消えたい神様と三百年の眠りから覚めた生贄

碧月あめり

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烏月・Ⅰ

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「由椰様の祈りを受け取られているときの烏月様は、とても優しい顔をされますね」

 胸に手をあてて、祠から送られてくる由椰の気を感じていると、泰吉がふっと笑う。

 何百年も外の者を遠ざけておいて、由椰が祠を大切にしてくれることを喜んでいるなんて……。泰吉に見透かされているのが少し悔しい。

「誰からの祈りを受けようが、おれは変わらない」
「そうでしょうか」
「おれはそろそろ部屋に戻る」

 烏月が泰吉との会話を切り上げて立ち上がる。

「由椰様は麓の祭りに行きたそうでしたよ」

 泰吉が紫苑色の着物の背中に声をかけると、烏月が炊事場の入り口で立ち止まって振り向いた。

「祭り……?」
「先ほど、風夜の所在を聞かれたときに、うっかり祭りのことを話してしまったのです」
「余計なことを……」

 泰吉は「うっかり」と言うが、実際にはその言葉のとおりではないはずだ。悪戯っぽく口角を上げる泰吉に、烏月は呆れて眉をひそめた。

「そういえばそのとき、由椰様が不思議なことを言ってましたよ。太鼓の音が聞こえてくる、と」
「太鼓の音? 敷地の外の音が聞こえるはずないだろう」

「そうでしょう。なので、オレも風音も不思議に思ったんです。そのときの由椰様は、昔、一度だけ行ったことのある祭りの話をしていて、そのせいで聞こえるはずのないものが聞こえたのかもしれないとおっしゃていました。だからもしかしたら……」
「祭りが由椰の心に現世への未練を生むきっかけになるかもしれないと言いたいのか」
「端的に言えば?」

 泰吉が琥珀色の目を細めてにんまりとする。

「また、この前のようにお前と風夜が付き添うと?」
「それでもかまいませんが、由椰様はいつか烏月様と人里に出かけたいとおっしゃてましたよ」

「そんなことができるか。だいいち、他所の土地の神の祭りになど行けるわけがないだろう」
「昔はときどき、人に化けて気配を消し、他所の土地の祭りにも行かれていたではないですか」
「何百年以上前の話をしているんだ……」

 烏月が呆れてため息をつく。

 泰吉の言うとおり、五百年以上も前、伊世がまだ健在の頃に、他所の土地の祭りに出かけたことが幾度かある。伊世は人好きで、楽しいことには目がなく、とりわけ祭りが好きだった。

 年に一度、自身の治める神無司山の麓で年に一度行われる祭りを見るだけでは飽き足らず、人に化けて各地の祭りを遊び歩いた。人に優しいだけではなく、奔放なところのある妹のことが心配で、烏月も何度か他所の土地の祭りに付き添った。

 規模が大きく派手な祭りもあれば、その土地の人で神に舞を捧げるだけの小さな祭りもあった。どの祭りでも人々が信仰する神様への想いが感じられ、興味深くおもしろかった。

 けれど、そんなことができたのは、伊世がともにいたからであったし、烏月もまだ人々の信仰の心を信じていたからでもある。

「烏月様が由椰様の魂を輪廻の流れに還したいと思っておられるなら、連れて行ってさしあげてはどうですか? 祭りには、お母様との思い出もあるようでしたし」
「泰吉、お前はいったい誰の従者だ。今回は、そうやすやすとお前の口車にのったりしないぞ」
「もちろん、烏月様の従者です」

 呆れ顔の烏月に、泰吉がにっこりと笑ってみせる。烏月は無言で肩をすくめると、今度こそ泰吉との会話をやめて炊事場を出た。

 部屋に戻る途中、烏月の胸に、あたたかな気がまた入り込んでくる。烏月は足を止めると、自室ではなく屋敷の入口の方へと引き返した。

 廊下から三和土へと静かに草履をおろし、そっと屋敷の戸を開けると、祠の前で手を合わせる由椰の背中が見えた。

 祠に祈りを捧げる薄い桜色の着物を着た小さく華奢な背中が、烏月の中の近くて遠い記憶と重なる。

『烏月様がこれからもずっと健やかに過ごされますように……』

 由椰を見つめる烏月の胸に、彼女の祈りの声が届く。

 やさしい祈りに体全体があたたまっていくのを感じながら、烏月は由椰に気付かれないうちに屋敷の戸を閉めた。

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