消えたい神様と三百年の眠りから覚めた生贄

碧月あめり

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祠と供物

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 ぶるりと震えながら着物の袖に手拭いをしまう由椰の耳に、風の音と混ざって低い声が聞こえてくる。

「妙に胸がざわつくと思えば、お前の仕業か」

 振り向いた先には烏月が立っていて、由椰のことを殺気だった目で見ていた。

 これまで由椰の前であまり感情を見せなかった烏月が、どういうわけか、今は怒っているらしい。

「申し訳ありません……。私はただ……、祠に供物を捧げて、少しお掃除をさせていただいただけです……」
「そのようなことは頼んでいない。余計なことをするな」
「ですが……。人里のものを祠に捧げたり、祠を綺麗にすることが烏月様の力になると聞きました。この屋敷においていただいているお礼に、私も何かできることがあればいいと思って、今日は釜飯のおにぎりを作ったのです。よかったら、召し上がってください」

 由椰が祠にささげたおにぎりの皿を取って差し出すのを、烏月はふいと顔を背けて拒絶する。

「必要ない。今後一切、余計なことはするな」

 烏月の冷たい言葉に、由椰はひさしぶりに胸を刺されたような悲しい気持ちになった。麓の村にいた頃から、拒絶されることには慣れていた。

 だが、三百年の眠りから覚めてここに来てから、風音や泰吉にやさしくされて、由椰は少し勘違いをしていたらしい。

 屋敷においてもらえているからといって、烏月が由椰を受け入れてくれているとは限らないのだ。

 風夜が言っていたではないか。由椰は「よそ者」だと。

「差し出がましいことを言って、申し訳ありません。では、感謝の気持ちだけをここにおいておきます」

 由椰がおにぎりの載った皿を祠に戻して、頭を下げる。その瞬間、由椰のそばをびゅっとものすごい突風が吹き抜けた。

 祠に備えられた供物が飛ばされて倒れ、ガシャンと大きな音がする。酒の瓶が割れて中身が溢れ、紙でできた箱の中身は潰れ、由椰が備えたおにぎりはカタチが崩れ、皿が割れる。

「それが、余計なことだと言っている」

 驚いて目を見開く由椰に、烏月が低い声で凄む。由椰を睨む烏月の金色の瞳は、鋭く暴力的だった。

「泰吉に何を吹き込まれたか知らないが、おれには人間からの供物も感謝も祈りも必要ない。土地神としての力など、これ以上望んでいない。人の世に戻れるまではと思い情けをかけたが、余計なことをするなら出て行け。この屋敷に、よそ者の居場所はない」

 暴風が吹き荒れるような激しさで由椰に怒鳴りつけると、烏月が屋敷へと戻っていく。

 屋敷の扉がピシャリと閉じられる音が、由椰を完全に拒絶していた。

 きゅっと唇を噛むと、由椰は地面に手拭いを敷いて、膝をつくと、ぐちゃぐちゃになった供物をひとつにまとめた。

 割れた酒の瓶を触ったとき、尖ったガラスの先で指を切る。

「痛い……」

 傷口から流れる赤い血を見て思わずつぶやく由椰だったが、実際にズキズキとする痛みを感じるのは怪我をした指先ではなく、左胸のあたりだった。

 烏月に言われた「よそ者」という言葉が、思っていた以上に由椰の胸を刺すのだ。

 風夜に言われたときは、ただ悲しい気持ちになっただけだったが、烏月に言われると、本来の自分は屋敷に馴染むことのない「よそ者」なのだという事実を認めるしかない。

(烏月様が私をここに置いてくれていたのは、神様としてのご慈悲だ。私は本来、ここにいてはいけない)

 ぐちゃぐちゃになった供物を手拭いに包んでまとめると、由椰は祠の向こうに立つ大鳥居をじっと見つめた。

 穏やかな晴れた空が広がる屋敷の敷地内とは違い、大鳥居の向こうには先の見えない真っ暗な闇が広がっている。

(どのみち、私には居場所などないのだ……)

 大鳥居の先を見つめながら、由椰は、ゆらり、と立ち上がった。大鳥居の向こうの闇が、由椰を誘っているように思えたのだ。

「よそ者」の自分が、長くここへ留まることは許されない。

 それならば……。

 大鳥居のほうへと、一歩、二歩と進んでいく。向こうに広がるのは、木々の乱立する一寸先も見えない真っ暗な闇。

 大鳥居の手前で立ち止まった由椰に、敷地の外側から吹き込む冷たい空気が、そろそろと纏わりついてくる。

 ここから一歩踏み出せば、もう戻って来られないだろう。頬を撫でる冷たい空気に、そんな予感がした。

 由椰が戻らなければ、風音は心配するかもしれない。

 由椰が屋敷のほうを振り返ろうとしたとき、外から吹き込む冷たい風が、酒瓶で傷付けてしまった指先を突き刺してきた。

『この屋敷に、よそ者の居場所はない』

 鈍い痛みとともに、由椰の耳に烏月の声が蘇る。

(そうだ……。私はよそ者……。この屋敷でも、麓の村でも……)

 由椰の足が、大鳥居を跨ぐ。そのまま暗闇に引き摺り込まれるように、由椰は荒れた山道へと足を踏み入れた。

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