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烏月・Ⅰ
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「可愛らしい方ですね」
烏月が、突然に頬を染めて炊事場から出て行った由椰の背中を見ていると、泰吉が悪戯っぽく笑った。
「なにがだ?」
「由椰様ですよ。このままずっと、屋敷にいてくださるといいですね」
もう何個目になるのかわからないぼたもちに手を伸ばしながら言う泰吉に、烏月がわずかに眉を寄せる。
「そういうわけにもいかないだろう。あれは、いつか人の世に戻さなければいけない」
「それは、絶対ですか?」
「絶対だ」
「そうなってしまうと淋しいですね」
「淋しいなどと思うのが、そもそも間違っている。風音はともかく、お前も風夜も由椰に懐柔されすぎだ」
「仕方ないですよ。由椰様の料理は美味いので。それに、伊世様を思わせる色違いの瞳で見つめられると、あの方の願いをなんでも聞き入れてしまいたくなります」
ぼたもちを食べながら話す泰吉を烏月が呆れ顔で見つめる。
「由椰は今は幽世にいるが、現世に戻って新しい生を与えられることこそ、人の正しい在り方だ。あまり懐けば、消えたときに痛い目をみるぞ」
「……」
なにか思いあたることがあるのか、泰吉がふと動きを止めて黙り込む。だがしばらくして、琥珀色の瞳をふっと細めた。
「それは、烏月様も同じでは?」
「お前も随分生意気になったな」
含みのある言い方をする泰吉を少し睨むと、
「もう、子狸ではありませんので」
泰吉が笑って返してくる。
信頼していると同時に、ときに平気で憎らしいことを言う従者の態度に息を吐く。
そのとき、烏月の胸に温かな気がふっと入り込んできた。祠に掃除に行くとぼたもちを持って出た由椰が、祈りを捧げてくれているらしい。
祠は、烏月自身と通じている。だから、人が祠を丁寧に扱ってもらったり、供物を捧げてもらえると、その想いが烏月に届く。祠に供物を捧げてくれる人や祈りを捧げてくれる人の気が烏月の身体に入り込んで、山の神様としての力を強くしてくれるのだ。
祠に供物や祈りを捧げる人が多ければ多いほど、烏月の身体に入ってくる気の力も大きくなる。
何百年も昔は、人々に供物や祈りを捧げられることが烏月の喜びでもあった。だが、双子の妹、伊世が消え、土地神を信仰するものが減ってからは、そういう喜びを感じることもなくなった。
人のために尽くしてきた伊世は、人が外の国から持ち込んできた神に信仰を奪われて力を失ってしまった。何百年何千年と、山と麓の土地の人を守り、加護を与えてきたというのに、人への信頼は簡単に裏切られてしまう。人など守っても意味はない。
人のために尽くしてもどうせ消えてしまうなら、無駄なことなどせずに、消えてしまうときを静かに待てばいい。
伊世が消えて、人に対しての信頼を失った烏月は、大鳥居を境に結界を張り、外部の者を避け、祠に触れられることを拒否してきた。
烏月の力が消えることを懸念した泰吉が、この三百年ほどのあいだ、人里のものをせっせと運んできては祠に備えていたが、その効果は微々たるもの。長い年月をかけて、烏月の土地神としての力は徐々に失われつつある。
ここ数年は、烏月自身も本気で神としての力の衰えを感じていた。
(いつ消えてしまってもおかしくはない……)
そう思っていたところに、泰吉と風夜が人間の娘を連れてきた。
神無司山の洞窟に生贄として捧げられたあと、三百年も変わらない姿で眠っていた不思議な娘だ。
金色と青、左右で色違いの目をした由椰からは、ほんの少しだけ伊世の気配を感じる。由椰がどこかで伊世の加護を受けていることはたしかなはずだ。
伊世の加護を受けているせいかはわからないが、由椰が祠の前で祈りを捧げると、ふつうの人間ひとりではありえないような大きな力が体に入り込んでくる。
