シュシュリから感嘆の息が漏れる。
淡い乳白色のその珠は、ちょうどシュシュリの両手に収まりそうな大きさだった。
「これが……竜の、御珠……」
「……嘘偽りなく。この地を魔性の穢れから守り、ひいては……円華帝国を守る要のひとつ」
燕白が言った。
「二十年前は、まだテン族のものだった。この辺りは、そなたらテン族が支配していた」
「そうだ。それを……貴様らが、奪った」
「テン族は戦に敗れ、円華の守護下に置かれることを選び……その証に、これを円華に差し出した。皇帝はそれを受け入れ、そしてこの地を守る要となると知り、この鎮守府に置かれることになった」
シュシュリは、思わず燕白の首筋に刃を突き付けた。
「なにが言いたい……!」
「……いや、なに。単なる……歴史の振り返り。死を前にして、出来事を懐かしんだに過ぎんよ。……円華のやったことを正当化するつもりも、そなたを責めるつもりも……ない」
燕白は、相変わらず線のように目を細め笑っていた。
「約束は果たした。わしは死ぬ前に、そなたのような美しいおなごを抱けたし……まぁ、思い残すことが全くないとも言わないが、そこそこ満足だ。シュシュリ……」
燕白は、態度でも言葉でも、抵抗は見せなかった。
あと少し、刃を動かせば、首を斬り裂き簡単に殺せただろう。
しかし……。
――ズ、ズズン!
「っ……!? な、なんだ!?」
「お、わ、っとと……!?」
突然、大地が鳴動する。
予期せぬその地揺れに、シュシュリも燕白も動揺した。
ミシミシと家鳴りがし、グラグラと地が揺れ、何かに掴まらないと立ってもいられないようなその凄まじい振動。
それが、ゆっくりと収まっていくころ。
バタバタと慌ただしい音と、カンカンカンと危急を知らせるけたたましい銅鑼の音。
そして。
「陶将軍……! 大変です、西の空に恐ろしい魔獣の影が……し、将軍!?」
駆け込んで来た鎮守府の守備隊員が、抜き身の短刀を手にしたシュシュリと、後ろ手を縛られた鎮守府総督の姿を目撃し目を剥いた。
事態は、そうして思いもよらない方向に転がり出して行った。
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