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再会、そして
しおりを挟む切り立った崖の狭間、不毛の大地を彩るのは赤茶けた渓谷だった。
シュシュリは燕白を連れて、渇きひび割れた土地を歩く。ちょうど天辺に至った太陽は、崖の真上から渓谷の底を照らし、ジリジリと焼いていく。
吹き抜ける風はその熱を孕み、道行きは相変わらず過酷なものだった。
馬もだいぶ疲弊している。
シュシュリの背に、ずしりと重みがかかった。燕白の頭がのしかかる。ちらりと見遣れば、青白い顔をして燕白は目を閉じていた。
夜中からこれまで。都からこの辺境地に赴任するまでの道程も入れれば、燕白はかなりの日々をろくに休めていない可能性もあった。
シュシュリは、心がざわりと騒ぐのを感じる。
(急がないと……。アヤリたちも心配だ)
燕白はもちろんのこと、シュシュリにとって最も心配なのは妹のアヤリだった。
アヤリは、いまのテン族にとってもかけがえのない大事な存在ではある。彼女の巫女としての力がなければ、この穢れた不毛の大地を生きることは難しかった。
ゆえに、テン族のみなは命がけでアヤリを守ってはくれるだろう。シュシュリが最も信頼する戦士で相棒のヨエも居る。
そう頭ではわかっていても、心は逸った。
ふと。
シュシュリの視界に、なにかが映る。
カッ! と馬を走らせた。
突然の速度の上昇に揺さぶられ、燕白のウッと呻く声が聞こえた。
「アヤリ……!」
「シュシュリ!!」
駆け出した先。
そこに居たのは、シュシュリの見間違いではなく、正真正銘妹のアヤリだった。
シュシュリはその場で馬を飛び降りると、アヤリに駆け寄っていく。
そして華奢な妹の体をめいっぱい力強く抱きしめた。
「シュシュリが近くまで来てるって、感じたの。よかった……無事で」
「アヤリ! おまえこそ、よかった。無事でよかった。村がひどいことになっていて……私のせいで」
「シュシュリ、シュシュリ苦しいわ。シュシュリのせいじゃない。だいじょうぶよ。みんな無事に逃げられたの。みんなシュシュリを待ってる」
シュシュリの腕の中で、アヤリは首を振り、労わるように、確かめるようにその手を伸ばしてシュシュリの頬に触れた。
アヤリの瑠璃色の瞳が滲む。
「感動の再会もいいけどよ、シュシュリ。コイツはなんだ」
シュシュリたちの空気を壊すように割り込んだ声。
浅黒い肌に翡翠色の瞳をした青年ヨエが、馬の背に跨ったまま放置されていた燕白の首に剣を添えて立っていた。
***
ひんやりとした洞窟の中、シュシュリとその妹のアヤリ、シュシュリの相棒であるヨエと、テン族を束ねる長老が焚き火の周りに顔を突き合わせていた。
燕白は縛られ、ヨエに剣を突き付けられたまま跪いている。
「シュシュリ……よう無事に戻ってきた」
長老は、皺だらけの落ち窪んだ目をシュシュリに向けると柔らかく微笑む。
「みんなも……」
シュシュリは短くそう答えた。
アヤリたちの言うことには、避難する際に慌てて転んだりした者は居たが、大きな怪我などをした者は居なかったという。
鎮守府の駐留軍が村に着くより早く、アヤリがそれを予知して逃げられたのだそうだ。
「村はまた立て直せば良い。シュシュリ。わしらが間違っておった。巫女を帝国の者に差し出そうなどと……そんなことは」
長老が首を振る。
アヤリを貢物として総督に差し出して、安全だった保証はない。大事な巫女を失って、テン族そのものが破滅していたかもしれない、と。長老はそう考えたそうだ。
シュシュリは、それを否定も肯定もできなかった。いまここに捕らわれた総督である燕白。
仮にアヤリが捧げられても、ひどいことはしなかったかもしれない。だが。テン族そのものの安寧を約束したかどうかもまた疑わしいと思うのだ。
(燕白は……油断ならない……)
それがシュシュリの燕白への今の評価だ。
縛られ、剣を突き付けられて項垂れてはいるが、どこか泰然としてもいる。
「しかし、シュシュリよ。まことなのか。その男が……新総督、というのは」