由椰の祈りは、何百年かぶりに、烏月に喜びを与えていた。
烏月が、突然に頬を染めて炊事場から出て行った由椰の背中を見ていると、泰吉が悪戯っぽく笑った。
「なにがだ?」
「由椰様ですよ。このままずっと、屋敷にいてくださるといいですね」
もう何個目になるのかわからないぼたもちに手を伸ばしながら言う泰吉に、烏月がわずかに眉を寄せる。
「そういうわけにもいかないだろう。あれは、いつか人の世に戻さなければいけない」
「それは、絶対ですか?」
「絶対だ」
「そうなってしまうと淋しいですね」
「淋しいなどと思うのが、そもそも間違っている。風音はともかく、お前も風夜も由椰に懐柔されすぎだ」
「仕方ないですよ。由椰様の料理は美味いので。それに、伊世様を思わせる色違いの瞳で見つめられると、あの方の願いをなんでも聞き入れてしまいたくなります」
ぼたもちを食べながら話す泰吉を烏月が呆れ顔で見つめる。
「由椰は今は幽世にいるが、現世に戻って新しい生を与えられることこそ、人の正しい在り方だ。あまり懐けば、消えたときに痛い目をみるぞ」
「……」
なにか思いあたることがあるのか、泰吉がふと動きを止めて黙り込む。だがしばらくして、琥珀色の瞳をふっと細めた。
「それは、烏月様も同じでは?」
「お前も随分生意気になったな」
含みのある言い方をする泰吉を少し睨むと、
「もう、子狸ではありませんので」
泰吉が笑って返してくる。
信頼していると同時に、ときに平気で憎らしいことを言う従者の態度に息を吐く。
そのとき、烏月の胸に温かな気がふっと入り込んできた。祠に掃除に行くとぼたもちを持って出た由椰が、祈りを捧げてくれているらしい。
祠は、烏月自身と通じている。だから、人が祠を丁寧に扱ってもらったり、供物を捧げてもらえると、その想いが烏月に届く。祠に供物を捧げてくれる人や祈りを捧げてくれる人の気が烏月の身体に入り込んで、山の神様としての力を強くしてくれるのだ。
祠に供物や祈りを捧げる人が多ければ多いほど、烏月の身体に入ってくる気の力も大きくなる。
何百年も昔は、人々に供物や祈りを捧げられることが烏月の喜びでもあった。だが、双子の妹、伊世が消え、土地神を信仰するものが減ってからは、そういう喜びを感じることもなくなった。
人のために尽くしてきた伊世は、人が外の国から持ち込んできた神に信仰を奪われて力を失ってしまった。何百年何千年と、山と麓の土地の人を守り、加護を与えてきたというのに、人への信頼は簡単に裏切られてしまう。人など守っても意味はない。
人のために尽くしてもどうせ消えてしまうなら、無駄なことなどせずに、消えてしまうときを静かに待てばいい。
伊世が消えて、人に対しての信頼を失った烏月は、大鳥居を境に結界を張り、外部の者を避け、祠に触れられることを拒否してきた。
烏月の力が消えることを懸念した泰吉が、この三百年ほどのあいだ、人里のものをせっせと運んできては祠に備えていたが、その効果は微々たるもの。長い年月をかけて、烏月の土地神としての力は徐々に失われつつある。
ここ数年は、烏月自身も本気で神としての力の衰えを感じていた。
(いつ消えてしまってもおかしくはない……)
そう思っていたところに、泰吉と風夜が人間の娘を連れてきた。
神無司山の洞窟に生贄として捧げられたあと、三百年も変わらない姿で眠っていた不思議な娘だ。
金色と青、左右で色違いの目をした由椰からは、ほんの少しだけ伊世の気配を感じる。由椰がどこかで伊世の加護を受けていることはたしかなはずだ。
伊世の加護を受けているせいかはわからないが、由椰が祠の前で祈りを捧げると、ふつうの人間ひとりではありえないような大きな力が体に入り込んでくる。
由椰の祈りは、何百年かぶりに、烏月に喜びを与えていた。
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