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湖水の砦の宴
しおりを挟む湖水の砦の広場にテン族が集まっていた。
昼ではあるが篝火は煌々と焚かれ、朝一番に狩って来られたマダラジカやオオトリの丸焼き、荒野ではなかなか手に入れることの難しい葉物野菜や瑞々しい果物が並ぶ。
男も女も老いも若きも、鮮やかな布を幾重にも巻いたテン族伝統の衣装を着て、髪飾りや耳飾りを身に付ける。
今日は祭りだった。
「偉大なる龍神様に感謝の祭を!」
長老が高らかに宣言する。
広場に作られた祭壇の前で、化粧を施し前髪を上げた巫女アヤリが、両手を掲げた。
――リィン!
――シャァン!
澄んだ鈴の音が響き渡る。
「テン族を守り、導きたる偉大な龍神様。私たちを邪からお守りくださり、絶えることのない感謝を。私たちに安息の地をお授けくださったことに、尽きることのない喜びを。いと尊き龍神様……」
アヤリの柔らかくも高らかなその声が、広場によく通る。
もう一度リンッと鈴を鳴らし、アヤリがこうべを垂れるのに従って、テン族の皆が倣った。
砦を囲むように広がる湖の中央で、ぶくぶくと泡が沸き立ち、ぐるぐると渦が巻く。
――ザパァ。
『弁えたか、人間どもよ』
白い龍が湖から姿を現し、湖水の如き澄んだ青い目が広場の人々を睥睨する。
『弁えたならわかっておろう――我が力は示したのだ。約束通り、捧げよ』
ビリビリと、聞くものの鼓膜どころか脳髄まで直接震わせるような龍の声。
人々は畏怖し、巫女を見上げた。
巫女の裁量を待つように。
アヤリは、祭壇の上で一歩進み出て、龍に向けて両手を広げた。
「もちろんです、龍神様。今日これより、あなた様に最良の贈り物を捧げることで、新たな契りを交わしたく思います」
アヤリの言葉に、龍は一瞬沈黙した。
その言葉の真偽を見定めようとしているようにも見える。
『良かろう――なにを捧げる。巫女か、姉か、それとも』
その声音に、微かな愉悦がこもった。
睥睨する瞳が、テン族の女たちを見ているようだった。
アヤリは、すぅ、と息を吸う。
「はい――あなた様に捧げますは――イュルェンャェ。――あなた様のお名前と古より伝わる盟約にございます!」
『――ガ、ガァァァア!?』
アヤリの口から、聞いたこともないような言葉が飛び出した。
それを聞いた途端、龍はまるで雷にでも撃たれたかのように身悶えし、苦しげな声を上げて暴れ出した。
その声は二重三重に共鳴し、聞くものの頭を揺さぶり、大地を揺らし砦を震わせ水面を激しく波立たせ。
「イュルェンャェ。この名を知る者に従い、この名を唱える者に守護を与える。それが古よりの盟約。改めて契りが必要ですか? 偉大なる龍よ」
アヤリはなおも毅然と立ったまま、言った。
やがて、龍は。
『おのれ――なぜ――その名を――ァァアアア!!』
怒りや、戸惑いや、不可解をあからさまにしながら、しかし。
『ぎ、ぐぅぅう……』
龍は、おとなしくなった。
ギラギラと怒りに燃える眼差しはそのままに、アヤリのもとに頭を寄せる。
アヤリもまた手を伸ばし、そろ、と龍の鼻面を撫でて。
「偉大なる龍神様、どうか……我らにそのお力をお貸しください」
『――人間め!』
龍は吼えた。
名で縛られた以上、拒むことはできないのだった。
***
龍はすっかり拗ねて不貞腐れたように、あの後すぐに用がないなら帰ると言って湖に潜って行ってしまった。
それを見届けた長老が、少しの間悩んでから、皆に向く。
「さぁ、では……宴を続けよう!」
そこからは皆、飲めや歌えの大宴会となっていった。
「シュシュリ!」
アヤリがのたのたと駆けて来る。
そうしてシュシュリの腕の中に飛び込んだ。
「アヤリ、大変なお役目だったな。疲れたろう? なにか食べるか」
「シュシュリ! うぅん、だいじょうぶ。ねぇ、すごいわ、ほんとうに龍神様に言うことを聞かせちゃった!」
アヤリが瑠璃色の瞳をキラキラと輝かせながら興奮したように言う。
シュシュリも、ほんの少し興奮で顔が熱くなるのを自覚した。
「シュシュリが言った通りだった……ほんとうに……」
アヤリはまだまだ興奮冷めやらぬといった風情で、ほう、と息を吐く。
シュシュリは、長老や戦士長らと同じ座に連なって宴に参加している燕白の方を見た。
昨夜。
正確には今朝、まだ夜も明けきらない頃。
シュシュリが燕白の部屋で目を覚ますと、燕白はまだ起きて寝台の脇の椅子に凭れ、シュシュリを見ていた。
狼狽えるシュシュリに、燕白は笑った。
それから、少しだけ話をした。
円華の軍が攻めて来るとしたらいつごろか。どのくらいの規模か。その時テン族の勝ち目はどの程度なのか。
その中で、龍との約束の話も出た。
「巫女か私か、どちらでも良い……捧げろ、と龍は言ったんだ。……正直、なにを捧げるのかはわからない、が……あまりいい予感もしない。アヤリを、守りたい」
そう言ったシュシュリに、燕白はしばらく何かを考え込むように黙り込んだ。
あまりに長く、無言が続いたので、そのまま寝てしまったのではないかと思わず覗き込むほどのその沈黙の後。
「龍は名をもって縛るのだ」
燕白は言った。
そして、かの龍の魂の名をシュシュリに教えてくれた。
実のところ半信半疑どころか九割眉唾ではないかとシュシュリも思っていたのだ。
聞いたこともない響きの名。
なぜそれを燕白が知っているのかも謎だった。
「だめで元々よ。なぁに、だめなら……龍に抱かれるくらいだろう」
「な……っ、なに言ってる。おまえじゃあるいし!」
シュシュリはしかし、龍の言動の端々に好色さを感じないでもなかった。
もし龍が求めるものがそれであるなら、アヤリにはもちろんさせられない。その時は自分が飛び込む覚悟で、燕白からの伝言をアヤリに伝えた。
結果としては、大成功だった。
龍は怒り狂いはしたが、なにもしてはこなかった。
龍の力があれば、荒野での生活はもう少し楽なものになるだろう。
そして、円華の軍が攻めてきても。
(龍の力があれば……)
追い返せる、と。
この時、シュシュリはまだそう考えていた。
湖水の砦が宴で賑わっているこの時。
荒野の入り口では、円華の軍が着々と進撃の準備を行なっているのだった。
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