長老は燕白を見て、不審そうな声で尋ねた。
「本当です、長老。……本当に、その男が、そう、なのです」
ひんやりした洞窟内に、しんと沈黙が落ちた。なんとなく気不味い沈黙だった。
「シュシュリよ。なぜその男を連れて来た?」
長老は気を取り直したように更に問いを重ねる。
シュシュリは、すぐには答えられなかった。
現状は偶発的事故と、シュシュリの衝動の賜物と言える。
なにをどこまで話すべきか。
それを考えると、燕白と取り交わした約束ややったことになんらかの恥じらいも覚えた。
顔が熱くなる。それを悟られないよう、俯きながらシュシュリは言葉を探した。
「どんな理由や事情でもいいさ長老。その必要があったんだろうよ。だがシュシュリ……無事にここまで着いたからには、もういいよな」
ヨエの声音は軽やかだったが、剣呑だった。
「待つのじゃヨエ。鎮守府の総督じゃぞ。殺せばわしらテン族は、帝国に宣戦布告したと取られてもしかたない。そうとなればわしらは破滅じゃ」
長老が血気盛んな青年を諭す。
「御珠も奪って総督を攫ったんだぞ、いまさらじゃないか。もうとっくに宣戦布告してるようなもんだ!」
ヨエが反論する。
どちらの言い分も、理があった。
「御珠さえあれば、それをもって帝国と交渉できるじゃろう。わしらの待遇をよくするよう求めるのじゃ。帝国の者を殺してしまえば、交渉の余地も……」
「せっかくシュシュリが命がけで取り戻したテン族の至宝を、また帝国にやるってのか!? 円華人がそんな約束守るわけない!」
長老とヨエの言い分は、真っ向から対立している。
この間、シュシュリもアヤリも燕白すらも、置いてきぼりだった。
ヨエの刃が燕白の首の皮に触れる。
「ヨエ……! 待て!」
シュシュリはようやく声を出した。
シュシュリを見たヨエの顔はしかめられている。その眼差しの鋭さに、シュシュリは一瞬たじろいだ。ヨエとは長い付き合いだったが、こんな顔を見たことはなかった。
「シュシュリ。どういうつもりなんだ」
「あー……宜しいかな、お方々」
ずっと押し黙っていた燕白が、口を開く。
「わしから、命乞いがてら、説明をしても?」
燕白は、この期に及んで緊張感のない顔で笑っていた。
「おい、勝手なことを!」
「よい、申してみてくれるか」
ヨエの恫喝を抑え、長老が頷いた。
「感謝致します、長老殿」
燕白は丁寧に頭を下げてみせてから、顔を上げ、語り出した。
「シュシュリは、わしの名誉のために本当のことを言えんのだ。……うん。シュシュリがわしを連れて来たのは、わしが彼女に命乞いをしたから。寝所で剣を向けられ……御珠は差し出すからどうか命だけは助けてくれと縋った。しかし御珠を渡したとなればわしは帝国で死罪。だから……シュシュリに守ってもらい、帝国を捨て、逃げてきたのだ」
燕白の言葉に、長老もヨエも、アヤリも、そしてシュシュリも言葉をしばし失くした。
辺境地に赴任した帝国の将としては、あまりにも不甲斐なく、情けなく、不名誉そのものの告白だった。
「まさか……」
「そんな……こんな腑抜けが、総督?」
ヨエの顔が嫌悪と軽蔑に歪む。
「シュシュリ……ほんとなの? でも、どうするの。そのひとを」
「……アヤリ、ヨエ、長老。私は、その男と約束した。円華人は嘘吐きだが、私たちテン族はそうではない。約束したからには、守らなければならない。……それに、その……そいつは、腑抜けの軟弱者だが、知識がある。きっと、利用価値が……ある。私たち、テン族が、生き延びるために」
シュシュリは、自分自身でもまだ半信半疑ながら言った。
果たして本当にそうなのか迷いながらも。
「利用価値の一端として、わしから……竜の御珠の有効活用法をひとつ、お教えいたそう」
燕白が言葉を継ぐ。
「ヨエ。剣をおさめるのじゃ」
長老が溜息混じりに言った。
ヨエが舌打ちしながら剣をおさめる。
アヤリが、シュシュリの手をぎゅっと握った。シュシュリは、ほんの微か、アヤリに笑みを返した。
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